#3

 結論からいうと、オフクロの誤解は解けなかった。


 二人分のクッキーを美味い美味いとほぼ全部一人で平らげた大岡さんを部屋から追い出そうとすると、待ち構えていたオフクロは「シャワー浴びてく?」なんて言って。大岡さんは何を思ったのかシャワーに加えて夕飯までウチで食べていった。ずうずうしい女だ。

 こんなだから、誤解は解けなかった。

 否定しようとすればするほど、うんうん、そうよねそうよねって生暖かい目で見てくる。

 大岡さんは一体何を考えているのやら……。生徒会と対決する、なんて言ってたけど。


 大岡さんがウチを強襲した次の日、俺が登校すると、普段はもう教室にいてぐーすか寝ているはずの大岡さんの姿がなかった。

 珍しいな、どうしたんだろう、と思って教室の入り口に立ち尽くしていると


「やぁ、おはよう!」


 後ろから大岡さんに肩を叩かれた。


「お、大岡さん」

「今日も早いねぇ、田山」


 俺の横をすり抜けた大岡さんは、昨日のことなんてウソみたいに、いつもと同じようにすたすたと自分の席まで歩いていき、スッと席につくなり机に突っ伏し、そのまま寝息を立て始めた。

 元気な様子から一瞬で寝られる大岡さんは不思議な人だ。

 ミステリアスな、というと魅力的な女性を表現するときの比喩だけど、どっちかというと大岡さんはもっと違う「何か」な気がする。表情や言動に謎があるんじゃなく、もっと根本的に、存在そのものがキュリアスだ。


 いつものように授業中もぐーぐー、休み時間もすぴーすぴーの大岡さんの様子が変化したのは、お昼休みに入った瞬間だった。

 事件に巻き込まれて、何があったのか根掘り葉掘り聞こうとする、デリカシーを持たないクラスメートたちの追及と、聞きたいけど今はそっとしておいてあげようとする、デリカシーを持ち合わせたクラスメートたちの好奇の視線を捌くのに辟易していた俺の肩を、大岡さんがいきなり掴んだのだ。


「付き合ってくれよ、田山」


 大岡さんの目は爛々と輝いている。

 きっと事件絡みの、生徒会との対決のことだろうな、と思い「うん」と返事をするけど、周りのクラスメートが俺の自宅で繰り広げられた舌戦を知っているはずもない。

 大岡さんの発言は尾ひれがついて、「大岡が告白して、田山はそれをOKした」という根も葉もないウワサが学校中に広まってしまったのは、また別のお話。



  〇  ●  ○  ●  ○



 廊下をずかずか歩いていく大岡さんに、少し後ろからついていく。

 長身黒髪、自信にあふれた表情で肩で風切り歩く姿は、まるで春風が世界を撫でるかのよう。すれ違う生徒は男女問わず大岡さんに振り返ってしまう。

 その後ろを歩く俺は対照的に地味なものだ。「その辺に生えているキノコ」くらいの俺は、雰囲気そのものがじめじめしていて、大岡さんの後ろにいると、まるで春の後にやってくる梅雨のジトジトのようだ。自分で自分の存在に気が滅入りそうになる。


「さあ、ついた。ここだ」


 廊下に面した一室に案内される。大岡さんの引いた引き戸の上には「図書室附室」と「探偵部部室」という2枚の表札が並んで張り付けられている。

 ヒラギノフォントで金属板に彫られた「図書室附室」の文字に対して、木の板(大きさから察するにかまぼこ板だろうか?)にマジックで手書きされた「探偵部部室」はチープだ。

 フィクションに出てくる名探偵の明晰な頭脳を借りなくとも、「あ、大岡さんが勝手に部屋を占領してるんだな」、「探偵部っていうのは生徒会の承認を得ていないのだな」と推理することができる。


「ようこそ、探偵部へ。新入部員は大歓迎だよ」

「いや、俺天文部なんだけど」

「構わないよ。この部屋に入ったら、みんなボクの仲間さ」


 抵抗空しく、俺は大岡さんに肩を押されて「探偵部部室」に押し込まれてしまった。すげぇバカ力だぞこの女。


 部屋の中は金属製のラック、それとうずたかく積まれた段ボールの山。まあ、図書室附室なら当たり前か。たぶん中身は図書館に並んでいて撤去された、あるいはこれから陳列されるであろう本たちだろう。

 窓には段ボールが貼られて日光は目隠しされている。本に紫外線は大敵だ。


「ま、かけたまえ。何もないところだけど」

「本当に何にもないな……」


 段ボールのジャングルをかき分けた先にあったのは、一際大きな段ボール箱を乗せた一台の古びた木製テーブルと、背もたれのない三つ足のパイプ椅子がいくつかだけ。このテーブルも、部活動のためというよりは資料整理のための作業台なのだろう。

 テーブルの一番奥に陣取る大岡さん。俺は角を境に隣り合う位置へ腰を下ろした。


「キミに付き合ってもらったのは他でもない。もうすぐここに、頭の固い生徒会連中が、退去命令を持ってやってくる予定なのだが」

「ん……うん? 話が見えないんだけど」

「全部説明しないとダメか? まどろっこしいな」


 心底面倒くさそうに、大岡さんは今「探偵部」が置かれている状況を話し始めたが、おおむね俺が想像した通りの内容だった。

 探偵部は、大岡さんが勝手に創設し、勝手にこの部屋を占拠しているだけの「ヤミ部活」だ。活動内容は私立探偵の仕事そのものだという。


「まず部を名乗るには兼部していない部員3人、つまりあと一人必要なんだ」

「三人?」

「ああ。ボクだろ、キミだろ」

「いや、だから俺は天文部だって」

「それからそこにいる舞夜まいやで三人だ」

「え?」


 そこにいる、と言われても。部屋の中には段ボール箱しか並んでいない。

 そのマイヤという生徒は一体どこにいるんだ?


「舞夜は今他の部活に入っているが、探偵部設立の暁にはこっちへ転部してもらえるように約束を取り付けてある。だからあとはキミが入れば三人だ」

「だから俺は天文部で……」

「顧問も見つけてある。あとは活動内容の承認が下りれば、晴れて探偵部は生徒会公認の部活となって、正式部室と部費を与えられるというわけだ」

「人の話聞けよ」

「問題なのはその『活動内容の承認』なんだ。生徒会のやつら、『うちの学校に私立探偵なんていりません』なんていうんだよ」

「いや、いらないでしょ普通に考えて」


 平和が高校生活の、どこに探偵の仕事があるというのだろうか。

 そういえば探偵といっても、ドラマや小説に出てくるみたいな、殺人現場に偶然居合わせて「犯人はあなたです!」みたいなことをする人はほとんどいないと聞く。探偵の仕事とは浮気調査だとか、ペット探しとかがメインになるらしい。

 となると高校で探偵の仕事をするならどんな仕事があるというんだろう。

 浮気調査なんてやりたくないし、ペット探しならギリあるか?


「なんだい、『高校生活に探偵の仕事なんてないだろ』みたいな顔をして。キミはもう忘れてしまったのか、一昨日の事件をさぁ!」

「……村井先輩のこと?」

「そうだよ。まさしく探偵部のデビューを飾る、華々しい事件だとは思わないかね!」


 思わない。いや、思えない。

 俺は別に村井先輩と特別親しかったわけじゃないけど、知り合いではあった。そんな村井先輩の死を「華々しい」なんて表現するのは、俺には無理だ。

 人が死んだんだぞ。それをまるで、街で芸能人に会ったみたいに嬉しそうに語る大岡さんは、頭がイカレてるとしか思えない。


「む、ウワサをすれば。どうやらおいでなすったようだぞ」


 俺が大岡さんに苦言を呈するより早く、ぞろぞろと廊下を歩く団体の足音が近づいてきて、図書室附室の前でぴたりと止んだ。がんがん、とノックする音から一呼吸置いて、ガラリと開かれた扉からぞろぞろと制服姿の生徒たちが探偵部部室(仮)の中へ雪崩れ込んできた。


「おやおや。今日は生徒会長自らお越しとはねぇ。参ったな、湯飲みが足りない。回し飲みでもするかい?」

「俺はお前の下らない妄言を聞きにきたわけじゃない」


 制服姿の生徒たちの先頭に立っているのは、逗浜西高校生徒会会長、富士丘ふじおか啓志ひろしであった。


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