第23話 鶺鴒宮

「ここが鶺鴒宮……」


 以前、夜に抜け出した際、遠目から鶺鴒宮を見たが、いざ正面に立つと厳かな佇まいに気後れしてしまう。


「正面から入っていいものなのか……?」


 ギギッと後ろを振り向くが、両手の裾を合わせてすっかり侍従になりきっている珱煌は、何故かニコニコと笑顔のままである。

 ここまで来たのはいいものの、いざどうやって入ればいいのか分からない。そこは主上がなんとかしてくれと言いたい。


「綵妃様、ですよね? 何か御用ですか?」


 鶺鴒宮の入口に立っていた守衛が梓春に気づき、声をかけてくる。


「ええっと……その……」


 まずい、何を言えばいいのか分からない。

 衛兵は、梓春の後ろにいるのが珱煌だとは全く気づいていない様子だ。「実はこの男が皇帝で、ここまで案内されて来たんです」などと言えるはずもなく。

 衛兵は梓春の様子に首を傾げる。そのとき。


「あっ」


 宮の中から雨宸が、やや冷ための無表情でカツカツと歩いてくるのが見えた。

 雨宸、助けてくれ! そう心の中で、まだよく知らない皇帝の側近に対して祈っていると、雨宸は守衛に手で合図をする。


「綵妃様は主上がお招きしたのだ。ここは私に任せろ」


 雨宸はそう言って、静かに梓春を、否、梓春の後ろにいる珱煌を睨みつけた。表情が乏しいから分かりにくいが、きっとこれは睨んでいるに違いない。


「雨宸殿、ありがとうございます」


 守衛は奥に下がり、梓春はひとまず雨宸に礼を言う。


「いえ、お構いなく。さあ、中へどうぞ。……後ろの"侍従さま"も」


 少しトゲが含まれていたように感じるのは、気のせいだろうか。梓春はごくりと固唾を飲んで雨宸についていく。鶺鴒宮に足を踏み入れる日が来るなんて。



「はぁ……また勝手なことを。あの方に怒られますよ。この前だって無理やり「大丈夫だって」……主上、もう少しご自分の立場を理解してください」


 雨宸に小言を言われた珱煌は、ムスッと頬をふくらませて分かりやすく拗ねた顔をする。しかし、雨宸には効いていないようだ。


 鶺鴒宮の中は意外にもガランとしていた。余計な侍従がいない。梓春が応接間に辿り着くまでに、守衛が数人と女房が数人いたのを見かけたくらいだ。

 今この場にいるのは梓春と珱煌、雨宸の3人だけである。梓春と珱煌は卓を挟んで向かい合って座り、雨宸は珱煌のすぐ後ろに立っている。


「あの、こんなに堂々と私が来てもよかったのでしょうか」

「構わない」

「皇太后には……」


 雨宸が言っていた"あの方"は、皇太后のことであると推測する。

 妃との関係を禁じられていたのに、先日は押し切って綵月宮に訪れ、今日は白昼堂々と綵妃を自邸に招いたとなると、皇太后はさぞかし怒っているだろう。


「もう、あの人の言いなりになるのはやめだ。私も一月後には十八になる。……そろそろ頃合だろう。この国の皇帝は私なのだから」


 珱煌は頬杖をついて、窓の外を眺める。その言葉には自分に言い聞かせるような感じが含まれていた。

 珱煌が十八になれば、全ての権限が珱煌に移る。今権勢をはっている皇太后は名だけのものになる。二人の間には梓春の知らぬ確執があるようだった。


「雨宸、義母上は最近どのようにお過ごしだ?」

「言ったでしょう。言うことを聞かぬ主上に対してお怒りだと。大臣たちにも悪評をばらまかれていますよ。瓉煌様の方が優れていると言い張っています」


 俺が聞いていい話なのだろうか。目の前で話されては耳を塞ぐ訳にもいかず、梓春は珱煌と雨宸の問答を黙って聞いていた。


 元第三皇子・瓉煌サンコウ。聞くところによると彼は十六で、珱煌とはひとつしか変わらない。そして皇太后の実子でもあった。

 昔は当然彼が皇太子になるだろうと言われていたのだ。


 梓春は珱煌も皇太后の実子であると思っていたから、彼が皇帝になったことにもあまり疑問は抱かなかったが、今考えてみれば内情を知る者からすればおかしい話だろう。離宮暮らしの側室の子が皇帝になるなど。

 皇太后との確執は、この部分に起因するのだと思う。


「ふん、言わせておけ。父上は私を選んだ。私は選ばれたからには皇帝としての責務を全うするつもりだ。今更、他の者に譲る気はない」


 珱煌は存外強気だ。自分に自信も持っている。梓春にとっては、弱気な主君よりもそちらの方が好ましい。仕えがいがあるから、今後もその調子で居てもらいたいものだ。


「この話はここまでだ。雨宸、あれを持ってきてくれ。私が今朝作ったやつだ」

「承知しました」


 何かを頼まれた雨宸は、部屋の外へと下がっていった。


「あれとは?」

「ふふ、待っていろ」


 首を傾げる梓春に対して、珱煌は楽しげに笑った。

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