第6話 戦場

『あー、東部防衛拠点に<間欠泉>が出現。人形共は直ちに迎い造られた意味を全うせよ。あー、そうだそうだ、戦場にてコンディーター我らの同胞を確認したなら人命を優先せよ。貴様らと違って替えがきかんことを忘れるな。以上』


 焦りや緊張の類が感じられない抑揚のない声が脳内で不快に響く。

 アーシルは顔をしかめつつ、リストバンドを操作してホログラム地図を表示した。が、確認せずとも哨戒任務中である。遠目に水の柱が空に刺さる勢いで伸びているのが見えていた。

〈間欠泉〉とは、その名のごとくから吹きあがって来る水の柱それを指す。

 頻度は月に一・二度といったところだが、これが見れたからといって幸福が訪れるということはない。むしろの絶望が向かってくる。

 〈間欠泉〉が現れたということは、すなわち地上からのを意味する。普段は分厚い雲で遮られている地上と空だが、唯一世界が繋がる瞬間でもある。


 〈間欠泉〉は滝が逆流しているかのような勢いに任せ、直径20メートルもある球体を送り込むためのもの。

 アーシルたちはカプセルと呼んでいるそれに、地上に住まうとされる異形の怪物〈ジン〉を乗せてエレベーターよろしく、打ちあげてくるのだ。


 何だったか、大昔の童話であったような。

 確か、豆の木が地上から伸び、空の上の世界とをつなげる話だったか……。


 バシッ! と隣でセスが自分の手のひらに拳を打ち付けたことでアーシルの意識は現実に引き戻された。

 これから戦場に向かわなければならないとうのに、セスは嬉しそうな笑みを浮かべている。

 怯えて気を逸らそうとしていたアーシルとは大違いで、セスの姿こそがディスポンサーの本来の姿。


「やったぜ、これで退屈しなくてすむ。哨戒任務なんざ、ただ歩き回るだけで暇なんだよ」

「不謹慎だよ、セス……哨戒任務だって、こうやって警戒してるから近くのチームがすぐに対応できるんじゃないか」

「なら、早く救援にいかねーとな?」


 ニヒルな笑みでアーシルに聞いてくる。

 セスは気付いている。すぐに走り出さないアーシルが恐怖に竦んでいる、と。本当に意地が悪い。


「戦いたいだけのセスはおいておいて、兄さん、私たちは近いので急ぎましょう。少しでも被害を抑えないと」


 真面目なスイセンに正論を叩きつけられるといよいよ逃げようがない。覚悟を決めたアーシルは深呼吸を一つして「分かった」と頷いた。


                  ※


 東部防衛プラントが少しずつ近づくにつれ、弾ける炎と立ち込める黒煙が視界に入り出す。

 幾度とな起こる破裂音は、ズンっと空気を震わせては悲鳴を呑み込んでいた。

 戦場の殺伐とした空気を肌に感じ始め、寒々とした恐怖心がアーシルの体を駆け巡る。


「んーと? カプセルは……見つけたぜ! 俺は先に行く、じゃ、また後でな!」


 セスは地図の座標から〈間欠泉〉にのって打ちあげられたカプセルの着地地点を確認し、一人でそちらに走り出す。


「ちょ、セス! 情報ももらってない……のに」

「兄さん、放っておきましょ。自殺願望があるなら好きにさせればいいのですよ」


 慌てるアーシルとは対照的に、ニコリと微笑むスイセンはきっぱりと言い捨てる。

 冗談だよね、と聞き返そうとしたが直前で言葉を呑み込んだ。スイセンの表情があまりに自然で、別に構わない、と本気でそう言っているように見えた。


 そもそも、ディスポンサー同士の関係は競争相手にも等しい。

 時折、ちらと見せるスイセンのセスに対する乾いた態度は、そういった部分が出てしまうのかもしれない。それは対するセスも同じだった。

 友人のように見えるのは人間のそれを真似ているだけで、その繋がりはお互いの利害関係の一致でしかないのかもしれない。

 普段から一緒にいても、奇妙なズレた感覚を感じることがある。まるで二人を映画のスクリーン越しに見ていて、違う世界の人たちを見ているかのような感覚だ。

 セスの突飛な行動に動揺すること無く、もうすでに普段の真面目な横顔を見せるスイセンに少し寂しさを覚えた。

 

「兄さん、見えました。前線です」


 スイセンが前方に指を差す。

 その細い指の先では、波がぶつかり合うかのように同胞であるディスポンサーの防衛部隊と異形の怪物〈ジン〉の大群が戦いを始めていた。

 悲鳴と咆哮、そして繰り返し上がる爆発音とがないまぜになっている戦場は、すでに虹色の粒子が蔓延している。

 無情な突風が命の澱を押し流し、〈コンティネント〉の外へと追いやるのが見えたアーシルは胸が締め付けられる。


「まずは、防衛部隊の本陣に状況を確認しに行こう。途中で助けれそうな仲間を助けながら、ね」


「分かりました」と答えたスイセンと共に進路を前線部隊の後方に変える。

 今は助けにいけない前線からの悲鳴があちこちで上がり、アーシルは心の中で謝りつつ罪悪感を振り払うように走った。


                  ※ 


「ランクBは役にたつだろうが、Ⅾだと? 邪魔なだけではないのか? まぁ、壊れてくれれば余計な国費が浮くというものだが……」


 顔全体を覆う酸素マスクがもとで、くぐもっていた男の声は嗤っていた。

 指揮所となっている軍車両のコンテナの後部ハッチを解放してはいるものの、中に入れてもらえないアーシルたちは見下ろされる形で直立していた。

 刺すようにスイセンが睨み、一歩踏み出したのをアーシルが手を引いて止める。

 不服申し立てに頬を膨らませるスイセンを軽くなだめ、アーシルは酸素マスクの男に頭を下げて頼み込んだ。


「まっ、いいだろう。前線に加われ、幻獣種ファブローサがざっと見たところ数百はいるからな、数はあるだけいい。せいぜい壊れてくれ? Dは国費を無駄に消費するだけだからな」


 肩を小刻みに揺らして笑う酸素マスクにスイセンの我慢が限界を超えた。

 鉄が仕込んである戦闘用の分厚いブーツのつま先が、コンテナの下面を蹴り上げる。

 少女とはいってもディスポンサーだ。コンテナがシーソーのようにハッチ側が浮き上がり、男は下から突き上げられた衝撃で天井へ衝突。そのまま気絶した。

 指揮官とは名ばかりだ。作戦の指揮を執るわけでないので気絶しても問題はない。彼らはただ、国民への体裁を保ち、小金稼ぎに来ているだけなのだ。ただ……。


 後から何か言われなきゃいいけど……。


「スイセン、これはちょっと……まずいのでは?」

「え? ああ、そうですね。 ここは戦場でしたね」

「ん?」

「遠くから火の玉が飛んできて、爆風でコンテナが跳ね上がるなんて……私の警戒がずさんでした。自分たちが怪我しないよう、気を引き締めなおしていきましょう、兄さん」


 わざとらしく落ち込み、かと思えば凛と表情を引き締めて拳を握るスイセンには批判・反論を許さない迫力があった。アーシルは迫力に押され首を縦に振るしかなく、仕方ないよね、と無理やり自分を納得させた。

 すっきりしたのか、スイセンは鼻歌交じりでにこやかに歩き出した。身から出た錆とは言え、アーシルは気絶する男に憐れみを込めて軽く頭を下げるとスイセンを追った。


                   ※


 前線は悲惨なものだった。

 幻獣種族ファブローサと呼ばれる小型の〈ジン〉は、火や水を操るガーゴイル、剣のように鋭く硬質な鱗を持つワニのランガチ、鋭利な角と強靭な脚力を持つユニコーンなど、おとぎ話の中の怪物たちを模り、物量にものを言わせて戦場を蹂躙していた。


 とはいえ、数で大きく負けている訳ではない。問題は自陣側にあり、特別な編隊や作戦もないディスポンサーはただ我武者羅に戦くしかなく、劣勢なのはそれがもとだった。

 ましてや、味方意識の乏しいディスポンサーはお互いを盾にし、数をどんどん減らしていく。

 遅れて到着した増援があっても、無くした分の補強にもならず、こちらのディスポンサー弾薬が尽きるのが先か、相手が全滅するのが先かという醜い戦場だった。

 機関銃から排出される薬莢のようにディスポンサーが消えていく。

 戦況を確認しているはずのコンディーターからの指示はなく、打開しようと言う気配がない。地上から打ち上げられた〈ジン〉は数を減らすだけだが、ディスポンサーは減った分を補給できる。そういう思惑が透けて見える。


 小型とは言え、最小で三メートルはあるものばかり。〈ジン〉の群れが攻めてくる光景は、壁が押し寄せてくるようだった。


 アーシルは同胞が次々と虹の粒子に変わる中、一人でも多く味方を救おうと無我夢中で大鎌を振った。

 しかしそれは、同時に自身の恐怖から目を背けるための行為でもあり、気が付くと味方から孤立し、自身を守る戦いになっていた。

 不安を感じる余裕などなく、目の前の敵に集中するしかなく、アーシルは複数の敵と向かい合っていた。

 

 初めに動いたユニコーンの突進をかわし、その背後で魔法を放とうとするガーゴイルを視界にとらえる。

 ガーゴイルが放った火球をかわし、懐に入り大鎌を振り抜く。

 相手も三又の矛を突き出してはきたが頬をかすめ、アーシルの大鎌がガーゴイルの体を上下に両断する。

 切り裂かれたガーゴイルは、地面に落着するより早く紅い粒子となって消える。

 ディスポンサーの原料は〈ジン〉の核だ。似た者同士とはいえ、命が途絶えた時の反応が同じとは、皮肉にもほどがあると常々思う。


 アーシルは血を吸ったような紅い大鎌を閃かせ、次から次に襲い来る〈ジン〉を切り伏せていく。まるで、自分が殺戮マシンになったかのように、無心で。

 何度も浴びた返り血は、次の瞬間には紅い粒子へと変わり、遺体も何も残さない。生きてきた痕跡は消え、風に流される。

 ふと、その光景が自分の最期と重なり、さらなる恐怖心が鎌を振らせる。


 嫌だ、嫌だ、死にたくない……!


 ただただ目の前の敵を切り裂いていく。自分が生き残るために。

 だが、その必死さが自身を顧みことを忘れさせる。アーシルは唐突に全身が重たくなったように感じ、息苦しさを覚えた。

 動きを止めた時、自分が肩で大きく呼吸していることに気付く。

 呼吸がすでに乱れている。ディスポンサーはそう簡単に体力を切らすことはないはずなのに。

 恐怖心から目を背けるために必死で武器を振るっていたからだろう。武器を振るうにも余計に力み余計な力を使っていたのかもしれない。

 落ち着け、と何度も胸中で叫び、乱れる息を整える。


「兄さん! 危ない!」


 声に振り向くと、間近に迫る木の幹のような尾が視界に飛び込んでくる。

 剣のように鋭利な鱗を持つ尾に対し、急ぎ挟んだ大鎌の盾が間に合った。が、巨木のようなグランガチの尾は、アーシルの体を軽々と弾き飛ばし、勢いのついた体が地面をえぐりながら滑った。


 かろうじて意識はつなぎとめていた。土を吐き、力の入らない震える足で何とか立ち上がる。

 けれど、視界と地面が振り子のように揺れているような感覚に襲われ、頭の中も霞がかかりぼんやりとしている。見ている景色が遠くに感じる。


 当然だが、〈ジン〉が情けなど持ち合わせている道理はなく。

 グランガチは巨大な口を開けると、のこぎりのような歯を見せつけ、朦朧とするアーシルに迫る。

 

 動きはそこまで早くはないのだが、頭の中が攪拌されては思考がまとまるはずもなく、体に指示が出せない。

 呆然と立ち尽くし、あるがままを受け入れかけた時だった。突然、戦場に似合わない、澄んだ綺麗な音色が響き渡った。


 音色を聞くと体は軽くなり、頭の中の揺れが収まった。体の感覚も戻り、霞の取れた思考が眼前に迫るグランガチの存在を認識させ、目の前の光景にアーシルは命の危機を感じた。

 けれど、グランガチは急に方向を変えたかと思うと、近くのガーゴイルの体を嚙み切り、そのグランガチもまた、別の個体に殺されてしまう。 

 アーシルがあたりを見渡すと、仲間割れがそこかしこで起きていた。


「兄さん、無事ですか! 怪我は!」

「大丈夫、助かったよ。危ない所だったから」


 血相を変えて駆け寄って来たスイセンの表情にはまだ不安がある。


「やはり、私も近くで戦います、その方が――」

「スイセン、大丈夫。もう油断しない。君は一人でも多くの味方を助けるんだ。それは君の能力だからできることだよ」


 スイセンの握るオカリナを指さし、アーシルは微笑んで見せた。

 それでも引き下がらないスイセンを見て、情けないな、と思った。自分自身がだ。

 多分、スイセンはアーシルが緊張していたのに気づいていた。だから、遠くからでも気を配り、危機に対して駆けつけてくれた。

 自分よりも年下の少女に気を遣わせて、救ってもらった。これは本当に情けない。

 アーシルは深呼吸をして決心を固めると、もう一度スイセンに微笑んだ。


「大丈夫、僕も力を使うから。もう無茶はしない」

「本当、ですね? 信じますよ?」

「僕は本当に信用がないんだな……」

「もう、違います! 心配してるんです! 絶対ですよ! ぜーったい、無茶しないで下さないね!」

「誓います、アーシルは無茶をしません」


 アーシルは右手を挙手して誓いを立てた。

 ふざけていると取られたのか、はたまたそれまでのやり取りのせいか、「もう知りません!」と勢いよく背を向けたスイセンは飛び去っていった。だが、これでいい。

 スイセンに言ったことは本心だ。より多くの味方を救えるのは彼女だ。少なくとも自分ではない。なら、彼女を独占している訳にもいかないだろう。

 

 アーシルは気を引き締めて、幻術で仲間割れをしているグランガチとガーゴイルを見据える。

 地面を大鎌で叩くと、鉄の両開き扉を顕現させる。

 金属の軋む音が響き始め、重量感のある扉がゆっくりと開く。

 扉の中から現れたのは、ほんのり白く体を光らせた三人の少年と二人の少女。

 彼らは感情のない空虚な瞳をしており、手にはそれぞれ武器を持って現れた。


「皆、眠りを妨げてごめん。恨んでくれていい。だけど、今は生き残らないといけないんだ」


 心配性のスイセンのためにも。


 アーシルが左手を前に突き出すと、それが合図となって少年少女は空中を駆けて〈ジン〉へと向かう。

 スイセンの恩恵で戦場が楽になった。幻術に混乱する〈ジン〉はアーシルに注意を向けることはなく、紅い刃を閃かせては一撃で〈ジン〉を処理していく。

 現れた少年たち、霊体と呼んでいる彼らも狩りをしているかのように数の有利を上手く使い、次々に標的を倒していた。


 アーシルには彼らが何なのかはわからなかった。命を落とした同胞の魂なのか、それとも、自分の心の寂しさが生んだ幻影か。

 積極的に使わないのは、武器の侵食が進んできていることもあるが、もしも命を落とした同胞たちであるとするなら、これほど彼らの死を冒涜することはないだろうと思ってしまうからだ。

 命を賭して戦った者を再び戦場に引きずり出すなど、地獄が甘く見えるほどの所業ではないだろうか。


 スイセンや霊体たちのおかげで決意が固まる。冷静さを取り戻し、息の乱れもなく、戦場を広く見渡せるようになった。

 良くも悪くも戦況に変わりはない。的確な指示やディスポンサーに協力という意志があれば、これ以上の被害は抑えられる、いや、好転させられるだろうに。


 何も出来ない現状に歯がゆさを覚えたが、すぐに気持ちを切り替える。ここは戦場で、さっきそれを思い知らされた。

 少しでも仲間を救うことに注力するため、戦況を見極めようと視線を巡らせた。そのとき、不自然に密集する〈ジン〉を発見した。

 

「なんだろう……あれ……誰かが囲まれている!」


 ドーナツのように〈ジン〉の群れが誰かを囲んでいるのが分かる。人だと判断できたのは、〈ジン〉の壁の切れ間から日差しを反射させる銀の切っ先が垣間見えたからだ。

 嫌な予感がした。通常、ディスポンサーの武器は核である『紅い』という特徴を持っている。

 今見えているのは銀の切っ先、つまりは鉄の武器を使っている人間……コンディーターの可能性が高いと言うことだ。


 考えるより先に走り出していた。

 間に合うか、と過った弱気な思考を風と共に流し、宙を駆けることのできる霊体たちを先へ行かせる。

 霊体たちは〈ジン〉の壁を飛び越え、切っ先の見える目的地へと飛んでいく。

 

 霊体たちが『誰か』を護ってくれるはずだ、とはやる気持ちを抑え込み、アーシルは目の前に立ちふさがる〈ジン〉の壁に切り込んだ。

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