夜焚きに至る-よたきにいたる-【短編】

河野 る宇

夜焚きに至る-よたきにいたる-

 ──梅雨も明け、これからうだるような暑さに耐える日々が続くと思うと、溜息しか出ない。

 炎天下、住宅街は暑さのためか、人影の一つも見当たらない。家々の庭に植えられた木々からは、蝉のけたたましい鳴き声が響き渡っている。

 俺はふと、草が刈り込まれた空き地に目をやる。

 半年ほどまえ、ここには二階建ての家が建っていた。十年以上も前に住人が忽然こつぜんと姿を消してから、誰も住んでいなかったと近所のおばさんが話してくれた。

 老朽化が激しく、そんな話も合わせてか変な噂が立ち、それがSNSで広まってしまい肝試しだと言って不法侵入が絶えなかった。

 仕方なく役所だか自治体だかが一旦、解体費用を肩代わりして取り壊す事になった。

 予想はしていたが土地の持ち主は見つからず、解体費用の回収は無理だろうと町民たちは落胆した。

 家の中にあった、お金に出来そうなものを集めても、かかった費用としては雀の涙程度でしかなかったそうだ。



<やっほー! 元気してる?>

「お前も元気そうだな」

 携帯から聞こえてくる久しぶりの妹の声に、変な笑いが口から漏れる。二つ年下の妹は、高校を卒業したら地元で就職した。

<まだバイト?>

「ああ。残念ながらなー」

 就職出来てたら真っ先に親に報告してる。

<大変だねえ>

「おまえこそ、そっちにいて楽しいのか? こっちに来ればいいのに」

 可愛いのだから、モデルで人気者になれるのにと残念がっている俺をよそに、本人は興味がないのかヘラヘラしている。

<楽しいよ~。私のことより、兄さんはどうなの>

「まあ~……。のんびりやるさ。それより、母さんたちはどうだ?」

 俺は成人してしばらくは地元で働いていたが、一年前にこの町に越してきた。

 田舎から上京し、家賃の高さに愕然として都心から少し離れたこの場所を選んだ。

 人口が多いのだから何かしら仕事はあるだろうと、半ば着の身着のまま電車と新幹線を乗り継いで東京に辿り着いたが、色んな意味で想像以上だった。

 特に理由もなく上京した身としては、とにかく働かなくてはならない。就職活動を続けながら、レストランの厨房で調理補助としてバイトしている。

 人手不足で仕事はあるはずなのに、受からないことが謎だ。



 バイト先のレストランが定休日の水曜日、余計な金もない俺は涼しさを求めて駅の近くにある、町の図書館にでも行こうかと住宅街を歩いていた。

 そんな折、なんともなしに例の空き地に目が留まる。

 なんだろう。敷地の真ん中に小さなくぼみが、いつの間にか出来ていた。猫か犬が掘ったのだろうか。それとも、近所の子供が入り込んで掘り起こしたのか。

 木製とはいえ、大人では入れない隙間と高さの囲いだから、やるなら動物か子供だろう。

 まあ、大した事でもないか。俺は気にせず、その場から離れた。



 それから数日後、バイトの帰り二十一時を過ぎたあたりだろうか、前に見たときよりも空き地の穴が大きくなっている事に気がついた。

 なんだ? 同じ場所を掘り続けているのか?

 初めに見たときは丼鉢どんぶりばちくらいの大きさだったのに、深さまでは解らないが、人がひとり、すっぽりと入るくらいのサイズになっている。

 掘り始めたことで意地にでもなっているのだろうか。

 子供の頃は、くだらないことでも意地になって続けた記憶があるが、ここにもそんな子供がいるんだなと、さして気にすることなく過ごしていた。

 しかし、それから数週間が経った頃に、変な噂が町に流れ始めた。

 ──深夜、あの空き地に黒い影がぼうっと立っていて、通りかかった人に手招きをする──というものだ。

 廃屋があった頃は、夜中に幾つもの青い炎が浮いていて、それを見た者は行方不明になるというものだった。

 それとはまた違う怪談話が、同じ場所で発生するとは、人間の想像力はたくましいなと感心する。



 日曜日、仕事も休みでコンビニに昼飯の弁当を買いに行った帰り、空き地の向かいにある家の前にパトカーが数台と救急車が駐まっていた。

 黒と黄色のストライプに、立ち入り禁止と書かれたテープで道路の半分くらいに規制線が張られた内側に、制服警官が数人いた。

 家の中には、もっと沢山の人がいる事が外からも窺える。

 一体、何があったのだろうと規制線の前にたむろしているおばさんたちの声に、少し離れた所から聞き耳を立てる。

「なに、泥棒?」

「物々しいわね」

「強盗とかだったら怖いわ」

 すると、青いビニールシートにくるまれた縦長の何かが、担架で運ばれてきた。注意しながら門の前にある三段の階段を降りて、救急車に運び込まれる。

「やだ。三つって」

「うそ……。家族みんな?」

「お子さん、まだ小さかったんじゃないの?」

 おばさんたちが、痛ましい顔をしながら小声で言い合う。

 どうやら、家族全員が死んでいるようだ。無残な出来事に俺は、なんともいえない気分になった。

 しばらくすると、制服警官がおばさんたちの所にきて「すみません。この家の方を知っている人、仲が良かった人、よく見かけていた人は、お話を聞かせてもらえますか?」

 家族について聞き込みを始めた。俺はまったく面識がなかったため、そのまま家に帰ることにした。

 それから数日が過ぎ、「あらあ、こんにちは。いまからバイト?」

「あ、はい」

 噂好きのおばさんにつかまった。愛想笑いで軽く会釈すると、話したくて仕方が無かったのか開口一番、あの事件について勝手に喋り始めた。

「あそこの奥さんと仲の良い女性が訪ねて行ったら、玄関ドアが少し開いてたんですって。呼び鈴を何度鳴らしても返事がないのに、変だなーと思って入ったら……」

 おばさんは、あとの言葉を切って、すくめた肩をぶるると震わせた。

 その女性が見た光景は、あまりにも凄惨だったそうだ──台所で奥さんが、リビングで旦那さんが、子供部屋で息子さんが──それぞれに亡くなっていた。

 それも、何かとても怖いものを見たような凄まじい恐怖の面を貼り付けて、あちこちから血を吹き出して倒れていた。

「それでねえ」

 それだけでも怖いと思えるのに、おばさんの口からはさらに恐ろしい話が紡がれた。

 おばさんは顔を近づけて、俺の他は誰も聞いていないのに、小声でささやくように「みんな、窒息して亡くなってたらしいのよ」

「え?」

「苦しそうに首をかきむしってて、干からびてたんだって。体中の水分がほとんどなかったみたいよ」

 あまりにもの形相に、刑事たちも驚いて思わず後退あとずさったとか。

「事情を聞くために彼女の家に行った刑事さんたちね。発見したときの状況を聞き出すのも大変だったらしいわよ」

 第一発見者の女性は、とにかく怯えきっていて、今も家から一歩も出てこず引きこもっている。

「そうなんですか」

 そんなに怖い光景だったのかと、聞いた俺はゴクリと生唾を飲み込んだ。おばさんは話した事で満足したのか、すぐに家に戻っていった。

 そうして、門の柱に規制線の張られた家には視線を向けず、空き地の穴をぼんやり眺めて足早に通り過ぎた。



 早く就職したいと考えながらのバイトの帰り。いつもの夜道だが、あの場所が目に入って足が止まる。

 しかし、ここを通らなければ少し遠回りになってしまう。

 街灯は更地さらちを薄暗く照らしている。空き地と一家惨殺の家に挟まれた道を通るのは、気が滅入るというものだ。

 バイトで疲れている身で遠回りなんて冗談じゃない、早く帰ってゆっくりしたい。仕方なく意を決して歩き出す。

「──え?」

 見ないようにしていたのについ、空き地に目が向いてしまった。

 俺は目を疑った。薄暗い街灯に硬い土がぼうっと照らされて、そこに何かがいる。

 真ん中に空いている穴は真っ黒で、その上に黒い影が立っていた。いや、ゆらゆらと浮いていた。俺の身長より高く、百九十センチくらいはあるだろうか。

 それを見た途端、俺の足は道路に固定されたように動かなかった。

「やばい……。やばいやばいやばいやばい」

 あまりの恐怖に、無意識に声が出る。黒い影は穴から離れて、浮いたままこっちに近づいてくるじゃないか。

 震えが止まらない。立ちすくんでいると、黒い影は俺の数十センチの距離まで詰めてきた。

「ひっ──!?」

 おかしい、真っ黒い影なのに、ぽっかり空いた二つの穴は、真っ黒い目なのだと解る。

 だめだ、目を合わせ続けるのは危険だ──俺はなんとか逃げようとしたが、やはり足はいっこうに動かない。

 黒い影はさらに顔を近づけてくる。息づかいまでもが聞こえてきそうだ。

「く、来るなよ」

 恐怖で上手く呼吸が出来ない。何をされるのかと握った拳に力を込めたそのとき、足が後ろに動き出した。

 やった、逃げられる! そう思った瞬間──嘘だろう!? あの家に向かっているじゃないか!

 俺の体は、黒い影に押されるように、どんどん家に近づいている。そうだ、なんで警察の見張りがいないんだ。もう調査は終わったって事なのか?

 慌てているあいだも足は階段を後ろ向きのまま上り、門が独りでに開いていく。張られていた規制線のテープが切れた感覚に、俺は声にならない叫びを上げた。

 玄関ドアまでもが勝手に開いて、とうとう俺は不本意ながら家に踏み入る事になった。もちろん靴なんか脱げる訳がない。

「なんで──っ」

 なんで影は、俺をここに追い込むんだ!? 影はまだ迫ってきて、俺は廊下を後ろ向きで進む。

 廊下の中ほどに差し掛かったころ、人間の頭ほどもある、ほのかな青い光を視界の端に捉える。

 それは一つだけじゃなく、俺の周りを幾つも囲んでいた。なんだこれはと思ったとき、俺はハッとした。

 空き地の前にあった廃屋の怪談話──あの青い炎がこれなのか? ああ、そうだ。これは光じゃない、炎だ。

 ゆらゆらと、ロウソクの炎のように揺れている。どうしてこんなところに?

 ふいに、取り壊された廃屋では、肝試しの奴らは行方不明者がほとんどだか、数人は死んで見つかったと近所のおばさんたちが言っていた事を思い出す。

 ここの家族は、恐怖を貼り付けた顔をして死んだ。異なるように思えるが、実は同じなんじゃないのか。何故だかそう思える。

「はっ……。はっ……」

 小刻みに吐く息が白い。まるで、真っ黒い目から冷たい冷気が足元に流れているようだ。黒い影の恐怖に息も絶え絶えになりながらも、俺は思考を必死に巡らせた。

 横目に、少し開いている障子の隙間から和室が見えた。ほんの数センチの隙間から、何かがこっちを見ている。

 なんだ? 誰かいるのか!?

「た、助けてくれ!」

 振り絞り助けを求めたが、それもすぐに無駄だと悟った。そう、こちらを見ている誰かは、と気づいたのだ。

 生気の無い顔の、その首元には幾筋ものひっかき傷があった。

「そんな──!?」

 なんで俺がこんな目に!? こいつは、家がなくなったから、こっちに移ってきたのか? そのために、ここの家族を!?

 そうだ、行方不明と死亡者の違いはなんだ? なんなんだ!?

 思考がぐるぐるとして、まとまらない。どうすればいいのか解らず、歯をカチカチと鳴らしていると、頭の中に

「選ばれたかどうかだ」──聞き覚えのない男の声が響いた。いや、男なのか女なのか、そもそも人間なのかすら今の俺には判別出来ない。

 俺は、どれくらい影に見つめられているのだろう。青い炎は増えて、俺のまわりを揺らめき、何も言わない影の目が何かを語っているように思えた。

 何故か「ああ。そういうことか」と妙に納得していた。そして同時に、絶望が心を満たしていく。

 何も出来ない俺を見つめる黒い影が、もう逃げられない、お前は終わりだと笑っているように感じた。

「──っ」

 まぶたを硬く閉じた刹那、家族の顔が浮かんだ。しかし、それすらも闇の底に吸い込まれるように、俺の意識は人でない何かに食われていく。

 俺は選ばれたのか、選ばれなかったのか、どちらなんだろう──すでに恐怖も越えて、俺は安らかな終わりに身を浸した──





    終

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