第25話 裏門

 珱煌は帰り際に「また菓子を振舞おう」と手を振った。

 それに対して梓春は、もっと珱煌手作りの月餅を食べたかったので、「是非!」と強く頷いた。


 そして、正面の門から堂々と鶺鴒宮を出て、綵月宮に帰ってきたのだが。


「綵妃さまー?」

「ハイ……」


 芹欄が腰に手を当てて、ぷりぷりと怒っている。

 梓春が門をくぐった途端、帰宅に気づいた芹欄はドタドタと駆けてきた。「外は冷えるので」と取り敢えず中に連れられたのだが、芹欄の眉がつり上がっている。


「主上のお屋敷に行っていたそうで? それなら、どうして言ってくれないんですか!」


 「心配したんですから」と怒る芹欄に「ごめんなさい」と謝る。もしかしたら、今朝から探してくれていたのかもしれない。申し訳ない。


「綵妃様は覚えてないかもしれませんが、少し前だって……寒い中一人でどこかへ行って、そのまま倒れてしまったんですよ? 綵月宮の前だったからいいけれど、離れていたらと考えるともう恐ろしくて死んでしまいそうです!」


 そんなことがあったのか。綵妃も意外とお転婆だったのかもしれない。芹欄には心配をかけてばかりだ。


「ごめんなさい、気をつけます……」


 申し訳なさに俯いた梓春の頭は、ますます下がっていく。


「その……夜芽は……?」

「夜芽は朝から服飾の方へ出向いていますよ。来月の主上の誕生祭に向けて、新しい襦裙を仕立ててるんです」


 珱煌も一月後に十八になると言っていた。皇帝の誕生祭、さぞかし厳かで豪華なものだろうと想像する。あれ、もしかしなくても綵妃も出席するのか。まあ、するか。妃だから。


「贈り物、どうしよう」

「そろそろ用意した方がいいですねえ。刺繍の手巾なんてどうでしょう」

「刺繍……手巾……ははは……」


 妃としては王道なのだろうが、梓春は今まで裁縫などしたことが無く、絶対に上手くできない気がする。さて、どうしたものか。まあでも、まだ時間はあるし……。


「あー、もうすこし後で考えるわね」

「そうですか。……って、今日のこと誤魔化してませんか!?」

「えっいや、そんなことは……はは……」


 芹欄には頭の上がらない思いだ。綵妃はつい最近まで病弱だったのだから、心配性になるのも無理は無い。次からはちゃんと心配させないように行動しよう。


「そういえば、七日後に五妃会があるみたいね」

「あっ、綵妃様もお元気になられたので、もう参加できますよね。すみません、失念していました……」

「大丈夫よ。気遣いありがとう」

「いえ。今回の五妃会は璉妃様の璉萃宮で開かれます。いつも通り、璉妃様、華妃様、雀妃様は参加されるそうですが……蕓妃様は今回も来られないと思います」

「そうなのね」


 梓春は華妃以外には会ったことがない。梓春が警備担当の際に、璉妃と雀妃が碧門を通ることは何度かあったが、その中に居る妃の人となりは知らなかった。

 たしか、璉妃が最年長で雀妃は最年少であった。そして、綵妃のひとつ上、十八歳だ。


「芹欄、蕓妃について何か知ってる?」

「それが……私も一度もお会いしたことが無いんです。もう入内から一年経っているのに」


 華妃も蕓妃についてはよく知らないみたいだった。入内時に名前と年齢は玲瓏殿全体に伝達される。だから、甘玉溟カンギョクメイという名と、綵妃より一つ歳上だということだけは知っている。しかし、まあ不思議な方だ。


「それで、五妃会は七日後ですね。行かれますか?」

「ええ」


 変な振る舞いをしてしまわないか心配だが、元気になったのに行かないというのもおかしいし、他の妃たちのことも知りたい。

 それに、このまま綵妃として生きていくならば、妃たちとの親交は深めておいた方がいいだろう。第二の人生はもう始まっているのだ。


***


「今日はやけに月が明るいなぁ」


 梓春は寝台に横になりながら、丸い格子窓の外を眺める。夜闇に包まれているのに、月明かりがキラキラと差し込んできた。


 そういや、最近は綵妃の夢を見ない。最後に夢を見たあの日から、頭痛がすることも、綵妃の姿を見ることも無くなった。本当に遺言だったのかもしれない。


「少し風に当たるか」


 すっかり目が冴えてしまったので、寝間着のままくつを履いて外に出る。

 庭の腰掛けに座ると、肌を撫でる夜風が心地よい。柔らかな髪が揺れて、ゆりかごに乗っているような気分だ。


「ん……?」


 西の棟、侍従が住む殿舎の方からキィッと扉を開く音が聞こえた。

 こんな夜遅くにどうしたんだろう。そのまま様子を眺めていると、扉の奥から人影が現れた。


「あれは……」


 桃色の服におさげの髪。暗くてはっきりとは見えないが、シルエットからして夜芽だろう。

 夜芽のような人影は扉の前でキョロキョロと周囲を窺い、そして何かを手にしたまま早足で裏門へと回っていく。梓春には気が付かなかったようだ。


 一体なぜ、裏門に?

 疑問に思い、梓春はこっそりと逆方向から裏門へ回る。音を立てないように棟の影に隠れて夜芽を探すと、裏門からもう帰っていくところだった。


 随分と短い用事だ。そう思い、影が去ったのを確認した後、梓春は裏門を観察する。裏門の扉はピッタリと閉じられている。が、何故か鍵は掛かっていない。

 梓春が綵妃と入れ替わってから、裏門を使ったことがなかったから気が付かなかった。

 妃の宮にしては不用心じゃないか。裏から侵入された時はどうするんだ。


「うーん……」


 夜芽はこの裏門を通して誰かに会っていた? しかも、こんな夜中に。

 慎重に周囲を確認する素振りからして、梓春や芹欄にはバレたくないような様子だ。


「怪しいな……しばらく様子を見てみよう」


 梓春はそのまま静かに自室へと戻った。どうやら、夜芽も自分の部屋へと戻ったようである。

 明日夜芽に聞くこともできるが、しばらくは胸の内に留めておいた方がいい。まだ夜芽のことはよく知らないし、あまり個人に踏み込むのも気が引ける。


「結局、眠れなくなってしまった」


 もやもやとした思いを抱えたまま、梓春は無理やり目を瞑るのであった。

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