第287話 エルフィナの学校生活

 学校に通い始めて、一月が過ぎた。


 この一ヶ月、気温が急激に上がってきていて、制服の上着を脱ぐ日の方が多くなった。エルフィナの感覚では四月といえばまだ春であり、肌寒い日もあってもいいと思えるが――どうやらこの地域はかなり暑いらしい。

 そういった気候的に不慣れな部分はあるが、それ以上に困ったのは学校での対応だった。


 授業は問題はない。

 正直、いわゆる理科系と呼ばれる科目、および社会系とされる科目は前提知識が完膚なきまでにないこともあって――まだ理科系の方がマシ――授業についていくのがやっとというのはある。

 特に先日不意打ちでスウェーデンの歴史に触れられた時は焦った。

 歴史が苦手ということで通したが、あとで最低限は覚えておこうと思ったものだ。


 逆に、《意志接続ウィルリンク》の効果もあって、言語系は全く不自由しない。美佳も驚くほどエルフィナにはこの能力が馴染み、現在では文章から意味を取ることができるほどになっている。これを応用してしまっているので、古文すら得意科目となっていた。

 この調子で行くと、話すのすら自在になる可能性があるらしい。

 これに関しては、精霊との対話を自力で身に着けたと話したら、美佳に呆れられつつ納得された。

 もっとも、あれはさすがにエルフィナでも数十年かかったのだが。


 それはともかく、学校の中でやはりというか、エルフィナは目立ってしまっているらしい。

 ある程度は仕方ないとしても、予想以上である。


 挙句、入学して四日目、帰り際に三年生――学校という組織では学年差は身分以上に立場に影響すると美佳に聞いてはいたが――の男性から声を掛けられ、自分と付き合うといい、と言われた。

 もちろん一瞬で拒否したところ、何が不満だと詰め寄られ――思わず投げ飛ばしてしまったのだ。

 ちなみに周りで隠れてみてる人がいたらしく、半分が喝采、半分が唖然としていたらしいが、エルフィナとしてはコウ以外の人間に触れてもらいたくなどない。


「失礼しました。ですが、この国ではそう気安く女性に触れようとするものなんですか」


 言葉が硬くなるのは自覚したが、それでも不快感は消せなかったのでそういう口調になってしまった。

 それに対して投げ飛ばされた男は、なにやら自分の家名のことを色々言っていたようだが――エルフィナには全く意味が分からず、結局その場はそれで終わってしまう。

 ただ、帰ってから美佳に話したら少し難しい顔をした後に「まあ大丈夫。穏便に片づけておくわ」と言ってくれたので、とりあえず大丈夫だろうと思っていると――。


 翌日、当該の男はエルフィナからそそくさと逃げるように離れて行った。

 エルフィナとしては歓迎する事態だが、何があったのだろうとは思いつつ、気にしても無駄だろうからそれ以上に考えるのを辞めた。


 ただ、それ以後は変な手合いは減ったとは思うが、代わりに増えたのは一緒に行動しようとする女生徒だ。

 それも、同学年だけではなく、二年生や三年生まで居る。

 さすがにクラスや学年が違えば一緒に行動することはほとんどないのだが、昼休みなどに一緒に行動しようとしてくるのだ。

 ただ、これがちょっと困る。


 エルフィナは大抵食事はお弁当を自分で作っている――美佳の分も朝作っておいて来てる――のだが、自分で作るのでそれなりに満足できる大きさの弁当箱になっている。

 つまり一般的なこの年齢の女性としては、あり得ないほどの大きさだ。

 その自覚はあるので、出来ればそこは見られないようにしたいところだったのだが、それも最近露見してしまった。


 なのだが、そのギャップが可愛いなどと言われてしまい――。


「それにしても朝ご自分でお弁当を作ってくるのはすごいですね、エルフィナさん」

「ご家族は?」

「えっと……故郷に父と母はいますが、今は知り合いのところに居候です」


 多分嘘は言ってない。

 問題は両親と絶対に連絡がつかないことだろうが。


「遠い異国の地で、不安な事とかあったら、是非相談してくださいね」

「ありがとう……ございます。今のところ大丈夫です」


 不安がないといえば嘘になるが、同時に彼女たちに解決できるような問題ではない。


「あ、こちらにいましたのね、妖精姫」

「妖精……姫?」


 現れたのは三年生の女性。

 何度か話したことはあるが、その呼ばれ方は初めてだった。


「最近、特に貴女に憧れる男子生徒の間で、そう呼ぶ人がいるそうよ。でも、あまりにピッタリ過ぎてね。私達もそう呼んでもいいかしら?」

「えっと……あの、恥ずかしいので、出来れば普通に……」

「あら残念。白雪姫もそうでしたが、やはり……まあでも恥ずかしいものなのですね」

「白雪姫ってどなたですか?」


 聞いたのは同じ一年生。

 白雪姫というのはエルフィナも知っている。

 こちらに来た頃、言葉を覚えるために色々読んだ本の中にあった童話だ。

 ただ、あれは童話の中の人物だと思っていたが。


「私達が入学した時に生徒会長を務めていた先輩です。もちろん今は卒業されて、大学に行かれてるはずですが、その方が『白雪姫』と呼ばれていたんですよ」


 それはそれでだいぶ恥ずかしいと思えてしまう。『妖精姫』も十分恥ずかしいが。


「あの方は名前がそのまま『白雪』という名前でしたからね。もちろん、そう呼ばれるにふさわしいほどに美人でしたが。エルフィナさんにも引けを取らないくらいの」

「はぁ……」


 そう言われても、会ったこともない人と比べられても反応は難しい。


「エルフィナさんの名前も、『エルフィン』というのは妖精というような意味もありますからね。それでそう呼ばれているのだとは思いますが……」


 それは知らなかった。

 だとしてもそれは完全に偶然だ。クリスティア大陸の言葉で、エルフィナの名前にそんな意味はない。


「かつての白雪姫のような人気者になりつつありますね、エルフィナさん」

「それは……なんというか、喜んでいいのかどうか。私は留学の身ですし」

「あら。やはり途中で故国にお帰りに?」

「多分。まだ予定は……決まってませんが」


 美佳が色々調べてくれてはいるようだが、今のところ進捗は芳しくはないらしい。

 そもそもどういう場所だと次元結界アクィスレンブラーテと接触できる場所なのかなど、見当もつかないから仕方がないのだが。


 ちなみに裏――つまり狭間の世界側――から地球を見て探そうとしたことがあるらしいが、全く分からなかったらしい。

 やはり地道に探すしかないが、何の手がかりもなしに探すにはこの地球は広すぎる。


 とはいえ、いずれは何かしら手がかりを掴んだら、学校を辞めてそこへ赴くことになる。それがいつになるかは分からないが、三年もかかることはないと思いたい。

 ちなみに、この世界における一年は、微妙にあちらとは日数が異なる。

 完全に同じというわけではないのだろう。


「でもそれまでは一緒にいられるのなら、私たちは嬉しいですね」


 周りの女性陣が一様に頷く。

 アルス王立学院の時もそうだったが、学校ではなぜか周りに女性が多くなるものなのだろうかと思ってしまう。


(まあでも……悪い人たちではないですし)


 先日の男性のような人はほとんどない。

 そもそも、この地球に来て三カ月近くになるわけだが、この地域は驚くほど安全な場所だというのも理解出来てきた。


 そしてそれだけに、コウが自分自身を異物と感じていたのもまた、理解できるようになってしまった。

 確かに彼の様に人を殺すことを躊躇しない人間は、特にこの地域では相当に異様な存在だろう。

 ただ同時に、この世界でもコウが体験したような事件は起きることがある。

 その確率がとてつもなく低いが、無条件で安心できるわけではない。


 エルフィナ自身、さすがに剣は手放している――ちなみに部屋に置いてあって美佳が持とうとしてその重さに呆れた――ので不安がないとは言わない。

 ただ、武器を持ち歩く必要すらないほどに安全な場所なのだとは理解している。


 日々の学校の講義は、実際エルフィナにはどれも真新しいことばかりだ。

 かつてアルス王立学院に通っていた時は面白いと思えなかったが、今は新しいことを覚えるのが楽しい。あるいは異世界だからか。

 コウが当時楽しんでいたのをふと思い出す。

 今更のようにその気持ちが分かったと思うと、少し嬉しくなった。


「あら。エルフィナさん、なんかいいことがあったんですか?」

「え?」

「いえ。なんかすごく素敵な笑顔を浮かべてましたから」


 知らないうちに笑っていたらしい。

 確かに、コウのことを思い出すと自然嬉しい気持ちになるのは事実だ。


「そう……ですね。そうかもしれません」


 そう思うと、さらに嬉しくなる。

 この思い出をいつかコウに話すと思うと、彼がどういう反応をするのか楽しみになってきた。

 それを考えると、さらに頬が緩みそうになるのをエルフィナは頑張ってこらえるが――。


 その表情が、他の学生にどう見えているかについては、全く無頓着だった。

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