第8話 心の隙間
外は暗く、誰もがまだ、深い眠りの中にいる。
アーシルは森閑とした部屋の中で壁付けにされたテーブルで読書をしていた。
部屋の明かりはデスクライトの柔らかなオレンジの光だけであり、それを頼りにリストバンドから飛び出しているホログラムのページをスクロールしていた。
欲を言えば、紙媒体の小説が読みたいところだが、高価すぎて爵位持ちの華族くらいしか持つことができない。
コンディーターでさえそのありさま、ディスポンサーの、さらに言えばクラスⅮの自分に与えられるはずがない。それも部屋を見渡せば一目瞭然だ。
部屋は簡素、というより何もない。ベッドもクローゼットも。
寝るときはコートを床に敷く。唯一の物と言えば今使っている壁付けのテーブルと椅子、机上のデスクライト。
しかし、それさえも自分のものではない。もちろん自分の〈管理者〉が用意するはずもなく、恐らくは前のディスポンサーの持ち物だ。
命を落としたか、誰かに買われたか……。
考えると気分が滅入るし、日常茶飯事の事を一つ一つ取り上げるのは拷問に思えてくるのでアーシルは考えないようにしている。
それよりも今大事なのは、この時間。
誰にも邪魔されず、様々なしがらみからも解放されるこの時間が重要なのだ。
主人公と自分を重ね、想像の中の音や景色を感じる。
登場する人物がおりなす物語を傍らで見守り、自分が戦う道具であることを忘れさせてくれる貴重な時間……のはずだった。
「だめだ……全然集中できないよ~」
アーシルはテーブルに突っ伏してため息を吐く。
文章が脳裏に浸透しない。意識して文字を追っても、線を辿っているかのように情報がまるで入ってこない。
原因は明白、昨日の戦闘やその後の出来事がアーシルの心をかき乱しているからだ。油断しているとすぐに記憶が蘇る。
※
味方の爆撃が終わり、舞い上がる粉塵に紛れて赤と虹色の粒子が風に流されていく。
開けた視界に飛び込んできたのは、無数にえぐられた地面が月のクレーターのようになった光景だった。
クレーターの底に地盤ブロックがむき出しとなっていたが、本来白い地盤ブロックは黒く煤けており、今も小さな黒煙を立ち上らせている。
見た目は大きく変わったが、ただそれだけの景色だった。しかし、アーシルはその景色意外になにもないことに戦慄を覚えた。
あの爆撃の直前まで、まだ同胞と〈ジン〉の群れはひしめき合っていた。それなのに、今はクレーター以外に何もない。
穴を埋めてしまえば元の景色となんら変わることがないだろう。その事実がたまらなく怖かった。
〈ジン〉はおろか、ディスポンサーも死後は遺体が残ることはない。
なんども命を賭して戦い、多くの敵を倒し、多くの人の盾となっても、死んでしまえば消えてなくなる。
戦後の処理で管理データからも抹消され、生きていたという記録もなくなる。初めから存在していなかったかのように……。
その絶望を回避したことを安堵したのも束の間、いつもそばにいる友人二人の安否が気になった。
もし、あの爆撃に巻き込まれていたら……。
そう思うと頭の中が真っ白になり、急に動悸がし始める。呼吸が忙しくなり、息苦しさを感じながらも周囲の人混みに二人の面影を探した。
「……そうだ! 念話で!」
便利な機能を思い出したことで少し冷静さを取り戻す。リストバンドを操作し名前を検索する。
名前はすぐに表示され、二人とも生存は確認できた。
無事であることに喜びつつ、すぐに念話を始めた。相手はスイセンだ。
「そうだ……いろいろとありがと……あれ?」
通信が繋がるまでの間に感謝を述べようとコンディーターの少女に振り返るが、あたりに彼女はもういなかった。
爆撃後、声を掛けてはくれたがアーシルは何も言葉を返せなかった。
悪い事をしたな、と罪の意識を感じたところで通信が繋がった。
『義兄さん! ご無事ですか! お怪我ありませんか!』
ほとんど怒鳴るような声が脳内に反響したため、驚いて頭を押さえた。
「大丈夫、スイセンも無事かい?」
『ええ、ギリギリでしたが、なんとか逃げ切ることができました。今、そちらに向かっていますので』
「みたいだね、なんともなくて良かったよ。セスも来ているみたいだし、とにかく二人とも無事でなにより、安心したよ」
『私もです。セスはどうでもいいですが、義兄さんに何かあったらと思うと気が気じゃなかったですよ』
相変わらずセスには冷たいな、と思いながらもいつものスイセンの様子にようやく日常の雰囲気を感じることができた。
安心しきった体から力が抜け、糸が切れた操り人形のようにへたり込む。
プツッと通信が切れたと思うと「にぃさぁーん!」と明るく元気な声が遠くに聞こえた。あたりを見渡すとスイセンが大きく手を振っているのが見えた。
手を振り返していると「よう、生きてたかアーシル」ともう一つの知った声。
声に振り向くとセスが傍に立ち見下ろしていた。
「君こそ、一人突っ込んで……心配したよ」
「心配? お前が俺を? 百年はえーよ。けどま、皆無事で良かったじゃねーか。訓練の成果ってやつか? アーシル」
肩に腕が回され、セスがドヤ顔を近づけてくる。
確かに訓練の成果を十分に感じていた。敵の動きがセスより早い事はなかったため、焦りさえなければ楽々と立ち回れていたと思う。だが、それにしてもセスの態度は少しばかり感に触る。これでは素直に感謝もできない。
まったく、人の気も知らないで……。
やられっぱなしな気がして、少し皮肉を言いたくなった。
「セスは無謀なんだよ、随分ドラゴンに苦労してたみたいだね」
「別に、苦労はしてねーよ。ただ……予想より硬かっただけだ! あの鱗! 俺の風を弾きやがってよ――」
「それを苦労したと言うだよ」
「ちっ、うっせ!」
「何を話してたんです?」
「ああ、スイセン! それがさ、聞いてよ」
「あぁ? 別にいいだろ話さなくても」
「なんですなんです?」
セスの嫌そうな態度に合流したスイセンがここぞとばかりに先を促す。
誤魔化すセスとスイセンが口論になり、それを俯瞰してみる自分。アーシルは日常の景色に心底喜びを感じた。
「そうだ! 変わった人を見つけたんだ! ディスポンサーなのに前線で戦ってたんだ! しかも、ディスポンサーを助けて回ってさ!」
話しが一段落したところで、あの少女の事を思い出し二人に話したくなった。
「あっ! 私見ました! 遠めですが、ポニーテールの……って、兄さん、あれ女性じゃないんですか?」
「ん? そうだけど、どうして?」
何故だろう、少し怒っているように見えるのは。
「おいおい、あほずら晒してんじゃねーよアーシル。スイセンは、お前がその女に垂らし込まれたんじゃねーかって疑ってんだよ」
「えーっと……なんで?」
訳が分からず瞬きをしていると、セスとスイセンはため息を漏らした。
「兄さんがその様子なら、私の心配など杞憂ですね」
「お前ってやつは、ほんとに……」
二人して何故か憐憫の情を含む目で見てくる。
意味が分からず腹が立った。が、今はそれどころではない。
自分の事より出会った少女の事が何より重要だった。
「話がそれた! あのコンディーターが僕らを助けてくれたんだよ! 分かり合えるんだよ! 僕たち!」
一緒に戦った景色を思い出し、話しに熱がこもる。
当然だ、これまでほとんどの同胞に馬鹿されて、否定されきた自分の理想を体現したような時間だったのだ。
向かいたい方角も分からず、真っ暗な道で迷っていた自分に進むべき道を照らす光に見えた。
高揚する自分を抑えられるはずがない。
けれど、セスの反応は相変わらずのものだった。
冷めた目で睨まれ、アーシルは困惑すると同時に伝えたい熱も、想いも、急激に鳴りを潜めていった。
「まだそんなこと言ってんのか? あの惨状を目の当たりにして、それが言えるって、どんだけ幸せな頭してんだよ、おまえ」
低く冷たい、突き放すような言葉。けれど、寸前に起きた爆撃を思い出し、自分の発言が不謹慎だったことに気付く。
前線で戦う同胞もろともを飲み込む爆撃、自分が分かり合えると言ったコンディーターが行ったものだ。
瞼を閉じると見える絶望と恐怖を滲ませる表情、助けを乞う瞳、その顔に向かって同じことが言えるのか……。
「義兄さん……」
スイセンの気遣いの声は遠く感じた。自分の愚かさに顔を上げることができず、拳が握りこまれる。
「……ここらが潮時、かもな」
ため息交じりのセスの言葉が即座には理解出来なかった。ただ、嫌な響きだ言うことは感じ、胸の奥がざわついた。
「え?」と聞き返すつもりでセスを見たが、セスはぼんやりと遠くを見ていた。
視線の先には、ボロボロになって魂が抜けたように座り込むディスポンサーと勝利の余韻に浸っているのか、満面の笑みを浮かべているコンディーターが見える。
同じ死地を乗り越えた者とは思えない感情の落差が歪な光景を作り上げている。
「アーシル、スイセン、友情ごっこはここまでだ。俺は〈契約〉することに決めた。俺もなアーシル、コンディーターにあったよ。そいつ、公爵なんだ。ドラゴンと戦った後、声を掛けられてな」
「まって……どういうこと? ごっこってなに?」
「保留するつもりだったが、お前といたら武器としての俺は錆びちまう。だから、俺は武器としての本分を果すことに今決めた」
「いや、だって……契約は人に使われるってことで……」
「見たろ? 必要ないと判断されれば敵もろともだ。だから、自分の価値を証明しなきゃなんねー。俺たちの命の価値は戦いがついてまわんだよ。お前みたいに現実から目を背けてるといつか廃棄されちまうかもしんねー」
「そんな……」
「じゃぁな、明日からは二人でよろしくやれや。もう会うことはないかもな。ま、お前らも契約すればどこかで会うかもしねーが」
そう言葉を残してセスの背中は人混みと砂煙の中に消えて行った。
※
あの時の衝撃は一日たった今でも尾を引いてる。
ぼんやりと小説のページを眺めていも、頭の中では背を向けて砂煙の向こうへと消えていくセスの姿が再生されている。
「でもさ……セス、僕の望みは誰かを踏み台にした先にはないんだよ……」
記憶の中の後姿に言葉を投げた。が、受け止める先のない言葉は、静かな部屋に吸い込まれるように霧散した。
意識を本へ戻し、スクロールをしようとした時、明るい光が部屋の影を押しのけていく。
窓の外に視線を転じると、水平線に見える鋼鉄の壁の頂上から太陽が少し頭を出していた。
鳥の鳴き声が聞こえ、椅子から立ち上がると日差しに向かって背伸びをする。
日差しから逃げる建物の影を見ると羨ましくなる。自分も一日の始まりから逃げたい気分だ、と。
友人だと思っていたセスは、『ごっこ』と言い捨て離れて行った。今まで目を背けてきた現実が急に押し寄せ、何も考えないようにしてそのまま扉へ向かう。
いつものようにコートを羽織り、ドアノブに手をかけて気付いた。
「ああ、そうか、もうセスいないんだ」
セスの待つ朝の鍛錬に向かうつもりで体が動いていた。
待ち人はいない。けれど、他にやることも浮かばず。
アーシルは自分に呆れて肩を竦めると扉を開けた。
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