Personality
沁月 秋夜
プロローグ
第1話 逆巻く意志
命って何だろう。
生まれたときから鼓動を始める。
それなのに、その鼓動を一つ、また一つと重ねるごとに死へと近づいていく。
生まれた瞬間から、植物であれ、動物であれ、等しく定められている命の終わり。それなら、生まれてくる意味は? 命ってなに?
植物も動物も人も、命が枯れるまで生きることが確約されているのなら、まだ納得もできる。けれど、世界は食物連鎖や弱肉強食という、他から奪うシステムが世界を循環させている。
今日を生きるために他の命を摘む。
そうしたいのではなく、そうしなければ生きていけないから。だからと言って、奪われる方だって生きて生きたかったはずだ。
どんな命も生きるために必死でもがく。けれど、そうして生きた先には避けられない死が待っている。
なら、命の意味って何だろう。辛く苦しい先にあるのが終わり、だと言うのなら、初めから命なんてなくていいはずじゃ……。
瞼の裏に映し出される映像に思いを馳せてていると、ぼんやりと自我が浮上してくる。
アーシルは培養液に浮かぶ自身を知覚し、重い瞼を持ち上げる。
初めて視覚に入れたのは、ガラス越しに見える、人形のように表情のない白衣を着た老人たちだった。
※
『検品を始める。ルールは一つ、相手を壊せ、自分が武器として優秀だと証明しろ。以上』
無感情で淡々とした声が脳内に直接響く。
<管理者>から森へ行くよう指示をされ、到着してみれば唐突な説明だった。
焦香色の髪をした少年アーシルは、徐々に状況を理解し始める。十三歳の幼い顔が青ざめ、冷たい汗がこめかみから頬を伝って落ちた。
怯え切った若葉色の瞳は、あちこちを見回す。自分と同じように怯えている者を見つけて、安心するために。けれど、それは不毛に終わった。
同じ年頃の少年少女たちは、確かにあちこちにいる。しかし、誰もアーシルのように怯えていないように見える。大半は澄まし顔で、じっと説明を聞いていた。残りの少数はというと……。
瞳に宿る狂気を怪しく光らせ、待ちきれないと言いたげに口元を歪めて緊迫化した雰囲気を楽しんでいるように見える。
どうしてそんな顔をしてられる! こんなのおかしいじゃないか!
恐怖が全身を緊張させる。体が石のように固くなり、気が付くと拳もきつく握りしめていた。最悪だ。
支給された白いシャツやベージュのカーゴパンツは体に馴染まない。
羽織るグレーのフード付きコートもぶかぶかなくせに固く、真新しいそれらが四肢の関節を制限して動きにくい。感じる息苦しさは、首にはめられたリングのせいだけじゃないだろう。
開始五分前、全員が森に散らされた。
アーシルは接敵しないよう木々の陰に身を潜めながら移動した。同胞を見つければその場を離れ、できるだけ誰とも会わないように注意を払って。
その間、無言で睨み合う同胞たちをあちこちで見かけた。
なぜ向かい合って合図を待つ?
目の前の同胞を殺すことを、自分が殺されるかもしれないことを、どうして彼らは容認出来ているのだろうか。
自分の価値を証明するため、 あるいはそう命令されたから。そんなふうにアーシルは納得できなかった。
彼らは存在意義に従っているだけだ。それは正しい、分かっている。
けれど、ぬぐえない恐怖が、武器には必要のない思考が、胸の奥で痞えて苦しい。
逃げ出したい、何もかもかなぐり捨てて……。
右手首に巻かれた白いラバーバンドに視線を落とす。
そこにデジタル表示されるカウントダウンが無情にも減っていく。鼓動に合わせて一秒、また一秒と数を減らし、やがて一分を切る。
いつの間にか、カウントダウンの速度を鼓動が追い越し、耳裏で鳴り始めた。鼓動がうるさい、呼吸が小さく乱れる。
目にしているはずの数字はぼやけて、思考が白く塗りつぶされていく。
怖い……あれ? 何をすればいいんだ?
ビーッ! 森中にブザーが鳴り響きアーシルの心臓を跳ねあがらせる。しかし、そのブザーをかき消すように、悲鳴と爆発音も同時にあがり始めた。
木々の向こうから空へ上る虹色の靄。
狼煙のように見えるそれは、顔も知らない同胞の残滓。
カサカサッ、茂みから物音がする。アーシルは恐怖に体をすくませた。
「た、たすけ……て……くれ……」
血まみれの少年がフラフラと出てきた。彼は助けを求め、手を伸ばす。
アーシルはその手を取ろうとするが、その前に少年は倒れ、体が虹色の粒子になって空へと昇っていく。
雲のない瑠璃色の空に粒子が滞留し、空に浮かぶ虹色の川のよう。綺麗だけれど、それは哀しい輝き。
「一人逃げた! あっちだ!」
森の奥から聞こえる声にビクリと体を震わせ、アーシルは顔からサーっと血が下がるのを感じた。
しまった! この人を追って……。
パニックになる思考で一心不乱に走り出す。逃げる方向はでたらめ、隠れる場所を探すわけでもなく、声から必死に逃げた。
「別のヤツだ! 回り込め! 囲むぞ!」
林から飛び出した少年が行く手を塞ぎ、足を止めると、たちまち四方を囲まれた。
「残念だったな、新人。俺たちの近くにいるのがぁ悪かった」
リーダー各なのだろう少年が、愉快そうに歪んだ笑みを浮かべていた。
そうか、この人たちはランク持ちか……道理で手慣れてる。
五人の少年たちがアーシルを取り囲み、各々が〈開花〉させた武器を握る。
絶望に囲まれ、死が一歩、また一歩と近づいて来る。
アーシルは背後の少年に捕まり、自由を奪われる。目の前のリーダ各の少年は、刃の紅いナイフ三本を器用にジャグリングする。
「ほれ、ほれ、ほれっ!」
右腕、両大腿部に冷たく、硬いものが入って来る感触。遅れて、あぶられているような熱感と鋭い痛みが内側で弾け、アーシルは森に絶叫を響かせる。
ナイフを投げた少年は愉しそうに嗤い、またナイフを出現させるとジャグリングを始める。
恐怖で視界が滲み始める。足は震え腰が落ちそうになる。けれど、背後からの拘束で地べたにへたり込むこともできず、目前の恐怖から目を背けることも許されない。だから、心の中で蹲った。
怖い、嫌だ、死にたくない。他人を傷つけて、同胞を簡単に殺せるような人たちが評価されて、生き残る世界……。
それができない僕は死ぬのか? 武器だから? 不良品だから? 生き残るにあたいしないとうことか?
おかしい。歯車が嚙み合わない。
世界はその不自然さを、不条理を傍観している。なら、せめて自分の身を守れる力を、手の届く範囲の不条理を押しのける力を僕に!
ドクンっ! 拘束されているアーシルの体から響く鼓動。
「こ、こいつ! <開花>するのか!」
「おい、面倒になる前にやっちまえよ!」
「わかってる! 黙って見てろ!」
リーダー各の少年がナイフを握り、アーシルに飛び掛かる。しかし、首筋を狙った一撃は寸前のところで動きが止まる。
アーシルの胸中央から紅い輝きがあふれ出し、アーシルを包み込んでナイフの刃を結界のように受け止めている。
「くそっ! あと少しのところで!」
リーダー各の少年が悔しそうに顔を歪めながらナイフを両手で押し込む。
しかし、スルリとほのかに白く光る手が、少年の腕を掴み地面に叩きつけた。
少年を叩きつけたのは、全体が淡く光る少年。幽霊、という言葉がしっくりくる。
白い少年は感情のない目で地面に転がる少年を見下ろしている。
その目に恐怖が生まれたリーダー各の少年は、周囲の悲鳴に視線を向ける。声の主はアーシルを背後から拘束する少年だ。
彼も現れた別の白い少年に捕まれ、力ずくでアーシルから剥がされた。
自由になったアーシルは、胸から紅い宝石のような石を取り出し、空に掲げるとそれは姿を変え始めた。
自身の身長以上の黒く長い柄、柄の先から曲線を描いて伸びる鋭利な真紅の刃。死神のそれを思わせる大鎌がアーシルの手に握られていた。
「くそっ! <開花>しやがった」
睨むリーダー各の少年をアーシルは黙って見下ろしていた。大鎌の柄の先で地面を軽くノックする。
白い手が地面から無数に伸び、アーシルを取り囲む少年たちの手足を掴み拘束しはじめた。
周囲から小さな悲鳴が上がり、拘束にもがくリーダー各の少年に、光の消えた無感情な瞳でアーシルは歩み寄る。
「は、はなせ! てめぇ、タダじゃおかねー、放しやがれっ!」
「可哀そうな人だ。そうやって、恐怖を怒りで隠して……。自分の心を守ろうとしてるんですね。でも、もう大丈夫。これからは、戦わなくていいですよ」
ゆっくりと歩み寄るアーシルの口元に薄い笑みが浮かび、リーダー各の少年の顔はみるみる青くなる。
振り上げられた大鎌の紅い刃の先で光が反射した刹那、紅い光が一閃。
リーダー各の少年は悲鳴を漏らすが、直後に異変のない体に気付く。
強張った表情はみるみる溶けていき、「は、はったりか! 馬鹿にしやがって!」と怒りを露わにした。
アーシルはゆっくりと首を振り、低く冷たい声で「いいえ」と嗤った。
「ちゃんと、もらいましたよ。もう、あなたは戦えない」
「なに馬鹿な事をっ……あれっ?」
怒りに任せて立ち上がろうとしたリーダー各の少年だったが、その勢いのまま、盛大に前方へ転倒した。
「なに……しやがった」
地面に這いつくばるリーダー各の少年は、怒りに声を詰まらせ、射るような形相にで睨んできた。
「な、なんだ? 俺の腕、動かねぇ!」
「はぁぁぁぁ、お、俺もだ! あ、足が……」
周りの少年たちから上がる悲鳴。リーダー各の少年は自分の足を見る。
そこには確かに足がある。けれど、少年は膝立ちをしようものならそのたびに地面に転げている。
「くそっ! なんだ! 膝から下の感覚がっ、あ、あれ、力の入れ方がわからねー」
「これでもう、戦わなくていいですよ」
「ふざけるな! もとに戻せ!」
「無理ですよ、魂を切り落としました」
アーシルは心を隠すためにこやかに笑って、白い靄で出来た脚をチラつかせる。だが、胸の奥に沸いた重く冷たい感覚が気分を悪くする。
こんな事、したい訳じゃないのに……。
アーシルは背を向けその場を立ち去る。もう彼らは追いかけてこれない。背後の少年が困惑しながらも憎しみのこもる罵声を浴びせてくる。
胸の奥がズキッとうずく。けれど振り返らず、聞き流す。
どんな罵声でも受けねばならない。自分を守るためとはいえ、戦うことがすべての彼らからその術を奪ったのだから。
殺したくなかった。かと言って殺されてやるのはもってのほかで、どうしようもなかったんだと自分に言い聞かせる。
右手に持つ武器は皮肉にも死神の鎌。血を吸ったように紅い刃を見て濁った空気を吐きだすように嘆息して空を見る。
先刻より虹の霞が濃くなっているような気がした。どれだけの同胞が死んだのだろう。
風に吹かれ、虹の川がどこまでも伸びて行く。それはやがて、地面の遥か下を流れる雲河に合流し、また形を与えられるまで、静かにそこで待っている。
なんのために命はあるのだろう。生まれてくるならなぜ、死という終わりがあるのだろう。
込み上げる虚しさとやるせなさを噛み殺して歩く。
いつか知りたいと、答えがあってほしいと願い、それを見つけるまで生きるために。
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