第4話

「いい?あまり遠くに行っちゃだめよ」

私が森に出かけると言うと、アンはそう答えた。


多少の変化はあれど、小川の場所、コケモモの群生地、カラスたちの住処、そういったものは私が暮らした100年前の森と同じだったから、まず迷子になるようなことはないのだけれど。

一応、はーいと返事をして、私は家を出た。


森の中は落ち着く。

初夏の日差しが木漏れ日となって、黒く湿った地面を照らしている。


家の周りは商人たちの通り道と離れているから、人に遭う心配もまずない。

アンとジュールはいい人達だけれど、私は人間はあまり好きではなかった。

植物の方がよほどましだと思う。

少なくとも魔女だの呪いだのいって人を火炙りになんかしない。


(コケモモでもつんで帰ろうかな。アンが喜びそうだ)


そんなことを考えながら沢を飛び越えたときだった。

鋭い馬のいななきと金属がぶつかりあうような甲高い音が響いた。


(人……?)


音の方角には先日見つけたヤロウの花が育っているはずだ。

私は音のした方へと足を速めた。


蔦や低木をかきわけて進むと、小川のほとりに少年が倒れているのが見えた。

ヤロウの可憐な白い花が下敷きになってしまっている。

私は大きく息を吐くと、少年に近づいた。


「おい」


声を掛けてみるも、ううんという唸り声がするだけで返事はない。

うつぶせで倒れているため声もくぐもっている。

私は木の枝を拾うと、少年の身体の下に差し込み、てこの原理でえいやと仰向けに転がした。


「いったいな! 何するんだよ!」

「何するんだはこっちのセリフだ。花が痛むだろうが」


私は少年の尻の下で折れた哀れなヤロウの花を指さしながら言う。

少年は不満げに尻をずらした。


年のころは13~5と言ったところだろうか。

透けるような金髪にラベンダー色の瞳をしている。

肌は陶器のように白く、薄い耳には瞳と同じ色の石が付いたピアスをはめていた。

上等な服を身に着けているが、連れはなく馬もいない。


「この辺りには狼も出る。子どもがこんなところで寝ていたら食われるぞ」

「君に子どもって言われたくはないよ……」


それに寝ていたわけじゃない、と言って少年は視線を逸らした。

投げ出された右足をかばうように手を当てる。


「はっ、馬から落ちたか」

「うるさいな! 君、子どものくせに失礼だぞ!」


少年が顔を赤くして喚く。

動いた瞬間に痛んだのか、声も出せずに足を抱えるとうずくまった。


(この調子では立ち上がりそうにもないな……)


私はため息をつくと、ヤロウの葉を数枚ちぎった。

手の中でもみ、首にかけていたスカーフをとって沢の水に浸す。


「ほら、脚をだしてみろ」


少年はおそるおそるズボンをまくり上げると、それでも素直に足を差し出した。

細く白い脚は膝の部分に大きな擦り傷ができ、血がにじんでいる。

沢の水でよく洗ってやると、ヤロウの葉をすりつぶしたものを乗せ、上から冷やしたスカーフで巻いた。


「あくまで応急処置だ。安静にしていないとまた血が――」

「君すごいんだね!」


言いかけたのを遮るように少年は身を乗り出して言った。


「どんな魔法を使ったの?! あんなに痛かったのがずっとましになったよ!」


私は少年の勢いに圧倒されて若干後ずさった。

さっきまでは腹をたてていたので気が付かなかったが、今になって人と会話をしているのだということに思い当たる。

人は苦手だ。特に顔立ちの整ったのはもっと苦手だ。


「ま……、魔法なんかじゃない。この花の葉には止血作用がある。冷やしたせいで気が紛れて痛みが引いたんだろう」

「へえ、そうなんだ……。こんなちっちゃな花が……」


少年はヤロウの花をしげしげと見つめている。

ラベンダーの瞳がきらきらと日の光を反射している。

きれいな子どもだった。


「君って魔法使いみたいだね」

「やめろ」


反射的に強く否定してしまった。

魔女狩りは終わったとはいえ、条件反射で身体が反応してしまう。

少年は右足をかばいながら立ち上がった。私より頭二つ分背が高く、見上げる形になる。

身体が小さいというのは不便なものだ。


「僕はロベルト。助けてくれてありがとう」


少年はそう言うと太陽のように微笑んだ。木漏れ日を受けた金髪がきらきらと輝く。

何もかもがまぶしいような気がした。


「君のその顔……」


ロベルトはそう言いながら私の右頬に手を伸ばした。

私は反射的に手を払いのけて身を引いた。

右頬から目にかかる傷はアンに作ってもらった眼帯で隠している。


「触れるな。見世物ではない」

「ごめんなさい……」


ロベルトは殊勝な様子で謝った。

まるで咲いた花が一瞬でしおれてしまうかのようで、かえってこちらの居心地が悪い。

怒ったり、笑ったり、謝ったり、忙しい奴だと思った。


「でも、いつか君の右目を見てみたいな。」

「醜さに目が焼かれないといいがな」


悪態をついてやると、ロベルトは弾かれたように顔を上げた。


「そんなことない! 君はきれいだもの!」


こいつは……。私は何も言えずに開けた口をそのまま閉じた。

ロベルトは木漏れ日を受け輝く瞳で真っすぐにこちらを見つめている。


忌み嫌われ、蔑まれたこの傷を、お前は見てもなお同じことが言えるだろうか。


木々の間を縫い、柔らかい風が吹きぬける。

ロベルトの柔らかい金の髪がさらさらと揺れた。


「その、悪いが、キラキラするのをやめてくれないだろうか……」

「え? なに? なんのこと?」


私はこちらを覗き込んでくる少年の視線から逃れるように顔をそむけた。

反射的に助けてしまったが、私は人が苦手だった。

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