第282話 これからの指針

「不可能って……」

「さっきも言ったでしょう。狭間の世界に肉体を持つ存在が入れば死ぬ。コウという人が最初になぜ耐えられたのかは分からないけど、貴女はそのアメスティアという人によって加護を付与されたから奇跡的に抜けられた。でもそれも、もうない」


 美佳はきっぱりと言い切る。


「先に言っておくと、私はやろうと思えばあなたを狭間の世界に送り出すことはできるわ。正しくは私と一緒に行くというだけだけど」

「前に、キルセアさんがそれは出来ないと……」

「そうね。意味がないからそういったんだと思うわ。なぜなら狭間の世界に入った瞬間に、その人は四散して死んでしまうから」


 先ほども言われたことだ。

 思わずエルフィナは怖くなって、自分を抱くように腕を回してしまう。


「ああ、これも言っておくけど、私は貴女に狭間の世界で死なないようにする加護を付与することはできないわ。というか、アメスティアという人がやったのは本当に例外的な事だと思うし。私でもどうやったのか分からないくらい」


 その後に美佳は「推測は出来るけど」とは言ったが、いずれにせよ美佳には――ファルネアには出来ないという事だけは確かだと再度断言した。


「……じゃあ、私はもうずっと……この世界から出られないんですか?」


 再び目の前に絶望が拡がる。

 この先、しかも自分の場合はおそらくあと千年近くは生きていくことになるが、友も誰もいないこの世界で、しかもあの世界が悪魔ギリルによって蹂躙されているかもしれない可能性を感じながら、一人で生きて行くということになるのか。

 何より、コウともう会えないかもしれないというのが、エルフィナにとっては文字通り目の前が真っ暗になるような事実だ。


「そん……なの、生きていても、仕方、ない――」


 どうしようもないほどに涙が溢れる。

 そんな千年の孤独を生きるくらいなら、もう生きていくこと自体をやっていけると思えない。

 それならばいっそ――。


「普通なら無理なんだけど……」

「え?」

「確実ではないけど、可能性がないとは言えない、といえるものがある。貴女が精霊を使えるからだけど」


 思わずエルフィナは縋るような目で美佳を見る。

 それを見て、美佳は少しうろたえてしまった。


(う……この子、ホントに可愛いわね……玖条さんと違う方向性だけど、並べたらさぞ絵に……って、違う違う)


 思わずアルバイト先随一の美少女の同僚を思い出して、それはそれで楽しそうな絵面だと思いつつ、美佳はその妄想を振り払うために頭を振った。


「さっき話したでしょう。次元結界アクィスレンブラーテは、精霊の力の結晶だと」

「あ、はい」

「貴女に宿って、貴女に狭間の世界を越えさせた力も、次元結界アクィスレンブラーテの力。言い換えれば、精霊の力なのよ」

「え。じゃあ精霊を使えば、狭間の世界を越えらえるのですか?」


 それなら簡単だ。

 精霊鎧メルムガルドなら、確かに完全に自身を守護できる。


「無理ね。そんな簡単な話じゃないわ。精霊自身は狭間の世界に普通に存在できる力だけど、狭間の世界で他者を護るほどの力は、普通の精霊にはない」

「じゃあ……」


 言っていることが矛盾している。

 精霊の力の結晶が次元結界アクィスレンブラーテであり、その力でエルフィナが狭間の世界を越えられたのなら、精霊本体の力でもいいはずだ。それとも、その強さが問題になるというのか。


「強さ……そうね。ある意味正しいわ。ただの精霊ではダメ。精霊の王の力が必要なの」

「精霊の……王?」


 そんな存在は初めて聞いた。

 そもそも、精霊に本来個性はない。

 エルフィナと契約してる精霊たちが人格があるように見えるのは、エルフィナを介して個性を手に入れているだけで、他の精霊はそもそも『個』というものを持たない存在だ。

 精霊同士で魔力の量による力の違いはあれど、それらは自然現象を司る存在であり、決して自らの意思を持つこともないし、基本的に個体を識別することなどできない。


「まあ正しくは精霊の集合無意識ってところなんだけど……まあ、そういう存在がいると思って。で、問題は、クリスティア大陸世界では、多分この精霊王が失われているのよ」

「え?」

「一万年前、フィオネラが死んだ前後でしょうね。次元結界アクィスレンブラーテが著しく弱体化したあの時、多分フィオネラは精霊王に頼んで結界を再強化した。でもその時に、精霊王の力は失われたのでしょう」


 もはや訳が分からない。

 エルフィナが理解できる限界を完全に超えている。


次元結界アクィスレンブラーテというのは、精霊が作り上げる世界の守護。その結果、精霊王と呼ばれる存在が誕生し、本来は悠久の時を刻むことができるはずのもの。でもそれが、一万年前に失われそうになった。それを、フィオネラは無理に維持したんでしょう。その時にあの世界の精霊王は消滅してしまった」

「そ、そうなんですか……?」

「まず間違いなくね。他にもなんか混ぜてるっぽかったけど……」


 混ぜるという言葉がひどく不穏な気がして、エルフィナは何とも奇妙な顔になってしまう。


「まあそれはともかく。つまり言い換えれば、精霊王の力を借りれば、貴女は強力な加護を得られる。それなら、狭間の世界を越えることは多分できるわ」

「でも、精霊王は失われたって……」

「そうね。クリスティア大陸世界ではもういないわ。精霊王の力を全て結界の維持に回して、さらに頑張って一万年もの間維持してたのでしょうね。でも、世界を護る力すらギリギリだろうから、もう加護を得ることは無理でしょう。まあそれ以前に、地球ここからでは力を借りることはできないけど」


 ではどうしようもない。

 結局何も手段がないことには変わりは――。


「だから、の力を、言い換えればの力を借りればいいのよ」

「え?」


 一瞬言われた意味が分からずエルフィナは茫然としてしまった。


地球ここにも当然 次元結界アクィスレンブラーテはあるのよ。この世界では観測されていないだけで。むしろ観測し利用してしまったエルスベルと違って、この世界の 次元結界アクィスレンブラーテ悪魔ギリルとかが入り込む余地がほとんどないほどに安定しているの。そして精霊王も結界に存在する」


 考えもしなかった事実にエルフィナは唖然としてしまう。

 だが、先ほど精霊がいるのは確認している以上、次元結界があっても不思議はないというか、あって当然だろう。つまり本質的に、この地球とクリスティア大陸世界は同じ様な世界といえるのか。


「……じゃあもしかして、この世界って法術クリフも使えるのですか?」

法術クリフって何?」


 そう言われるとは思わなくて、エルフィナは一瞬言葉に詰まる。


「あの、エルスベルの人たちが手とかにつけていた法印ルナールから、色々な力を発動させてたものというか……」

「ああ、接続権限フェブラストスタルクの事ね。って、あれ、まだ残ってるの?」

「残ってるというか……なんていうか」


 エルフィナは、現在のクリスティアにおける法術クリフを説明した。

 すると美佳はかなり驚いたような顔になっている。


「なるほど……。次元結界アクィスレンブラーテが一時的に崩壊した影響で、世界にかなりの影響が出てたのね。考えてみたら、貴女の様にエルフみたいな存在がいるのもそういう影響なのかしらね」

「みたいっていうか、私はエルフですが……」

「……そういえばそうね。その言葉がこっちに来てるわけだし」

「?」


 エルフィナが首を傾げる。


「まあいいわ。そうね。多分法術クリフとやらはこの地球でも使えるでしょうね。まあ、この世界の人間は魔力は持っていてもそれを扱う力をほとんど持ってないから、使えないだろうけど」

「そう……なんですか?」


 ではコウは一体何者なのだろうという疑問が出てくる。


「コウという人は、あとから強引に与えられた可能性があるわ。何をしたのかはよくわからないけど……そっちは一旦いいわね。とりあえず」


 美佳はそういうと、椅子から立ち上がった。


「貴女は今後、精霊王と契約して、加護を得て帰る手段を手に入れるのが、目標になりそうかしら」

「そう……ですね……」


 しかし、具体的に何をすればいいのか、さっぱりわからない。

 何しろ異世界だ。

 右も左も分からないどころか、言葉すら怪しい。

 幸い、《意志接続ウィルリンク》をもらえたので、意思疎通は何とかなるとしても、コウに聞いている通りだと、この世界の広さはクリスティア大陸を遥かに凌ぐはずだ。

 今にして思えば、よくコウはこの状況で生きていけたと感心する。


「まあ、放り出すのもなんだし、手伝ってあげるわ。どちらにせよ、元の世界に戻るとしたら私が一緒に行かないとダメだろうしね」

「……あの。今、あの世界がどうなってるかとかって、分からない……でしょうか」


 ヴェルヴスの気配を辿れるというのなら、コウがクリスティア大陸に戻っていれば、わかる可能性もある。

 もちろんその場合でも、地球とクリスティア大陸で会うことはできないが、あるいは美佳なら生存を伝えてもらうことはできるかもしれない。


「……仮にも竜をメッセンジャー代わりとか大胆な事言うわね……」

「あ、う、そ、その、ごめんなさいっ」

「まあいいけどね。フィオネラもそんな感じだったし。けど、残念だけどそれは無理。確かに私は世界を越えられる。けど、別にお散歩感覚で行けるわけじゃないのよ。そうね……貴女の感覚で言うなら、大陸の真ん中に大山脈があったと思うけど、あれを徒歩で越えるくらいの覚悟はいるわね」


 思わず、コウと二人で越えた時のことを思い出した。

 今考えても相当無茶な旅路だったが、それと同じと言われると、おいそれと頼むわけにはいかない。


「それは……確かに大変ですね……」

「……妙に実感こもってるわね」

「その、コウと二人で、歩いてあれを越えたので……」

「……アホ?」


 響きはともかく意味は分かるので、ちょっと酷いと思ってしまう。


「まあとにかく、そう簡単な話じゃないから、無理ね。それに、いくらわたしでも、結界がある世界に行った場合の力は大幅に制限される。一度行ったら、そう簡単に帰ってこれるわけでもないわ」

「え。……それって、キルセアさんとかも、ですか?」


 キルセアと対峙した時のあの恐ろしさは、今でも寒気がするほどだ。

 あれでも制限されていたというのか。


「そうね。それこそが本来の次元結界アクィスレンブラーテの力だし。特にこの地球せかいでは私の揮える力は大幅に制限されてるわ。あっちのがまだ緩いでしょうけど……ここだと私も無力……は言い過ぎだけど、そこまでの力は使えないし」


 竜眼は見せてもらったが、竜としての力は見せてもらってないので、そこはよくわからない。

 そもそも『竜崎美佳』としてでも、エルフィナからすれば十分頼りになる存在なのだ。


「分かりました。でも、精霊王に助力を頼むってどうやるのでしょうか……」

「そのままよ。精霊王に直接会うしかない……んだけど。私も地球の精霊王に、つまり次元結界アクィスレンブラーテにどこで接触できるかとかはさすがに知らないから、調べるしかないわね」

「調べ……ど、どうやって」

「まあそこは色々。そんな短期間ではできるわけもないから、ある程度長期戦で挑みましょう」


 そういうと、ファルネアはお茶のカップと皿を下げる。


「えと……私は今後、何をすれば」

「そうね……とりあえずは、この世界のことを知りなさい。生活していく以上、いつまでも家に籠ってるわけにもいかないでしょうし……ああ、でもその耳が問題ね……」

「え?」

「この世界には、貴女の世界で言うところの人間エリルしかいないのよ。そんな形の耳は、それだけでコスプレ扱いされるけど、貴女のその容姿だと目立ちすぎるし……」


 美佳はしばらく考えたが、「これしかないか」というとエルフィナに手をかざす。

 直後、何かの力がエルフィナに覆いかぶさるようになって――安定した。


「えっと……?」

「その耳を見ても、他の人が違和感持たないようにしただけよ。まあ、そのうち切れるだろうけど十年くらいは大丈夫だろうし、貴女もそんなに長い間地球にいるつもりもないでしょう?」

「も、もちろんですっ」


 コウの使う認識阻害の限定版というところか。

 とはいえ、その効果時間が桁違い過ぎる。さすがは竜というところか。


「あの。今更のようですが……その、暮らす場所って、その、ここで……?」

「まあここまで事情を聞いて放り出すとかは私もしないわ。それに――」


 美佳は目を細めると空の彼方を見る。


「フィオネラに何があったか、私も知りたいからね――」


 そういう美佳は、ある意味剣呑とも思える雰囲気を纏っていた。

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