第28話

ブルーの腹の調子もすっかり元通りになり、2~3日が過ぎた夜更けだった。

食事を終え、名残惜しそうなブルーにまとわりつかれつつエサ入れを洗っていると、扉を激しくたたく音がした。


「こんな時間に誰かしら?」


訝し気に立ち上がろうとするアンを手で制し、ジュールが扉を開けに行く。

鍵を開けてやると、一人の少年が飛び込んできた。


「おじさん、トーマが……! トーマを助けて!」


殆ど掴みかかるようにしてジュールの上に倒れ込む。

グレーの瞳にいっぱい涙をため、上着も着ずに走ってきたのであろう、がたがたと身体を震わせていた。

顔は青ざめ、薄い唇は白く血の気を失っている。


「おいおい、少し落ち着きなさい、いったい何が……」

「トーマが、トーマが死んじゃう!」


アルはそのままうわあと声をあげて泣き出した。

尋常ではない様子に、ジュールとアンは顔を見合わせた。




◆◆◆




「アルがお騒がせしてしまって、すみませんでした」


ベッドの上でトーマは深々と頭を下げた。

首筋や額を濡らしたタオルで冷やしてやったので、いくぶんか楽になったようだった。


「熱はまだあるが、会話にも支障ない。お前も言っていた通り、ただの風邪だろうな」

「油断してしまいましたね。風邪なんて久しぶりでしたから」


トーマが赤い顔で言う。

額のタオルを替えてやるとアンは顔を上げた。


「それにしてもびっくりしたわ。ちょっと、なんていうか尋常じゃない様子だったから」


アンが言いにくそうに続ける。

トーマはすみません、と小さくつぶやいた。


「いいのよ、あなたの脚のこともあるし。いつでもうちを頼って頂戴ね」


アンはそう言ってにっこりとほほ笑んだ。


「エマ、トーマ先生をお願いできる? ジュールと一緒に水を汲んでくるわ」


アンに頼まれ、私は頷いた。

トーマに聞いておきたいことがあった。


トーマと二人きりになると、私はこの若い男を見下ろした。

浅黒い肌はうっすらと赤く上気している。

アルはこの家に戻ってから姿をくらましていた。


「お前のその足なんだが、なにがあったんだ?」


尋ねると、トーマは上気させた顔をこちらに向けた。

また熱が上がってきたのだろう、呼吸が浅い。


「これですか? 検診で預かっていた馬に蹴られてしまいまして」

「預かっていた馬に?」

「はい、結局この脚は使い物にならなくなってしまって、今ではこのざまです。

 人の手助けなしにベッドに上がることすらできない」


トーマは熱い息を吐きだしながら言った。

熱のせいでうるんだ黒い瞳が危うげに歪む。


「……その馬の持ち主は?」


トーマはこちらに視線を向けた。

熱を帯びた瞳が焦点を探すように揺らめいている。


「アイリスお嬢さんですよ」


乾いた唇が薄く開き、熱と一緒に湿った声が吐き出された。



「トーマ先生、身体起こせるかしら? 汗を拭いてしまいましょ」


アンが声をかけながら姿を現した。

ジュールが両手にどこから見つけてきたのかよくわからない大きな木桶を二つ、たっぷり水をためて抱えている。


「いえ、 そこまでしていただくわけには……!」


トーマはアンに気が付くと身体を起こした。

ジュールが優しく、だが力強くその体をベッドに押しもどす。

アンは二人の男の攻防戦を気にも留めずにほほ笑みながら続けた。


「いいのよ、アル君一人じゃあなたを着替えさせたりできないし、汗をかいたままじゃ体が冷えちゃうわ。うちのジュールは頼りになるのよ?」


ジュールが黙って力こぶを作って見せる。

ついで背中を向けると両腕を腰のあたりでまげて力を込めて見せる。

緊張した筋肉で背中がぼこんと盛り上がり、トーマが小さく悲鳴を上げた。


しばらく遠慮していたトーマだったが、どうやらアンのお節介とジュールの筋肉の圧に負けたようだった。

今ではおとなしくベッドの上でされるがままになっている。

抜け出すには今がよさそうだった。


「トーマ、この家にも薬草の類はあるだろうな?」

「え、ああ、はい、ありますが……」


声を掛けると、服を脱がされているためくぐもったトーマの声が返ってきた。


「アン、私は何か使えるものを探してくるよ。多少楽にさせてやれるだろう」

「そうね、私も行きましょうか?」

「いや、いい。私一人で十分だ。トーマ、勝手に探すぞ」

「あ、ちょっと……!」


私は止めようとするトーマを無視し、アンたちに背中を向け家の奥へと進んだ。

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