第二部 第一章 異世界の妖精

一人ぼっちの異世界

第278話 目覚めた場所

 全身が引き裂かれるほどの痛み。

 それに抗い続けて、エルフィナは必死に空間を彷徨さまよっていた。

 上下左右、あらゆる方向感覚が狂い、一瞬毎に見える光景が変わる。

 自分が進んでいるのか、あるいは後退しているのか、それすらも全く分からない、闇とも光ともいえないその場所で、それでもただ一人の姿を求めて、必死にあがく。

 激痛に身体も心も悲鳴を上げているが、それでもコウに会えなくなることに比べたら、いかほどのことでもない。

 ただその一心で、エルフィナはあがき続け――。


(あ……れ。痛みが――ない?)


 意識がわずかに浮上する。

 閉じている瞼の裏に、それほど強くはないが光を感じることから、少なくともここは、あの場所ではないと思えた。

 何より、全身を引き裂く様なあの激痛がない。

 あの場所で、いつの間にか気を失っていたのかと思うが、体に感じられる感覚はあの異様な空間のものではない。

 というか、寝台に寝かされているようだ。


(目を……開けない、と)


 固く閉ざされていた目を開くのに、なぜかかなりの力を必要とする。全身がこわばっているのか。

 そしてどうにか開いた目に飛び込んできたのは、白い天井だった。

 白い天井が目に眩しいくらいだ。

 その天井の一部が、特に強く輝いていた。

 察するに、あそこから光がもたらされているようだ。


「ん……」

「あら、気付いたわね。気分はどうかしら? というか、言葉分かる?」


 突然聞こえてきた言葉に、エルフィナは驚いて声のした方を見た。

 そこにいたのは、少し青みがかった黒髪の、とても整っていると思える人間の女性。年齢的には――森妖精エルフとしての実年齢は置いておいて――同じくらいに見える。雰囲気的には少し上か。


「どう? 言葉が分かるなら助かるのだけど」

「えっと……そのことば、なぜ……」


 その少女が話す言葉に、エルフィナは覚えがあった。

 それは、コウが教えてくれた、コウが元々使っていたという言葉だ。

 少しは教えてもらって、ある程度聞き取ることはできるし多少なら話すこともできる程度には身に着けてはいたが、かといって流暢に話せるほどではない。


「あら。いきなり日本語が通じるのは少し驚きだけど……貴女、何者?」

「えっと……わたし、なまえ、エルフィナ……」

「エルフィナさん、ね。どこから来たの?」

「あの、えっと……その」


 どこからと言われるとファリウスからとなるのか。

 エルフィナとしては、それ以前にここがどこだが分からないので聞きたいのだが、どういえばいいのかすぐに思い出せなかった。


「うーん。十分にコミュニケーションは取れない感じね。まさかとは思うけど、が使っていた言葉と同じものならどうかしら」


 そういうと、少女は少しだけ目を閉じて――。


「この言葉ならわかるかしら?」

「あ……はい。大丈夫、です」


 突然少女は、エルフィナが良く知る言葉で話し出した。

 若干、言葉の響きが違う気はするが、会話は問題ない。

 一方の話した方は少なからず驚いた顔になっていた。


「驚いた……本当に通じるなんて。ということは貴女、クリスティア大陸から来た、で間違いない?」

「え。はい、そうです。私はティターナの森、クレスエンテライテの氏族のエルフィナです」

「……変わった自己紹介ね。というか……その耳、何?」

「え?」


 思わずエルフィナは自分の耳に触れる。

 耳が欠けていたりしたのかと思ったが、別におかしいところはない。


「特におかしくない……と思うんですが」

「そうじゃなくて。そんな形の耳の人間、クリスティアに……あ、いえ、そういえば……なんか聞いたような……」


 少女はそのまま考え込むように上を向いてしまう。

 エルフィナは何を言えばいいか分からず、とりあえず自分がいる場所がどこか気になって、部屋を見渡してみた。


 部屋の壁は総じて白い。ここまできれいに白い壁など、王宮や貴族の館でしか見たことがない。さらに言うと表面にわずかに模様めいたものがあって、木なのか石なのか、材質が分からない。床は木の板に見えるが、とても滑らかでかつ綺麗なもので、非常に整備された家だと思えた。


 少し視線をずらすと、何に使うのか分からない大きな黒い板があって、その手前に小さない黒い棒のようなものがある。

 他にも洋服棚と思われるような、引き出しと思われるものが並んだ家具があって、驚くほどきれいな加工が施されたものだと思った。


 自分が寝かされているのはベッドだというのは分かるが、そのベッドの柱の加工一つとっても、非常に滑らかでとても腕のいい職人が作ったのだと思われた。寝台それ自体の品質も、比較的いい宿のそれと変わらないように思う。


 家の中はかなり明るいが、壁際にある窓と思われる場所は、布で覆われている。その向こうから光が漏れている様子はない。

 やはりこれほど明るいのは天井の採光窓からの光か。

 しかしあれほど小さくてこれほど部屋中を明るくしているのは、ちょっとすごいと思える。


「ああ、そうか。そういえば……エルフとかっているとか聞いた記憶があるわ。貴女がそうなのね。そういえばこっちにその言葉が迷い込んだんだっけ……」

「えっと……?」


 すると少女は、少しため息を吐いた後、どうしたものかと考えるように腕を組んでから――。


「貴女、立てる? 見たところ大きな怪我はなかったと思うのだけど」

「えっと……はい。多分」


 身体がこわばってはいるが、動かないわけではない。

 立ち上がろうとしてから、自分が元着ていた服とは違う、清潔な服を着ているのに気付いた。大きめのローブめいた服だが、着心地はいい。ただ、下着はそのままのようだ。

 彼女が着替えさせてくれたのだろうか。

 そして少女が手招きするので、窓際に寄っていく。


「とりあえず、自分の状況をさくっと把握してもらった方がいいと思うからね」


 そういうと、少女は窓を覆っていた布をずらして、外を見せる。

 そしてそこから外を見た途端、エルフィナは文字通り驚愕のあまり、動けなくなった。


 この部屋はとても明るくて、エルフィナはてっきり今は昼間だと思っていた。天井にあるのは採光窓だと思っていたからというのもある。

 しかし、その窓から見えた外の光景は、空は真っ暗な夜の闇で――そして、眼下に見えるその街は、確かに暗いながらも、宝石よりも明るく輝く光で満たされていたのだ。


 その街並みも、エルフィナが知るどの街とも異なっていた。

 見たことがないほど巨大な建造物が夜の闇にあってなお、ところどころに明りを灯してその威容を見せている。

 さらに遠くには、もっと巨大な建造物すら見えたが、それもまた、多くの明りに彩れていた。


「え……ここは……」

「ここは地球。その中で日本という国にある都市。貴女のいたクリスティア大陸とは、別の世界よ」

「チキュウ……ニホン?」


 その名前には憶えがある。

 コウがかつて、クリスティア大陸に来る前に住んでいたという国の名前と、同じだ。


「え……じゃあ、私、は……」

「あ、そういえば私、名乗ってないわね。私は……そうね。今は竜崎りゅうざき美佳みか。とりあえず、美佳と呼んでくれればいいわ」


 そう、少女が話した内容の半分も、エルフィナには聞こえてはいなかった。

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