第12話 はりぼての平穏


 防衛拠点とイアポーニア帝国のプラントは地下トンネルでつながっている。

 スイセンの家を後にした三人は、防衛プラント出口に来ていた。目の前には鋼鉄の聳え立つ壁。

 そびえ立つ鋼鉄の壁……ゲートが、ゆっくりと持ち上がり始める。ゲートの向こうは四角い空間となっており道はない。が、車はその空間の中央まで進み停車した。

 天上から赤い網上の光が車を通過したかと思うと、今度は右側から同じように光が迫り通り過ぎる。

 プラント出口となるこのゲートは、検問所も兼ねていた。

 赤外線で車内をスキャンし、人間をデータベースで検索する犯罪防止の手続きだ。

 不備が無ければ床が下降を始め、地下へと降りることができる。その後、許可プログラムが車のECUに送られ、正常に運転を再開する仕組みとなっている。


 当然、アイシスはれっきとした帝国民のため問題ない。車内に通行許可の知らせが届き、車は走り出した。

 地下、すなわち巨大飛空艇の中には蜘蛛の巣のように無数に張り巡らされた通路があり、設定された目的地に向かって車側が自動で道を選ぶ。

 交通量はコントロールされており、混雑することはない。まして、華族であるアイシスの身分であれば優先的に道が開かれる。


 国の中枢端末でコントロールされている恩恵を十分に受け、移動するストレスを軽減してはいるが、なにせ巨大な〈コンティネント〉だ。目的地までは二時間ほど掛かった。

 通路を左へ右へと定期的に折れていたところ、急に車が止まり床が上昇を始める。国家プラントの検問だ。

 防衛プラントを出るときと同様の手順を踏むことで入国する、はずだった。

 

 急遽、車内にブザーが鳴り響き、アーシルやスイセンはもちろんだが、アイシスさえも同様してしまう。


『不法入国! 不法入国! この車は停止します』

「ど、どうなってるんですか! これ!」

「私たち、契約手続き間違ってしまったのでしょうか」


 機械音声の不気味な声が警告し、アーシルたちが青ざめる。

 見るからに不安な顔を向けてくるが、アイシス自身理由が分からないのだ。答えようがなく言葉に詰まる。

 スイセンの言うように、契約の手続きに不備があったのならそれはアイシスの責任になる。

 自らのプライドで仲介人のサービスを蹴った事に後悔が過った時だった。 


 コンコン、車の窓がノックされアーシルとスイセンがそろってビクリと肩を震わせる。窓の外には黒い軍服に身を包む憲兵が部下を引き連れて立っていた。


「失礼、これはっ……男爵閣下っ!」


 憲兵の中年男がアイシスのコートを見て姿勢を正して敬礼した。

 アイシスはコートの金糸で飾られた襟と袖に感謝しつつ、隙を見せぬよう平静を装った。


「アイシス・レイゼイだ。どういうことだ? 防衛プラントを出るときは問題なかったぞ?」

「はっ、申し訳ありません。最近、国家プラント検問所にて通行許可エラーがあちこちで見られると報告を受けていまして……恐らくはそれが原因だと思われます」


 アイシスは表に出さないよう、心内で胸をなでおろした。どうやら契約不備ではないようだ、と。


「すべてを機械で済ませようという人間の怠惰の結果だな。で? 通れるのか?」

「はっ、失礼ですがIDの提出をお願いします!」


 面倒な、とアイシスが指輪を操作し始めると憲兵がチラとアーシルたちを見た。

 一瞬、睨んだように見えたが、個以上の揉め事はごめん被る。アイシスは怒鳴りたい気持ちを抑え、データを送った。

 電子音が送信完了を告げ、憲兵がデータに目を通すと再びぴしりと敬礼した。


「失礼いたしました! アイシス・レイゼイ男爵閣下、通行を許可します! お気を付けて」


 うむ、とだけ返事をし、アイシスは窓を閉じると深々とため息をこぼした。


「すまなかったな、驚かせて」

「いえ、いいんですが……よくあることなんですか?」


 スイセンが苦笑しながら聞いてきたので、少し記憶をたどると思い当たる話は合った。


「いや、初めてではないが、頻発することもないな。運が悪かったようだ。所詮は間違いを犯す人間が作るものだ。機械も不調はあるのだろう」


 人類を隠れ蓑にした壮大な言い訳だ、とアイシスは口にしながら思った。

 理由は違ったとはいえ、不安がるアーシルたちをなだめることができなかったのは、自分に責があることは明白。

 書類をしっかり処理した、という確信があれば自分達に非がない事は伝えられたはずだ。

 まだまだ子供である自分の精神の未熟さを痛感し、尊敬する父の背中を遠くに感じながらぼんやりと外を眺める。

 薄い闇に鉄の壁が下へ下へ流れていたが、ゆっくりと動きが止まる。上昇が終わったのだ。

 重量感のある鉄の塊が動き出す音が響き、アイシスの背後側から外の光が射しこんできた。

 

                   ※


 今日も今日とて国家プラントの夜は騒々しい。

 ビルに映し出される色鮮やかな広告やビルの明かりが夜空を遠くへ追いやり、路肩に並ぶ雰囲気の良いレストランで楽しむカップルや家族の笑顔、酔った勢いで叫ぶ仕事帰りの大人たち。

 

 昨日の戦場で感じた恐怖、見た惨劇、聞いた悲鳴。

 どれもが悪い悪夢を見ていたと錯覚してしまいそうなほどに弛緩した街の雰囲気が不快だった。


 その笑顔が誰に守られているのか、この平穏が、どれだけの犠牲の上に培われているのか、ここで笑うどれほどのものが考えているのだろうか。


 恐らくは誰も。昨日の惨劇に胸を痛めている者が満足げな笑みなど浮かべられるはずがない。

 それは戦闘後の昨日だろうと、明日や明後日だろうと変わりはしない。それがこの国に巣くう差別の実態。

 それを変えるために、アイシスの父は、そしてアイシス自身も、演説や署名をしているのだが、ほとんどの者が耳を貸さない。先の長さにため息は止まらない。


 そんな現状にめまいを起こさないでいられるのは、自分に同行してくれている二人の存在のおかげだろう。

 アーシルとスイセン、今日契約を交わすことができたディスポンサーの二人が、犠牲にされている側の二人が、目を輝かせて車の窓に張り付いては、幼子のように騒いでいる。

 喜んでいる姿に複雑な気分になりながらも、その光景は微笑ましく。連れてくることができた事で良しとした。


「あっ! 兄さん! あれ見て下さい! 可愛いです!」

「どれ? 分かんないや……」


「もう!」とむくれるスイセンの指さす先をアイシスも辿る。

 窓外の路肩にはアパレルショップが立ち並び、ショーウィンドーにはホログラムで映し出されたモデルが次々にポーズを変えている。そのモデルがポーズをとる毎に、カジュアルな服が次から次へと変化していた。


 なるほど、同じ年頃の少女はあのようなものに興味があるのか。

 漫然と思い至り、自分の手に視線を落とす。

 そこには長年にわたって剣に鍛えられたゴツゴツとしたタコ。次いで体に視線を移し、洒落っ気など気にしていない黒無地のシャツにジーンズ。

 女性としての敗北感が再び気分をどん底に落とした。しかし、その時閃いた。以前考えていた案を実行に移すことを。

 アイシスは「そうだ」と手のひら合わせ、二人の注意を引き付ける。


「スイセン、衣服を購入できるいい場所がある。行ってみるか?」

「ホントですか! あ、でも……私はディスポンサーですし、お店に入れないのでは?」


 一瞬明るくなった表情が暗く沈むスイセンに「心配するな」と告げる。


「私の家族が懇意にさせてもらっている店でな、そなたらにも理解がある。なんら問題はない」

「そんなところがあるのですか! それなら、是非見てみたいです!」


 乗ってくれた、とほころびそうな口元を引き締め「では寄り道といこう」と目的地をナビに送信した。

 これは契約者たるものの義務である。契約したもには衣・食・住を確保する義務が生じる。決して、可愛く、女性らしく生まれてきた者への逆恨みなどでは断じてない。


 明らかに心を躍らせ、より一層の輝きを瞳に宿したスイセンは、待ちきれないと言いたげに勢いよく視線を外へと戻す。

 そんなスイセンを眺め、あとで赤面する彼女を想像したアイシスはいよいよ我慢できずに口元にニヒルな笑みを浮かべてしまっていた。

 ふと胸の奥がふわふわと軽くなっているこよに気付く。

 楽しい、と遅れて言葉が浮かび、思わず我に返る。そうか、と納得する反面、いつ以来だろうかと記憶を探りながら外の景色を見る。


 思い出せない。それくらい古いと言うことか。


 恐らくは、まだこの外の景色に心を躍らせ、行きかう大人たちが巨人に見えた遠い昔。

 そう気が付くと懐かしい感情が急に遠く離れた気がした。霧がかかり、輪郭がぼやけたように曖昧になる。

 自分の感じた感情を客観視する癖が働き、思考が冷静になっていくのを感じる。

 腹の探り合いが常の華族の会話、癖になるのも仕方がない。随分と寂しい人間になったものだ、と自分に沸いた苦い感情を笑った。


                   ※


 自動ドアをくぐり、電子音が来客を知らせると恰幅のいい中年男が豪快な笑みで迎えた。


「いらっしゃいま……おう、レイゼイさんとこの嬢ちゃんかい、いらっしゃい。今日は何の用事だい? また社交界のドレスでも?」 


 彼はお世辞にも広いとは言えない店内の最奥のカウンターに立っていた。が、体の向きはその背後の壁。

 人がいないことをいい事に、またホログラム映像でスポーツ観戦をしていたようだ。


「悪い冗談ですね、ゴトウさん。そう何度も社交界があったのでは窒息してしまいますよ」


 アイシスは肩を竦めると「だよな」と店主のゴトウは子供のような笑みで言った。

 刈り上げられた黒髪とたくましい髭の持ち主なのだが、この無邪気な笑みがわんぱく小僧のような無邪気さを醸し出していて、妙な親しみやすさがある。

 店内に進み、様々な服が掛かるハンガーラックの間を抜ける。カウンターまでたどり着くと、ゴトウがアイシスの背後を覗き見る。


「するってーと……後ろの兄ちゃんたちかな?」


 逞しい髭を扱きながら、嬉しそうにしていた。


「はい、今日私が契約した二人です。衣服が無いので少し見て回っても?」

「どうも、アーシルと言います」

「スイセンです、あの、よろしくお願いします」

「兄ちゃんの方は……まぁ悪くねーが中の上って感じだな。しかし、嬢ちゃんの方はなかなかべっぴんさんじゃぁねーか。どうだい? うちのモデルになんねーか?」


 気落ちするアーシルをよそに、カウンターから身を乗り出すゴトウ。スイセンが愛想笑いで戸惑っている。

 アイシスは咳払いでゴトウを振り向かせると睨みを利かせる。

 笑みが引きつるゴトウはカウンターに引っ込むと「す、好きに見てくれ、よかったら買ってくれ」と定員の言動に戻った。

「そうさせてもらいます」とスイセンの手を引き、アイシスはカウンターから離れた。


「あの、いいのですか? あんな対応」

「かまわん、あの人の言葉は八割がた冗談だ。気に留めるな」

「それじゃほとんど嘘つきじゃねーか!」


 怒鳴るゴトウは放っておいて、アイシスはスイセンとアーシルの背中を押して店内の服を見て回ることにした。


 狭い店内だが、トップ、インナー、ボトム、アクセサリー類など広く取り扱っている。

 見てくれは盗賊と間違われそうな店主のゴトウだが、手先は器用で、センスもなかなかに良く、店の品は自分がデザインしている物も多い。

 店員は二、三人が交代しているのを見るが、全員ゴトウの面接を受けているため、ディスポンサーに偏見がない。それがこの店の良い所だった。


「まぁ、そのせいで補助が降りず、店はこじんまりとしているのだが」

「余計なお世話だっ」


 アーシルたちに説明していたのが聞こえたらしい。スポーツ観戦するゴトウの背中が言った。

 けれど嘘ではないため、ゴトウはそれ以上なにも言えないのかいじけたようにブツブツと何かを呟いていた。


 アーシルも、スイセンもそれぞれが好きに歩き回る。

 アーシルは少し緊張した面持ちで服を睨み、スイセンは満面の笑みで衣服を手に持ち鏡の前に立っている。


「あの、アイシスさん、選ぶの手伝ってもらえませんか? 軍支給以外のもの、見たことないのでよく分からなくて……」


 唐突な提案はアーシルだった。よもや自分へ助力を乞われるとは思っても見ず、アイシスは困惑しながら首を振った。


「わ、私がか? む、無理だ、私は服に無頓着なのだ! スイセンに頼んでくれ」


 いつも動きやすく、考えなくていい服を選んでいるだけだ。人のものを選ぶなどできるはずがない。


「そうですか? 僕はアイシスさんもお洒落だと思いますけど。シンプルですが、スタイリッシュと言いますか……スイセンだと少し可愛くなってしまいそうで……」


 女性としての可愛らしさを否定されている気がしたが、自覚している分、怒りは軽く。

 それよりも、自分が洒落ているなどと言われたことが恥ずかしく顔が熱を帯びるのを感じた。


「兄ちゃん、見る目がねーな、アイシスの嬢ちゃんに色気があるかい?」


 さっきの仕返しのつもりか、ゴトウにはデリカシーという概念が無いらしい。恥ずかしさはなりを潜め、怒りが上回る。


「い、いいだろう、わ、私が選んでやる!」

「ホントですか! ありがとうございます!」


 なかば意地だったが、アーシルが嬉しそうだったので悪い気はしなかった。

 ため息をつくゴトウをひと睨みして、アーシルの服を選ぶことにした。


 一時間ほど店内ではしゃぎ、ようやくそれぞれの品が決まった。

 購入後、スイセンがあまりに嬉しそうにするもので、ゴトウに許可をもらい、その場で着替えることに。


 アーシルはゆったりとした紺色のニットに黒のチノパン、アウターはカーキ色のモッズコートとカジュアルな感じにまとめてみた。困惑しながらのコーディネートだったアイシスだが、自分で選んだこと、なによりアーシルが鏡を見て嬉しそうにしている姿に満足できた。

 スイセンはというと、さすがというべきか。女性の店員に話を聞き、一人でコーディネートしていた。

 薄いピンクのパーカーに白のショートパンツ、アウターはベージュ色のボアジャケットで、赤色のラインがファスナーやポケットなどに沿って伸びている。

 贔屓目抜きにしても可愛い、と女の自分でも思ってしまい、再びの敗北を認めてしまった。


「どうです?」とアーシルに意見を求めるスイセンを横目に、満足げなゴトウに耳打ちをする。


「ゴトウさん、昨日連絡したものは?」

「ん? おお、出来てるぜ。まさかお前さんが着るとは思ってなかったが……なるほど、あの子か」


 言い終わるやサムズアップしたゴトウは、カウンターの下から紙袋を差し出してきた。


「なんです? それ?」


 アーシルが覗き込んできたので、急いで背後に回して隠すと「後でのお楽しみ、というやつだ」とごまかした。


「そうだアイシス嬢ちゃん、最近、検問所の機械がおかしいらしいぞ? 面倒ごとにに巻きまれねーよにな」

「あー、そのようですね……」


 苦笑いするアイシスたち三人を見て呆れた顔になったゴトウは「遅かったのか」とため息をついた。


「気を付けなよ? 例の……なんとかっちゅう……そうだ! スケアクロウ!」

「えっ? ああ、テロ集団の事ですか……」


 どこから聞いてきたのか、国民に伏せられていることを知っているとは。

 世渡り上手でなければ、このような店もやっていけない、ということか。さすが、とアイシスは素直に関心した。


「おおっ、それそれ! 奴らの仕業じゃねーか、つー話しも出てる。外出るときは注意しな、特にに住む嬢ちゃんたちはな」

「心に留め置きます、忠告に感謝を。それではゴトウさん、ありがとうございました。また寄らせて頂きます」


 アイシスは頭を下げるとアーシルたちも嬉しそうに礼を言った。


「かまねーさ、ソウジのやろうにもよろしく言っといてくれ、馴染の店にちったぁ貢献しろ、てな」


 悪戯小僧のように歯を見せて笑うゴトウに「承知しました」とアイシスは笑い返し、三人は店を後にした。

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