「舞姫」の真実

@chromosome

第1話 我が舞姫へ

  余、還暦にして労咳愈々重くなりて、死期の近づきたるを悟り、生涯を顧みれば、青春の熱情、猶我が胸に深く留まることを知りぬ。

 其は、今も伯林に在せるエリーゼのことなり。我が死の後は、石見の人なりとのみ墓に刻みて後に遺したるふみ、写真などは全て焼却せむ事を託したれど、彼への想いは変わらず、この稿は、一読の後、焼却せむ事を欲す。

余が「舞姫」を書き残せしは、未だ若かりし二十代の半ば頃なり。異国の女を孕ませ捨て去りて帰朝すなどと物語せるは、敢えて彼との真情を人に知らしめざるがためにして、世人の誤解せし如く人に非ずとの誹りを受く謂われもなきことなり。

素より「舞姫」の基となりたる事実のあることは否まざれども、純粋なる芸術創作と読まれむ事を余は望むものなり。

ここに再び筆を執りて、「舞姫」たる我がエリーゼとの相聞歌を記さむ。

明治十七年八月、余、日本を離れ馬耳塞(マルセーユ)を目指したるが、各地の港々に白人種の闊歩すること我が庭の如くして、旧主たる者見る影もなし。西欧の世界を席巻し、かつ蚕食せしが、さらに他国を脅かさんと虎視眈々と狙う様、將に春秋の世に似たり。

 余の洋行の目的は、医学特に衛生学の習得なりしが、さらに余は、我が邦の追いつかむとせる近代西洋文明の深奥を探るをも目指したり。西洋の「才」に優れたるは、言うべくもあらざるが、和魂洋才と言いて精神は東洋の優位を疑わざるは、「魂」においても劣後となる恐れあらむが為なり。

余、その才を生み出しし「魂」に迫る時、自然科学を透して常に耶蘇教のあるを覚ゆ。また耶蘇教の源に、耶蘇と倶にDie JungfrauMaria あり。

 余の耶蘇教に興味を覚えしは、幼少のみぎり浦上四番崩れの切支丹を我が故郷津和野藩にて仕置きしたる時、後に殉教したる男の三尺牢の上に、毎夜青き着物にて青き布を被りし聖母マリアの現れしとの噂せるを初めとす。 又、同じく三尺牢に入れられし女信徒の厳寒の節、裸身にて曝されたるも棄教せざるを見て、さほどに彼の教えの優れたるかと訝しみつつ、女の裸の胸に白き雪の積もりたるを盗み見しことあり。

余、それより怪力乱神を語るを好まずと雖も邪宗門の教えの邪なるや否やを極めたしとの思いを抱けり。

長じて聖書を紐解きしが、その論の児戯に等しければ受け入れ難し。ただ「原罪」なる言葉の元の意にはあらで、人皆、罪を負ゆとの教えには、人生の玄妙に通ずるものありて軽々に論ずべからざるものあり。 

然れば磔刑されし耶蘇は至高にして裁きの神なれば、むしろ人たる聖母マリアの美しく罪無き様に心惹かるるものありて、何時の日か我が罪を全て受け入れらるれば悔いなしと思い到りぬ。

 明治十七年十月十一日、伯林到着。余、十一歳の時、郷里を出でしより留學の夢あり。醫學校の卒業席次は、國費留學の基準に及ばざるが、陸軍軍醫として今この地に立てり。感慨深きものあるも、青木周蔵駐独公使の言は、痛烈に響たり。

「その足の親指と示指の間に縄を挾みて、人前にて鼻穴をほじる国民に何ぞ衛生学の價値やある。学問は大概にして、欧羅巴の人は如何なる生活を送りたるか具さに見學すべし」

とのことにして一理有り。細部に拘らずして大局を見よとの謂、肝に銘じたり。

余の日本に在りし時は、常に我が頭上に重苦しきものありて我が振舞を掣肘せしが、日本を遠く離れ、歐州の大地に立つ時、我を押附け又、遮るものなく、その行為に干渉せざること暫し目眩を覺ゆる程なり。その自由なる風の我が背を押すや、帆に風孕みたる船の如く真の我を激情の島へと追いやりて青春の門は開かれたり。

ミュンヘンの生活にも漸く馴れたある日、余は下宿近くのガルニゾン教会に詣でたり。信徒ならねども出たる弥撒に聞きし聖歌の清げなること、又パイプオルガンの莊重なる響きに何事ならぬか、いたく心を動かされたり。

 そこに一少女ありて、何をおもひてか余に

「耶蘇教徒なりしや」

と尋ねたり。

「否、佛教徒なり」」

「されば、何故にこの寺に參るや」

「余、日本にありし時より、耶蘇教に興味あり。本日は、この寺のステンド硝子の神々しさとパイプオルガンの響に醉ひ癡れたり」

「日本とは何處にありし國なるぞ」

余、その問ひに答へんとせしが、難しく

「次に遭ひたる時、地圖を見せむ」

と言ひて別れたり。

美しき少女なり。余、マドンナを見つけたりと戲に日記に記したり。次の週末に、またあの寺に參れば、かの少女一人にて坐りたり。其の日は、簡單な地圖を持參したれば、容易く日本の位置を示せり。

余、日の經つ内に獨逸の軍醫とも親しくなり、パーティに招かるゝことも多くなりぬ。パーティは、舞踏會とも譯さるゝが、單に踊りの場のみにあらず。明治の初め、我が政府、條約改正に役立てむと鹿鳴館を建て、夜毎舞踏會を催たる事ありしが、其はパーティに如かざるものなり。

余、獨逸語をはじめとして、異国の習慣、礼法などにつきては、事前に学びたるが、パーティに交じることの重要なることなどは、誰も教える者なく、まして外国女性と手を合わせ腰を抱いて踊るなど恥ずかしさもありて一年間は壁の蔦を決めおれり。

 其は、単に妙齢女性の結婚相手を捜す場のみにあらずして、また様々な噂や玉石混淆なる話の行き交う重要な場なり。我が国にて言えば、戦国時代の茶の湯の集まりに近きか。聞けば、男女ともに社交界へのデビュー前の一五、六歳になれば、ダンスを習うことは当然のことなりと。

 余もまた遅れを取り戻さむと、舞師につきて、ダンスを習う事としたり。紹介されたる舞師の教室に行きて驚きしは、その舞師は、あのガルニゾンの寺にて、二、三度言葉を交はせしあの女性なり。小柄故に少女と思ひしが、エリーゼ・マリー・カロリーネ・ヴィーゲルトなる舞師にて、匂うが如き亜麻色の髪の乙女なり。彼の教室は、○○通りのガルニゾンの教會の近くにありて、偶々、そこに一組の男女の踊りたるを見たり。 

 彼、余に、ダンスの経験を尋ねたり。

「無」

「如何なる踊りを希望するや」

「ワルツを所望せむ」

と言えば、彼、ややうつむき笑いて

「ワルツは、最も難しき踊りなり。始めは、○○が適当なり」

斯くの如き次第にて、余は、始め○○とやらを習いたり。然れど、週に一度のレッスンでは、習得及びがたし。夕方よりの練習を週二回、多き時は週三回に増やしたり。始めは、余は我が足下を常に眺め回したるが、或る時、彼をリードして面白みを感じたり。この時は、踊る事を意識せず、まさしく無意識の動ならむ。

 それより、ダンスに励む事、半年、漸く、ワルツを踊りて楽しむ境地に到りたり。その間、パーティに呼ばれたれば、易しき曲から、淑女を誘い、次第に難しき曲に挑戦したり。

 彼、練習の合間に、余に様々なることを尋ねたり。日本という国より、数多の留学生の来たりたるは知りぬれど、我が国の位置さへ見当がつかぬ有様なり。問わるるままに、日本の人口、歴史を教へ、また我が故郷、職業、家族などを答えたり。

彼の知りたる日本の言葉は「サムライ、ハラキリ」など僅かなるが、我が國の開國は十数年前のことなれば、やむなきことと思いたり。彼、

「サムライは西欧の騎士と比肩すべきものや」

と問う。余、

「士は、義に厚く礼節を重んじ、偽りを申さば死す。我も又、士の子なり」

と答へたり。

 彼、予の軍醫なることを知りかつ、西欧のみならず、中国の文化にも造詣あるを知りて、我に興味を抱きたり。特に中国にも「詩」のあることに興味を示したり。

「恋愛の詩には如何なるものあらむ」

「李商隠、陶淵明など」

彼の求めに応じ、書をしたたむ。

「君は、恋の詩を即興にて作るや」

と我を唆すも面白きことなり。


 踏舞歌應嘱

 

雕堂平若鏡。電燈燦放光。

千姫闘嬌艶。濃抹又淡妝。

須臾玲瓏天楽起。凌波女伴駕雲郎。

錦靴移歩諧清曲。双々對舞擬鴛鴦。

中有東海萬里客。黒袍素襟威貌揚。

風流豈譲碧瞳子。軽擁彼美試飛翔。

金髪掩乱不逞整。汗透羅衣軟玉香。

曲罷不忍輒相別。携手細語興味長。

知否佳人寸眸鋭。早認日人錦繍腸。

君不見詩譏屡舞不譏舞。君子亦登舞踏場。


七言絶句の書を示さば、彼驚きて、その意味を問い、いつしか時の過ぎるを忘れたり。

 余も又、彼を憎しとは思はず。余、ミュンヘンでの調査を終え伯林に移りしが、舞踏会にて、何故か彼を思い出すこと頻りなり。また、研究室にある時も物思いにふけりたり。

 これぞ、物や思うと言われしことなるや。ある日、ミュンヘンに戻りて、彼の家を訪へば、驚きて我を迎えたり。彼も又、余を想ひて睡れぬ日々を過したりといえり。


熟寝(うまい)より呼び醒まされし人のごと

  円き目をあき我を見つむる


余、後に「ふみづかい」に、「恋うるも恋うるゆえに恋うる」と書きたるは、この理(ことわり)の不思議を思いてなり。なれども其の内に記せし「イイダ姫」なるは、己を頼みて父の定めし許婚を受け入れず、カトリックならば尼にもなるべしとの思いを貫きたり。これぞ余が描きて、成る能わざりし人の様ならむ。

 外つ国での珍しきことにも慣れ、エリーゼとの逢瀬も始まりぬ。余、幼時は、男児なすべからざることとて音曲には疎かりしを、外つ国の人、音曲を楽しむは貴人の嗜みなりと言うを聞きしかば、洋行は我にその楽しみを学ばせたり

 楽劇(オペラ)の余韻に浸りて、彼を家に送りし時一片、二片と雪の降り始めしが、彼が家の前なる時には我らが肩にも積もりたり。余は、彼を抱きてKuessしたり 我が初めての接吻(くちづけ)なりき。

現在(いま)、「即興詩人」として世に流布せしものを、初めて読みたるもこの時なり。余は彼を下宿に招き、近頃入手せしImprovisatorenを読みて聞かせたり。

主人公アントニオの目の癒やされしララたるマリアと幾多の試練を経て結ばれたる最後は、彼深く感ずることあり。彼は、マリアを己とアントニオを我と思いなしたり。マリアを己とせるは、彼のミドルネームがマリーなれば、あながち縁なきにあらず。マリアとアントニオが結ばれし如く、我らも又いつか結ばれたり。

余が彼と二世を契ることとなりにしは、幸運の女神の微笑みたるや、その機微を知らず。ただ、君が瞳の碧くして人恋ふるをこそ覚えけれ。十五、六の若さにて、我が世の春を謳へる外つ国の乙女の髪を掻き上げ肢体の仄白く見ゆる時、其はセイレーンなるか、又聖母マリアなるかと怪しむほどに我は魅入られ一夜を過ごしたり。

余は彼を徒し心で抱きしにはあらず。然れども、その時此の逢瀬の永遠なるを確信せしものにもあらざるなり。欧州の空の下、この恋情(おもい)は、いずこに向かうや定め難かりき。 

 下宿にては、彼と語らうことも不便なれば、余は、グローセ・プレジデンテン通り拾番地に新たに居を定めエリーゼと倶に暮したり。

エリーゼは、母讓りなるや手先の器用にして手藝を得意とす。戲に、この技によりて、余が免官となりても、二人の糊口を凌げりと述べたり。余、この生活の長く續きたるを望めども歸國の日の近づきたるを知りぬ。

或いは、獨逸の人となりて、この地に住まはむとも思へども、日本に殘せり父母弟妹の面影念頭より去らず。

さらに伯林に在住せし邦人のエリーゼを見る目嚴しく、將來の妻なれば我が身分には相應しからず、現地妻とせば早々に手切れすべしとの噂を聞きたり。

彼を未來の妻とすべきや否や心定らぬまま、新しき年は開け、留學期間も僅かとなりぬ。

余の伯林在住も足かけ五年となりたるが、帰国命令の届きし日、余は彼に帰国の旨を告げかつ、余と倶に日本に行かむと申し入れたり。其は、余が求婚にして彼の受け入れるところとなれり。

彼よりも早く余は、馬耳塞の港を発ちて横浜の港に着けり。早や四年あまりを異国の空に送りしが、懐かしきは日本なり。余、伯林に在住せし時より、如何せんかな、事を好む輩のありて徒に詮索を受けしが、この船にて彼と倶に帰りたれば、静なるべき波の上に喧噪をもたらすを恐れ船をば別になしぬ。

 もとより余の帰国せしは、彼を棄てむとする行いにはあらずして、本邦に帰りて男子の真摯なる願いは天にも通ぜんとの思いからなり。

 余は伯林滞在中より、彼との婚姻の許しをば我が母に夙に求めしが許すところならず。その時、彼は未だ身籠もらざりしが倶に帰りて、虚言にて彼の胎内に我が子の宿るを告げらば、母も許したるやと思いたるは青年の客気なるや。余は、彼と本邦における生活を計らむがために彼に一等船室のチケットを購いたり。

彼はブレーメンを発ちて、明治三十年九月一二日、余に遅れること四日にて横浜に到着せり。颱風の余波にて波高く接岸する能わざれば、船にて一夜を明かしたりとぞ。

彼の到着は余の思いもせざる仕儀とはあいなりぬ。

 「エリーゼ、横浜に着けり」との報を受けし母は、余が孕ませし異人の女子のこの僻遠の地まで追い来たると思いきや、気をも狂わむばかりにて、西家はさらなり赤松男爵家をはじめとして、その始末を親類縁者に相談したり。

 而して、其の故は、森家素より長州津和野藩の藩医にて、維新後上京し父は医院を開業せしが、医は仁術なりとて貧家より薬代を取らず、かつ係累の多ければ常に窮したり。然れば、森家の盛衰は我が昇進にかかること大なりき。

余の現在ありしは、我を教え育てし大恩ある父母にあれど、我は彼の地にて闊達自由の気に触れ、人の人たらむは真の我を貫いてこそと目覚めたり。

なれど、母は、誉れの子に外つ国の女をば、嫁に迎えむこと毫も思うことなし。

彼は、余の君を迎えむとの言を頼み、四十日余りの航海を苦にもせで、珍しき東の国に渡りけるが、母は、彼の宿を築地精養軒に取らせ、外にも出さず、又我に会わせることもなく閉じ込めたり。

森家、いや此の日本(ひのもと)の恥とやばかり、我が義弟小金井は言うに及ばず我が上官なども彼に向かいて帰国を求めしが、肯んぜざるを知りて罵り遂には追い帰さむとす。中でも義弟小金井は、余が、「やむを得ず婚姻を諦む」と書きたる手紙を彼に示して一刻も早き帰国を促せり。

茲に至りて、彼の我に対する不信は極みに達し、妾との約束は偽りなるかと問いただす次第となりぬ。余、其を聞きて、其が手紙は本心にはあらず、やむなく記したるものにして、我が君を想う気持ちの変わらざる事に偽りなし。疑いあらば、今、官を辞せむ。願わくば、我とともに独逸にて夫婦の契りを交わさむと告げたり。

 余、彼との約を守るため辞表を軍医学舎に提出せり。これが扱いを石黒軍医監、西氏、義弟小金井の三者にて協議するに、いま鴎外を失うは日本陸軍、いや日本医学界の損失なりと意見の一致したりとぞ。

 余、精養軒に赴き、辞表を届けし事を彼に告げ、共に独逸にて暮らさむと話したり。彼は、余の変わらぬ想いに安堵せしが、祝福されざる婚姻は破局せむ。さらに、辞職は君がためならず、君の親、君を育みし朋輩をも裏切らむと陳べたり。

思慮の深きこと年齡に似合はぬ才あるを知りぬ。愈々我が伴侶に相應しきかと、想念すれど途嶮しこと思いよらざるものあり。

 彼と余の婚姻は、母の受け入れざるところにして、日の経つほどに母の窶れしこと尋常ならず。一度は、辭職をして獨逸にて彼と共に暮さむと思へども森家の盛衰は我が出世に待つところ多し。彼を取るべきや母を取らんかと、我も又懊悩の極みに達せり。

母は余が異国の女子を娶らば、其の宗門は耶蘇教なれば嫁としての務めを果たしうるや、又、余が改宗せんとすれば四百年続きたる森家の家長として菩提を弔い得るやと問い糾したり。

余、日本に「家」ある限り応うる能わずと思い到りたり。全てを擲つは、易きことなれど、久しく我を待ちにし老父母弟妹は、如何にせむ。また現在、官を辞すれば独逸への官費留学の費えの返済を求めらるることとなるべし。

人の人なるは、貧富貴賤にあらず、己が信ずる道を切り開きてこそと思へど、此の邦の「家」の余りに重きこと、「理」にては抗しがたし。

 思い詰めたる母は、余が赤松某と婚姻し、エリーゼを妾(めかけ)とするは、世に珍しくもなき事なりと申ししが、余は母の申し様、餘りに腹立たしく否と答えたり。

さらに、余、母に向かいて彼に破約を申し陳ぶる能わずと述べしが、武士にして約を違えむとせば自裁すべしとの命あり。

思い至らざるものに、「陸軍武官結婚条例」あり。其の内には、異人の妻を娶るは許されぬことを定めしが、元駐独公使の青木周蔵氏の例外あり。この故に、余の婚姻も、この条例に違反したるとはおもわざりし。然れど、准士官以上は陸軍卿の認可を得ることを要し、その認可の意見書には、上司の奧書を求めるとなれば、職に留まること不可能なり。

 余、此処に至りて進退窮まれり。我を貫き、彼を取るか、我に繋がる恩人、知人、父母、弟妹、即ち日本を取るか百尺竿頭にありて、その一歩を踏み出さざるを得ず。余、決然奮起して精養軒に彼と最後の晩餐をなしたり。

「万里の波濤を超えてのこの夕餐が最後となるとは、あまりのことならずや」

「我は我一人のものにはあらず。我が肩に乗る者の夥しき事を思い知らされたり」

「係累多く、日本國も君に頼むこと多しと雖も、この國に個人はいまさずや」

「この國に、個人あるは、五十年、いや百年後のことならむ。未だ日本は、普請中なり」

「人の世に生くる苦しさに妾は慣れたることと思えど、君が苦しみを妾が思い至らざると思し召すや。故国に帰りて後は、我が胎内に宿りたるこの子に、父なる君との恋物語せむ事を楽しまむ。たとえ明日より會うこと叶まじくとも、いつの日にか君に見えむ」

「我が子を宿したるとは、眞なりや」

「然り。然れども、遂に父なき子になりたるを哀しまざるをえむ」

「今夜が、君と我が子との今生の別れの日となりたるか。現在は、秋(とき)ならず。秋来たりて我伯林に赴むかば、君を迎へむ。エリーゼ、我を許せ」

 彼、精養軒にて空しく一月余りを過ごしたるが、遂に十月十七日「ゼネラル・ヴィーダー号」の人とはなれり。

 彼を見送りしは、日独を隔てつる万里の波濤を思いつつ、君を送りて、また再会の日まで堪え忍ばむとの思いからなり。然れど、余の約を果たさざる事、遂に二回にして今日にいたる。是、士(ものふ)にあらず蔑むべし。

 君を送るに、余は君が船上生活に見苦しき様無きように母に念を押せども、何と情けなき了見なるや、母は路用の金を惜しみて復路を二等とせし事、後になりて知れり。さらに下船の地は最終地たるブレーメンにはあらずして、ジェノヴァなりとぞ。彼に事前に陳ぶること能わずして窮迫の思いを致せること恥ずかしき次第なり。

 然るに、彼帰国せしより一ヵ月の経ちたるか余の帰国祝いと義弟の結婚祝いをなすとて、上野精養軒に招かれたり。然れど、席につく者は、西夫妻、余、弟篤史郎、義弟小金井の五人のみなるは、祝いの席にあらずして、余に縁談を了承させむとの計らいからなり。余、エリーゼとの別れより鬱々として楽しまずして日を送りたるが、その日はじめて、赤松家の長女との婚姻の話を聞かされ、承諾を求められたり。

 聞けば、去る九月一八日、祖母が、森家の意向として西氏に縁談を承知せる旨、伝えたるとのこと。これ異国の女子との婚姻を断ち切らんとする母の謀なり。

 西氏、閨閥を作りて自家の繁栄を図るべく、余、ドイツに滞在中より、森家に縁談を持ち込みたるが、我が親の返事は「林太郎さへ承知ならば」、又、余の返答は「両親が賛成ならば」となりて進まず、些か痺れをきらしたりとぞ。然れど、余が、異國の娘を連れ歸りたるは、森家ならず西家にも多大の誤算にて、あの一月余りの騒動には、斯くの如き意味あるを知らされたり。 

 余、エリーゼを見送りて、幾日も経たざるにあまりに性急なることにして聞く耳を持たざるが、母の切なる願いを断ち切れず縁談に応じたり。これまた我が優柔不断の性なりき。

その女子は、海軍中将赤松家の次女にして、名は「登志子」と言いしが、男子「於兎」を儲けたるも一年たらずの夫婦なり。余のエリーゼと別れたりし後の婚姻なれば夫婦仲の険悪なるは必定なり。

余、エリーゼを送りたる後、気鬱の病重くして食進まず溜息頻りなり。我が痩せ衰えたるをば母は見むや。漸う漸うにして、我が母は己が罪の深きを知り、我が子が愛したる異人の女子を嫁になせば、かかる仕儀にはならざらむと思い定めしや余が妻に離婚を申し渡したり。此も、また我が母の独断なるが、余に否の気持ち無ければ何事もなくて済みぬ。

 余がために、於兎は生涯生母に会する機を失いたり。又、登志子は余と離婚したる後、再婚したるが若くして結核で死せりとの記事あり。彼は難しき白文を容易く讀める才女にて、我が宿痾の移りたるか哀れなり。

余は、母の余りに専横たるを恨み、一家の長として又戦陣に向かう身なれば、これよりは悔いを千載に残すこと無きにせむ旨申し渡したり。

それより三年は過ぎたる日、独逸よりのふみあり。異国の友も少なからざれば、横文字の手紙は珍しくもなけれど彼の国にて勉学せし友なるかとその表を見しに、女手と覚しき風にて宛名を書きしふみあり。差出人はエリーゼ・ヴィーゲルトとなり。驚き怪しみて、震える手にて封を開くれば、手紙と共に一葉の写真入りたり。三つばかりなるか、可愛げなる男児の写りたり。

彼がふみには、帰国六ヵ月後、出産したるが、余が婚姻をなしたる事をミュンヘンにいた小金井某より直に聞きてふみを遣ることを断念したりとの由。

彼は、生まれたる子に、「オットー」と名付けたり。目の色は我に似て黒く、髪はやや暗き亜麻色なりとぞ。これは偶然にや、前妻登志子と間になしたる男子の名も「於菟」なり。其の児の物心つきて、我が父は、いずこにと問い質すこと頻りにして、我が手紙の乏しかりければ、思いあまりて余がもとにふみを使わしたるとぞ。

余と彼との間に、我が血を引きたる者の生まれし事は、我らが恋情(おもひ)の永遠なることを表して餘りありけることなり。

 彼は、帽子の仕立てにて、その日の生計をば立てむと記せしが、幼きオットーを抱えての仕事は幾許の金銭を得むや。独逸の法は一児の養育料を大概二千麻(マルク)と定めたりしが、余は、是に羈束せらるることなく、月々八十円を送金することを約したり。全額を送金するは、易き事なれど、後年、余の留学中の醜を消さむがためと謗られざるが為なり。

かくして、余と彼とのふみの便りは、繁くなりゆきぬ。彼がさらなるふみには、伯林の大なる都市になりたること、また本邦の留学生の増したることを書き連ねたり。オットーは早や、小学校に入りたるとぞ。

余、手すさびに、シェッフェルの詩を訳し歌集「於母影」として出版す。その中に、我が想いを重ねたる詩句を記さむ。


君をはじめて見てしとき

そのうれしさやいかなりし

むすふおもひもとけそめて

笛の声とはなりにけり


君をはじめて見しときは

やよひ二日のことなりき

君かあたりゆ風ふきて

こゝろのかすみをはらひけり


高ねすぎゆく雲のみか

木々にもさわぐ風のこゑ

ちきりしことは夢に似て

はやくもわかれとなりにけり

いつこにこの身はわかるゝも

いかでわすれむ君ひとり

 

わがよたのしくなりなむを

 おもへばはかなき世なりけり


わがよたのしくなりなむを

 おもへばはかなき世ななりけり


シェッフェルの詩の言の葉、まさに余が心を歌いたるべし。彼に送りて、我が心の裡を知らしめたり。

余が心根をふみに託しての彼とのやりとりは、我が心を慰めたり。東西の於兎、オットーは、健やかに育ちたり。

余は、離婚より二度と娶せせじと思いなして、その後一二年独身を貫けり。彼もまた、操を立つるや、同じく独身を続けたり。余の再婚に至るは、母の勧めにして初めて会いし時、針の上手にて、その貌に彼の面影を見たるが為なり。

妻「志げ」は大審院判事荒木某の娘にて、見目良き女子なり。余、戯れに「美術品らしき妻」と人に書き送りし事あり。

余は、志げを愛したり。愛したるが、エリーゼを忘却する事能わず。志げも又、余がエリーゼへの想いを知れおれり。独逸からのふみの繁く又独逸への送金の継続せること、さらには、余の「舞姫」を読みて、舞姫の癲狂せる事信ずる者のあるやと呟きぬ。

 又、彼の顔立ち、人となりを我より聞きて、我が目の裡の想いを消す能わずと感じたるとぞ。

 志げは悪妻の名高かりしが、我が母とは良く戦えり。如何せむ、我が母の我に対する所有欲は一向に衰えざれば、妻も所有欲を主張せざる可からず。兎に角、我が母には呆れ又驚嘆すべきものあり。

 エリーゼは、余の伯林に戻るを指折り待ち居たるが、余の再婚したるを聞きて、我との婚姻を諦めたるならむ。良人を見つけ結ばれたりとふみを寄越せり。婚を約すること二十年余り、余の怯懦なる心は彼をして三十八歳にならせたり。


 森林太郎 樣


 貴方の再婚したるとの手紙を拜受せり。妾が日本を立ちて早や十七年が過ぎむとせることに改めて驚きたり。妾は貴方の結婚の約束を信じ待ち居れど、その約は守られず、妾もまた商人マックス・ベルンハルドの妻となりたることをこゝに記さむ。貴方よりの毎月の送金の有難きこと、この上もなかりけるが、人妻となれば扶養もされ、また見知らぬ男よりのふみは、要らぬ騷動に繋がるやもしれず最後にされむことを願ふものなり 

                          エリーゼ

 

 罪全て我にあれど寂しき秋を過ごしたり。


前栽のゆふべこほろぎ何を音に鳴く

女郎花君あらぬまに枯れなんとなく

 君をおもふ心ひとすぢ二すぢの征箭

折りくべてたけば烟にむせびてぞ泣く


 彼の日本を去りたる後、続きしふみも人妻となりし君に障りあらむことを恐れ筆を折りぬ。

 余、彼の来日せる夢を見たり。彼とは、往時築地精養軒で一夜を過ごしたるが、また精養軒ホテルにて会したり。これ、昔日の逢瀬を忘れざるがためか。

彼、晩餐の室を「Chambre Separe」と問いしが、其は「恋人達の小部屋」との謂にして我らが若き日の言葉なり。

彼は往時の彼にして、我は往時の我ならざるは夢の故にか。我が肩に、君がブロンドの髪はあふれ、我が腕は、その細き腰を抱かむとす。是、我が痴情の夢なるや、夢ならば覚めざらましを。我、エリーゼよと呼びて目覚めたり。

その後、日露の風雲急を告げ、軍医たる余は戦場に赴けり。戦となれば、死ぬるは覚悟の上なれど、若し余死なば、誰か彼とオットーを後見するならむ。

 これは母にも頼み難きものなれば、賀古氏に全てを打ち明け、萬が一の場合の扱を依頼したり。

さて、近代的戦争の殺傷力の凄まじきこと、戊辰の役の比に非ず。南山の戦いは、日露戦争の端緒なりしが、数日の内に幕舎は腕を失い脚断たれし幾千人の死傷者にて埋まれり。

夜更けて治療録を書きおりし時、片袖のカフス釦の失せるに偶々気づきぬ。其は二十年余り前、彼と倶に購いし思い出の品なり。当時を思い起こせば、余は、軍服の肩章も新しき青年士官にして、又、彼は黄金なる髪なびかせ、碧玉の眼輝く乙女たり。嗚呼、あの日々は帰らざるべし。

 然るに、一九一四年、欧州に戦火の起こるや須臾の間に、世界大戦となりて、日本も又、独逸国に宣戦布告する事態とはなれり。彼を案じたる余は、再びふみを遣わせども、日本と独逸は、今や交戦国となりて、我がふみも直には届かず、中立国瑞西を経由して我がふみの届からむことを祈りたり。


 我がエリーゼ


 現下、ふみが屆くや否や案ずるところなれど、極東の片隅にては、歐州の戰況不明なれば、僥倖を願ひて、信書を投ずるものなり。

 されど歐州の片隅なる小さき暗殺事件が、世界大戰となるとは夢にも思はぬことなり。不幸にして、日本と獨逸は交戰國となり、極東の獨逸の據點は、援なく日本の手に落ちたり。然れど我が日本は、獨逸を範として今日に至りて、其の國民を憎む氣持など毫もあるべからず。

 敗戰濃厚にして、物價騰貴すとの記事を見ゆ。少しばかりの金錢を送るものなり。君、オットー健在なりや。

                   森林太郎


余、長年、独逸国の新聞「ベルリナー・ターゲブラット」紙を購いしが、一千九百十九年一月一日付けにて、「書状に代えて」と題したる「死亡告知」を見つけたり。其は、「夜四時頃、短き闘病の末、我が最愛の夫にして情愛深き伴侶なる商人マックス ベルンハルド、他界せり。五十五歳なり。」との記事なり。

 而して、その喪主は、「ルーツィ・ベルンハルド 旧姓ヴィーゲルト」なりき。ルーツィは、彼の愛称なり。記事冒頭の「書状に代えて」なる文言は、通常の死亡広告には見ざる表現なりき。

余は、この広告を見て彼が我に対し、再び互いの消息を求むるものと理解し、また筆を取るに至れり。十年を超えて再び書きしふみには、まず彼が夫なるマックス・ベルンハルドの死を悼む旨記したり。


愛するエリーゼへ


 「ベルリナー・ターゲブラット」紙上に貴女の夫の死亡記事を見つけ、衷心よりの哀切の情をあらはすものなり。如何なる病によりて死に至りたるやを知らざりしが、鬪病の短きは、せめてものことと思ひ候。此よりの生計は立つものにや。夫を亡くしての商賣は續けらるゝや。日本にては、人の死に際し香奠(金錢)を送る慣らひありて、このふみに同封したり。

 余にて、解決すべきことならば、何なりと申し傳へられたく候。

                           

                          森林太郎


 折り返しのふみには、我が心遣いに感謝せしとの由に加うるに思わざる事を書き寄越したり。夫の死せる前に、我らが子息たるオットーの獨逸西部戦線パッシェンデールにて戦死したりとぞ、二十二歳なり。

彼の息子を失い、さらに夫も亡くしたる悲運に尽くすべき言葉なく、その悲哀名状する能わず。命長ければ哀しみも多かるべし。

 

 

 森林太郎 樣


貴方ならば新聞の死亡廣告記事を讀みて、妾が托した想に至るのではと思ひ致し處、眞情溢れる手紙を頂き感謝申上げ候。

 夫は、去る大戰の間、妾ともに伯林に暮し居りしが、病を得、物資缺乏のおり滿足なる治療を受け得ずして天國に召されたり。

この文に悲しきことのみ記すは、不本意なれど、息子オットーの西部戦線にて戰死したるを告げざるを得ざるを遺憾とす。

人の世の儚きを實にやと思ひ知らさるゝ今日この頃なり。

                深き感謝を込めて エリーゼ


春秋に富むべき志げの次男「不律」またオットーを死なせ、老生の徒に馬齢を重ぬるは如何なる天の配剤ぞや。

大正五年、永かりし我が宮仕えも時来たりて、五十五歳にて官を辞して文筆の身となれり。独逸に赴かんとする心に偽りはなけれども、我が体は病魔の蝕むところとなりて、せめて遠き異国より彼を想いたり。

頭を巡らせば、既に伯林に住せし時より、三十年余りなり。嗚呼、夢なるや、往時独逸の盛況なりし事、今は、欧州の戦に敗れ又革命起こり、維廉(ヰルヘルム) 二世も退位せしとや。伯林も旧にはあらざるべし。彼は、如何せしや健在なるか。

彼よりふみあり。数多の苦難あれども、彼は健在なりとぞ。日ごと、金銭の価値は失われ、物価騰貴の甚だしきこと言うに及ばず、まさに戦に敗れし国の悲惨なること思い知るべし。寡婦となりての生活の如何に厳しきかを思い案ずることさらなり。

余、歳末樅の木に燭火を点じてNoelの真似を為したり。耶蘇信徒ならねど、罪人を許せる人の生誕を待ち焦がれむ人の多かりし事に心慰められしが為なり。彼に降誕祭を祝し多少の金銭を贈りたり。

余、バイロイトにありし時、歌劇に親しみて、其の内にリヒャルト・ヴァーグナーの「トリスタンとイゾルデ」なる相聞の歌あり。彼の沙翁が、ロミオとジュリエットを書きしとき、本作を元にしたらむと伝えられしものなり。

 トリスタンは、愛しきイゾルデと故ありて別れ、トリスタンの死に至るやその時イゾルデの船、港に着きたるが、時既に遅かりしとぞ。イゾルデならず、トリスタンの心情思うに餘りあり。

彼との愛、終生忘れえず。我も又、一人のトリスタンならざるや。余が人生は、果たして肯うべきほどのものや否やと自嘲して、折々に彼の曲を口ずさみたり。


 最愛のエリーゼへ


 四十年は夢なるや。貴女と倶に過ごせし日々は遠くなりぬ。君を偲ぶ縁は、君が空色の繻子に金色の糸にて我が名のMとRを刺繍したる手巾入れのみとなりし。

 嗚呼、我らが初めて出会いしガルニゾンの古き寺、古(アルト)伯林の君が宿、語らい合いしウンテル・デン・リンデンの珈琲店(カフェ)ヨスティ又バウアー、シャンパンの乾杯の声高らかに響き、ウンテル・デン・リンデンの並木を渡る風は、長き睫毛の君が目をそよぎ、その碧玉に含められし愁いを我は如何にせむ。

 その瞳には、自らは知らぬにや憂いと倶に媚態あり。その凝視に耐えずして、我はラインの舟人の如くなり果てき。

君が項、君が胸、君が肢体、君が黄金なすMons pubisに我は酔い痴れたり。我ら若ければ、vita sexualis も永遠に続く夢とは思いたり。

秋寒き日は、燭台の下、書読む我の傍らに、君は我が手巾に我が頭の文字を仕立てたり。君が日本を去りし日は、横浜の港に君が振りし手巾の白さの目にしみて、涙滂沱として禁ずる能わざりき。

エリーゼよ、マリアよ、我が愛せし人よ、余、死に臨みて独逸にて過ごしたる日々は我が生涯の最良の思い出なりと記さむ。


                    森林太郎


 その後、一千九百二十二年七月十日付け「ベルリナー・ターゲブラット」誌に、森鴎外の死亡告知が掲載された。

「森林太郎、七月九日、午前七時すぎ闘病の末、他界せり。六十歳。エリーゼよ、我を許せ」

 

 エリーゼは確かに見たであろう。

 


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「舞姫」の真実 @chromosome

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