第12話 御婆様

 そんなわけで、三人組で避難所を回って、イタコの真似をしていたら、青森から海岸沿いに石巻まで手を引かれて、歩いてきたという本物のイタコがやってきたの。

 わざわざ歩かないで、車でも使ったほうが良かったんじゃと思ったけど、自分の足で歩いてくることに、意味があったそうです。

 イタコと言っても、なりたてのほやほやから二十年、三十年と年期を積んだ者まで、色々いるけど、その人は、イタコの中のイタコでした。

 皆は、御婆(おんば)様と呼んでいたけど、歩いていると、いつの間にか、各地に散らばっていたイタコが集まって来て、御婆様の後について、歩き出して、その集団がだんだんと長くなっていったそうです。

 何をするのかと思ったら、その御婆様に、イタコは、自分が下ろした人のことを聞いて貰うの。私も聞いてもらったけれど、それだけで本当に落ち着くのよ。聞き終わった後で、

「お前(めえ)の汚れは、おらが背負い込んだ。もう大丈夫だ」

と言ってくれるの。

 私は、

「どこで修行したんだ」

って聞かれたの。もう、正直に

「どこでも修行はしていません」

って答えた。御婆様は、にこっとうなづいて、

「ほどほどにな」

って、言われて怖くなった。やっぱり、修行が必要なんだと思った。(後で、聞いたら、イタコになるには、イタコの師匠の家で何年もかかって、修行するそうです)

 他のイタコに聞いたら、イタコは年に一度は、御婆様に話しを聞いてもらわないと、気が触れるという言い伝えがあるそうです。確かに、ずっと、他人の不幸のことを聞かされ続けては、おかしくなるかもしれないと思った。

 赤門さんは、人の話を聞くカウンセラーも別のカウンセラーに話を聞いてもらうので、同じようなことをしているなと言っていたわ。

 その御婆様が、あの大川小学校に立ち寄ったときのこと。御婆様が、突然、

「う~う~」

って苦しみだして、憑依状態が凄かったって言っていた。分かるような気がする。あれほどの数の子どもが、一瞬で亡くなったんだから、誰だって、心が重くなるはず。

 御婆様は、

「例え、天災でも、幼い者が亡くなるのは良ぐね。どうしても死ななくてはいけないのなら、先ず俺たちのような年寄りが、先に逝くべきだ」

と言って、天をにらみ付けていたというの。ちょうど、そこにいた子ども達のご両親が、それを聞いて皆で泣き出したとか。

 御婆様の教えを一言で言うと、

「人が生きることは、汚れを背負うことだ」

ということになるのかな。

 特に、女は、汚れが多いから、余計背負うものが多くなるらしい。そして、人は汚れを背負って死んで行ってはいけない。誰かが、それを引き受けなくてはならないの。

 誰が、引き受けるかは分からない。神様が選ぶらしい。選ばれた人は、苦しくとも背負うことになる。

 御婆様は、

「俺は、肥溜めだ」

って言うの。その意味は、皆の苦しみ、怒り、恨み、嫉み、悲しみ、恥、軽蔑、諦め、劣等感、裏切り、嘘、殺意、それは全て汚れとなるんだけれど、それを全部引き受けるから肥溜めなんだって。

 それにしても、肥溜めって、最低の最低、どうしようもないくらい汚くて、何て言って良いんだか分からないんだけれど、それが、自分だって言える人って何なんだろう。

 それを聞いて、私、鳥肌が立ったの。このおばあさんは、殆ど目が見えないし(それが、イタコの条件なんですが)、かなりの老齢だから、人には言えない苦労をずいぶんしてきただろうに、避難所に来るどんな宗教家にだって、負けないんじゃないかって。いや、あんな人達のレベルではないわ。

 赤門さんに、その御婆様の話しをしたら、う~んと唸って、

「その汚れを罪と言い換えたら、人の罪を背負うと言うことか、それができるのは、イエス、マリア……、肥溜めのマリアか~。東北にも凄い人がいるな~」

と言ったきり、考え込んでしまって、しばらくそのままだった。

 赤門さんて、ずっと後になって、東大の宗教学科を卒業したって言ってたから、そっち方面は、学者だったみたい。でもショックは受けてたわ。

 ただ、私は、御婆様が話すのを聞いていた時、半分ぐらいしか分からなかったの、言葉がね。青森出身だから、津軽弁は理解できると思っていたのに。こりゃ、本当の下北ネイティブだと思った。

 御婆様のところの修行は、普通のイタコのそれとは違うようね。呪文を覚えたり、水垢離をして身を清めたりするのは、同じだけど、人の悩みを聞いて、それを我が身に引き受けることをするらしい。 

 その修行は難しくはなくて、ただ口寄せしてもらおうと来た人達が待っている部屋に同席させてもらうだけでいいらしいんだけど、それほど単純なことではないようだわ。

 そこでは、待っている人達が、待ち時間を持て余してか、誰とはなしに自分の悩みを語るようになる。そこで、イタコの修行者は、お茶や座布団を出す世話をしながら、人の話に耳を傾ける。

 耳を傾けるだけなら、誰にでもできる。そのとき、自分の心に浮かんだことを覚えておいて、上のイタコに聞いてもらうんだそうだ。

 真剣になって、何人もの人の悩みに聞き入ると、気がおかしくなるイタコもいるらしい。本当に気がおかしくならないように、一日に三回は、真冬でも冷水をかぶって興奮をさますとか聞いたけど本当かどうかはわからない。

 もっとも、イタコだってピンからキリまであるから、金儲けに走るのもいるわ。人のことは言える義理ではないから、あんまり言わないけど、いろんなイタコがいても、いいとは思うわけ。

 でも、どうしてイタコって、女だけなんだろう。罪深いから。汚れてるから、人の痛みが分かるから。観音様もマリア様も、やはり肥溜めなの。悲しみを癒やすのは、女のほうが向いているのは何故。 

 この世には、楽しいこと、嬉しいことが半分で、後の半分は、悲しいことだろうけれど、誰かが担わなくてはならない。その誰かが、御婆様で、結局、御婆様が、悲しいことを全て引き受けたのねと思った。

 それにしても、色々な避難所を回ったから、自分でも、避難所評論家になれると思うくらい。女としての立場から言わせてもらうと、避難所で欲しいものの一番は、清潔なトイレね。これがあれば、他のことなんか、何も言わない。でも、昔は水洗トイレでなかったから、すべて流された時には、地面に穴を掘って用を足すしかなかったんだろうね。これは、きついわ。

 あと困ったのは、生理の問題。女の生理には、個人差があって、ナプキン一つですむ人と二つも三つも必要な人がいるから、皆、平等に一つづつと配られると、困る人が出てくる。それで、もっと下さいとも言いにくいから、どうやって工面したか、分からないけれど、相当困っていたようです。

それと、下着。洗濯なんかできないから、配給されるのを身につけるの。サイズが合わないと困るのよ。それでなくたって、少しイライラしているのに、気持ち悪いガードルを穿いているような感じは辛いものよ。でも、配られるときに、もっと大きなものはないですかっても、聞きにくいのよね。女は面倒だって思うでしょう。私も、そう思う。

 でも、女って本当に不便な生き物と思ったのは、化粧のこと。日が経つにつれて、女は、みんなマスク姿になっていきました。この意味がすぐわかった人とわからなかった人がいた。

 大体、一八歳から五〇歳までの女(今、気がついた、妊娠可能年齢だ)は、すっぴんでは人前には、出ないというか、出られない。でも、まさか、食べる物にも事欠く避難所で、とても化粧品が欲しいとは言えない。満足に洗顔も出来ない状況では、人に見られたくないと思う。それで、仕方なくマスクをしたんだけれど。放射能の心配は、していなかったと思う。

 それ以来、私は、少し真面目にイタコをやり始めた。しかし、真面目なイタコとそうでないイタコの違いってあるんだろうか。ちょっと演技っぽいな~と思いつつ、半分あちらの世界に行って、もう半分の私は、こちら側にいる。それが、下ろすということだが、依頼者の気持ちは、十分にくみ取る。むしろ、それのほうが大事だ。

 イタコに頼む人は、迷いに迷って来るの。だから、時間があれば、損得抜きで話しを聞く。相手は、話したくてたまらないから、時々相づちを打つ程度で充分。

 そして一瞬、相手の話が途切れる。そこのところを狙って、下ろしに入る。そうすると、どちらも満足する良い口寄せになるわ。下ろす人が、皆が皆、ほめられる人ばかりではないのは当たり前。その人が、結構悪いことをしている場合もある。嫁姑問題、浮気、大酒、ギャンブル、子どもの頃、愛されなかったとか、そういうとき、依頼者は、怒りや恨みを爆発させる。それが、結構キツイときもある。

 でも、私は、あの御婆様の何でも引き受ける「肥溜め」という言葉を聞いて以来、自分も少しは、悲しみを引き受けようと思い始めたんです。どうなるかは、わからないけど、せめて「ゴミ溜め」と言われるくらいには、なりたいと思っています。今、私は、「ゴミ溜め」のマリアって名前で出ています。

 そうそう、赤門さんは、この大震災が一段落したら、また、うつ状態になりました。それと同時に、又、私に、「死んでくれ」なんて言うのです。

 この人は、私が好きで、一緒に死んでくれというのではなくて、何もすることがなくなって、うつ状態になり、それで一緒に死ぬ相手が欲しいだけのようです。

 私は、少し、安田さんに好意を抱きかけていたので、困りました。

そこで、イタズラ半分に安田さんに、赤門さんから、「一緒に死んでほしい」と言われて困っていると言ったの。

 安田さんが、どう反応するかが、見たかったので。

「そうかい、俺は、外人部隊にでも入ろうかと思うようになっていたんだ。なっちゃんが、現地の飲み屋に、いてくれるとありがたいね」

 この安田さんは、アルジェの外人部隊で、私がカスバの女かよ。「望郷」は、私も好きだけど、そこまで入れ込んではいないわ。

 こいつら二人は、あてにならないことがはっきりとしました。かと言って、又、キャバクラで働くのも、少し疲れたし。 

 私も、何をしていいのかわからくなって、赤門さんの

 「不謹慎だが、大災害が起こると、助けに行かなくてはと思い、そして、自分に何ができるかと考えていくうちに、ワクワクしてくる」

という気持ちが理解できたの。

 まあ、それなりに、生きていけるなら、こういう人がいてもいいんじゃないかと思うようになって。少なくとも社会のお荷物には、ならないでしょうから。

 やあさんこと、安田さんも、相変わらず放浪の生活です。この人の強みは、一通りのことができることに加えて、やばい連中にも顔が利くことです。戦後の廃墟に置かれても、安田さんなら、自力で生きていけるでしょう。

 そして、おそらく、赤門さんも生き延びるでしょう。この人も、判でおしたような何も起きない世の中には、当てはまらない人です。

 あの地震の後に、九州でも地震がありました。そういうところに行くと、不思議とあの二人と出会います。

 私のやることと言えば、イタコの真似ごとだけど、それで本当に一人でも、哀しみを抱いている人が減るのなら、嬉しい。私、今は、もう石巻には住んでいません。

 それでも、たまには、災害住宅には顔を出すの。そうすると、もう九年も経つのに、亡くなった息子さんが、まだ見つかってなくて、九年経っても受け入れられないって言う話しを聞いて、こりゃ、相当重症だわって思ったの。人間って、どこかで、苦しくともね、区切りをつけることが必要だと思うの。だから、時には、イタコを使ってでも、ふっきることが大事なのよ。

 そうそう、あの二人だけど、災害時に放置された軽自動車を修理して海外に輸出する会社を立ち上げて、結構、いい商売になっているようです。


 


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