第26話
「それで、奇妙な死に方とはどういうことでしょうか」
私たちはトーマの小屋で出された茶を前にして座っていた。
トーマの席には椅子がなく、車いすでそのままテーブルにつけるようになっている。
アルは不承不承と言った体で隣の席についている。
部屋に戻ろうとしたのをトーマに引き留められたのだった。
我々の目の前には紅茶のカップが並べられ、アンの持ってきたコケモモジャムが添えられている。
「あの馬は、まだ馬齢で4歳でした。それが、先日突然よろけるようになって、すぐにすべての脚が動かせなくなってしまったのです。
それからほどなくして息も止まり、そのまま……」
「アイリスが乗っている時だったら、怪我じゃすまなかったかもしれないな」
私が言うと、アイリスは曖昧にええ、と頷いた。
「馬の脚に怪我はなかったのですか?」
トーマが静かな口調で尋ねる。
「ええ、使用人たちに命じて念入りに調べさせましたがどこにも。
それ以外にも食欲や体調、何も変わったところはなかったのに……」
アイリスは膝の上で拳を握った。
大切にしていた馬だったのだろう。
「そうですか……。それは確かに奇妙ですね」
トーマは長い指を顎の下で組むと、考え込むように視線を落とした。
「それで、なぜうちに?」
アイリスはしばらく視線をさまよわせると、言いづらそうに口を開いた。
「皆が言うのです。先生のお薬のせいなのではと」
「そんなわけあるか!」
アイリスの言葉にかぶさるようにアルが叫んだ。
立ち上がった拍子にカップが倒れ、お茶が向かいに座ったアイリスのワンピースを汚す。
「僕たちがよそ者だからか?! 都合がいいときだけ利用して何かあれば犯人扱いだ! 誰も僕たちを助けてなんかくれないくせに!」
「やめなさいアルっ!」
トーマは厳しい声を上げた途端、その場でせき込んでしまった。
慌ててアンが駆け寄り、その背中をさする。
アルはトーマの肩が荒く上下するのを見て一瞬ためらったが、
そのまま振り切るように奥の部屋へと駆け込んでしまった。
トーマは大丈夫だというようにアンの肩に手をかけると、息を整えながら身体を起こした。
「すみません、アルがひどいことを……」
アイリスは黙って首を振る。
「それより、ご体調が?」
「ええ、先日から少し。ただの風邪でしょう」
トーマはさらに何度か咳込むと、深く息をついた。
それから、固く閉じられた扉の方に視線を向ける。
ドアの奥からは物音ひとつ聞こえない。
諦めたようにトーマは続けた。
「ワンピース、汚してしまいましたね。うちで洗って差し上げたいところなのですが、あいにく……」
トーマが自分の脚を見て申し訳なさそうに眉を下げる。
「いえ、服は良いのです。私も、憶測で失礼なことを申し上げました」
アイリスもアルの消えていった部屋に目を向ける。
「先生に引き取られて、あの子も変わったと思っていたのですが」
「アルは孤児だったのか?」
尋ねるとアイリスはこちらに向かってええ、と頷いた。
まだ少し青ざめた顔をしている。
「あの子がいた頃の孤児院は本当にひどいところで、運営のための助成金を横流しして院長たちが私服を肥やしていたの。
そのせいで孤児院はいつもかつかつ、ろくな食事も与えず、子どもたちを虐待していたわ」
ひどい……、とアンが声を漏らす。
アイリスは悲しそうに微笑むと続けた。
「私が地域貢献で滞在したときにそれが分かって、軍に通報したの。でも誰も取り合ってくれなかった。
子どもが余計なことに口を出すんじゃないって」
「じゃあ、孤児院は今も?」
いいえ、とアイリスは首を振った。
頬にうっすらと赤みがさす。
「一人だけ、たった一人だけ、私の話を信じてくれた人がいたわ」
私は、ああ、と思うと街の方を見やった。
そういうことだったのか。先日の結婚騒動が思い出される。
「それってまさか……」
アンが期待のこもった目でアイリスを見つめる。
アイリスは照れたように笑うと言った。
「ええ、クリフォードさん。彼は容赦なかったわ。孤児院はすぐに解散、代わりにスコット家がすべての資金を提供して孤児院を立て直したの。
一銭にもならない、ってお父様は嘆いたけれど、おばあさまが黙らせてしまったのよ」
アイリスが懐かしそうな、それでいて少し寂しげな表情で言った。
その後をトーマが引き継いだ。
「スコット家が介入してからの孤児院はずっと良くなりました。ただ、アルはそれに間に合わなかった。飢えに耐えかねて街の市場で食料を万引きしたのを店主に見つかってしまって」
さんざんに殴られているところをトーマに拾われたということだった。
それからアルはトーマに引き取られ、孤児院には戻らずに森で一緒に暮らすことになったらしい。
「彼の心は幼いときに暴力的に壊されてしまった。
表面上は落ち着いたように見えても、まだ彼の心には熾火【おきび】のような恨みがある」
私は倒れて欠けてしまったカップを見つめた。
一度欠けてしまえば、どれだけ心をこめて修復したところで、カップは元には戻らない。
私はトーマがカップをくず入れに捨てるのを黙って眺めていた。
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