第一章 回り出す歯車
第2話 雲の上の世界
ガラス越しに流れていく景色は灰色だった。
かまぼこ状の格納庫とコンクリートの庁舎が立ち並び、早朝の大通りには人の気配はない。
時折みられる色彩といえば、街路樹の緑や
軍事基地と居住区画をひとまとめにしているのだから、殺風景なのは仕方ないだろう。
アーシルは自立制御で動く車の座席に深くもたれ、ぼんやりと景色を眺めては、あくびを噛み殺す。
また三年前の夢を見た。
月に一回行われる試験、<検品>と呼ばれているそれがスイッチとなる。試験後は必ずあの日の夢に苦い目覚めを促され、それが数日続く。
毎日の悪夢で寝不足続き。頭は重い、景色はつまらない、たまらずあくびが出てしまうことを誰が責められようか。
人を必要としない車内は、箱の中で向き合うように座席が備え付けられている。が、今は誰もいないので窓枠でだらしなく頬杖をついた。
ふと、ボロボロになった紺色のコートが体に馴染んでいるのに意識が向いた。
関節の生地は柔らかくなり、だぼだぼだった袖や裾の採寸もちょうどよくなっている。
身体の成長速度も計画通り……か。
夢で見たあの日はまだ、首にはめられた監視用のリングに異物感を感じずにはいられなかったが、もはや体の一部のように気にもならない。
管理されていることへの息苦しさも、時間の流れに希釈され、ふと忘れることさえある。
飼いなされてるな、と重たい空気を吐きだした時、視界に旗が映り込む。
赤地に金で刺繍された勇ましく太陽下を飛ぶ鷲が描かれているイアポーニア帝国の国旗。
『
培養カプセルで目覚めた時から、頭の中に縫い付けられている言葉は忘れようとすることさえ許されない。
旗を見るたびに、
いたるところに掲げられている旗が目障りで、逃げるように視線を遠く、水平線へ飛ばした。
閑散とした街の外周を森が囲い、水平線は十メートルを超えるコンクリートの壁が屹立している。
壁が頂上で途切れた先からは、まっさらな群青色の空が広がる。けれど、どこまでも広がる空は外の景色。
キラリと日差しが反射して、空とアーシルの間を隔てているガラスのドームが輪郭を現す。
スノードームを内側から見たらこんな感じなのだろうか、それとも国家プラントにあるという魚を鑑賞する施設にあるアクアリウムだろうか。
ガラス越しに広がる空は、まるで一枚の布のような青一色。
それは、カーテンや天幕のようなもので、ある日、誰かが空をたくし上げて覗きに来るかも、と想像してしまうほどに何もない。
人類がまだ地上にいたころ、雲も空と一緒にあった、と見たこともない情報が記憶にある。
雲は気ままだったようで、ある日は純白、ある日は灰色にくすみ、オレンジや紫にもなるんだとか。雲にも気分のようなものがあるのかもしれない。
だとしたら、今の自分は景色同様、灰色だ……。
旧人類は、自分達が自然環境を侵すのを止めることができず、自然の怒りをかったらしい。
気候変動により海の氷は溶け、常温を維持できなくなった海水は沸騰。
膨張した灼熱の海が緩やかに陸を呑み込み始め、人類の生活圏を奪っていった。
おまけに地殻変動が追い打ちをかけ、盛り上がった海底が海水を押し上げ、陸地の浸食は加速。
大陸のほとんどは海の底に沈み、残された人類は宇宙移民の技術を転用。ノアの箱舟よろしく、生活圏を空に移した……らしい。アーシルも植え付けられた知識しか知らない。
その時から、空と陸は分厚い虹色の雲に隔たれることになる。以来、雲とはアーシルたちの足元の遥か下を流れている物を言う。
なぜ虹色なのか分からない。科学物質に汚染された海が気化した、灼熱の海に焼かれながらに死んでいった人や動物たちの想いの残滓、さまざまな憶測が飛んだが理由は不明。解析しようとすると決まって触れた人間が発狂するやら、災害に見舞われるやら、滞っている理由は様々なものを聞く。
まぁ、そんな事例は見たことはないのだけれど。きっと、一般人が興味本位で危険を冒さないための子供騙しのようなもの、だとアーシルは思っている。
そうして人類は数千年を<コンティネント>という空に浮かぶ大陸を生活圏とし、今日まで暮らしている。
浮遊大陸に見える<コンティネント>はその実、巨大な飛行艇だ。その広大な甲板に地盤を敷き、その上に人類が生活する都市として五つのドーム型のプラントを作り上げた。
<コンティネント>中央にあるドームはひと際大きく、二千万の人類が住む国家プラント。そしてそれを囲うように東西南北に設置された四つのドームが防衛プラント。
今、アーシルがいるのがその南部防衛プラント。
防衛プラントは、居住区画としても機能しているが、コンディーターからしてみれば武器庫。
アーシルたち兵器を保管しておく場所、という認識しかない。
戦闘時、最終防衛ラインになる防衛プラントは、戦闘で壊されることが前提。建物は飾り立てする必要が無く、剝き出しのコンクリートばかり……。
畢竟、襲い来る眠気に反抗することが困難、ということだ。
まだ太陽は頭を出したばかり。
わざわざ、命令でもないのに眠さを堪えてプラントの外を目指すのには訳がある。友人と日課にしている訓練が待っているのだ。
あの日の、夢で見た日の記憶を見ることで一つだけいい事がある。
それは、あの時の恐怖を思い出すことができること。あの、自分ではなく他人に命を握られている感覚を。
絶望に体はすくんで自由が利かず、相手の気分で命が消えるのを待つ無力感……。
その恐怖を知っているから、相手に同じ思い与えたくはないし、他の誰かが追い詰められているのなら助けてあげたい。
それがたとえ、武器として不要な心懐であり、『欠陥品』と言われる行為であろうと。
訓練はその想いを貫くためのもの。夢の記憶は、それを思い出させてくれる。
車がプラント外へ出る出入口のゲートへと近づく。けれど、窓ガラスに映る自分の顔は、勇ましい気持ちとは裏腹にとろんとした目で呆けている。
アーシルは頬を強く叩き、じんじんと波打つ頬の熱が頭の中の霞を吹き飛ばすと、両の拳を握りしめ「よし」と気合を吐きだした。
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