異世界の生活

第283話 異世界生活の始まり

 エルフィナがこの地球に来て、竜崎美佳の家に住むようになってから一週間が過ぎた。

 この間、エルフィナは一度も外に出ていない。

 まだ美佳から許可が出てないというのもあるが、家の中の事だけでも驚きに満ちていたので出なくても十分だったというのもある。


 コウに聞いていた通り、この世界には法術クリフがない。

 美佳によると法術クリフを使える可能性はあるらしいが、残念ながらエルフィナも法術クリフを使うことはできないので、試すことはできなかった。もちろん美佳は使えない。

 ただ、手持ちの法術具クリプトである精霊珠メルムグリアやコウと分け合った腕輪(これに込められているのは精霊行使エルムルトだが)、それにコウにプレゼントされた髪飾り――ちなみにこれには守護のための法術が籠められている――などは問題なく動く様なので、多分使えるのだろうと思う。

 もちろんエルフィナの法術武具クリプレットに付与された法術も有効だった。今は寝室の隅に置いてあるが。


 これらについては、むしろ美佳がそれらを珍しがった。


「エルスベル時代に……あっちにいたんですよ、ね?」

「いたけどね。でも別に今みたいに市井に混じっていたわけじゃないからあまりそういうのは見なかったのよ。それにあの頃、人々が宿していた……今は法印ルナールだっけ? それは『接続権限フェブラストスタルク』って呼ばれるもので、要は次元結界アクィスレンブラーテから直接力を引き出すためのもので、聞く限りは法術クリフとは違うものね」


 あれは天与法印セルディックルナールだと思っていたが、根本的に違うものだったらしい。


「むしろあの頃の人間は、この地球の人々同様、一部の例外を除けば魔力を扱う力を持ってなかったのよ。多分だけど、エルスベルが滅んだ後に変化したんでしょうね。貴女のような異種族……フェリアとかいったっけ。それが誕生した様に、人間も変化してたのでしょうね」


 そう言いながら、美佳は鍋を黒い平らな場所において、なにやら操作する。

 最近やっとわかったが、それで温められているらしい。

 あいえいち、とか言うらしいが、理屈はさっぱりわからない。

 と思ったら、美佳もそれほど分かってるわけではないらしい。


 エルフィナはこの一週間、とにかく必死にこの世界の情報の吸収に努めた。

 分かりやすかったのは、暦や時計だ。

 時計の形状には少し驚いたが、慣れるとこちらの方がはるかに見やすい。

 カルンより細かい『秒』という単位が当たり前なのには――あっちでは研究者くらいしか使わない――驚いたが、それよりも時計がどこにでもあるのが凄いと思った。


 さらに『すまほ』と呼ばれる小さな板で、本当に様々な情報が取得できる。

 この機材自体は、冒険者ギルドなどが持っていた通信法術具に似ているのでそれほど違和感はなかったが、その機能が段違いに多いのは、美佳が操作してるのを覗き込んだわずかな時間だけでもよくわかった。


 あとは言葉――というより文字。

 コウからある程度習っていたとはいえ、実際に見てみるとあまりの複雑さに思わす叫びたくなったほどだ。

 日常でも、この国の言葉だけで大きく三種類の文字――うち一つにいたっては法術クリフに使う文字ルーンと同じかそれ以上の種類――がある上に、この国以外で使われる文字も日常的に使われるらしい。

 一体何種類の文字を覚えているのかと驚くばかりである。


 言葉が地域で違うことは聞いていたが、知らなければなんて効率が悪い、と毒づいているところだ。

 と思ったら、その点だけは美佳も同意らしく「世界中だと百以上の言語があるらしいわよ」と呆れていた。

 もっとも、困ったら全部意志接続《ウィルリンク》でなんとかする竜は、言葉の苦労をあまり感じないらしい。


 コウも言っていたが、《意志接続ウィルリンク》に慣れると文字すら読めるようになるどころか、話す言葉すら無意識に変換できるようになるという。

 もちろんエルフィナは現状、話し言葉を理解するのがやっとだが。


 とにかく勉強することばかりの一週間――この単位がこちらにもあったのは驚いた――だったが、どうにか慣れてきた。

 とりあえず、家にある『電化製品』と呼ばれる物の使い方は、ある程度分かるようになっている。


 特に興味深かったのは『テレビ』なるものと、『インターネット』なるもの。


 テレビは動く映像が自動的に流れ出してきて、色々なことを知ることができる。

 離れた場所にある小さな装置をいじると表示が変わるのには、エルフィナは少し驚いた。

 法術具クリプトは基本、操作するには本体に触れなければならないのが普通だからだ。

 エルスベルの過去の映像に似たものがあったようには思えるが、これが当たり前に各家庭にあるというから驚きだ。


 インターネットは、最初に美佳が使ってる黒い二枚の板――パソコンというらしい――を横から見るだけだが、色々な情報を引き出すことができると分かった。

 美佳によると、彼女のは普通のとはちょっと違うとのことだが、そもそもエルフィナには普通が分からない。


 この一週間、美佳は五日ほどは昼過ぎから夕方まで出かけていた。

 短期間の労働があるとのことで、その間はエルフィナは家で美佳がどこからかたくさん本を持ってきてくれたので、文字の勉強を兼ねてかたっぱしから読んでいる。

 寓話めいたものが多いが、知識が得られるものも多い。

 おかげでこの世界については、漠然とだが分かってきた。


 エルフィナが特に興味を持ったのは、やはり食事の多様性だった。

 元々コウから聞いていたが、思った以上だったというべきか。

 美佳が、エルフィナが食事に興味があると分かったら、そういう本を持ってきてくれたのである。

 それによると、地域によっても違うし、その材料もクリスティア大陸より遥かに種類が多い。

 この地域の料理だけでも驚くほど多く、特に生魚をそのまま食べる文化は驚いた。

 一度食べさせてもらったら、ものすごく美味しかった。


 今のところ過剰な食は我慢しているが、美味しいものは色々食べていきたいと思っている。 食事はあまり違和感はない。


 ただ、 エルフィナが戸惑ったものが水だった。

 水を生成する法術具クリプトである恵みの泉ファルテスオリュスもなしに簡単に水が出てくる仕組みについては、驚愕するしかない。

 ちなみに最初、この世界にも恵みの泉ファルテスオリュスはあるのかと言って美佳に笑われたが。

 ただ、飲んでみるとちょっと違う感じがして、慣れるまで少し時間がかかった。

 エルフィナは森妖精エルフであり、極論水と光さえあれば生きていける――この話を美佳にしたら植物みたいと言われたが――のだが、この水の味がイマイチなのは否めない。


 ちなみに美佳が試しに、と買ってきたペットボトルという容器に入っている水は、結構おいしかった。


 それと、お風呂が家にあったのには驚いた。

 本当に水が豊富だし、法術具クリプトがなくても本当に様々なことができるのだと実感できる。


 あと驚くのが、この世界の移動手段の発達だ。

 コウから話は聞いていたが、本当に数百人単位で空を、しかも鳥などよりはるかに速い速度で移動する乗り物は、映像で見てもまだ理解が及ばない。

 自動車と呼ばれる窓からも見える乗り物や、電車についても同じだ。


 船についても、帆船ではなく――当然起風宝珠シュファラウドなどない――エンジンとやらでスクリューを回して進む仕組みは驚いたものだ。

 水流推進装置オリオスビュストで進む船が帝国にあったが、あれともまた違う上に、速度はあれ以上、あれよりはるかに巨大な船でもその速度が出るというのだから訳が分からない。


 あとは冷蔵庫と呼ばれる機械をはじめとした厨房の機器。

 物を冷やしていれば長期保存ができることはもちろん知っていたが、あの世界では基本的に常時法術具クリプトを動かすのは魔力効率が悪く、ああいう保存のための法術具クリプトは短時間用だ。

 だが、美佳によるとこの世界の道具を動かす『電気』というのは、むしろ常に稼働させるためには都合がよく、一時的に高い出力を出す方が難しいらしい。


 それで言うとそもそもで照明が一番驚きではあった。

 あれほど明るいのに、ずっとつけっぱなしていてもさほど構わないというのは、正直信じられないほどだ。


 もう一つとんでもなかったのは、通信だ。

 美佳の持つ『すまほ』とやらは、特定の誰かに直接連絡することができるという。

 それも、文字だけではなく映像や音声すら。

 しかもこれを、この国の場合は誰もが持ってるのが普通らしい。

 それも、星の裏であろうと通信できるという。

 法術ギルドの長距離通信など可愛いものだ。


(コウ、あの世界不便だと思ってたのでしょうかね……)


 これほど発達していると、あの世界との落差は相当なものになる気がする。

 特に移動と通信に関しては顕著だ。

 ただ、美佳に言わせると地球も少し前はこんなではなかったらしい。


「この世界がここまで発達したのは、せいぜいここ三百年くらいの話だけどね。その前は、話に聞く限りは貴女のいた世界とそう変わらないわ。むしろ魔法めいた力がないから、それ以下ね」

「逆に言えば、たった三百年で……ですか」


 森妖精エルフであるエルフィナからすれば、本当に『たった』である。

 しかも美佳によると、加速度的に進化の速度も上がっているらしい。

 空を飛ぶ乗り物が誕生したのが、わずか百二十年余り前と聞いた時は仰天した。


「前にも言ったけど、この世界は精霊や魔力を観測できなかった。だからその分、それ以外の方向で発展して、かなり先鋭化してるのよ。それに魔獣とかの脅威はないし、人間より強い存在もほぼいない。他の世界からの影響はごくわずか。まあ、その代わりの問題もあるけどね」


 おそらくと思って聞いたところ、やはりその一つはコウが使う『核』の力だった。

 もっとも、美佳にはむしろそれを法術で再現したことに呆れられたが。


 地球とあの世界であまり違いがないのが、服だった。

 ただ、地球のそれは技術によって作られた素材が多いらしいが、エルフィナもそこは違いが分からない。

 服については、全て美佳が準備してくれた。エルフィナがここに来た時の服はボロボロになってしたので、捨ててはいないがしまってある。

 弓や矢はどこかで失われてしまったのか、この世界には持ってこれていない。

 剣はあるのだが、美佳によるとこれを外に持ち出すと官憲に捕まると言われてしまっている。

 武器を持つこと自体が禁止されているというのには驚くばかりだが。

 今着ているのは美佳が用意してくれた服で、ジャージというらしい。


「それにしても、ずいぶん色々勉強したのね。ちょっと驚くくらいよ」

「ありがとうございます。なんていうか……色々違うところは多いのですが、基本的なところで、人が生活する以上、同じところも多いというか」


 夕食を摂りながら、美佳はエルフィナのこの世界に対する習熟度を確認してくるのだ。

 それもあって、エルフィナは知識だけであれば、かなり分かってきたという自信はある。


「じゃ、明日ちょっと出かけてみましょうか」

「……はい」


 ついに来た。

 今までは家から全くでなかった。

 なのだが、さすがにいつまでも家に引き籠っているわけにはいかない。

 それに、いつか精霊王と契約するためにはあちこちに行くことになりそうとは、美佳に言われているのだ。


「まあそう身構えなくていいわ。買い物に行くだけだからね」

「はい」

「慣れてきたら一人でも出歩いてもらうし……あ、そういえば。聞き忘れていたんだけど、貴女、何歳なの?」

「あ、えっと……百五十五歳です」

「は?」

「え。なんかおかしい……ですか?」

「……創作物のエルフと同じなのね。異様に長いわけか……ちなみに人間の年齢に換算すると?」

「えっと……だいたい十分の一にすればいい感じです」

「なるほどねぇ」


 そういう美佳は何歳だろうとちょっと気になってくる。

 竜だという話だが、もちろん一度もその姿を見せてもらってはいない。

 見た目は、自分ともそう変わらない外見年齢の女の子という感じだが――。


「私? 忘れたわよ。元々私たちは『年』という概念も本来はないしね。前に聞かれた時に適当に三百万とか答えたけど、考えてみたらその百倍以上はあるはずよ」


 エルフィナは思わず指折りで数えてしまった。

 三億年とか、もはや意味が分からない。


 この世界に来て一週間。

 とりあえずエルフィナは、なんとか地球に馴染みつつあった。

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