第16話

 人生初の舞踏会は、国一番の収容人数を誇るコロニラ王国劇場だった。


 誰もが憧れる劇場、ロゼッタも一度は来てみたいと思っていた。演劇を初めて観たのは、ロゼッタが6歳のときだった。故郷の町ニコロから馬車で、2時間ほど行ったところにある大きな街、アマティへ劇団員が遠征に訪れたのだ。

 兄姉けいしたちに手を引かれて観た舞台は、ロゼッタを興奮させた。あの感動が忘れられず、本を読んでは、その通りに演じる遊びを覚えた。


 私の本好きは、あれがきっかけだったのだろうとロゼッタは思う。本の中には、別世界が広がっていて、本を開いた瞬間、景色が一瞬にして変わる。その美しさに私は魅せられたのだ。


 夢にまでみたコロニラ王国劇場に、足を踏み入れる自分は、とても場違いだ。対するエルモンドは、ここの住民ではと思うぐらいに、この場に馴染んでいて、うっとりするような微笑みを浮かべている。


 彼とこんな風に、観劇に来たかった。ただの図書館司書として、こんな豪華なドレスではなく、ちょっとお洒落をした、ただの女の子。この後はバーに行くの。少し酔ってしまった私を、彼は自宅の玄関まで送り届ける。紳士だった彼が、男の顔をちらつかせ、唇を奪われる。私は心が躍って、一晩中眠れずに過ごす。

 そんなのは、夢のまた夢となって消えてしまった。


「エルモンド、王国劇場に観劇に来るのが夢だったのだけど、叶うかしら」


「いつでも観に来られますよ、最上階のクラブラウンジは、お酒が呑めますし、そこから見る夜景は、息を呑むほど美しいです。貸し切ることもできますから、煩わされることもありません」


「行ってみたいですわ」


 昼間のドレスとは違う、イブニングドレスに身を包んだロゼッタは官能的で、エルモンドは、腰から尻のラインに手を這わせ、柔らかな肌を感じたくて、たまらなかった。


 胸元が強調されたデザインで、背中が大きく開いているこのドレスの色を、アリーチェ侍女長は、なんと言っていただろうか、確か淡紅藤うすべにふじ色と言っていなかったか?エルモンドには、何の装飾が施してあるのか見当もつかなかったが、ロゼッタのドレスは虹色に光っていた。


(くそっ!こんなの男の目を誘っているようなものではないか、アリーチェ侍女長は、とんでもないドレスを用意してくれたな。鼻の下を伸ばした男どもの手が、ロゼッタに触れないよう目を配らなければ)


 聖女が到着したことを知らせるドアマンの声が、ざわつく会場に響き渡る。

「聖女ロゼッタ・モンティーニ様、エルモンド・バルザック子爵令息、ご来場」


 しいんと静まり返った会場に、ロゼッタが入場すると、あちこちでヒソヒソと会話が交わされた。誰が1番に聖女へ話しかけるのか、王室か、教会か、皆が息を呑んで注目した。


 そこへ、ドナテッラを伴ったアロンツォが近づいてきた。

「これは——なんという美しさだろうか。昼のドレスも素敵でしたが、これは官能的ですね。聖女様をエスコートできるエルモンド卿に、嫉妬してしまいそうだ」


「お恥ずかしいわ。王太子殿下も素敵ですわね」


「聖女様、とてもお似合いです。まるで精霊のようですわ」ドナテッラが言った。


「ありがとうございます。あなたの水色のドレスも、とても美しいですね。あなたの愛らしさが強調されるようだわ」


「聖女様、決心がつきましたでしょうか?」


 アロンツォが言いたいのは、ヴェルニッツィ侯爵の後ろ盾を得るのか?ということだろうと、ロゼッタは理解した。

「ええ、どうぞロゼッタとお呼びください」


 この場で手を組みましょうという訳にもいかず、名を呼ぶことを許す行為を、是の返事としたロゼッタにアロンツォが笑った。


「あなたは、本当に賢い人ですね。根回しをしようと思って準備していのに、晩餐会では、ご自分で立ち位置を示された。ロゼッタ様の話しは、とても興味深く、そそられましたよ」


「まあ、アロンツォ様、どんなお話しをなされたのか、私も是非お伺いしたいですわ」


 アロンツォはドナの手の甲を、愛おしそうにトントンと叩いた。

「そうだね、ドナのブライズメイドを、気にかけてくださっていたよ」


「ロゼッタ様が気にかけて下さるなんて嬉しいですわ」ドナテッラは無邪気に喜んだ。


「君のブライズメイドは4人だろう?もう1人増やして5人の方が、数字が良い、ロゼッタ様にお願いするのは、どうかな?」


「ロゼッタ様が私のブライズメイドに⁉︎アロンツォ様、私、国一番の幸せな花嫁になれますわ」ドナテッラは、アロンツォに抱きついた。「ロゼッタ様、私のメイド・オブ・オナーになってくださらない?」


「ええ、もちろん。王太子妃のメイド・オブ・オナーに選んでいただけるなんて、栄誉なことだわ。今度、聖女宮にいらして、お話しましょう。その時は、お友達も連れて来てくださいね。お待ちしてますわ」


 聞き耳を立てていた人たちのヒソヒソ声がざわめいた。ロゼッタがドナテッラの親友になると言っているも同然だったからだ。ひいては、ヴェルニッツィ侯爵家や、王家と懇意にするということだ。


「アロンツォ様、私とっても嬉しいわ」

 

「よかったねドナ」アロンツォはドナテッラの頬を撫でた。「そうだ、ロゼッタ様、ヴェルニッツィ侯爵を紹介いたしましょう。ドナの父親で、貴族議会の副議長を務めている、国の重要な忠臣です」


「初めまして、ヴェルニッツィ卿。ロゼッタ・モンティーニです。お会いできて光栄ですわ」ロゼッタは、ヴェルニッツィに手を差し出した。


 ヴェルニッツィは、ロゼッタの手の甲にキスをした。

「ガブリエーレ・ヴェルニッツィと申します。こちらこそ、聖女様に、お目通りできるとは、光栄至極に存じます」


「どうぞロゼッタとお呼びください」


「ありがとうございます。ドナは甘やかして育ててしまったせいで、少し我儘な子でして、ロゼッタ様に、ご迷惑をかけないといいのですが」


「若い女の子は、我儘なくらいが可愛くて、よろしいじゃありませんか、私はすでに、愛らしいドナの虜ですわ。可愛い妹ができたと喜んでおりますの、心配なさらないで」


 それからロゼッタは、2人のヴェルニッツィ侯爵令息と、挨拶を交わしたのを皮切りに、大勢の貴族令息に囲まれ、ダンスを申し込まれることになった。


 最初に国王陛下と踊り、次にアロンツォ王太子殿下と踊って、あとは、不慣れを理由に断った。


 聖女の恩恵にあずかろうと、息子や娘を売り込みにくる貴族たちが、一段落したところで、ロゼッタはエルモンドを誘った。


「エルモンド卿、私と踊ってくださる?」


「ええ、もちろん」


「さっきの、あれはないわ」ロゼッタは大きなため息をつき、首を横に振った。「息子ですって言われたって、45歳よ。しかも禿げデブ男よ。お腹が出すぎていて、あれでは、自分の足元が見えないんじゃないかしら」

 妻に先立たれた男やもめで、聖女の夫にどうかと、無謀にもロゼッタに本気で売り込んできたのだ。


「反対に10歳の男の子もいましたね」エルモンドはクスクスと笑った。


「それなら、まだ可愛いわ」


「年下が好きですか?」


「変なこと言わないでくださる。足を踏んでしまうわよ——私のダンスどうです?練習、ものすごく頑張ったんですよ」


「上手に踊れてます」


 エルモンドの手が背中に触れ、露わになった肌から体温が伝わってくる。エルモンドの顔が近づき、ロゼッタの唇に、エルモンドの唇が触れそうにる。息がかかるほどに近く——


 絡み合う甘い視線。たった2人だけの空間。夢のような時間。ロゼッタの鼓動が激しく鐘を打ちつけ、胸が高鳴った。


 曲が止まりダンスの時間は終わった。夢が覚めるように。それでもエルモンドは、ロゼッタの腰から手が離せなかった。


 舞踏会の間ずっと、エルモンドはロゼッタの背中を死守し続けた、ジェラルドから鋭い視線を向けられても、露わになったロゼッタの背中を、なるべく人目に晒さないために。

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