第3話 二律背反

 群青色の空の下、虹色の雲が海のように広がる。ようやく水平線から顔を出し終えた太陽の日差しが、虹色の雲をきらきらと輝かせる静かな朝の景色。

 その雲がおりなす大海原を人類の生活圏である浮遊大陸コンティネントがゆっくりと滑り、逆光に浮かびあがらせる巨大な影は、まるでUFOのような形を空に浮きだたせている。


 コンティネントの地表は荒涼とした大地が広がり、高高度が故の薄い酸素、肌を切り裂くように撫でる凍てつく風、五つのプラント外では生命の存在が許されない危地だ。動物はおろか、植物も存在しない世界。

 だが、そんな環境下でも活動できるように造られたのがディスポンサー。


 キンッ! 乾いた金属どうしのぶつかり合う音が響く。


 アーシルの握る大鎌が、薄く細い紅刃を受け流す。けれど、ツバメが旋回するがごとく、刃はひらりと翻り、休む暇なく襲い来る。

 刀身が刹那的にしか捉えられず、見えた時にはまじかに迫る神速の刃が紅い尾を引く。まるで複数人を相手しているような錯覚さえ覚える連撃だった。


 必死に防ぐアーシルをよそに、刀を振るう相手の少年は愉しそうに口元を歪める。

 少年は金糸を束ねたような金髪をサラサラと風になびかせ、どこかの高貴な生まれにも見えなくはない。が、目つきの悪い三白眼とそこに収まるオレンジの瞳が獰猛な輝きを灯し、獲物を前にした獅子のようにも見える。

 その猛攻はアーシルに息つく暇も与えず、恨み言一つ思い浮かばせる余裕もないほどに防御に徹する必要があった。

 格下相手だというのに、手加減などする気のない底意地悪さが滲み出ている。


 反撃しようにも、懐に入られていては大鎌の間合いではどうにもできない。一度距離を取ろうとステップを踏めば、先回りをされて間合いからは出してくれず。


 これが多くの同胞を葬ってきたランクAの実力……。


 大鎌で受けるのを諦め、紙一重で刃をかわしほぼ同時に大鎌を振った。が、必死の反撃も虚しく空を切る。ひらりとかわされたと思うと、再び神速の剣が襲い来る。

 ヒヤリとしたものが直感となり、体を駆け巡る。

 咄嗟に横へ跳び、コートの袖生地を犠牲に何とか交わせた。が、代償として着地に失敗し、無様に地面を転がることになった。

 それでも、奇跡的に相手の間合いから外れ、二人は息を整えながら相手の動きを見定める。


「おまえ、またDランクだったんだろ?」

「……だから? セスには関係ないよ」

「はぁ? おまえが言い出したことだろ、戦う力をつけたいってよ」

「……」

「おまえさぁ……、ランク上げる気、ないだろ」


 セスと呼ばれた金髪の少年の表情から笑みが消え、眼光の鋭さが増す。

 胸中の芯に触れた言葉にアーシルの心臓が一つ飛び跳ねる。動揺に警戒心が置いていかれた。集中の切れた身体は動きを止め、そのわずかな硬直が生まれる。


 セスはそれを逃さなかった。踏み込んだ足で地面を蹴り、一瞬で間合いを詰める。

 我に返り応戦の構えをとるも遅く、アーシルの大鎌の刃は跳ね上げられ、後方にふらついたところへ、刀の切っ先が喉元へ――。


「しまっ――」


 喉の薄い皮の上に触れる、冷たく硬質な感触。

 呼吸を忘れたアーシルの体内を寒気が駆け巡り、こめかみには冷たい汗……。

 1ミリでも動こうものなら、そのまま喉を貫くような殺気が切っ先から伝わってくる。いまわのきわの感覚に息を忘れ、恐怖と緊張が全身を石にする。


 一時の静寂が過ぎる。ふぅー、とセスは息を吐きながら、流れるように刀を逆手に握りなおすと腰の鞘に刃を収めた。

 カチャリ、鍔が鳴るのを合図にアーシルは大きく息を吸い、自然と漏れる息に合わせて地面にへたり込む。


「はぁ~~、殺されるかと思った……」


 大の字に倒れ込むアーシルをセスが呆れ顔で覗き込んでくる。


「おまえ、図星かよ。全身から気迫が消えたぞ? あからさますぎじゃね」

「うっ……」


 アーシルは訓練に付き合ってもらっている手前、それらしい言い訳を探した。しかし、眉をヒクつかせ、仁王立ちするセスの怒りの気迫たるや……。

 迫力に押し負け、無駄な抵抗は諦めることにした。


「はい……特にランクを上げるつもりはないです……」

「……てんめー」


 拳が飛んでくるのを覚悟する。

 目を閉じて、歯を食いしばる。けれど、飛んできたのは舌打ちだけだった。

 アーシルがゆっくりと目を開けると呆れた様子で額を支えるセスが映る。


「このやろー、やっぱりか……人が朝っぱらから付き合ってやってんのに……」

「ご、ごめん。でも、分かってたの?」

「おまえなぁー、3年だぞ、3年! 気付かれないと思ってんのが不思議だわっ! どこに最低ランク下回って不良品扱いのままでいる奴がいんだよっ! えぇ?」

「んー? ここに?」


 アーシルは愛想笑いでごまかし、自分を指さす。

「はぁーん」と返すセスは怒りを笑みで抑えようとしているようだったが、それは無理だったようだ。アーシルは胸ぐらを掴まれ引き寄せられる。


 あぁー、キレちゃったよ……。


「歯ぁ食いしばれよ、アーシル」


 刹那、左の頬に鈍い痛みが走り、衝撃が脳を揺らす。視界が白く染まり、口中に鉄の味が広がった。


「うぅー、痛い……」


 アーシルはジワリと痛みと熱がこもる左頬をさすりながらぼやいた。


「ったりめぇーだ、人を馬鹿にするのも大概にしろ」


 気がそがれた二人は、地面に座り込み休憩をしていた。


「してないよー、馬鹿になんて……大体、セスは元々頭良くないだろ……」

「てめぇ、今度は右の頬がいいのか? えぇ? 右か? それとも腹か?」

「ご、ごめんなさいっ!」


 アーシルは慌てて土下座する。セスは拳を握って歯ぎしりしていたが、地面に感情をぶつけるとそっぽを向いた。

 アーシルは本当に悪い気がしてきて、自然と「ごめん」と口からこぼれる。

 

 セスと出会ったのは二度目の試験だった。

 アーシルは同胞を殺める気にはなれず、一回目と同じように逃げ待っていた。その途中で複数人に囲まれるセスを見た。

 アーシルは木陰に隠れ、助けるか逃げるかの二択を迫られた。しかし、葛藤している僅かな間に次々と悲鳴が上がった。

 我に返り、恐る恐る様子を伺うとセスを囲んでいた少年たちは地面に倒れ、虹の靄へと姿を変えていくではないか。

 やばい、殺される。そう直感したアーシルだったが、それは焦りとなって注意を怠る結果となった。近くに落ちていた小枝を踏みつけ、乾いた破裂音が周囲に響く。

 結果、セスに気付かれることになり、無言で切りかかられた。


 戦う気など無いし、勝てる気もしないアーシルは、逃げることに徹した。幸いにも逃げる才能は一流なのか、殺されること無く試験を乗り越えた……のだが。

 それが感に触ったらしく、次回から必要以上に追いかけられることになり、気が付くと言葉を交わしていた。


 次第に攻撃的なセスの態度は軟化し、停戦協定的なものを結ぶようになる。

 今思うと、アーシル一人を追って他のポイントを逃がしているのが馬鹿らしくなったのかも、と想像もする。

 そんな折だ。アーシルが生き残るために訓練に付き合ってほしいと願い出たのは。

 セスはランクを上げるためだと思ったのかもしれない。けれど三年も変化なし、さすがに気づくのが道理だ。


 今更ながらに気が咎めた。

 そっぽを向いていたセスは、頭を掻きながら深くため息をこぼす。


「お前さ、やっぱり、同胞がどうとか、命がどうとか考えてんの?」


 怒りではなく呆れた様子だったが、その視線はどこか非難めいている。

 バツが悪くて、視線を逸らしながら頷く。


「いいかげんやめろよ、そういうの。オレたちは武器だろ、殺すことが役目だ。くだらねぇこと考えてんなよ」


 言葉を吐き捨てるようにして、セスは立ち上がった。


 くだらない? 同胞で殺し合うことに疑問を持つことのどこが?


 確かに訓練に付き合ってもらっている身で、向上心がない事に苛立つのは分かる。だからと言って、くだらない、というのは言い過ぎではないだろうか。

 武器だと言っても見た目は人だ。言葉も交わす、痛みも感じる。それぞれに感情があり、得手不得手をもつ個性だって。

 それをふるいにかけるように殺し合わせることに納得など出来ない。


 胸の奥で沸々と熱が込み上げる。歯を食いしばり、地面に指を立て、砂を握りこむ。

 友人の口から、いや、友人だからこそ聞きたくなかった。理不尽な現実とそれを肯定する言葉を。


「君もおかしいとは思わないのか! この扱いが、生きてるんだよ? 僕たちはっ!」


 アーシルも立ち上がり、溢れる感情を抑えることができずに吐きだした。

 だが、セスの視線は動揺することも、怒ることもなく、ただただ冷めたものだった。

「思わねーよ」と淡々と冷静にアーシルの感情は切り捨てられ、熱量の違いにアーシルは戸惑う。


「言ってんだろ? それがオレたちだ。銃は引き金を引かれたら弾をうちゃいんだよ、人に当たったらとか、命を奪ったらとか武器は考えねぇ」

「……でも、それならどうして……僕らには感情が、思考があるのさ!」

「わからねぇか? 感情はガソリンだ。恐怖心や怒り、憎しみを燃やして相手を殺すための。思考は獣どもを上回るため、考えて効率よく一匹でも多く殺すためのものだ。ただの武器にない俺たちの強みだ。お前はその使い方を間違えてんだよ」


 押し付けるような熱意も、諭すような温もりも感じさせない感情の起伏のない語り方は、その考えがセスにとって空気のように当たり前であることを示していた。

 アーシルはその事実に愕然とし、返す言葉をなくす。分かり合えない、咄嗟に言葉が脳裏に浮かびあがり、そんな考えを抱いた自分に困惑する。

 意見の相違、なんて話ではない。根本的な部分が致命的に違うのだ。

 セスにとってアーシルの問いは、鳥になぜ空を飛ぶのかと聞くほど馬鹿らしく、意味をなさない問いなのだと知った。

 冷めていく怒りをよそに、言い返す言葉を必死に探す。ここで引き下がっては、認めてしまってはダメだ、と心の中で声がした。けれど、絞り出した言葉はとても脆弱なものだった。


「……そ、そんなこと……ないっ、僕たちは……」


 声が震えていた。否定したいのに言葉が浮かんでこない。そうじゃない、と伝えたいだけなのに納得してもらえる言葉が出てこない。

 悔しさに拳を握るが、言い返せないのも当然とする気持ちもあった。自分が何かを知っているから。セスの言う通り、武器は武器らしくあればいい。

 セスの言葉に間違いはなく、そして他の同胞たちも、先達も同じようにしてやってきた。

 アーシルは改めて、自分がイレギュラーなのだと思い知らされる。


 最低ランクを下回るランクⅮの『不良品』……なるほど。


 不良品の自分に否定できる言葉などない。与えられた評価が示している。セスが言うことが正しい。だから彼はAにいる。

 理屈は理解できる。けれど、感情が納得しない。二人の自分が胸の内側でぶつかり合い、思考を妨げる。


 押し黙るアーシルを見てセスのため息がこぼす。


「なぁ、アーシル。お前さ、オレから逃げ延びて、ここまで渡り合えてんだ。お前がその気なら、Bには簡単になれるんだ、分かるだろ」

「……そうかもしれない、けど……」

「評価されてねーヤツの言葉に耳を貸すヤツがいると思うか? 自分の意見を通したきゃ力を示せよ。今お前がしているのは、安全な場所から偉ぶるコンディーターあいつらと同じだぞ」


 アーシルの胸に言葉の杭が刺さる。胸の奥がズキリと痛み、深く刺さったそれを掴むように胸元の服を握りしめる。

 悔しいのに言葉は浮かばない。何かを言い返したくても、口だけがあわあわと動く。

 何もしない者に何かを訴える権利はない、ということか。

 でもそれなら、と一つ疑問が残る。


「……なんで、セスやスイセンは僕に構うのさ、僕らが武器だと言うのなら、この関係はなんなのさ……どうして……」


 口に出しておきながら、セスの顔が見れない。

 返って来る言葉を真正面から受ける勇気は、今のアーシルになかった。

 セスが何かを言おうとしたような気配。けれど――。


 ピコンッ。脳内に電子音が響き、セスが右手首のラバーバンドをタップし「はい」と答えた。

 アーシルはどこかホッとしながらも、心に靄が掛かったような気分でセスにならう。


『兄さん、セス、今訓練中ですか?』


 春風のように温かく優しい声が頭の中で響いた。


「スイセンか、ああ、オレもアーシルも一緒だ」

『そうですか、邪魔してごめんなさい。でも、覚えてますか? 今日、哨戒任務の担当ですよ』

「……」


 数秒の沈黙に『あのー』と促す声が脳内で響く。


「……な、何時からだ?」

『はぁ~、やっぱり、忘れていたのですね……9時ですよ、北ゲート』


 アーシルはリストバンドに時間を表示して確認したが、じわじわと冷や汗が出始める。セスもさすがに顔が引きつっている。

 現在、午前八時を過ぎたところ。場所は南口……。

 ドームは直径にして二百キロ。車は設定速度を変えられず、到着には二時間近くかかる。


「分かった……必ず、間に合わせる」

『当たり前です、交代の時にグチグチ言われるの、嫌ですから。そうそう、遅れたらお仕置きです♪』


 ブツッ。楽しそうな声だが不気味な言葉を最後に通信が切れた。


「……セス、間に合わせるって、どうやって……」

「き、決まってる、ぜ、全力で走る。く、車よりはオレらの全力のが早い」


 自信ありげなセスの声は上ずっている。セスの言う通りなのだが、それでも間に合うか怪しい……。

 物腰柔らかな態度の少女ではあるのだが、その反面、怒ると非常に辛い仕置きを仕掛けてくる。

 セスと二人、笑顔の少女の背後に鬼の面が浮かび上がるのを想像し背筋が凍る。


「うだうだいってねーで、行くぞ」

「そ、そうだね……時間がもったいない。って何やってんの?」


 見るとセスがクラウチングスタートの体制を取っている。


「勝負、負けた方が勝った方の言う事を一つ聞く」

「はぁ? なんでそんな――」

「よーい」

「ちょ、僕は何も――」

「ドンっ!」


 セスは地面を蹴り砕き、疾風のように駆けだした。

 走るというよりは、一歩ごとに前に跳ぶような感じだった。


「えー、ホントにするの……ねぇ、待ってよーっ! せめて仕切り直しを――」


 言いながらアーシルもセスのように力いっぱいに地面を蹴っる。一歩、また一歩と加速してセスを追った。


 流れる景色が徐々に溶けて、混ざりあっていく。

 前を行くセスは足を止めること無く、肩越しに意地の悪い笑みを浮かべる。

 離されるわけでもないが、初動で離れた距離が縮まらない。百メートルほどだろうか。

 うじうじと悩んでいた分の距離、か。セスの後ろ姿を追いかけることになっていることが、先の会話の自分達を投影しているようで釈然としない。


「……少し、頑張ってみるか」


 アーシルは哨戒任務の事など忘れ、全力で地面を蹴ることにした。

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