第2話

 自分だけ聞こえかたがおかしい、と心の底から理解したのは、高校一年生でバイトを始めたときだった。


 研修もなく、ぶっつけ本番。この上なく緊張しながらレジに立つも、私は思いもかけないところでつまずいた。


「──番のタバコください」

「──新聞」

「──お(ホットスナックのほうを見ながら)ください」


 口頭で注文するようなものを、私はまったく聞き取ることができなかった。

 集中を研ぎ澄ませて客のほうを見るが、また肝心なところだけ抜け落ちる。


 最初のほうは先輩も『緊張してるのかな?』で済んだし、私の代わりにタバコやホットスナックを取ってくれたり、新聞の種類を教えてくれたりもした。


 だが、そろそろひとりでレジをする段階になっても、相変わらず聞き取れなくて、執拗とも言えるほど「もう一度お願いします」と頼んだり、見かねた先輩がまたヘルプに入ることも多々あった。


 タバコの番号なんて、近くにいる私は聞き取れていないのに、遠くのほうにいた先輩が聞き取れていることも多く、ついでに動きも遅くてレジの誤差を生み出しまくったため1ヶ月ほどで退職した。


 聴覚障害も疑ったけれど、相変わらず雑音はよく聞こえているし、念のため行った聴覚検査ではマイナス5デシベルと、一般人よりもいい結果を叩き出した。


「集中力の問題じゃないんですかね」


 耳鼻科医はそう言ったけれど、接客のときは集中している。

 私のせいじゃないはず、なのに……。


「三田さん、もっとお客さんの声に集中しないと。店内って意外と雑音が多いから、集中してないとミスするよ」


 バイト先の先輩に言われたことを思い出す。耳鼻科医とまったく同じことを言った先輩。やっぱり、集中力のせいなんだろうか。

 今日のディスカッションに混じれなかったことも、小学校や中学校のときのことも、全部全部。


「ただいまー」


 家に入り、手も洗わず鞄をほっぽり出してリビングのソファに寝転がる。


「おかえりー、重音かさね。どうだった?」

「どうだった、って言われても……。まあ、それなりに。無遅刻無欠席で、別に嫌な思いもしなかったよ」

「そう」


 ディスカッションで隣の人の声が聞き取れなかったことは言わなかった。


 耳鼻科医に言っても解決しなかったのだ。お母さんに言ったところで、この問題が解決するわけではない。

 心配されるだけか、『もっと集中したら』と言われるのがオチだろう。


 スクーリングだって、もう三年前期スクーリングが終わったのだから、あと一回しかない。

 この先ディスカッションをする機会があれば対処法を考えなければいけないのかもしれないが、別にその必要もないだろう。


 ──まあ、本当にもうディスカッションがないのかは定かではないけれど……。


 考えながら、身をよじる。三年の五月だと言うのに、私は大学進学するか専門学校に進学するか、はたまた就職するかということすら、何も進路について決めていないのだった。


 ──でも、どれを選んだって。

 私はきっと、幸せになれない。


 ネガティブな思考に沈みかけたとき、ポケットに入れていたスマホが振動した。

 通知を確認する。

 私が所属している医療ヘルスケア同好会メンバーからのメッセージだった。


 私の高校はネットの学校だから、同好会や部活もこうしたオンライン上で行われているのだ。


 そこで私は医療ヘルスケア同好会に参加し、運営にも入れてもらっている。

 医療ヘルスケア同好会は名前から活動が予想しにくいが、わかりやすく言うと生徒主体の保健委員、と言ったところだろうか。医療やヘルスケアにまつわる情報を共有したり、悩みを相談したりする同好会である。

 身体を起こして、メッセージを読む。


『次回記事のテーマ確認お願いします!

 三田さんが記事を書くのは初めてですし、わからないことがあったら遠慮なく聞いてくださいね』


 同好会副会長の朱色さんからのメッセージに、今回の記事執筆は私担当だったことを思い出す。

 医療ヘルスケア同好会では、運営が二週間に一度のペースで医療や健康にまつわる記事を投稿するのだ。


 危ない、リマインドがなかったら忘れているところだった。

 とはいえ、今回はテーマを運営メンバーに共有して、問題ないことを確認するだけ。よくないことではあるが、まだ何とかなる。


『すみません、テーマ共有遅くなりました』


 一行目を打って、肝心のテーマを何にしようか考える。

 しかし、一発目にこれを置いてないだろうと、思いつくままに文字を続けた。


『「発達障害グレーゾーンについて」で考えています』


 私が医療ヘルスケア同好会に入った理由であり、そもそも通信制高校に入る原因になったそれを。

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