最終話  喪失~約束




あの決意の日から六か月が経とうとしていた。








それまでの日々から一変したリュグにとっての地獄の日々。



彼女から受ける猟奇的かつ、狂った想いの籠った偏愛と狂気に染まった

表情で毎夜毎夜、繰り返されるリュグへの拷問と虐待。

暴力と言う名の盲信の愛欲。

互いに互いの身体を傷つけあう日々。


彼女に怯え、時に許しを求め、泣き縋るリュグの悲痛な叫びと苦痛と絶望。

そんな毎日の繰り返しに彼女の心は悲鳴をあげていた。



本当はリュグを傷つけたくない。

愛する人の苦しむ姿は見たくない。



あの家を出てリュグと子供達を連れてこの国から離れた、

何処か遠い安全な所に行けれたら。

けれど病に喘ぐ大切なリュグの家族を抱えてあの家を敵にして、

二大貴族を裏切って組織を敵にすればどうなってしまうか。


分かっている。

分かっている。



父親の目を騙し隠すにはこの方法しかない。

自責の念が彼女を苛む。



嗚呼、それでも。

子供達とのほんのささやかな日々だけは

リュグと彼女の救いであった。






けれど、その日はやってきてしまった。








奇しくもその日はリュグの『誕生日』であった。













もうベットから起き上がる事も、話す事も、歩く事も、食事をとる事も

出来なくなる程に弱りきって衰弱していく子供達。

ひとり、また一人と彼女の手の中から零れ落ちていく命。



『殺して】、『死にたくない】、『助けて】




か細い子供達の悲痛に訴え続ける声が木霊する中で膝を折り、座り込んで

無力な自分に苛立ち、泣きながら自分の腕に何度も何度も爪をたて、

自傷をしてしまう彼女の頬に一人の子供の手が触れた。



その人物は愛するリュグと同じ緑の瞳の少年。

リュグの親友の『ロークス』がゆっくりとかすれた声で話し出した。





「な………かないで聖女さま……。

泣かないでくれ、聖女さま。


俺達は貴女を恨んでなんかないよ。


聖女さまは奴隷として売られ、行き場を無くした

俺達を救ってくれた。


こうして病気に苦しむ俺達を決して見捨てず、守ってくれた。


親や兄弟の居ない俺達に家族をくれた。


そして、一番の最高の友達に。

リュグに出逢わせてくれた…………。


ありがとう聖女さま。俺達は、貴女が大好きだ。


だから、聖女さま。お願いだ。


俺達を、食ってくれ………。


俺達はこのまま病気でなんか死にたくない・・・。



死ぬんだったら俺達は聖女さま糧になりたいんだ・・・。



俺達は死んでもずっと貴女とリュグと一緒に居たいんだ。


聖女さまの中で俺達が別の形になったとしても

聖女さまが生きてくれたら、リュグに、きっとまた逢えるから。



迷惑かけて困らせて、わがまま言って・・・・

ごめんなさい・・・・・。



でも、アイツ。リュグは、きっと怒る、から。

貴女が俺達を食ったら、聖女さまを憎んで、しまうから。



アイツには、リュグにはこの手紙を渡してください。

リュグは、アイツ、バカだから・・・

きっと聖女さまの事、許さないって、勘違いするから。

これを見せて、やってください・・・・。



聖女さま。




最後に、こんなお願いをしてごめんなさい。





聖女さま。





どうか。






生きて。






リュグと幸せになってくれ………。」







その子がそう言い終わる頃には起き上がる事も出来ない筈の子供達の全員が

彼女を抱き締めていた。


泣き崩れる彼女に寄り添う子供達は優しく微笑みながら頭を撫でる。


其処で彼女は少しの沈黙のあと、泣きながら小さくコクリと頷いた。



せめて、少しでも苦しみが無いように深い眠りを引き起こして

痛覚や感覚を鈍らせ、麻痺させる香を焚きながらひとり一人の子供達の

名を呼んで優しく抱き締める。

抱き締めるその腕は震えていた。




彼女はやせ細った子供達の身体に牙をたて喰らっていった。

涙と嗚咽が混じらせながら子供達の味を噛み締めるように味わって咀嚼していく。

全ての子供達を喰らい終える頃には朝を迎えていた。




「ネイア、ファウラ、トトク、ケイト、ブルック、ジータ、フォル、

ウィア、アイリス、ロークス………。

嗚呼、ああああああ……リュグ、リュグ………

ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、

ごめんなさい…………。」





子供達に逢いたいと願っていたリュグに全ての真実を告げる事は出来ないと悟った

彼女は一つ、芝居をうった。



子供達にそっくりに見える様に手を加えた人間牧場で繁殖されていた

クローンの死体を置き、夜眠っているリュグを地下室に連れて来て

起き上がって来るまで彼女は死体を喰らっていた。


目が覚めたリュグが見た地獄絵図の中で必死に問いかける姿に彼女は

にこりと微笑んでこう答えた。



「だってお腹が空いたんですもの。

わえはグールですもの。

『お腹が空いたら食べるのは当たり前でしょ?』」







リュグの瞳には信じられない気持ち悪い『バケモノ』の顔をした自分が映っていた。

憎悪、憤怒、恐れ、殺意。

様々な感情と絶望に染まるリュグに彼女は悟られぬように自身の拳を握り締めた。




「(………嗚呼………リュグ。

それでいい。それでいいのよ。

貴方は何も知らないで良いのよ。

わえは貴方の殺意も悪意も憎悪もきっと愛してしまう。

だから、これでいいのよ。

………………ごめんね、リュグ………)」






子供達を食らってしまったあの日から約一年が過ぎた。



毎日、毎日。

検診が日課となった彼女は震える手でリュグの検診の結果を見ては

安堵の声と息を漏らす。

毎日毎日、祈る日々。

本当にまだリュグが白死病に感染していないのが奇跡である。



同じく彼女も白死病の症状は、未だに発病はしていないが

感染対策としてどんな時も彼女は黒い手袋を付けるようになり、リュグに病の事を

隠しながら生活を共にし続けた。




あの日から今日までの日々はまるで悪夢の日々。

否、悪夢だったらどれだけ良かっただろう?





幾度も幾度も繰り返されるお互いに求め合う狂った共依存。

絡み合う束縛と呪縛。愛と言う名の暴力の歪な関係。

傷付けられては癒され、そして傷付ける毒蜜の沼。

そんな毎日の中で彼女は愛するリュグが自分のせいで壊れていってしまう愛の苦痛と

狂った自身の想いの汚濁と支配の中でリュグの心が腐敗し、堕落していく姿と

その絶望の悦びに葛藤し、静かに咽び哭いていた。







────その日は彼女にとってリュグと過ごす二回目の【誕生日】。






その日も外は冷たい【雨】が降っていた。






ザァザァと降りしきる雨の中、傘も差さず、その体を濡らすその男。

ヴェルトは確かな殺意を持って彼女の屋敷へと侵入した。




しかし、本来ならば厳重に侵入者を阻む為の結界も警備の兵士も見当たらない。

それどころか屋敷の使用人の姿も無い。




「(此処に奴とリュグがいるはずだが………)」



広い屋敷を進んで行くと庭園の中にある美しい薔薇園の小さなガゼボに二人は居た。



そしてまるでヴェルトの事を待っていたかのように彼女は微笑みを浮かべた

服の裾を持って軽くお辞儀をする姿があった。

その姿を視認し、一瞬で終わらせようとした時。




「……ようこそ。おいで下さりました、ヴェルト様。

リュグ~、リュグ~。

……お父様がお迎えに来て下さったわよ~。

さぁ、いらっしゃい………。」




予想外なその声を耳にし、ピタリと動きを止めるヴェルト。

そんな彼女のやけに明るい異様な雰囲気と

声に答えるようにパタパタと嬉しげに駆け寄って来るリュグ。


ニコニコと笑みを浮かべるその表情に反してリュグの瞳には光は無く、

心は壊れかけていた。



彼女は殺意と敵意を込め、気を伺っているヴェルトにクスリと嗤い、

リュグを寂しげに見つめながらヴェルトへ引き渡し、今日でリュグとは

お別れだと言い、おもむろに自分の首筋にナイフを突き付け、自害をはかった。





「(…………嗚呼、これでいい…………。

これでこの子を自由に出来る。

ごめんなさい、みんな…………。

わえは、貴方達の望みも約束も

果たせそうにないの・・・・・・・。

ごめんなさい、リュグ。

もう、これで、わえは貴方を・・・―――――)」






そんな彼女の脳裏に『生きて』と訴えるあの子達の声が響く。

そして彼女の手を掴んで必死に、泣き叫びながら制止しする

リュグの声にハッとした。





嗚呼、そうだ。

わえはまだ死んではいけない。

まだ、やらなければならない事がある。

リュグの『夢』を叶える為に、なさねばならない事が。





何時かリュグが語った、

この子の『夢』。冒険者となって誰かを助ける、

英雄ヒーロー』になるならば。










わえは、









わえは・・・・『悪』になりましょう。














「…………ねぇ、リュグ・・・『約束』をしましょう。

貴方が今よりも もっと強くなって素敵なヒトなったら、

もう一度此処に帰って来て。

そして・・・。



 ・・・・・・・・・・・・・

『貴方の手でわえを殺しに来て』






それまでわえは何時までも待ってるわ・・・・・。」








涙を流すリュグに優しく微笑み掛け、彼女は抱き締めて

そっとリュグの額に口付ける。

まるで誓いを刻むように。





「フフフッ・・・この続きの大人のキスは

貴方が帰ってきたらしましょうか。

それまでお預けね・・・・。」





ぎゅっと抱き付いて別れを惜しむリュグを宥め、互いに別れを惜しむ様に

リュグは彼女の姿が見えなくなるまで手を振り続け、父と共に屋敷を後にし

彼女から解放された。





それから約一か月後のこと。

彼女は怒り狂う万姫によって襲撃を受けた。





万姫は実家の家族の身に起こった事とヴェルトからの

封書によって知ったリュグに行った一方的なおぞましい情事を知り、

彼女を殺すべき害悪と認識し、殺害を決行したが彼女がひた隠ししていた

真実を知ると万姫は彼女を殺さず、翠家から破門させた。








──────そして、『現在』。







かくして、悲喜劇ステージの幕は上がる。







宿命さだめられた

少年の鎖されていた過去は開かれていく。







『―――――万策尽くれば、悲しみも終る。


事態の最悪なるを知れば、もはや悲しみは

いかなる夢をも育みえざればなり。





過ぎ去りし禍いを歎くは、

新しき禍いを招く最上の方法なり。





運命の抗しがたく、我より奪わんとする時、

忍耐をもって対せば、その害もやがては空に帰せん。』






嗚呼、彼女を糾弾し、罰する日が訪れる。






彼女の救済は悪なのだ、それは罪なのだ。









さぁ、【運命】の少年よ。









君は何を選択し、何を求め、何を下す。








君は『彼女』を








『殺せる』かい・・・・・・・?













完。

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