第294話 ひと時の休息

「いらっしゃいませ、お客様」


 そこに入ったとたん、深々とお辞儀をしてそう言われ、エルフィナは思わず戸惑ってしまった。

 見ると、美佳は平然としている。

 さすがに美佳にとっては慣れたもの――というより、よく利用しているからというのはあるのだが。


 樹海での探索を一通り終えた二人は、その後道に戻り、車で河口湖のほとりの旅館にやってきた。

 時刻は夕方の三時過ぎ。

 ここから帰れなくもないのだが、美佳が折角だから温泉に行くと言ったというか、その予定だったらしい。


 大きな湖のほとりの宿。

 こちらでは旅館というらしい。


「すごく大きいですね……」

「そうね。旅館としてはかなり大きい方かしら。まあもっと大きなホテルとかざらだけどね、この世界は」


 五階建ての宿というだけですごいと思えてしまうが、確かに駅前にあるいくつかはやはり宿だというが、その高さはもはや見上げるほど。エルフィナにとっては三十階建てとかそれ以上とか言われると、もう意味が分からないのが本音だ。

 それに比べると、まだこの位なら落ち着ける気はした。


 部屋は五階ということで、荷物を宿の人が持ってくれた上で案内してくれた。

 あちらの宿では普通に部屋だけ指示されて勝手に行くのが普通なので、少し戸惑う。

 もっとも聞いた話では、帝都など一部ではそういう特別な対応をする宿もあるらしいとは聞いたが。


「こちらになります。お食事は――」


 美佳が案内してくれた宿の人と話をしているが、エルフィナは部屋の中に入って驚いた。

 壁一面がガラス窓になっていて、湖の光景が一望できる。

 そしてその湖の向こう側に、美しい山が見えた。


「きれい――」

「さっきも見たけど、あれが富士山。この国で一番高い山ね。霊峰なんて呼ばれることもあるわ」

「ウィスタリアみたいな?」

「あれほどは高くないけどね。というかあれは異様だったし」


 確かにあれはおかしかったが、今見えているのもやはり高いと思える。それに山体がとても美しい。

 それから部屋を見渡したが、とてもきれいだ。何よりものすごく広い。

 というより。


「ひ、広すぎません?」


 正直に言えば、今の美佳の家より広いような気がする。


「まあね。この宿で一番いい部屋だし」

「……高いのでは」

「普通はそうかしら。まあそこは気にしなくていいわ」


 時々謎になるが、美佳の収入はどうなっているのだろうと思う。

 ちなみにエルフィナはお金は全く持っていない。

 クリスティア大陸のお金は冒険者ギルドに預けてあるので、ギルドがなくなっていない限りは大丈夫だとは思う。

 だがこちらのお金は全く持っていない。

 美佳が学校で必要な場合などに渡してくれる分だけだ。


 お金関連で驚いたのは、その通貨の信用度だった。

 あちらでは通貨に使われているのは金や銀が主だ。

 銅貨や白銅貨もあり、これらは国の信用によって価値が保証される。

 アルガンド王国やグラスベルク帝国の鋳造したものであればおそらくどの国でも使えるが、それこそキュペル王国などの通貨の信用度は低い。


 とはいえ貨幣は重いので、ある程度の取引には信用証書を使うが、これを発行できるのは神殿のみ。

 しかしこの世界では、それに相当する『紙幣』があり、しかもその信用度が極めて高い。

 挙句に、物理的にはお金ではない『電子マネー』などやクレジットカードというもので取引が出来てしまう。正直に言えば、エルフィナにはいまだに仕組みはよくわからない。


 ただ、美佳はそれらを使うだけの資産を持っているのだろうが、それだけの収入がどこから来るのだろうというのは疑問だ。


「あらためて聞くのもなんですが、美佳って普段アルバイト、とかで仕事されてますが……その収入だけじゃないですよね」

「そうね。というかコンビニのバイトだけでこんなところ泊まったら、一ヶ月分の給料が軽く吹き飛ぶわね」


 それがどの程度かは分からないが、宿一泊で一ヶ月分の俸給が消えるというのは普通ではない。


「まあ私はこっちに長くいるから、色々とね。この世界、特にこの国は基本的に社会情勢が安定していて、通貨もそれなりに安定してるから、財産がある程度あるとそれなりに安定した生活は出来るわけ。逆に定住しない人は滅多にいないしね。それこそ、貴女のような『冒険者』なんて職業はほぼ存在しないし」

「ほぼ?」

「そうね。厳密には『冒険家』ってのはいるわ。それこそあなた達がウィスタリアに登ったみたいに、普通の人がいかないような高峰を目指したり、とかね」


 美佳によるとそういう挑戦をすること自体に価値を見出しているらしい。

 考えてみれば、法術クリフが一切ないのだから、全て装備だけでそういう場所を踏破するとなると、ちょっとエルフィナも考えたくはない。

 ロンザスを越えられたのだって、法術クリフ精霊行使エルムルトありきだ。


「そんなわけでまあお金の心配はあまりしなくていいわ。それはともかく、今後のことも話さないとね」


 そういうと、美佳はカバンからパソコンを取り出した。


「明日には家にいったん帰るけど、来週からハワイに行くわ」

「ハワイ?」


 聞いたことがある気はするが、一瞬どこか分からない。


「太平洋に浮かぶ島ね。国としてはアメリカね」


 美佳はそう言って、画像を見せてくれる。

 そこには火山の映像が表示されていた。


「キラウェア火山。ここ最近では世界で最も活発な火山。多分ここなら、火の精霊力がかなり強いと思うから、結節点になっている可能性は高いと思う」


 続けて美佳が地図を示してくれる。

 文字通り海の真ん中だった。


「かなり距離がありますが……」

「近いわよ、ハワイは。飛行機で十時間もかからない」

「ひこう、き?」

「それくらいもう分かるでしょ。たまに空飛んでるし」

「そ、そうですが……」


 すると美佳が困ったような顔になった。


「まあ、怖いってのは分からなくもないけどね」

「だって、あんなものが空を飛ぶのって、おかしくないですか!?」

「それ言ったら、さっき私達は平然と空飛んだわよね。あれはどういう理屈よ」

「どういうもなにも……私のは精霊の力ですし」

「まあね。私だって魔力で体を支えているだけ。でもね。そんなことをしなくても空は飛べるの。そうね……」


 美佳はそういうと、備え付けのメモ帳を一枚切って、なにやら折り始めた。

 やがて、なにやら平べったい三角形の形になる。


「それは……?」

「いわゆる紙飛行機。まあ見てなさい」


 そういうと、美佳は軽く投げた。

 すると紙飛行機は、一瞬ふわりと上昇した後、小さな円を描きながら降りていく。


「えっと……?」

「私は今横に投げただけよ。でも、一度上昇して、あとはゆっくり下りてきた」

「そ、そうですね……」

「これと同じ。これよりもっとしっかり計算されて作られているけど、ある特定の形になると、速度が上がると浮かび上がる習性があるのよ。それがいわゆる物理学の領域ね」


 物理という単語は学校の授業の一つにあるから理解は出来る。

 とはいえ、それでも不思議なのは否めない。


「さすがに私もそこまで詳しくはないけどね。この世界はとにかく、精霊の力も法術クリフという力も頼らず、そういう法則や習性を見つけて、それを利用することで発展してきたのよ」

「はあ……」


 さすがに理屈を説明されても、エルフィナにはよくわからない。


「要するに、信じなさいってこと。実際、飛行機で事故が起きる可能性って、車の事故よりはるかに少ないらしいからね」

「車の事故……そういえば、あるんですよね」

「そりゃあね。人が死ぬことだってよくある話だし」


 クリスティア世界でも、馬車に人が轢かれて死ぬ事件はよくある。

 そしてそれよりはるかに速く動く自動車であれば、当然人とぶつかったら怪我どころでは済まないだろう。

 美佳によると、車同士が衝突することもあるらしい。

 あれだけの速度で動くもの同士が衝突したらどうなるかはちょっと想像が出来ない。


「ま、だから安全に動かすために資格があったり、厳密なルールがあるわけ。さて、それはいいから……時間早いけど、お風呂行きましょ」

「あ、はい」


 この時間だとまだすいているだろうから、と大浴場の方に連れていかれた。

 そして思わず、風呂場に入って唖然とする。


「すごい……」


 壁がほぼガラス張りで、外の光景――富士山――が良く見える。

 なんでも外からは見えづらくなっているガラスらしい。どういう理屈かわからないが。


「そういえば、あっちに温泉はあるの?」

「あ、はい。こんなすごい施設じゃないですが。コウと仕事で行ったことも」


 すると美佳が少し驚いたようになる。


「あら。思ったより進んでたのね」

「え? ……ち、違いますっ。ホントにお風呂一緒に入っただけで……あう」


 一緒に入る時点でそう思われても仕方ない。

 ただ、あの時はまだコウとは両想いではなかった。

 本当に一緒に入っただけだが、今から考えてみればあまりに大胆過ぎた気がする。


「まあそこについてとやかくは言わないけど。……生きてるといいわね、その人」

「はい。……そういえば、ふと疑問なのですが」


 軽く体を洗い終えた二人は、大きな湯船に浸かる。

 時間がまだ十六時過ぎと早い時間のため、他の客は数人しかいない。


「その、美佳の力では『あっち』で私を守れないと言ってましたが、あの時、ヴェルヴスの力の宿った器物が、コウを守ってる可能性があるとも言いましたよね。でも、竜でも他者を守るのは難しい……のですよね?」

「ああ、そういうことね。うん。多分っていうか推測なんだけどね。ヴェルヴスは竜命点を破壊された時点で、あの世界にいるためのよすがを失った。だから、退去しなければならないわけだけど、その際、あの世界にいた時に持っていた力は基本的にすべて喪失するのよ」

「力を持って帰れない……的な?」

「そうね。ま、わたしたちにとっては、他世界にいるためのリソースはからすれば微々たるものだからね。失ったところで惜しくはないんだけど……話からすると、おそらくヴェルヴスはそのリソースを全部その刀に込めたと思われるわ。だから、その刀はあの世界における竜そのものと同等なの」


 それは想像以上だった。

 それなら、確かに悪魔ギリルに致命的な傷を与えられることも納得できる。


「けど、それと同じことを私が今やると、私がこの世界から消える。ついでに言うなら、あっちと違って地球こっちに持ち込めているリソースは多分全然少ないから、貴女を狭間の世界の影響から守るには不足。なので『無理』なわけ」


 そもそも今美佳に消えられたら困る。

 あっちに帰れるならないとは言わないが、自分一人のために美佳のこの地球でのすべてを捨てろなどとはさすがに言えないし、それでも足りないというのなら論外だ。


「なるほど……竜でも、色々制約があるんですね」

「前にも言ったでしょ。それだけあの結界はすごいの。焦らなくても、そう簡単に壊れることはないわ。だから貴女は、この世界でできるだけ力と知識を手に入れることに専念しなさい。それほど気負わずに、ね」

「……はい」


 それでも学生をやらされているのは確実に美佳の趣味な気はするが――。

 それも含めて、今は力を蓄えるべきだと――そう思うのだった。


 ちなみに。

 この後の食事がものすごく美味しくて、テンションの上がったエルフィナはうっかり美佳が飲んでいたお酒――日本酒を水と間違えた――まで飲んでしまった。

 初めての味に困惑しつつも美味しいと思ってしまい、美佳も「まあ実年齢的には問題はないわよね」と止めなかったため――。

 翌日、精霊行使エルムルトで無理やり二日酔いを解消することになる。


 なお、部屋にあった露天風呂は朝に二人で堪能した。


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 この宿もモデルあります(以前泊まったことがあります)

 あと、エルフィナの実年齢は百五十五歳なので理屈の上ではセーフです(違)

 ただし偽造された旅券パスポートの年齢は十五歳ですが(アウト)

 ちなみにクリスティア世界では特に規定はありませんが、エルフィナくらいなら飲んでも問題視はされません(笑)


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カクヨムコンテスト10参加作品応援願い

●親友の勇者が魔王になってしまった件

https://kakuyomu.jp/works/16817330660454635503

ある世界の勇者と魔王の物語。かなりシリアスな話です。

完結しました。

本作を気に入っていただけているなら面白いと思います。

出来ればご支援お願いします。

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