第31話
「本当に一人で行くの?」
アンは玄関で私に念を押すように言った。
「ああ、病み上がりのところに大勢で押しかけても悪いだろう」
「それはそうだけど……」
アンはなおも心配そうな面持ちである。
トーマを信じたい気持ちと不安な気持ちがないまぜになっているのだろう。
私は焼きあがったばかりのケーキを入れたかごを手に取った。
「そう言えば、トッピングのあの黒い木の実、あれは何? ベリーには見えなかったけど……」
アンは思い出すようにつづけた。
私は玄関の扉に手を掛けると軽く振り向きながら答えた。
「真実を告げる魔法の木の実、ってとこだな」
◆◆◆
私はトーマの家に行く前に、スコット邸に立ち寄った。
「おや、これはエマさん」
呼び鈴を鳴らすとクラバートが現れた。
「アイリスはいるだろうか? トーマのところに行くのに一緒にどうかと思ってな」
「エマさんからのお誘いとは珍しいですね」
「今度は居留守は無しだぞ」
そう言うとクラバートは苦笑した。
「その節は大変失礼をいたしました。ただいまお呼びしますので、少々お待ちくださいませ」
「あ、その前にひとついいか?」
「なんでしょう?」
クラバートが小さく首をかしげる。
私は続けた。
「アイリスがトーマのところを訪ねた日、あれはアイリスが自分から行くと言い出したのか?」
「あれは確か、そう、日付と時間はトーマさんがお決めになったそうですよ。大変お忙しいみたいですね。その時間しか空いていないと」
「……そうか。わかった、ありがとう」
いえ、と小さくうなずくと、クラバートはアイリスを呼びに向かった。
しばらくすると、家の奥からアイリスが姿を現した。
今日はペールブルーのワンピースに身を包んでいる。
先日よりかは幾分かましだが、やはり青白い顔をしている。
「トーマ先生のところに行くんですって?」
「あなたには真実を知る権利があると思ってな」
「真実」という言葉を聞き、アイリスのすこしやつれた顔に生気が戻る。
色の濃い瞳に明かりが灯ったように見えた。
◆◆◆
トーマの家に着くと、アルが出迎えてくれた。
アイリスの姿を見るなりさっさと家の中へと引っ込んでしまったが、今日はトーマの隣に陣取りおとなしくダイニングテーブルについていた。
「ご体調はもうよろしいのですか?」
アイリスの言葉にトーマは頷くとほほ笑んだ。
「ええ、すっかり。アンとジュール、それからエマのおかげですよ」
私はジュールにいいように転がされながら身体を拭いてもらっていたトーマの姿を思い出す。
ケーキの入ったかごを軽く持ち上げると言った。
「回復祝いにケーキを焼いてきたんだ。皆で食べたいのだが」
「ケーキを? それはありがとうございます」
私はケーキを取り出すと人数分に切り分け皿に用意した。
アンに手伝ってもらったケーキは多少不格好ではあるものの、それなりにケーキらしい姿を保っている。
クリームなどは使っておらず、装飾と言えば表面に散らした黒い木の実だけだ。
「あまり見ない木の実ですね?」
それぞれの前に皿がいきわたるとトーマが言った。
私はトーマの顔をじっと見つめた。
「交易品だからな。お前はよく知っている木の実だと思ったが」
「……」
トーマはそれには答えない。
「お茶が冷めないうちに食べてもらいたいものだな」
「え、ええ。それなのですが、せっかく私の快気祝いですし、まず一口目は私がいただいても?」
トーマが全員に向かってほほ笑む。
「……構わないが」
「ありがとうございます」
トーマはそう言うと細い銀のフォークを手に取る。
ケーキをひとかけ切り分け、口に運ぼうとした、その時だった。
「だめ!!!」
鋭い声が響いたかと思うと、トーマの手からフォークが弾かれた。
食べかけのケーキが倒れ、黒い木の実がテーブルの上に転がる。
「……やはり、お前だったか」
私は呟くと、声のした方へと顔を向けた。
トーマの隣では、アルが肩で息をしながら、燃えるような瞳でこちらをにらみつけていた。
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