第34話

「……まずはそちらから名乗るのが礼儀じゃないか?」

「おや、これは失礼。私はユーリ・ヴォルフガング、一介の軍人ですよ」


赤髪の男はへらっと笑うと、こちらに見えるように腕章を見せた。

双頭の鷹の紋――国軍である。

そう言えば、以前ロベルトを迎えに来た一団の中に混じっていたような気もする。


「また王太子が迷子にでもなったか」

「いえいえ、今回の目的は別にありましてね」


そう言うとユーリはトーマの方へ向き直った。

背の高いユーリに見下ろされ、トーマが緊張で身体を固くするのが見て取れる。

その時、部屋の奥のドアが開き、アルが姿を現した。


「……トーマ?」

「アル! 部屋に戻っているのです!」

「ナイスタイミング、ですね」


言うや否や、ユーリは動いた。


(……速い!)


まるで一迅の風が吹いたかのようだった。

一瞬のうちに、ユーリはアルとの距離を詰める。

追い詰められる格好になったアルがよろけるのを、ユーリは片手で軽々と支えた。


「アル!! アルをどうする気ですか! アルから離れてください!」


トーマが叫び、車いすを動かそうとして、そのまま地面に倒れ込む。


「トーマ!!」


アルが悲鳴のような叫び声をあげる。

トーマは地面に這いつくばったまま、必死にユーリに向かって訴えかけた。


「アルは、アルは悪くありません! すべて私のせいなんです! 私がこの子とちゃんと向き合わなかったから、だからアルは!」

「トーマ……!」


床を這いずりながらトーマはアルに向かって身体を動かす。

アルは身をよじってユーリの手を逃れると、トーマの元へ駆け寄った。

アルに抱き起されたトーマはユーリを見上げる。


「罰なら私が受けます、アルには指一本触れさせません!」


トーマはユーリに向かって言い切った。黒い瞳が真っすぐにユーリを見上げている。

アルはトーマに寄り添ったまま、身体を震わせている。

二人を見下ろしたまま、ユーリが口を開いた。


「あのー……、何の話、でしょうか?」

「へ……?」


トーマから気の抜けた声が漏れる。

ユーリは軽々とトーマの身体を抱きかかえると、車いすを起こし、座らせた。


「コヨティロの件で、アルを連行しようとしたんじゃ……」

「まさか、違いますよ」


ユーリはひらひらと手を振ると言った。


「あなたの罪を裁くのは私の仕事じゃありませんからね。コヨティロの入手経路を聞きに来ただけです。

 以前、同じ毒が要人の馬に使われたことがございまして」


ユーリはそう言うとこちらに向かって片目をつぶった。

ロベルトの落馬のことだろう。


「そうそう出回る代物じゃないですからね。

 販売ルートを辿れば何かわかるのではと、わざわざここまで訪ねてきたのですよ」


ユーリはそう言うとアルに視線を向けた。

アルはトーマの袖をつかんだまま少し身を引く。


「それで、こんな珍しいもの、いったいどうやって手に入れたんです?」

「街で、流れの商人という人から買ったんだ……。フードを被っていて顔は良く見えなかった。

 声もくぐもっていたし……」

「ほう?」

「ほ、本当だよ!その人に、これは絶対にばれない毒だから、ちょっと懲らしめてやるにはぴったりだって言われて……」


ユーリは感情の読めない表情をアルに向けている。

アルは国軍など目にしたのも初めてなはずだ、可哀そうなくらいに怯えていた。


「あまり子供をいじめてやるな。嘘ではないのだろう」


背後から助け舟を出してやると、ユーリはこちらに振り返った。

長い前髪の下で、緑がかった瞳が光る。


「ロベルトの落馬はアルが事件を起こすより数カ月前だ。

 王太子をどうこうしようってやつがいつまでもこの街に居座ってるわけがない。

 アルに木の実を売った男とは別人だろうよ。」


ユーリはしばらく考えるようなそぶりを見せていたが、それもそうですね、と息をもらした。

同じ国軍の軍人でも、以前私に切りかかってきた男とはだいぶ違っていた。


「とはいえ手がかりがあなたしかないのは事実ですし、なにか気になったことや、覚えてることはありませんか?」


ユーリに尋ねられ、アルはしばらく考え込んでいたが、あ、と声を漏らすと顔を上げた。


「その商人、少し様子が変だったよ。うわごとみたいに、薔薇の香りがするって言ってた」


『薔薇の香り?』


ユーリと私の声が重なる。

おや、という風にユーリが私に向かって片眉を上げて見せた。


「何か心当たりでも?」

「……いや、なんでもない」


私はユーリから視線を逸らした。




◆◆◆




私は家へと戻る道を歩いていた。

ユーリは本当にアルを連行する意図はなかったらしく、木の実の効能や入手時期などについて必要なだけ聞き出すとすぐに去っていった。

飄々とした、何やらいけ好かない男だった。


(それにしても、薔薇の香りか……)


ユーリに聞き咎められたときは答えなかったが、心当たりがないわけではなかった。

だがこれも100年前の記憶、今更どうということはあるまい。


私は暗くなりかけている空を見上げて脚を早めた。

雲の流れが速く、風が出てきている。

一雨来そうな天気だった。

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