第9話 世界の価値から零れた者

 薄暗い廊下に出ると、丸々と太ったゴミ袋がこれ見よがしに置いてある。

 ゴミが扉の外に置かれている時は「捨てておけ」という<管理者>からの指示だ。


「分かりましたよー」と小さくこぼすと、ゴミ袋に歩み寄る。


 <管理者>とは、いわば親代わりのようなものだ。

 志願制で、アーシルたちディスポンサーの衣・食・住を整え、文字通り管理する。が、それは表向きの側面で、〈管理者〉の多くは国から払われる支援金という名の報酬が目当て。

 故に、登録だけしておいて、面倒など見ない、というのが真実になる。アーシルの〈管理者〉も例に漏れない。


 国は何も言わない。

 知らないのではない。知っていて黙認している。

 何も善意で引き受ける者がいないとは言わない。けれど、子供を育てるような面倒、好んで志願する人がどれだけいるだろうか。

 いや、そもそも子供とは思われていない。金を生み、自分を潤わせる武器や道具、いいところ暇つぶしの人形だろう。

 そんなものに自分の時間と労力をかけることなど、本当の善人にしか出来ない。

 その歪んだシステムを取り締まるようになってしまえば、途端に〈管理者〉を請け負うものなどいなくなり、ディスポンサーの生産を抑えなければならなくなる。

 結果、昨日の戦闘のような無駄遣いができなくなるし、国の重鎮たちも面倒なに駆り出される。

 畢竟、国は自分達を守る盾を楽に常備しておきたいだけなのだ。


 ディスポンサーの管理は家畜と同じようなもので、高ランクの育成に成功すれば高値で取引され、その恩恵は〈管理者〉にも及ぶ。

 つまりは、「欠陥品」の烙印を押されたアーシルは、ただただ金を浪費する存在でしかない。〈管理者〉からすればせっかくの支援金を台無しにする疫病神に見えていることだろう。


 ぎゅるるる、と腹の虫が鳴く。


 最後に食べたの、いつだっけ……?


 こんな状態で生き延びられるのだから、この体のつくりが化け物じみていると自分でも納得してしまいそうだ。だが、食事を忘れていた訳ではない。

 この状況は〈管理者〉の意志によるものだ。直接的に言うなら「早く消えろ」だ。

 最低ランクで金を生まない、支援金を食い漁るだけの怪物に食事などもったいない、というのは分からなくもない話しで、アーシルはとうに慣れていた。

 

 そういえば、昨夜は妙にいい匂いがしていたな、と思い出す。

 目の前のゴミ袋を見下ろし、その結び目を解くと野良猫同然に中を漁る。


「あった」と思わず浮ついた声が出る。

 食べ残された埃だらけの牛肉のステーキと野菜の付け合わせらしきものだった。

 ないよりは、と自分にいい聞かせ口に運ぼうとするが饐えた生臭いゴミの匂いが鼻の奥を突く。

 胸の奥がざわついて、体が拒絶反応を起こしているのが分かる。けれど、これ以上食事を絶ってしまうと、昨日のような戦闘で体が動かなくなる可能性がある。それは、死を意味するところだ。

 意を決し、思考を振り切って口に放り込む。


 硬く冷たい肉は、カビのような生臭さがまとわりつき、しなしなの野菜はほこりが混じり口の中がジャリジャリと気持ち悪い。

 噛むたびにゴミ袋の饐えた臭いが鼻を抜け、思わず吐きだしそうになるのを堪えると一気に飲み下した。

 それでも胃袋が押し出そうとしてくるのを必死にこらえ、体が諦めるのをじっと待つ。

 胃が拒絶するのを諦めて落ち着くと、喉に残る埃のザラザラした感触に咳き込みながらゴミ袋を閉じた。

 定期的にこんなことをしている自分が情けなる。だが、生きていくためだ。戦場で死ぬならまだしも、飢え死になんてもっと情けない。 


 ゴミ袋を持って一階へ向かう。

 軋む階段を降り始めると、階下から楽し気な男女の声が聞こえてくる。

 一階に降り、暗い廊下の奥を見ると扉の隙間から明かりが漏れている。暗闇の中に佇むアーシルは胸がうずいた。

 扉の向こうから<管理者>たちの談笑が聞こえ、同じ家にいるのに、扉一つ隔てて別世界にいるようだった。


「本当に何なの? あの出来損ない。早いとこ壊れてくれないと次の道具、買えないじゃない」

「まったくだ。昨日の襲撃で壊れてくれてりゃ、そりゃもう嬉しかったのによー。メシも出してねーし、ランクDのくせして、なんで生き残れんだよ」

「もうそろそろ、国からもらった補助も底をつきそうなのに……早いとこ壊れて、次のディスポンサーを買わないと!」

「わかってるよ、でも、こっちから手を下すことができねーんだからしゃーねーだろ?」

「法律うっざ、使えないんだから壊して捨ててもいいじゃん! なんで一つしか管理登録できないのよー」


 知らずの内にシャツの胸の部分を握りしめていた。

 胸の奥で心臓が締め上げられているあのように痛かった。ねっとりとした冷たい者が痞えて息苦しさも感じる。

 飛びらの奥で笑い声が大きくなり、胸の痛みが増すのに耐えられなくなる。

 廊下の奥から目を逸らし、逃げだすように踵を返しすと外の光が仕込む玄関へと向かった。

 

                  ※


 こんなに寒かったっけ?

 プラントの外で一人大鎌を振り回し、素振りをしているアーシルは吹きすさぶ空気の層がいつも以上に冷たく感じた。

 思わず手を止め、コートの前を止める。

 けれど、感じていた寒さは弱くはならなかった。その寒気はコートの内側、もっと言えば胸の奥から全身に広がっているように感じた。


 そうか、寒いのは心なのか……。


 そんなもの、どうしようもない。

 セスは去り、〈管理者〉から消えることを望まれ、一人でプラントの外にいる。それは寒さも感じるだろう。


 弱いな、と自分を罵る。弱い自分を振り払いたくて、切り捨てるようかのように一心不乱で大鎌を振る。

 空気抵抗を受けて普段の倍は重く感じる大鎌の切っ先。風に持っていかれないように体の芯から支えて振り抜く。

 今まで感じる余裕がなかった情報が一心に押し寄せ、それらが一人である事実を突き付ける。


 大体、セスも〈管理者〉も、皆勝手過ぎる。


 じんわりと胸のを奥に熱がこもり始め、それは頭頂部に昇っていく。

 世界が自分を蔑んでいるように感じる。世界が見せるすべてが残酷で辛辣な物ばかりに見えてしまう。

 そんなはずはない、と心の片隅では理解している。だが、熱した頭が視界を狭めて否定したいことに焦点を絞ってしまう。

 こんなものを味わうために生まれてきた、などと信じたくない。けれど、戦うために生み出されたのが自分達だ。


 だとしたら、これが必然だとでも? 自分の価値を証明しようと戦わないから?  できそこないだから? だから世界は僕に厳しいのか? 冗談じゃない!

 

 アーシルが振り抜いた大鎌が突風を放ち、空気と地面を切り裂く。

 巻き上がった粉塵が風に流される中、乱れた呼吸に肩を揺らすアーシルは、苛立ちで歯を食いしばる。

 もし、神様なんてものがいるのなら、この命になんの意味があるのか教えて欲しい。戦う以外に使う道が無いのかと。


 空を睨み眼光で問いただす。返ってくる言葉はなく、代わりに脳内で着信音が響く。


 深呼吸をして乱れた呼吸を落ち着かせる。気持ちも騙すように切り替え、アーシルは腕輪を操作して通信を繋げた。


『おはようございます、兄さん』

「スイセン、おはよ。どうしたの? 今日は哨戒任務の担当じゃないよね?」

『ええ、今日は違いますよ。少し相談があるんですが……今、どこですか?』

「相談? スイセンが僕に? 今は……」

『まさか……いつもの訓練ですか? 一人で?』


 そう一人で。セスもいないのにこれまでの日課をこなす、情けなくて言葉が出てこない。これではまるで――。


『はぁ~、彼女に振られた女々しい男みたいですよ、兄さん』


 言われてしまった。

 胸にチクリと言葉の棘が刺さり、通信越しでも呆れたスイセンの顔が脳裏に浮かぶ。


「い、いや、ほら、昨日いい感じに戦えてたし、体が忘れないうちにと思って、ね?」

「ということは、昨日の女を思い出していたのですか?」


 少し不機嫌な声。なぜそこで、と問うのはやめた。火に油を注ぎそうだ。


「そ、そいえば、相談って何?」

「あ、そうでした! 私としたことが。そうです、相談があるんです。できれば会って話しをしたいのですが」

「え? そうなんだ、別に構わないけど、場所は?」

「良かったです! では基地の商談室に来てください!」

「へ? しょうだんしつ? 商談室だって! ちょっと――」

「ではお願いしますね。三十分後に集合しましょう、遅れないでくださいね」


 プツッ。

 意見を挟む余地も与えられず、一方的に切られた。明らかに追及を避けている。

 場所が商談室ということは、コンディーターが絡んでいる事になる。

 これ以上の感情の揺さぶりは困るよ、とため息をつく。

 しかし、流れ的に約束は成立してしまった。泣く泣くアーシルは武器を胸に収め、力なくプラントへと向かった。

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