第281話 狭間の世界

「まさかあの悪魔ギリルどもとはね。それも……エルスベルが滅んだのもあの悪魔ギリルどもの仕業だったとはね。まあ、次元結界アクィスレンブラーテが弱体化したなら仕方ないか……」


 エルフィナはとりあえず、結界の間で起きた出来事を話した。

 それに美佳が質問を重ね、その関連でエルスベルが滅んだ時に起きたことも話した。といっても、悪魔ギリル悪意の王ギルスエルヴァスが一万年前に襲来し、滅ぼしたと推測される、というだけだ。


 対して美佳は、その話を聞いてから、それだけを言うとしばらく悩むように腕を組んで考え込んでいた。


「とするとあの時の結界の状態は……ああ、ならわかるか……。全くあの子ったら無茶なことするわね……らしいといえばらしいけど」


 美佳が何を言ってるのかよくわからないエルフィナだったが、ただ、美佳が少しだけ悲しそうな顔をしているので、黙って見ていた。

 それに気付いたのか、美佳が再びエルフィナの方を見る。


「ああ、ごめんなさいね。だいたいのことは分かったわ。その……コウという人だっけ。その人の力は分からないけど、ただ、貴方が話してくれた通りなら、生きてる可能性はゼロじゃないわ」

「本当ですか!?」


 その言葉に、エルフィナは思わず目を見開いた。

 腕輪からわずかにコウの力を感じるとはいえ、それは腕輪に残された残滓である可能性もないとは言えないだ。そもそも世界が違っても有効な機能だという自信もなかった。

 しかし、超常の存在である竜がそう言ってくれたのなら、希望を持ちたくなる。

 未だに目の前の少女が竜であるというのは実感がないが。


「ヴェルヴスが力を与えたと言ってたから……どの程度かは分からないけど、それ次第ではあの狭間でも生きてるかもしれない。かなり確率は低いけど……」

「あ……そういえば、コウの持つカタナという武器に、ヴェルヴスさんの力が宿ってるって、キルセアさんが言ってました」

「キルセア!? また懐かしい名前が……っていうか貴女、どういう経験してるのよ。わたしたちにそう何度も遭遇するなんて、普通ないわよ。というかあそこにキルセアもいたの?」

「あ、いえ。私はヴェルヴスさんに会ったことはなくて……」


 エルフィナはとりあえず、コウがあの世界に行ってすぐヴェルヴスに襲われたこと、それを撃退して《意志接続ウィルリンク》を受け取ったこと、その後エルフィナと会って旅をする中でキルセアに会ったことを伝えた。

 それだけでかなりの時間が過ぎたので、途中で美佳がお茶とお菓子を出してくれたが。


「ずいぶんとまた色々やってるのねぇ。まあそれはいいとして……。しかしヴェルヴスがただの人間にやられるというのも驚きだけど。いくら竜命点きゅうしょを貫かれたとはいえ。しかしそうなると、やはり生きてる可能性はあるわね。ヴェルヴスはそのコウという人をかなり気に入ったみたいだから、その刀に宿った力が彼を護ってる可能性はあるし……それに」


 美佳はそういうと、エルフィナを見る。


「彼、地球からそっちに、最初は身一つで行ったのよね?」

「そう、聞いてます。事故に遭ったと思ったらヴェルヴスさんの目の前にいたとか……」

「だとしたら、彼には世界を越えるが何かあった可能性があるわ。正直に言うけど、貴女が今ここにいるの、ほとんど奇跡よ」

「え?」

「さっきも話したけど、貴女には加護が施されていたの。その、アメスティアという人が施したものでしょうね。それがあったから、貴女は狭間の世界の中で無事だった」


 あの時、アメスティアはあの空間に飛び込もうとするエルフィナを止めた。それは多分、彼女はあの場所がどういう場所か知っていたのだろう。

 だから、エルフィナを守るための力を与えてくれたのだ。


「魔力だけの存在である悪魔ギリルと違って、肉体がある存在は本来世界の境界にある『世界の狭間』を越えることはできない。魔力だけの存在でもその存在は大きく削られるからね。肉体がある存在が狭間を越えるためには、魔力的な守護の力を持つか、わたしたちの様にそもそも物理的に耐えるかしかない。でなければ、肉体が四散してあっという間に消滅するわ」


 思い返せば、あの空間では肉体が全方位に引っ張られていたように思う。

 それで腕や足が引きちぎられるとは思わなかったが、もしアメスティアの加護を受けずに入っていればそうなっていたと思うと、今更ながらにぞっとした。


 ただ、それ以上に分からないことがあった。


「あの……世界の狭間ってどういう事でしょうか」

「……そっか。そりゃ分からないわね。簡単に言うと、世界と世界の間にある空間よ。世界の境界ともいうわ。そして貴女のいたクリスティア大陸のある世界と、この地球は、概念的なところで隣り合った世界なの。だから貴女は運よくこっちに迷い込んだのでしょうね」

「隣?」


 意味が分からなくて、エルフィナは首を傾げる。


「隣り合ってるって表現が一番わかりやすいでしょう。普通に移動してたどり着ける場所じゃないし、地球ここはとても安定しているからかなり見つけづらい場所ではあるけど、概念的に隣接した存在なの。故にわずかだけど境界を越えて影響があることもある。一番大きなところでは、『人間』の存在かしら」

「人間……?」

「不思議じゃない? 全く違う世界なのに、人の形が同じって」

「え……?」

「そうね。悪魔ギリルがいい例。あれも違う世界の存在よ。だけど、その形も在り様も著しく違うわよね。ああ、私のこの見た目はこの世界に合わえて変えてるだけだけど」

「あ……」


 言われてみればその通りだ。

 実際、コウによると動物や植生では似てるところもあれば違うところもあると言っていた。

 ただ、人間だけはほとんど同じで、違いといえば妖精族フェリア亜人族インフェリアの存在くらい。

 だがこれは後天的に発生したことはほぼ確実で、つまりクリスティア大陸と地球では、どちらも同じ人間が存在していたのだ。


「じゃあ、私とコウは、ほぼ同じ人間……ということですか?」

「そうね。この世界では『遺伝的に』なんて言葉を使うけど、少なくとも私が知る限りは、同じでしょうね。他にも、わずかだけど概念や言葉が伝播することもあるわ。夢とか無意識下でだけどね」


 美佳の言葉で、エルフィナは少し嬉しくなった。

 少なくとも、同じ人類エンリアであるなら、世界が違っていても結ばれることに対する問題はない――と思える。

 それに、自分がこの地球に来てしまったのであれば、あるいは――。


「あの。コウが私と同様にこっちの世界……地球に来ている可能性はあるのでしょうか」

「ないわね。さすがに、ヴェルヴスの気配がこの世界に出現したら、たとえ断片だろうが私にはすぐにわかるわ。でも、そんな気配はない。だから、そのコウという人は、今も狭間の世界を漂っているか、あるいは元のクリスティア大陸のどこかに落ちたか、最悪、それ以外の世界に漂着した可能性もあるけど……」


 先ほど抱きかけた希望が一瞬で絶望に変わる。

 クリスティア大陸のどこかというだけで、探すのがどれだけ大変かなど考えたくもない。

 それが他の世界などとなったら、もうどうやって探せばいいか全く見当もつかない。

 そもそも行く方法すら分からない。


「まあ、可能性からすればクリスティア大陸の世界のどこかか、狭間の世界を今も漂ってる可能性の方が高いわね。特にヴェルヴスの力を宿す器物があるなら、多分主を保護しようとするでしょうし」

「そ、そうなんですね」


 それを聞いて少し安堵する。

 とはいえ、クリスティア大陸の世界ならまだしも、狭間の世界で何日もいたら、コウが死ぬ。


「ああ、もし狭間の世界にまだいるなら、その心配はないわ。あそこ、基本的にほとんど時間が流れないのよ」

「時間が流れない?」

「そ。つまりあそこにどれだけいても、年は取らないしお腹がすいたりもしないわ」

「そ、そうなんですか」

「ええ。逆に言えば、貴女が狭間に飛び込んでからどのくらい経ったかもわからないのだけど。場合によっては実は百年……ああ、でもそれはないわね。コウという人がこっちで行方不明になってからの時間がほぼ同じだものね。せいぜい数日から一月ってところかしら」


 怖いことを言われて焦ったが、とりあえず安堵した。

 もし百年も経過していたら、もうラクティやステファニーらは、あの後どうなったかに関わらずとっくに死んでいる。

 もちろん、自分が森妖精エルフである以上、いつか彼女らが先に年を取って世界を越えるのを見届けることになるだろう。

 だがそれをすることなく、というのはいくら何でも寂しい。


「……うん、貴女が狭間にいたのは、ほんのわずかね。というか、それ以上いたら死んでいたでしょう。そのアメスティアという人が与えてくれた加護は、そこまで強いものではなかったみたいだし」


 さらりと怖いことを言われて、思わず身震いした。


「とりあえず現状は大体わかったけど……貴女はどうしたいかしら?」


 確かに現状は分かった。

 多分自分が、本当に奇跡的に助かったのは間違いないだろう。

 だが、このままでいいはずはない。

 何より――。


「コウを探して、元の世界に戻りたいです。私は、そうしなければならないと思いますから」


 アメスティアは、おそらく命を賭してエルフィナを狭間の世界に送り出した。

 それは、コウを助けるためであると同時に、エルフィナをあの場から逃がす目的もあったのだろう。それは、コウとエルフィナの二人が、いつか世界を救ってくれると思ったからだ。

 あの場にはあとティナとメリナもいたが、メリナはともかくティナも、アメスティアが何かしらの方法で助けたことを、エルフィナは疑っていない。


 そして同時に、アメスティアがもう生きていないだろうということも――分かっていた。

 そもそもあの時点で、おそらく彼女の命はほとんど失われていたも同然だったのだ。せめて最後に治癒をかけてあげればよかったと思うが、おそらく彼女の最期は変わらなかったと思う。


 その遺志を継ぐためにも、エルフィナはなんとしてもコウと共にクリスティア大陸に戻らなければならない。

 それが、エルフィナが今すべきことだということだけは、確信できた。


「そう。まあ誤魔化しても仕方ないからはっきりいうわね。それは現状では不可能よ」


 しかしそれに対する美佳の言葉は、あまりにも残酷にエルフィナに突き刺さった。

 

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