オオカミさんは月下に吠える

雲隠凶之進

Ever Lasting Full-Moon Night

#1




 月が綺麗だ、なんて思っているのは、本当の「月」を見た事がない人間だけだ。



 直径3500キロ、高度40万キロ。重力は地球のおおよそ1/6。地球のまわりを27日と7時間43分で一周回っている。

 地球以外で人類が唯一その表面に降り立ったことがある天体。それが月だ。


 昔の人は月を神様だとか天国だとか言ってたけど、今は違う。

 望遠鏡で見てみたらどうか。月には大気がないから、降り注ぐ隕石はそのまま直撃する。だからクレーターで凸凹して、さらにはそれが溶岩で埋められた――――いや、お経みたいな地学の授業はやめよう。早い話が、月は全然綺麗じゃないんだ。


 あんなもののどこがいいのやら。天体望遠鏡を覗き込み、月のクレーターをスケッチする。

 満月の夜は光が強すぎてあんまり表面が観察できない。早々にスケッチは投げ出して、俺は校舎の屋上に寝転がった。



 …………暇だな。

 暇に任せてここら辺で自己紹介でもしておこう。

 俺の名前は田山たやま斗和とわ。県立逗浜とうはま西高校に通う、ごく普通の高校2年生だ。

 普段は閉鎖されて入れない夜の校舎、しかも屋上になんで寝転がっているのかというと、俺が天文部員だからだ。今日は「月の観察」という名目で先生から活動許可をもらい、ここで天体望遠鏡を立てて部活動に勤しんでいる。


 いや、天文部なら今日、こんな満月の夜に月をスケッチしているのはおかしい。

 確かに夜の校舎に入る許可をもらえたのは俺が天文部員だったからだけど、月をスケッチしていた目的は別にある。


 スラックスのポケットをまさぐり、「目的」を取りだす。

 薄いピンク色、飾り気のない封筒とそこにおさめられた便箋。一昨日俺の下駄箱に突っ込まれていたものだ。おもむろに開いてみると、極細ボールペンで書かれた文字が目に入る。



「綺麗な月を、貴方と見たい」



 ただ一言、ど真ん中にそう書いてある。後は「明後日(つまりは今日のことだ)、屋上で待ってます O.M.」と右下に小さく書かれているだけ。

 O.M.とは、差出人のイニシャルだろうか。俺の周りにいる「O.M.」といえば――――ああ、アイツしか考えられない。


 大岡おおおか美穂みほ。うちの高校に半年ほど前に現れた転入生だ。

 彼女の素性は一切が謎だ。名前と容姿以外に分かっていることといえば、昼間の授業中はほとんど寝ているのに勉強は完璧なこと、一人称は「ボク」であること、それから、生徒会と何らかの理由で敵対関係にあるということくらいである。

 俺との接点も、偶然隣の席になったということくらいしかない。まあ、隣の席になってしまったせいで、居眠りをする大岡さんをたたき起こす係にされているっていうのはあるけど。

 謎の手紙……ラブレター、というにはあまりにもお粗末なその手紙の差出人は、大岡さんなんだろうか。ふと、匂いを嗅いでみる。深い意味はない。イヌじゃないんだから、匂いなんかで差出人が分かるわけない。


 手紙からはいい匂いがした。

 何だろう、花の香りかな。女子って、大岡さんってこんな匂いなんだろうか――――


「……なーにしてるんだい、こんなところで?」


 手紙を払いのけると、一人の女子生徒が俺の顔を覗き込んでいた。

 垂れ下がった黒い髪。鼻筋の通った顔。虹彩は少し青みがかっていて(カラコン?)、月明かりの下では口元から覗く歯は大理石のように白い。

 大岡さんだった。


「お、大岡さん⁉」

「ボクが季節外れのサンタクロースにでも見えるかい?」


 むくり、と体を起こす。

 大岡さんは制服姿だった。俺が屋上にあぐらをかくと、大岡さんは俺の前にしゃがんで向かい合った。

 クソッ、目のやり場に困る。なんでウチの高校の女子制服はスカートなんだよ。


「キミはこんなところで、何をしているのかなぁ?」


 大岡さんが、青い瞳でじっと俺を見据えている。

 あの目の鋭さ。背筋まで刺し貫くような大岡さんの視線には、理屈じゃない恐怖を感じる。体の奥底からサイレンが鳴り響くように、耳がキンと遠くなる。

 まるで木陰から獲物を狙う肉食獣みたいだ。狙われたこっちは怯えてすくむしかない。


「……て、手紙、もらった、から」

「手紙って、まさかコレかい?」


 俺を挑発するように、大岡さんがピンク色の紙を摘まんでヒラヒラさせている。

 取り返そうと突っ込む俺はまるで闘牛だ。マタドールと化した大岡さんは、ひらりひらりと軽快な動きで俺を避ける。


「『綺麗な月を、貴方と見たい』。ハハッ、まるでラブレターじゃないか」

「返してくれよっ!」

「何も隠すことないじゃないか。キミはこの『O.M.』なる人物から呼び出されて、ここで待っていたワケだろう?」

「そう、そうだけど……!」


 差出人はお前か!と言いたくなるのを堪える。

 そんなこと言ったらまるで、俺が大岡さんにラブレターを貰って舞い上がってる奴みたいじゃないか。


「一体誰がこんなものを出したんだろうねぇ」

「知らないよ! いいから返して!」

「やだね。これはなかなか、利用価値がありそうだ」


 屋上の柵に寄りかかった大岡さんは、手紙をめいっぱい伸ばした手で掴んで、今にも下へ落としてしまいそうだ。俺はそれを阻止しようと手を伸ばすけど、大岡さんは笑いながら、からかうように手紙を振り回す。

 返せ、やだね、のやりとりをしばらく繰り返していた俺たちだったけど、その取り合いも長くは続かなかった。


 どさっ。


 何か、重いものが地面に激突する音がした。

 砂嚢? いや、こんな夜更けに? 俺と大岡さんは、ほぼ同時に屋上から下を見て、ほぼ同時に固まってしまった。



 中庭に生徒が倒れている。それも、頭から赤い血を流して。

 こうして俺と大岡さんは、転落死体の第一発見者となったのだ。

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