第279話 迷子の妖精

 夜が明けた。


 昨夜あまりに混乱したエルフィナは、元々の疲労もあってか、あっさりと意識を手放してしまった。

 再び目が覚めた時、窓から見えた明るい空に安堵しつつ――その下に見える街並みに、昨夜のことが夢ではないと思い知らされた。


 これまで見たことがある最大の都市は、帝都ヴェンテンブルグ。

 だが、今この窓から見える光景だけで、あの都市よりさらに栄えていることがよくわかる。

 何より、建造物の大きさが違い過ぎる。

 そもそもよく考えたら、窓の位置も高い。

 つまり今いるこの建物も、かなりの高層建築ということになる。


「い、いったいどうなって……。って、ここがニホン、でしたっけ……じゃあ、コウがいた場所……? でも、なんで?」


 ファリウスの結界の間から、あの悪意の王ギルスエルヴァスがこじ開けた空間に吸い込まれたコウを追ってエルフィナも飛び込んだ。

 全身が引き裂かれるような衝撃と痛みが続く中、それでも必死にコウを探したが、結局見つけられず――いつの間にか意識を失っていたのだろう。

 そして気付いたのが昨夜。

 リュウザキミカと名乗った少女が多分自分を助けてくれたのだろうが――。

 そんなことを考えていると、その当人が現れた。


「あ、起きたわね。まあとりあえず朝ごはんにしましょう。立てるかしら?」

「あ、は、はい」


 案内されたのは、小さな食卓がある部屋。おそらくは食堂かと思うが、置いてある食卓の割に広い空間で、もう一つ背の低い卓と長椅子が置いてあった。どちらかというとこちらは応接用という感じだが、食堂と応接間がくっついている感じか。

 食卓の上に白い綺麗なお皿があり、法術具クリプトの調理器具にも似た装置からとても食欲をそそる香りが漂ってきた。


「あっちの食事のことはあまり覚えてないんだけど……とりあえず食べられるものは大体同じだっただろうから、トーストとチーズケジョンハムホルブでいいわよね」


 言われた言葉は確かにエルフィナの知る言葉なのだが、分からない単語が混じっていた。エルフィナに分かる言葉で話してくれてるが、どうやら一部名詞はこちらの言葉で言ってしまっているらしい。


「あ……要するに焼いたパンラグドよ。それならわかる?」

「あ、はい」

「あっちにない言葉が面倒ね……でも貴女、日本語も少しは分かるのよね。なんで?」

「その、一緒に旅していた人から教わって」

「日本語を?」

「その、彼は、ニホンから来たと……そう言ってました」


 すると美佳は驚いたような顔になる。


「こっちからあっちに行った人が……? 強度的にそれはあり得ないはずなんだけど……でも考えてみたら、貴女がここにいる時点で、あり得るのかしら……」

「えっと……?」

「ああ、うん。話は後にしましょう。食事をしてから色々話したいわ」

「わ、わかりました」


 出されたのは焼いたと思われるパンラグドと、白い四角い板――と思ったらチーズケジョンだった。それに同じく驚くほど薄く切られてはいたが、これがハムホルブだろう。どれも味はとても良い。

 特にパンラグドは、食べたことがないほどに柔らかで甘く、それでいてさくっとした外側は本当に美味しい。

 もっと食べたくなるが――さすがに遠慮すべきだろうし、とりあえずお腹は満足はできた。


 一緒に出された飲み物はおそらくは牛乳モイスだろうか。ただ、エルフィナが知るそれよりさらに白く――飲んでみると、驚くほど滑らかで、さらに冷たいことにも驚いた。


 食事が終わると、美佳が食器を厨房と思われる場所に下げていき、二人は食卓ではなく、すぐ隣にある場所にあった長椅子に座る。少し沈み込むほど座面の柔らかなこの椅子は、あちらでも貴族の邸宅などにはあったが、エルフィナは利用することがほとんどなかったので、少し新鮮な感覚だった。

 逆に言えば、こんな上等な椅子は王宮や貴族の館にしかない――大抵の家では寝台が椅子の代わりになる――ものだと思っていたのだが、美佳はこの世界での上流階級に相当するのだろうかと思えてくる。


「さて、と。私も今日は仕事ないし、時間はあるから色々聞きたいけど……。言葉の問題は面倒ね。一応通じるみたいだけど語彙が変わってることはあるだろうし……。私が使えばいいんだけど……いっか。その方が私も楽だし、与えてもそれほど悪さできる物ではないし、この先必要になるかもだし」


 美佳はそういうと、エルフィナに向けて手をかざしてきた。

 害意があるとは思えなかったが、それでも一瞬身構えてしまい――直後。


「え!?」


 エルフィナは、何かが自分の中に流れ込んできたのに驚愕する。

 それは――。


「……これ、コウの話していた……」


 《意志接続ウィルリンク》。

 コウが持っていた、相手の意思や言葉を直接理解できる能力だ。

 初めて経験するが、同じものだと本能的に理解できた。


「どう? これでこの言葉でも意味は分かるわよね?」


 美佳が話したのは、日本語。

 だがそれが、全く問題なくエルフィナには理解できる。


 コウがこの力をもらったのは、ヴェルヴスからだと聞いた。

 同じ力を持っていたのはキルセアだけ。

 他に、悪魔ギリルも似た力は使っていたらしいが、あれは感情に近い意思を垂れ流すのに近く、《意志接続ウィルリンク》ほどに洗練された能力ではないと思うとコウは言っていた。


 エルフィナは改めて美佳を見る。

 見た目は自分とそう変わらない人間の少女に見えるが、こんなことができる時点で、どう考えても普通の人間とは違うとしか思えない。


「は、はい。もしかしなくてもこの力って……《意志接続ウィルリンク》、でしょうか」


 すると今度は美佳が少し驚いたようになる。


「驚いたわね。貴女、《意志接続これ》のことを知ってるの?」

「は、はい。その、コウが……あの、さっき話した、日本語を教えてくれた人で、私が探してる人なんですが、その人が同じ力を持っていたんです」

「ちょっと……そのコウって人何者よ。人間じゃなかったの?」

「えと……地球から来たと言っていた人で、私の……その、大切な人です」


 言うのが少し恥ずかしかったが、美佳はそれを気にした様子はない。

 ただ、その話自体には興味を持ったようだ。


「地球出身で、《意志接続ウィルリンク》を持っていたの?」

「はい。と言っても最初からあったわけじゃなくて、その、ヴェルヴスという名の竜にもらったとのことでした」


 美佳はエルフィナの言葉に、先ほど以上に驚いたような顔になる。


「あら。あのヴェルヴスがそんなことを人にするなんて珍しいわね。よほど気に入ったのかしら」

「え……?」

「ヴェルヴスを知ってるのならいいでしょう。私の名前は昨夜名乗った通り、竜崎りゅうざき美佳みか。戸籍上はその名前の日本人ってことになってて、今のところはそれで通してるわ。ただ――」


 そこで美佳は言葉を切り、目を閉じる。

 そして――。


「私の本当の名は、ファルネア。ヴェルヴスと同じ、竜よ」


 再び開かれたその瞳は青い輝きを宿した――人に非ざる、あのキルセアと同じ竜の瞳そのものだった。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 その後、ファルネア――竜崎美佳から、エルフィナは最低限のこの世界のことを教わった。


 ここが地球と呼ばれる惑星で、そこに数多あまたある国の一つ、日本という国であること。

 この辺りは日本の中でもかなり栄えている地域で、ファルネアは竜崎美佳として、つまり人間の振りをして過ごしていること。

 この世界には魔法や魔術という法術に似た概念はあっても、実際にそれらを使える人はほとんどいないということ。

 そして森妖精エルフなどの異種族は存在せず、髪や瞳、肌の色の違いこそあれ、知的生物は全て人間しかいないこと、など。


 正直この時点で情報過多だ。

 ただ、話を聞く限り、この世界が、かつてコウがいた世界であることはほぼ間違いないと思える。

 そしてそうなると気になって、美佳にコウがかつていた世界なのか確認できるかと聞いたところ――。


「ああ、あったわ。神坂昴。二年前で十八歳。これでコウって読ませるのね。たいていの人はスバルと読みそうだし、これって読み方合ってない……まあ読み方は自由だったっけ。ともかく、確かに二年近く前に捜索届が出されてるわ。この人よね?」


 美佳――瞳は元の黒瞳に戻っている――が、なにやら薄い板が二つくっついたものを見ながら教えてくれた。板は二つに折れていて、片方になにやら映像が映し出され、片方は小さな突起が大量についている。あとで聞いたが『ぱそこん』というものらしい。

 覗き込むと、コウの顔がそこに浮かび上がっていた。

 エルスベルの技術でも見たものに近いが、知らなかったら驚いているところだ。

 この世界は、少なくともエルスベル同様に、目で見た映像をそのまま映し出す技術があると分かる。


「はい。間違いありません。コウです」

「じゃあ確定ね。貴女がさっき話してくれた通りなら、そのコウという人が、二年近く前にこの世界からそっち……クリスティア大陸に迷い込んだのでしょうね。当然、こっちでは行方不明になる。この国では行方不明になった人を探してもらうために届け出る制度があって、それが捜索届。捜索届を出したのは……弁護士ね。彼、家族はいないの?」

「コウから聞いた話では、家族はもういないそうです。ただ、育ててくれたお爺さんがいて、その人が亡くなって、その遺産を受け継いだとは言ってましたが……」


 美佳は小さな突起を叩きつつ、パネルのようなところに指を這わせる。


「うーん。さすがに調べるのは面倒そう。でも、とりあえず貴女の話が嘘ではないのも、そのコウという人がいた世界がここというのも、確実のようね」


 言葉の意味は《意志接続ウィルリンク》で分かるのだが、それでも理解が追い付かない。


「さて、とりあえず今いる場所のことは話したし、貴女の恋人がかつてこの地球の人間だったのは分かったけど」


 美佳はそういうと、その二枚の板を折りたたむように閉じると、エルフィナに向き直る。


「そもそもで、貴女がなぜこんな場所にいるのか。来る前の状況が知りたいところだけど……それより私にとってはこれが一番大事なんだけど。貴女はなぜ、フィオネラと同じ魔力を持っているの?」

「え――」


 まさかここでその名を言われるとは思わなかったエルフィナは、驚愕で顔が固まった。


「貴女の持つその魔力は、私ですらフィオネラと同じだと思えるほどに酷似している。でも、言うまでもなく彼女は人間だった。それに、一万年以上前に死んだと聞いているわ。それが、なぜ?」

「なぜって……」


 なぜ美佳がフィオネラの名を知っているのかという疑問がなくはないが、エルフィナにとってはそれを聞くどころではなかった。

 ただ、一万年前にいたはずのフィオネラと、自分の魔力がほとんど同一であるという事実を糾弾されていることで、頭がいっぱいになる。


 だがそれこそ自分の方が知りたいくらいだ。

 ドルヴェグ、カラナン遺跡、ファリウスと立て続けに誰だかもよくわからないフィオネラという人物と同一だと言われ、一番混乱して不安になったのは他ならぬエルフィナ自身である。

 森妖精エルフだからとて、生まれた時のことは当然わかるはずもない。

 自分が本当は誰かというのは、ずっと感じていた不安だった。

 ただそれでも、コウが一緒にいてくれて、支えてくれて。

 少なくともコウにとっての自分は間違いはないと思えていたから、大丈夫だったのに――今、コウはここにいない。


 そのコウがいない心細さと、この理解不能な状況、さらにフィオネラという存在に自分自身の存在すら脅かされたエルフィナは、もはや限界だった。


「し、知りません、わた、私だって、何が何だか、分からないん、です。そんなこと言われたって、わたしが聞きたい、くらいで」


 涙が溢れる。

 一度堰を切ったそれは、とどまることなくエルフィナの頬を濡らしていった。


「わたしは、いったいなんなんですか。どうしてこんなことになってるですかーっ」


 あふれ出した涙は止まらず、エルフィナはそのまま、文字通り泣きわめいてしまう。泣いても不安や悲しみ、それに意味の分からない恐怖が消えることはないと分かっていても、それ以外に今のエルフィナにできることはなかった。


 それを見ていた美佳はしまったという顔をして――しばらくはエルフィナが泣き続けるのに任せるしかなかった。


―――――――――――――――――

ちなみに美佳が捜索届調べたのはハッキングです(ぉ

行方不明者の一覧くらいは警察のサイトで見れますけど、それ以上に詳細な情報を取得してますので。

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