第6話

 何度か病院に通ったあと、お医者さんからいつの間にか受けていたらしい、WISC知能検査結果を受け取った。

 具体的な数値の記載はなく、ざっくりした知能レベルが書かれてあった。


 言語知能、平均。処理速度、平均の下─平均。知覚統合、低い─平均の下。……など。


 お母さんはその紙を見て、何やらショックを受けている。


「凹凸が大きいので、あんまり当てにならない結果ではあるんですけどね。まあ、全体的に平均よりは低いかなってところです。知的障害ではありませんよ」


 対面に座った医者が、紙を見ればわかるような補足をするなか、私は言葉にならない衝撃を感じていた。


 IQが平均より低いとか、それでショックを受けているわけではない。だから私は他の人より劣っていると感じていたのか、と納得したくらいだ。


 ──どうして、知能検査を受けるって先に言ってくれなかったんですか?

 言おうか迷って、口を閉ざす。言い訳を聞きたいわけではなかった。


 しかし、このとき追求していればよかったのだろうか。


 検査結果が出て間もないある日、カウンセラーさんと先生と私、私の親で面談をすることになった。


「黒板の字を写すのに、困ったことがあるでしょう?」

「いえ、ないです」


 カウンセラーさんが結果を見て言うが、本当に心当たりがない。

 むしろ、遅い子を待っている時間が暇で、先に教科書を読み進めていたことを思い出す。

 するとカウンセラーさんが若干ムッとした顔で、私に食ってかかる。


「いや、三田さんが気づいてないだけでそうだったのよ」

「はあ」


 お前、私が授業受けてるところを見たこともないくせに、勝手なことを。

 しかしそう言わないだけの分別はついていたので、何とでも取れることを口に出す。それを向こうは納得と勘違いしたのか、得意げに口を開いた。


「もしテストのケアレスミスが気になるんだったら、定期テストの試験時間延長もできるんだけど、どう?」


 カウンセラーさんに続いて先生も、

「学年主任の先生も賛成してくれて。得点は1割減点になるんだけど、三田さん、ケアレスミス多いでしょ? 結果的にプラスになると思うよ」

 と微笑みながら、配慮を提案してきた。


 たしかに、私はケアレスミスが多い。回によっては総得点の3割をケアレスミスで落とす始末だ。

 しかし、私のケアレスミスは見直しによってなくなるものでもない。見直し先でもミスをする、それが私という人間だ。


「いえ、大丈夫です」


 そう答えると、なぜだか先生は不服そうな顔をした。そっか、と答える声は、明らかに気落ちしていることがわかる。


 ──どうして、あんたが不満足げな顔するんだよ。文句言いたいのは私のほうだって。


 心のなかで訴える。

 どうして私の許可なく、知能テストの結果は学年主任に共有されて、勝手に試験時間延長を相談してるんだよ。当事者は私なんじゃないの?

 どうして、それをすれば私が幸せになれると思ってるの? 学校に行けるようになるとでも、思ってるの?

 それとも、私のことなんて何も考えてないの?


「それじゃあ、一旦三田さんは廊下で待っててもらえるかな? 親御さんとお話ししたいから」

「あっ、はい」


 考えているうちに話は終わってしまったようで、私は廊下に放り出された。

 今日はノー部活デーだから、放課後の今は雑音のひとつもない。今、授業があれば私はきっと学校に通えるのにな、とぼんやり思う。


 ──こう考えるのって、やっぱり私が普通じゃないからなのかな。


 普通。地球人。そんな人だったら、あの騒がしい教室も居心地良く感じるのだろうか。


 ──普通になりたいな。


 普通になって、あの笑い声と話し声の雑音の一部に、雑音の世界の一部になりたい。

 静寂な世界に、扉の開く音が割り込む。


「ごめんね、ひとり廊下に放り出して」

 先生が笑顔を作って言う。ぞろぞろカウンセラーさんとお母さんが出てきて、見送りの体勢になる。


「それじゃあ、またね」

「またお話聞かせてね」

 先生とカウンセラーさんが手を振って、私たちは学校裏の駐車場へと歩き出した。

 そして車に乗り込んだとき、お母さんが「何あれ」と声を零す。


「何あれ、って?」

「先生とカウンセラー。本当、腹が立ってしょうがなかったわ。モンスターペアレントって思われたら嫌だから、その場では穏便にしてたけどね」


 お母さんが苛立ちながら車を走らせる。コンビニが見えたので、一旦そこで休もうと提案しかけると、

「県の発達支援センターに通所するのはどうかって言われたの。そんな大事なことを、なんで本人抜きで進めようとするかなぁ⁉︎」

「え」


 あとから調べてわかったことだが、その支援センターはグレーゾーンよりかは、中度重度の発達障害者をメインにしたもので、どう考えても私には合わない。


「静かなところがいいって言ってるのにさ、何なんだろうね。何も、重音のことなんか考えてないのかな。不登校の子、発達障害の子、ちょっと知能が低い子って、ラベリングしてるだけで……」

 お母さんがぼやく。コンビニに車が停車する。


「重音も、疲れたよね。何か甘いものでも食べようか」


 そう言って、お母さんが車を降りようとする。空元気な声色がいたたまれなくなって反射的に、

「お母さん」

 と呼び止めてしまった。


 振り向いたお母さんに、何を言うべきか一瞬だけ迷って、浮かんだ言葉を言っていいものかまた一秒悩んで、

「私、もう学校行くのやめる」

 絞り出す。


 お母さんは「そっか」と顔を俯かせてから、

「うん、やめよう」

 微笑んで答えた。


 その瞬間、心がすっと軽くなって、やっと私は学校と先生を負担に思っていたことを知った。


 面談を断り続けて、相変わらずテストだけは受け続けていたが、終わったらすぐに帰っていたので気楽なものだった。


 卒業式も欠席して、私は通信制高校へ入学した。

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