#5

 お昼休みの後、授業中にも捜査資料を舐め回すように熟読していた大岡さん(珍しく授業中にも起きていたので、授業の先生たちは大岡さんの熱心に勉強(?)する姿に涙を浮かべていた)は、放課後になると資料を上木先生に返し、渡り廊下を渡る道すがら、社会科教員室へ行くと言い出した。


「事件当夜、現場の校舎にいた生徒はボクとキミだけだ」

「そうだった。じゃあ誰が村井先輩を絞殺したんだ? 幽霊か何かでもいたのかな」

「幽霊は人を絞め殺さないよ。呪い殺すことはあるけど」


 まるで呪い殺す幽霊に心当たりでもあるみたいな言い方だ。


「話を戻すけど、さっきボクは『生徒は』と言ったんだ。閉じた校門をよじ登って侵入するのは骨が折れるってこと、ボクは毎日やってるから誰より一番良く知っている」


 毎日夜中に校舎に忍び込んでるだって?

 今さらっとトンでもないことを言ったぞ、この女。


「警察諸君も鼻は効くからね。校門その他から、ボク以外に誰かが忍び込んだ形跡がないことくらいもう調べはついている。つまり犯人は校門が閉じた下校時間後の校舎の中にいて、違和感がない人物ということになるね」

「つまり……先生ってこと?」

「そういうことだ。犯人が田山に罪をなすりつける意図があったことを考えると、ロープやワイヤーでの絞殺は考えにくい。つまり使ったのは素手による絞殺。検死報告でも、首に圧痕があったと報告されていた」


 渡り廊下を渡って階段を上った三階、その目の前が社会科教員室だ。二階から三階に続く踊場のところで、大岡さんは急に立ち止まった。


「そうだ。これを預けておこう」


 大岡さんはポケットから手帳を取り出し、そこにくっ付けてあった黒のボールペンを俺に差し出してきた。


「実はね、これは事件の日に村井先輩を発見した後、遺体の近くで拾ったものなんだ」

「え、それじゃあ……」


 犯人の手がかりかも知れないってこと!?

 なんで警察に提出しなかったんだよ!


「持ち主が見つかるといいんだけど」


 いたずらっぽくはにかむ大岡さん。

 大岡さんは、見た目だけなら美少女だ。見た目だけなら。


「ふふ。こうして事件を追っていると、ホンモノの探偵と助手みたいじゃあないか」

「俺は探偵部に入る気は全然ないよ」

「そういえばキミの名前は『田山斗和タヤマトワ』だったね」

「それがどうしたの」

「逆から読んだら『和斗山田ワトスンだ』。キミがワトスンなら、ボクはシャーロック・ホームズといったところかな」

「大岡さんの奇天烈行動がコカイン中毒のせいだったら、どんなに分かりやすかっただろうか」


 社会科教員室の前で、俺と大岡さんは立ち止まって一呼吸。もしかすると、この部屋の中に村井先輩を殺した犯人がいるかもしれない。



  ○  ●  ○  ●  ○



「一昨日の夜?」


 大岡さんの質問に答えてくれたのは、2年C組担任の左近寺さこんじ先生だった。

 年齢は不明、アラフォーというには白髪が多いので、アラフィフだと推測される。落ち着いたグレーのYシャツにスラックス、その上からセーターを着ている。担当は世界史で、日本史選択の俺とは去年歴史総合の授業で見てもらって以来だ。


「一昨日って……ああ、飛び降りがあった日か」


 左近寺先生のトーンが低くなる。そりゃ、事件のあった日のことなんか思い出したくないよね。


「……事件のことなんて、生徒が嗅ぎまわるもんじゃない」

「それが自身にかかっている容疑を晴らそうとしている行動であっても、ですか?」

「容疑?」

「ボクとここにいる田山は、事件の夜屋上にいたんです。そしてボクはこの事件を殺人事件だと睨んでいる」

「そうか、君たちが例の。殺人って……探偵ごっこならやめておきなさい。悪いことは言わないから」

「なぜです? もしかして先生には、探られると痛い腹の傷でもあるのかなぁ」


 明らかに証言を嫌がっている左近寺先生に、大岡さんは全く臆せず質問をぶつけていく。


「事件の夜なら、左近寺先生は私と一緒だったよ」


 会話に割り込んできたのは、奥の席に座った若い男の先生だった。

 面識はない。スーツ姿が初々しい、今年の4月に着任したばかりの先生のようだ。


「初めまして、だね。私は岩国といいます。世界史担当です」


 岩国先生は小さく会釈をした。

 なんでも、岩国先生は事件当夜、左近寺先生に授業の相談をしていたらしい。


「社会科の先生は他には誰もいなかったよ。左近寺先生と私だけ」

「証拠はありますか」

「ないけど……あ、そうだ。証拠になるかは分からないけど、ボイスレコーダーがあるよ」


 岩国先生は、左近寺先生からアドバイスを受けたことをICボイスレコーダーに録音していたらしい。少し聞いてみたら、左近寺先生が先輩教師として岩国先生にアドバイスをしている様子が録音されていた。

 一分も聞かないうちに、もうわかったとばかりに大岡さんはボイスレコーダーの再生を止めた。


「なるほど。では事件当時の様子をお聞きしたいのですが。事件当時の様子について、覚えていることを全て話してもらえませんか」

「全て、って……もう警察にも話した通りだよ。下校時間が過ぎたあとは、誰もこの部屋に来なかったし誰も出ていない。廊下で不思議な物音も聞いていないし」

「トイレにも?」

「そりゃトイレくらいは行くけど……それでも、5分は離席してないと思うよ」

「亡くなった村井さんは夜間使用許可を得ていませんでした。どうやって夜の校舎に入ったんでしょうね」

「そりゃあどっかの部屋に隠れるとか。方法はないわけじゃないだろう。ねえ、左近寺先生」

「……ああ」

「ここの隣には社会科資料室がありますね。鍵はかかっていましたか?」

「もちろん。廊下側の扉は使うときにしか解錠しないし、下校時間に施錠は確認することになっている。一昨日も下校時間にロックを確認したよ」

「内部から錠は開けられますか」

「内側から開けられるのは教員室に面したそこの扉だけだよ。廊下側のは内側にサムターンがついていない」

「では、村井さんが社会科資料室に隠れることは不可能だった、というわけですね。そういえば確か村井さんは世界史選択でしたね。授業を持たれていたのは?」

「……私だ」


 左近寺先生は心底答えたくなさそうに答えた。


「左近寺先生から見て、村井さんはどのような生徒でしたか」

「あの子は確かK大志望だったか。優秀な生徒だったよ。世界史だけなら、十分に合格も狙えたと思う」

「ノートを見たことは? 字は綺麗でしたか?」


 この質問に何の意味があるんだろう。


「一応毎週全生徒のをチェックしているからね。村井のは簡潔にまとめられた、良いノートだったよ」

「もしかして、預かっていたノートが残っていたりは?」

「ん、ああ。あったが、警察に提出してしまった」

「それは残念」


 大岡さんは村井先輩のノートなんか見てどうするつもりだったんだろう。


「左近寺先生の話をまとめるとつまり、村井さんは授業を良く聞き、理解している良い生徒だったと」

「ああ。そうだな」

「先生は良い生徒は好きですか? ああ、いいえ。そういう意味ではなく。個人的な好意を抱くか、という話です」

「……個人的な好意?」

「はい。たとえば、生徒と先生の関係を超えて、男女の関係になりたいと思うような」


 なんてことを聞くんだ大岡さん!

 怖いもの知らずにもほどがあるでしょ!


「君は不思議なことを言うねぇ、大岡さん」


 左近寺先生は半笑いだ。


「そこの岩国先生ならともかく、私が生徒に個人的な好意を持つことなんてありえないよ」

「ちょ、左近寺先生っ」

「だって親子ほども歳が離れているじゃないか。それに私は妻も息子もいるしね。息子や娘に対するような愛情を持つか、と言われればイエスだが、恋人なんていうような感情も持つことはあり得ないよ」


 左近寺先生は半笑いで答えている。

 誤魔化しているようにはとても見えないから、本心なのだろう。


「まさか大岡さんは教師の誰かが痴情のもつれで村井を殺したとでも?」

「可能性の話です。最近はそういう先生も多いですから。ああ、そうだ。それと最後に」


 大岡さんは俺に目配せをしてきた。

 あのペンを出せということだろうか。俺は預かっていたボールペンを平手に乗せて差し出す。


「このペン、先生のではないですか?」

「ん、どうだろう。分からないな。フリクションなんていつも使ってるから。ねぇ岩国先生」

「はい。同じ種類のペンならいくらでもあるし……この一本がどうか、と言われても分からないよ」

「実は事件現場の近くで拾ったものなんです、このペン」

「現場近くにこのペンが落ちてたの? じゃあ犯人の指紋が残ってたりとか」

「そうかもしれませんね。ありがとうございました」


 もう用は済んだとばかりに踵を返す大岡さん。

 俺もそれにくっついて、左近寺先生と岩国先生に礼をして社会科教員室を後にした。

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