第10話 契約
「うーん……やっぱり居心地悪いよ、ここは……」
「まぁまぁ、兄さんにもいい話しですので」
チラチラと通り過ぎるコンディターの視線が鋭く注がれる。
侮蔑の眼差しに囲まれ、アーシルは犬の群れに放り込まれた猫のように身がすくんでいた。
息苦しさを感じ、きつくもない襟を正す。
いつもと変わらなぬ笑みを浮かべるスイセンには感嘆してしまう。見た目からは想像できないスイセンの心の強さ。まったく羨ましいかぎりだ……。
自分の気の小ささに哀しみが込み上げ、ため息がこぼれる。
商談室は広く、二百人は余裕で入ることができる。
テーブルを挟んで向かい合うソファーが点在し、そのほとんどで、現在進行形にコンディーターがディスポンサーの品定めをしている。
アーシルたちも角の席にすわっているのだが、対面にいなければならないコンディーターの姿がない。
本来、ディスポンサーだけでソファーに座っているなど、殴り倒されてもおかしくはない状況。それが行使されないのは、対面に誰が座るか分からないからだ。
もし、対面に座るコンディーターが大物で、アーシルたちディスポンサーを買いに来たとする。その時、商品に傷がついていたらどうだろう。
傷をつけた側は、高額な金銭を要求されるか、よほど運が悪い人であれば、その先の人生を奴隷のようにして生きて行かなくてはならなくなる、かもしれない。
侮蔑の視線は、納得のいかないコンディーターのせめてもの当てつけのようなものだった。
「もう相手を教えてくれてもいいんじゃない? 僕としては心臓が張り裂けそうなんだけど……」
「聞いたところで兄さんの緊張は変らないでしょ? なので来てからのお楽しみです」
アーシルはため息をつき、空席の対面に恨みの視線を向ける。
呼び出しておいて自分は遅れてくるなんて……本当にコンディーターは勝手だよ……。
心の中でぼやいていると、周りが少しざわつきだした。
「おい、あれって……」
「ああ、あのコートの金糸の飾りは男爵家だな」
「はぁ? わざわざ辺鄙な防衛拠点まで来る華族がいるのかよ? 金持ちは分からんね」
「けど、ありゃなかなか……」
周囲がコソコソと騒がしくなる。アーシルはそれが気になり、何事か探る視線を周囲に巡らせる。周りの視線は戸口に集中していた。
騒ぎの理由はすぐに理解できた。戸口に立つ綺麗な少女が原因でなのは明らかだった。
地面につきそうなほどの長く艶やかな黒髪、直線的で整った顔立ち、左は眼帯に覆われているが、露わになっている右目は切れ長の目をしており、佇まいも相まって凛とした印象の綺麗な少女だ。
実際、アーシルも彼女を見た時は目を見開き、息を忘れた。
そんな彼女は、眼帯で覆われていない右目を巡らせ、誰かを探しているようだった。
「へぇー、すごい美人だね……あんな人、見たことないや」
臆面もなく、自然と口からこぼれていた。
そんな自分に驚いたのも束の間、背筋にヒヤリとした悪寒……。隣から禍々しい覇気のようなものが肌をひりつかせた。
恐る恐る振り向くと、スイセンは笑みを浮かべ、こちらを見ている。ただ、その笑みには温かみを感じない。
「そうですね、女の私でも見惚れてしまいそうです。ですが、そうですか……これまでに綺麗な人に出会ったことがない……ほ・ん・と・に、そうですねー」
浮かべた笑みとは裏腹に重たい声。これは明らかに怒っている……。
「ち、違うんだスイセン、僕はただ、綺麗だな、と……」
「違う? 何がです? 何も間違ってませんよ、私もあんなにキ・レ・イ、な人見たこと無いですよ」
「い、いやだから、あの人は綺麗だけど、スイセンはその……可愛い、から……タイプが違うというか……何というか……」
さすがに遠くにいる相手に呟くのとは訳が違う。
対面での恥ずかしさに火を噴きそうな顔を背ける。白飛びしている思考では、継ぐ言葉が見つからない。けれど、とうのスイセンから反応がない事に気付き、横目に様子を伺う。
スイセンの表情はうつ向き加減で見えない。だが、耳は髪の色が移ったのではないかと思えるほどに赤く染まり、両手はスカートの端を握りしめている。
「あ、あのー、スイセン……さん? 失言でしたら謝りますので……どうかご慈悲を……」
「に、兄さんにそこまで言われたらし方ありませんね……こ、今回は見逃してあげましょう。ちょうど、待ち人も来たことですし」
両腕を胸の前で組み、仁王立ちするスイセンは何故か顔をこちらに向けてくれない。
やはり怒っているのだろうか。それにしては声が直前と違い嬉しそうに聞こえた気もするが……。
セスほど軽視している訳ではないが、やっぱり女心とは難しい。お仕置きが無いのなら良しとするべきか。
「ん? 待ち人が来た?」
「こちらです! レイゼイ様!」
「へ?」と理解が追いつかない頭がとぼけた声を出させる。
目の前のスイセンは戸口に向かい手を振り、アーシルはつられるように再び戸口に視線を転じる。
先ほどの眼帯の少女が「おお、そこだったか」と険しい表情を一転させ、スイセンに柔らかく微笑み返している。
「え、ええっ! 待ち人って」
「はい、あの方です。イアポーニア帝国男爵家の息女であるアイシス・レイゼイ様です」
してやったり、と顔に書いているスイセンの笑みと、目の前で歩みを止めた黒髪の少女アイシス・レイゼイという凛とした少女。
アーシルは口を閉じることを忘れ、困惑の表情で二人の顔を交互に見てしまっていた。
※
「改めて名乗らせてもらおう。アイシス・レイゼイ、一応、華族の末端に席を置く者の一人だ。だが、かしこまらないでくれ、まだまだ私は若輩の身、男爵の器ではないからな」
アーシルのはす向かい、スイセンの正面に座るアイシスは、肩を竦めて苦笑していた。
「はー」とアーシルの口から集中の欠いた返事がこぼれる。
スイセンから横腹を小突かれたことで我を取り戻したが、疑問ばかりが浮かび上がり混乱は隠せない。
普通であれば〈欠陥品〉と華族が接点を持つことなどありえない。
その証拠に、先刻よりも周囲の視線が更に鋭くなっている。今度は同胞のディスポンサーの嫉妬も添えて……。
「今回は興味を持って頂きありがとうございます。重ねて、私の厚かましい希望をまで」
膝の上で綺麗に手を揃えてスイセンが頭を下げる。アーシルもつられるようにして頭を下げたが、たぶん、正しい。
最低ランクの自分がここにいられるのはスイセンが何かをしたとしか思えない。
「頭を上げてくれ、言っただろ? 私は気を遣われるような人間じゃないんだ。それに希望を叶えた、というのはどうだろ。交渉というのが正しいんじゃないか? あれは」
「いえ、私としては、すがる思いで懇願したつもりなのですが」
楽しんでいるかのような不敵な笑みを浮かべるアイシス。彼女の言葉に小首を傾げて笑顔で返すスイセン。
アーシルは背筋が冷えるのを感じ、「何をしたのさ」とスイセンに聞く。が、答えたのはアイシスだった。なぜか、「聞いてくれ」と身を乗り出し、楽しそうに。
「まったく、驚かされた! 会って話がしたいと連絡を入れたら、そなたを同席させろと言われてな。『叶えられないなら、死も覚悟しています』と付け加えてな」
内容から嬉しそうにする要素がくみとれないが、アイシスは楽しそうに話していた。けれど、聞いていたアーシルは顔から血の気が引くのを感じ、慌てて頭を下げる。
まさか、ここまでの事をしているとは思わなかった。
「な、なんてことを! ま、誠に申し訳ありません!」
通常、ディスポンサーはコンディーターの指示や命令には逆らうことが出来ない。
指示に従わない、もしくは敵対行動とみられる言動・行動が見られた場合は、首のリングが起爆する。スイセンはそれを利用した。
そう、これは交渉ですらない。自爆テロを使った、ただの脅迫だ。
相手にその気があれば、即座に処分、もしくは安値で『玩具』として売られるか。意図は組めないが、どうやらアイシスにその意志はないらしい。
今、スイセンやこの場が無事なのは、アイシスが指輪を介して通報していないから……。
スイセンの脅迫まがいの行為に対しても『交渉』と言ったのは、周りの目や耳に配慮しての事かもしれない。
もしかすると、コンディーターでありながら対等に話のできる希少な人物ということも……。昨日の人のように。
だからこそ、そんな相手への不遜な態度がアーシルには許せなかった。
スイセンのらしくない軽率な行動に胸の奥で感情が爆発する。
「スイセン! どうしてこんな、何をしたのか分かっているのか!」
気が付くと立ち上がり、怒鳴り声を上げていた。
初めて出す勢いのある声だったが、気になどならなかった。周囲の視線が集まることなど知った事ではない。
けれど、スイセンはそんな反応も見越していた様子で落ち着き澄ましている。
「もちろん、理解しています」と静かにスイセンは答え、彼女は静かに立ち上がる。スッと真っすぐ見返す赤い瞳には、揺るぎのない意志が灯っていた。
アーシルはその気迫に押され、貧弱な怒りが急激に冷めていき、怒りが鎮火すると残ったのは困惑……。
「なんで……」
「これは私の我がままです。兄さんが望んでない事も分かっています……。でも、これはチャンスだと思ったんです。私はセスの考え方がすべて正しいとは思っていません。兄さんの考えだって、可能性はあるはずです……」
スイセンはうつ向き、歯を食いしばる。
……そういうことか。
アーシルは自分の不甲斐なさにため息がこぼれる。
『評価されてねーヤツの言葉に耳を貸すヤツがいると思うか?』
セスの言葉が脳裏で反響した。
スイセンはただ、情けないアーシルの代わりに行動を起こしたのだ。
理想論を戦わないための言い訳のように並べ、相手に理解してもらうための努力を怠っているアーシルの代わりに。
責められるべきはスイセンではなく、自分ではないか。
怒りの矛先は自分へ向かい、同時に罪の意識が芽生える。
「スイセン、ごめん。僕が情けないばかりに……余計な気を使わせてしまったね」
「そんな! 謝らないでください! 言ったではないですか、これは私の我がままで――」
「いいんだ、このチャンスはスイセンが引き寄せたものだ。僕は何もしていない。何も示していない……そういう訳なので、レイゼイ様。僕はこの話しを降りますので、どうかスイセンの無礼をお許し――」
「待て待て、二人で勝手に話を進めるな」
頭を下げようとしたアーシルの言葉をアイシスは片眉を上げ、不服そうに遮った。
「……ですが、僕はランクD、欠陥品です。よく知りもしない欠陥品を引き取ってもらうなど、あまりにも失礼だと思いますので」
「だから、待て、と言っている。こちらの話しも聞け。それとも何か? こちらの話しも聞かず、一方的に意見を押し付けるのは失礼にならないのか?」
「うっ、確かに……そうですね、失礼しました」
アーシルが頭を下げると「うむ」とアイシスは優しい笑みを浮かべた。
「皆、騒がせてすまない。私に免じて許してくほしい。それぞれの話しに戻るがよい」
注目の視線を一堂に集め、アイシスが深く頭を下げる。
男爵家に言われては、と渋い顔で周囲の野次馬たちが自分の席へ戻って行く。ざわざわと、静まり返っていた商談室に喧騒が戻り始めた。
アイシスに促され、アーシルはソファーに腰を下ろした。
アイシス自身もすぐに腰を下ろしたが、「まったく」と額を押さえ、重い息を吐いた。
スイセン共々、悪い事をしたと思い謝罪した。アイシスは軽く手を上げ「気にするな」と言ってくれた。
「これでようやく話ができる……私も初めてでよく知らんのだが、ディスポンサーは皆そうなのか? 想像以上に感情的といか、自己主張もしっかりするのだな」
「い、いえ、それこそ僕が欠陥品だからと捉えて下さい。普通は取り乱すこともなく、相手の言葉を待つ……と思います……」
「ほう」とこぼすアイシスの表情が不敵な笑みを見せる。やはり何かを嬉しそうに、もしくは楽しんでいるように見える。一瞬だったので気のせいかもしれないが。
すでに真剣な顔の彼女は、「本題だ」と話しを切り出した。
「一つ言っておく、私がそなたと話しをしに来たのは、スイセンに頼まれたからではないぞ。もともと探していたのだ」
「「え?」」
スイセンとアーシルの声が重なる。
欠陥品が話題になるのは難しい。ましてや、リストで探そうとなどしないはず。ランクDは精神的不調を抱えているか、能力の未開花など問題があるためだ。
アーシルは気になった。どこで自分の事を知ったのか、と。
戸惑いを隠せず顔を見合わせるスイセンとアーシルに「こういうことだ」とアイシスが後ろ髪を掻き揚げ、空いた片手でマスクのように口元を隠す。
「「ああ!」」
また二人で声を重ねる。
目の前のアイシスは、昨日の戦場でみた女性に変貌した。
全く気が付かなかった。
似ているとは思っても、基本的にコンディーターは黒髪が多い。他人の空似の可能性が高く、気に留めなかったが、よもや本当に本人だとは……。
「な? だから話しはしっかり聞くものだと言った」
髪を解いたアイシスは悪戯な笑みを浮かべていた。話しを遮られた意趣返しのように。
「それなら私に言ってくだされば――」
「言おうとしたさ。アーシル同様、そなたが先んじて条件を出し、有無を言わせなかったのではないか」
アーシルはスイセンを睨む。
「あははは」と引きつった笑みでごまかそうとしたようだが、すぐに観念したようで頭を下げてアーシルとアイシスの二人に謝罪した。
「それはいい、結果的にこうして探す手間が省けたのだ。この話はこれで終い。そして、だ。今回私がそなたらに会いに来た目的なのだが……」
ゴクリ、アーシルとスイセンは、続きの言葉を緊張と共に待った。
しかし、アイシスはそれまでの威風堂々とした様子とは打って変わり、朱に染まる頬を掻きながら視線を泳がせる。
「その……私の友人になってはくれまいか」
ガクン、アーシルはソファーから滑り落ちそうになるのを堪える。
「ゆ、ゆうじん? 友人って、友達って意味の友人ですか?」
「そ、それ以外に何がある! 私を馬鹿にしているのか!」
「ち、違います! 驚いているんですよ。僕らはともかく、あなた様はコンディーターです。それに華族の御一人。わざわざディスポンサーを友人にしなくとも……」
耳まで赤く染め、切れ長の瞳が鋭さを増して睨む。
地雷を踏んだかな、と感じ、慌てて謝罪した。「まぁいい」というアイシスの表情は少し不服そうにしていたが、すぐに平静を取り戻していた。
「父上だ……」
「お父様?」
スイセンが首をかしげて聞くとアイシスは肩を落としてこくりと頷いた。
「そうだ、父上が
アイシスは不満げにため息をつく。が、そんなアイシスとは裏腹に、アーシルの胸の内には温かくなった。体が軽くなり、立ち上がりそうな体をソファーに押し付ける。
「あの、レイゼイ様はディスポンサーを、その、自分達と同じように考えているのですか……」
言葉として出すとおこがましく、胸の奥で何かが押し付けられるような抵抗を感じた。だが、それでも聞かずにはいられなかった。
口の中が渇き、心臓が耳裏で鳴る。聞きたい自分と耳を塞ぎたい自分がないまぜになりながら、アーシルは答えを待った。
そんなアーシルの胸の内など知らず、アイシスは眉を寄せて首を傾げる。意味が分からないと言いたげに。
「目の前でこうして話をしている、意見をかわすこともできるじゃないか。まぁ、自己主張をここまでするとは思ってなかったのだが、そこはやはり、父上の判断が正しかったのかもしれん。だが、元々私は同じ人間だと思っている。個々に違いがあるのは、我らも、そなたらも、同じ」
当然であろう、とアイシスが言い終わるより前にアーシルはうつ向いた。
口の端が緩むのが自分で分かり、止めることが出来なかった。見られたくなくてうつ向いた。
「兄さん……」とスイセンが穏やかに言う。横顔から表情がバレたのか。彼女の声は嬉しそうだった。
「で? どうする? 私の話しは終わりだ。昨日の戦闘でアーシルの事は見ていた。同胞を助けることができる懐の深さも高く評価している。スイセンも思った通り、見た目に反して芯が強いのが気に入った。こちらとしては契約してもらいところだが、強要はしない。そなたらに一任しよう」
最後の方は苦笑いだった。おまけに両手を天井に向け、そうなったらお手上げだ、と言いたげだった。
アーシルとスイセンはお互いに顔を見合わせて、お互いの視線で意思の齟齬がない事を確認し、頷き合う。
「「宜しくお願いします!」」
二人で元気に声を揃えて答えた。アイシスは胸を撫でホッと息を吐く。
「ありがとう、これからよろしく」
「こちらこそ!」
アイシスから差し出された手をアーシルはしっかりと握り返した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます