#2


 中庭で死んだ生徒は、村井むらい零子れいこ先輩だった。

 学年は3年、部活は女子バスケットボール部。地区大会を終えてつい二週間ほど前に引退したばかりの先輩だ。たしかK大学の経済学部志望とか言ってたか。


 なんで村井先輩にそんなに詳しいのかって?

 そりゃ、天文部の部長、熊谷先輩と村井先輩は付き合ってて、村井先輩はよく部室にも遊びに来てたからね。先輩に命令されて無理やり女子バスケ部の応援に駆り出されたこともある。

 どんな人か、と言われたら。綺麗な人だった、というのが相応しいと思う。

 髪は校則違反にならない程度に少し染めてて、茶色がかっていた。でも遊んでるとかそういう雰囲気はなくて、むしろ親しみやすさを感じさせる。

 あの熊谷先輩とどんな因果で付き合うに至ったのかは、もはや解明することのできない謎だ。



 村井先輩が亡くなった次の日、俺は逗浜西高校に現れた警察からいろいろと事情聴取をされた。

 当然、何もかも正直に話した。謎の「O.M.」なる人物から手紙をもらったこと。その手紙に従って屋上で月を見ていたこと。そこに何故か現れた大岡さんと手紙の取り合いをしているうちに、村井先輩が中庭で死んでいるのを発見したこと。

 大岡さんとは別に聴取されたけど、ほぼ同じ証言を大岡さんもしたようで、午後には解放された。

 でも、学校に行く気にはぜんぜんならなくて、俺はまっすぐ家に帰った。


 村井先輩が、死んだ。

 自分の部屋で布団に潜ると、昨日の光景がありありと目の前に映し出される。

 知り合いが死ぬと、こんな感じなのか。

 別に好意を持っていたわけじゃない。Loveじゃない、Likeのほうの、と言われればイエスと答えられる。天文部の部室で、熊谷先輩を待っていた村井先輩。村井先輩みたいな彼女のいる熊谷先輩は羨ましいって、ちょっと思った。だからって、自分が熊谷先輩と村井先輩を取り合うような度胸なんてなくて、二人を遠くから見ているだけだったけど。

 笑顔がステキな人だった。あの笑顔を見ることが永遠に叶わないと思うと、心の中にぽっかりと、ぼんやりした空間が生まれたみたいな感じがして、頭がくらくらする。

 一旦寝よう。

 失われたものは戻らない。今の俺に出来ることは、村井先輩の冥福を祈ることだけだ――――


「……いやに辛気くさい顔をしているねぇ」


 !!?


 声に驚いて、俺は布団から顔を出した。


「大岡さん⁉」


 俺のベッドの前に仁王立ちをして、大岡さんは腰を曲げて俺のほうを覗き込んでいた。

 昨日の夜見た制服姿のままだ。大岡さんは普通に学校へ行ったのかな。


「ふふふ。驚いているね。なんでボクがここにいるのか分からない、という顔だ」

「当たり前でしょ。どうやって家に入ったの」

「決まってるだろ、玄関からさ。チャイムを鳴らし、防犯カメラに向かって瞳を潤ませながら『斗和はいますか?』と聞いたら、キミのお母さんったら満面の笑みでボクを迎え入れてくれたよ」

「ウチの防犯意識、低すぎ……」

「なに、簡単な推理さ。キミは『O.M.』からのラブレターをもらって舞い上がっていた」

「舞い上がってないけど?」

「隠しても無駄さ。キミは生まれてこのかた彼女の一人もいたことがない。あるいは好意を寄せている女性はいるが、叶わぬ恋をしている、ないししていた」

「どうしてそんなことが分かるんだ」

「女子にモテる男子というのは、屋上で女子を待つ言い訳なんて考えないよ。だって彼ら彼女らにとって恋というのは日常であり、当たり前にそこにあるものなのだから。屋上で女子を待つなんてシチュエーションに、気恥ずかしさを感じる理由がない。

 一方彼女いない歴=年齢の恋愛弱者、クラスの女子からは道端に生えているキノコくらいにしか思われていないキミはラブレターをもらって舞い上がって、呼び出し場所に行くつもりになった。だがバカ正直に屋上で女子を待つというのはプライドが許さない。

 そこでキミは、天文部員という立場を利用することにした。自称硬派で、彼女なんていらない、って空気、否、胞子を普段から出してる手前、俺は待ち合わせ場所に行くのではなく、月の観察をしにいくだけなのだ、と自分に言い聞かせてね。

 たかが恋一つに言い訳を求めるのは、モテない奴の証さ」


 俺ってクラスの女子から道端のキノコくらいにしか思われてなかったのかよ。


「だからボクはキミのカノジョのフリをした。モテないキミのことだ、たとえ恋人ができていても、両親には言わないだろうし、両親のほうもそれを分かっているはずだ。ボクが恋人のフリをしたってバレる可能性は限りなく低いし、両親は突然現れた息子の恋人を熱烈歓迎してくれるだろうってね」


 あとで誤解を解いておかないと。誰がこんなのと付き合うもんか。

 いや、否定すれば余計にオフクロの誤解を招いて拗らせる可能性もあるな……どうしよう。


「今、下でクッキーとジュースを用意してくれてるみたいだね」

「食べたら帰ってよ。今話す気分じゃないし」

「そうはいかないよ」


 大岡さんは俺のベッドに手を伸ばし、布団を掴んで剥がしにかかる。

 俺はそれに抵抗し、布団を剥がされまいと両手で掴む。力自慢ではないけど、俺だって腕力は男子の人並みくらいはあるはずなのに、俺と大岡さんは拮抗している。


「昨日のっ、事件っ、覚えてっ、いるだろっ!」

「……忘れる、わけない!」


 目の前で人が死んだ。

 死体を見るのも、死の瞬間を見るのも、あれが初めてだった。


 テレビで見る死人というのは、みな安らかな顔をしている。

 でも、現実の死体はもっとグロテスクで、表情は強張って、無念さをこっちに刻み付けようとしてくるみたいだった。


「協力っ、してくれよっ!」

「何をっ」

「証言だ。ボクの証言を、キミが保障してほしい!」

「警察の聴取ならっ、受けただろっ!」

「警察じゃない。生徒会との対決のためだっ」


 生徒会と? 対決?


「キミも知ってるだろ、ボクが部活動の是非をめぐって生徒会と敵対してるってこと!」

「いや、知らないけど……」

「あれ、言ってなかったっけ」

「聞いてない」

「じゃあ今知ったね。そういう事情だからっ!」

「どういう事情なんだよ!」


 ぎい、と部屋の扉が開く。


「斗和、ジュース持って……。あ」


 オフクロ、最悪なタイミングで入ってきたな。

 俺と大岡さんが布団を取り合って、ベッドの上でもみくちゃになっている、そのタイミングで。


 俺も大岡さんもオフクロも、この部屋だけ時間が止まったみたいだった。

 ゆっくりと、逆再生のようにオフクロは下がり、部屋の扉がバタンと閉じる。


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