第27話

私たちはトーマの家を後にしてスコット邸に向かっていた。

服の汚れた令嬢を一人歩かせるわけにはいかないとアンが言ったのだった。

森に住みながらこれほど人にお節介を焼けるのだから、全く感心してしまう。


「もしかしたら、アルだけでなく先生も街の人間を恨んでいるのかもしれません」


アイリスは暗い表情で続けた。


「トーマ先生には街の皆がお世話になっています。だから私だって本当は疑いたくなんてない。

 それでも、先生の診察を受けた他の牛や羊も同じ症状で死んでいるんです。」

「でも、いくら街を恨んでると言っても、診察した家畜を死なせても何にもならないわ……。

 それに診察してすぐならまだわかるけれど、診察から症状が出るまで日が空いているんでしょう?」

「それは、そうなのですが……。でも、アンも知っているでしょう? 彼は異国の出身ですもの、きっと何か魔術的な方法で……!」


なお言いつのろうとするアイリスを私は制した。


「アイリス、慎んだ方がいい。賢明なあなたらしくもない言い草だ」


アイリスは、はっとしたように口をつぐむとうつむいた。

恥じ入るように目を伏せる。


「……そうね、どうかしてたわ。私、今日はひどいことばかり言っている。あなたもがっかりしたでしょう」


アイリスはこげ茶色の瞳を揺らすと疲れ切った顔でこちらを見た。

目の下に陰ができている。かなり焦燥しているようだった。


『僕たちがよそ者だからか――』

アイリスに並んで歩きながら、私はアルの言葉を思い出していた。


三人とも黙って歩いていたが、しばらくしてスコット邸に到着した。

呼び鈴を鳴らすとすぐに扉が開き、クラバートが現れた。


「アイリス様! いったいどうなさったのです、お召し物が……!」

「ちょっと手を滑らせてお茶をこぼしてしまったの。すぐに着替えるわ」


アイリスはそういうとこちらに軽く頭を下げ、他のメイドに連れられて屋敷の奥へと消えていった。

少しふらふらとした足取りが心配だった。


「お二人とも、お嬢様を送っていただきありがとうございました。」

「それはいいのよ、でもアイリスが心配だわ……。かなり思い詰めているみたい」


アンが頬に手を当てて不安げに言った。

クラバートは静かに頷いて続けた。


「仕方ありません。あの馬は、亡き御父上の形見でしたから」

「アイリスの父親は死んでいるのか?」


尋ねるとクラバートは顔を曇らせた。


「はい、ちょうど二年前の秋ごろ、街で疫病が流行したのを覚えておいででしょうか?」


ええ、と後を引き取るようにアンが頷いた。


「疫病対策ですべての家が外出禁止、立て看板がいくつも立って、街への出入りが厳しく禁じられていたのよね?

 新聞で読んだ時には、大変なことになってる、って驚いたわ」

「新聞……? アンとジュールはその時森にいなかったのか?」


尋ねると、アンはこちらに向かって頷いた。


「ええ、私たちはその頃リヴィエラにいたの。大きなな交易船が到着してね、東洋の植物が多く入ったって聞いていてもたってもいられなくて。

 いまうちにある東洋のハーブの多くはその時に買いつけたものよ。収まるまでは街を通れないし、ジュールと話してしばらくリヴィエラに残ったの」


(とすると……)


私は森の方を見やった。

その頃、森にいたのはトーマとアルだけだったことになる。


「封鎖のおかげもあってか、森には疫病の影響は全くなかったようですよ。

 トーマ様も疫病について知ったのはなんでも半年後だったとか。驚かれておいででした」


クラバートは静かにつづけた。


「アイリス様の御父上が亡くなられたのもその時でした。期せずして、トーマ様にお預かり頂いていた御父上の馬が形見に」


それであれほどまでにアイリスは取り乱していたのか。

私はアイリスの青白い顔を思い出していた。


「今回の奇病で死んだのは牛や羊だけだったので、馬は大丈夫かと思っていたのですが……」


クラバートが悲痛な面持ちで首を振った。

私はクラバートに尋ねた。


「死んだ馬はアイリスの馬だけなのか?」

「ええ、1カ月ほど前にクリフォードさんも馬を検診に出したそうですが、無事と伺っていますよ。他の家も、トーマ様に診てもらった馬は皆元気だと使用人仲間が申しておりました」


クラバートは深くうなずくと、手元の懐中時計に目を向けた。


「あの、すみません、このあと約束がございまして……」


どこかそわそわした様子である。

よく見ると、懐中時計の蓋にはミモザではなくマーガレットの花が彫り込まれている。

視線に気が付いたのか、クラバートが言い訳するように言った。


「あ、これはその、もうミモザではないのだからと言われて……」


クラバートが頬を赤く染めている。


(あの男はまったく……)


あらまあ! と声をあげるアンに花言葉を聞かれる前に、私はスコット邸を後にした。



◆◆◆



私はアンと森への道をたどりながら考えた。


(恨み、か――)


ちらほらと星の昇り始めた空を仰ぎ見る。

怒りや悲しみは時が癒してくれると聞く。

だが、恨みだけは長い年月の中で澱のように積もっていくものだ。

私は苦笑した。


(私にも覚えがあるな――)


そこまで考えたとき、ふと首のあたりに視線を感じ、私は振り返った。

辺りは日が落ちて薄暗く、背後の街は黒い塊のようになって見える。


「エマ? どうしたの?」


数歩先で振り返ったアンが声を掛ける。


「――いや、なんでもない」

(気のせい、か――)


ささやかな街灯の陰に赤い長髪を見た気がしたのだが。

高い声を上げて、一羽の鳥が木陰から飛び上がる。

私はアンに追いつこうと脚を早めた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る