世界は雑音に満ちている
夏希纏
第1話
教室の雑音で困らない人がいる、と知ったとき、私は世界がひっくりがえったような衝撃を受けた。
通信制高校のスクーリング、グループワーク。
ざっくりと地方ごとに分けて、アンケートをもとにランダムに生徒を割り当てるからか、友人同士という人は少なく、休み時間もひとりでスマホをいじっている人が多かった。
そのため中学校のときのように、休み時間も疲れるということはなかったが、やはりグループワークはうるさい。
四方八方から声が飛んでくるなか、目の前の人の意見を聞いて、私はそれに対して何か言わなければいけない。
今は世界史の授業で、どうしたら世界平和が叶うかという議題についてのディスカションの最中だ。
絶対に叶わないとわかっているから、何を言ってもいいという雰囲気になり、空気は白熱している。
目の前の人も、何やら意見を持っているらしい。
「──いを絶対にあ…ぜ──な場所にあ……めて、──いすると──かなって」
やはり、うまく聞き取れない。今回はかろうじて聞こえた部分と唇の動きを考えるに、『兵器を絶対に安全な場所に集めて、…んいするといいかな』と言っているのだろうか。
最後の動詞は唇の動きをもってしてもわからないが、文脈から推測して『管理』が正しいだろうか。
私はこうして『だろうか』を積み重ねて、雑音だらけの環境でも何とかコミュニケーションを取っている。
できるだけ耳を近づけて聞いているが、これが限界だ。聞き直すのも何だか忍びないし、聞き出したら何回質問することになるやらわからない。
結局私はいつものごとく諦めて、とりあえずにこやかな顔を作ることにした。
「いいと思う! 安全な場所って、南極とか? でも寒すぎて、逆に安全じゃないか」
なるべく大きな声で、ハキハキと返す。相手の子は「たしかに、─ん──は寒そうだね」とはにかむ。不審な顔はしていないから、私の読みは合っていたと考えていいだろう。
安心して、気が緩む。言葉として認識できない、声の洪水が耳の穴から脳になだれ込む。
「──はどうかな?」
「へっ」
集中を向けていないときに言われ、完全に言葉を取りこぼす。まったく母音も子音も聞こえていなかったから、唇の動きを思い出そうがどうにもできない。
「ごめん、聞き取れなかった。もう一度言ってもらえないかな?」
なるべく申し訳なさそうな表情を浮かべ、尋ねる。
その子はさっきより少し大きな声になり、もう一度繰り返してくれた。
「──はどうかな?」
ああ、これはダメなやつだ。
たまにこういうことがある。何度聞き返しても、同じところが抜け落ちる現象。
カクテルパーティー効果に名前をつけている余裕があるのなら、これに名前をつけてほしい。
私が知らないだけで、あるのかもしれないけれど。
「みんなー、盛り上がって嬉しいけど、授業終了五分前だから切り上げてー」
先生が声を張り上げると、途端に教室が静かになる。
何度も聞き返す必要がなくなったことに安堵して、授業アンケートを提出する。これで前期スクーリングは終了だ。
いそいそと帰り支度を済ませ、雑音だらけの教室を抜け、うるさい駅構内で騒音を撒き散らす電車を待つ。
ディスカッション中の教室と比べると、うるさいのは断然大阪のピーク時のホームだろうが、会話する必要がないので別に困らない。
不快は不快だし、一時間以上こうして騒音にさらされていたら微熱が出るくらいに疲労を感じるが、それまでだ。
「えあー、あははっ!」
「ぅえーー?」
こんなにうるさい環境で会話している女子高生を、嫉妬半分羨ましさ半分で眺める。
すぐ近くにいるのに、私には彼女らの会話がわからない。
笑っている、何か声を発している、というところまではわかるが、具体的に何を言っているのかがまったくわからない。
──ねぇ。
聞こえないのは承知で、声にせず問いかける。
──私とあなたたちの違いって、いったい何なの?
女子高生たちは、短いチェックスカートを揺らしながら、大袈裟に笑った。
何に笑っているのかは、さっぱりわからなかった。
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