断章 ある邂逅
第277話 金色の来訪者
「お疲れ様でした。お先に失礼します、竜崎さん」
「お疲れ様、玖条さん。無理を聞いてもらって悪かったわね。本当は休みだったのに」
「いえ、大丈夫です。それでは、また」
黒髪の少女が軽く頭を下げつつ、自動ドアの向こうに消える。
今日は臨時で無理を言ってシフトを入れてらったのに、嫌な顔一つせずに引き受けてくれた彼女に感謝しつつ、がらんとなった
本来、今日は自分も彼女もシフトの予定はなかったのだが、この時間のバイトの子がインフルエンザに罹ったとかで、急遽来れなくなったらしい。
そして次のシフトの人を前倒してもらおうにも、どうしても空白時間が出来てしまうので、自分と彼女が臨時でシフトに入ったのである。
どちらも家が近いことが最大の理由ではあるが、美佳の場合は少しだけ責任感というのもあった。さすがに九年間も同じ場所で働いていれば、それなりに愛着もわく。もっとも、その『人間的』感覚自体に少し笑いたくなってしまうが。
先ほど上がってもらった玖条という名の少女は、どうしても外せない用事があったらしいので少し早く上がってもらったとはいえ、十分助かった。
少し嬉しそうな様子だったので、あるいはこの後デートにでも行くのだろうか。
繁華街と住宅地の境界にある
先ほどまでは帰宅客などでごった返していたが、そのピークはもう過ぎたので、次のピークはおそらく二時間から二時間半後。
その前に交代の予定だが――としばらくのんびり仕事をすること十分。
予想通りの人物がやってきた。
「竜崎さんこんばんは。すみません、無理を言って」
「いいわよ。そちらも前倒ししてもらったんだし。あと一人来るわよね?」
「はい。
「そ。じゃあ彼女も来たら私は上が……」
言いかけたところで、自動ドアが開いた音が店内に響く。
「ちーっす。竜崎さん、こんばんはー。あ、白雪ちゃんはもういないの?」
言ったそばからやってきたらしい。
「あの子は用事があるそうだから少し早く上がってもらったわ。二人が来たなら私も上がるわね」
「了解ー」
「お疲れ様ですー」
二人がレジに入って勤務開始処理をしたのを確認して、美佳はバックヤードに入り、店の制服をロッカーにしまう。
今は二月。特にここ数日はかなり強い寒気が南下してきたとかで、気温はかなり下がっている。先ほど来た二人もコートにマフラーとフル装備だ。
自分がいるからだろうかと思うが、何年か前には暖冬もあったし、さすがにそれはないだろう。
正直に言えば自分は何も着ていなかったしても寒さに震えることはないが、長年の生活で周りに合わせた方が無難であるのはよくわかっているし、気分的に『寒い』とは思うようになっている。
なので、大きめのダッフルコート着てマフラーを首に巻いてからバックヤードを出ると、ちょうど二人が接客をしてるところだった。
仕事の邪魔をしては悪いので、軽く会釈をして店を出る。
なるほど、確かに気温は低い。おそらく普通の人なら寒くて体を震わせているところだろう。あと半月もすれば三月になって、この地域は『春』と呼ばれる季節になるはずだが、多分今日のこれは、ペットボトルを外においておけば朝にはいい感じに冷えているか、下手をすると凍ってる。
「寒い……と感じるのは人として長く暮らし過ぎてるからかしらね」
誰に言うでもない独り言をつぶやいて、家路を歩き出そうとした時、ふと奇妙な感覚を感じた。
(……なに、これは……ひどく懐かしい気がするこの感じは――魔力?)
一瞬思い出せなかったが、忘れかけていた感覚をやっと思い出した。
だがこんな感覚は、この世界ではほとんど感じたことがない。
少なくとも、この数百年は皆無だったはずだ。
(間違いない。これは魔力の気配。この世界にも魔力はあるけど、でも誰もそれをこのように感じさせるほどに使いこなせるような存在は、もはやいないはず……)
ただ、それだけではなく。
この感覚は、あまりにも懐かしく、そして狂おしいほどに――悲しくなる感覚。
それが、彼女の少し古い記憶を刺激した。
「まさか……フィオネラ?」
ようやく思い出した。
まだこの世界に文明すらほとんど誕生していなかった遥かな昔に失った存在。
ただ一人、自分が友と認めた人間。
その気配が、まさに今感じられているのだ。
「嘘……なんで!?」
そう言いながら、美佳はその気配の元に走り出していた。
距離はそんなに遠くない。この身体で走っても、数分の距離だ。
横断歩道を渡り、人の気配の少ない住宅地へ。その中にある、高台の公園。
あとひと月あまりも過ぎて暖かくなれば桜が咲き始め、多分人が溢れるだろうその公園は、さすがにこの季節の夜中には人が一人もいないが――。
「……誰?」
少し木陰になるような場所の植え込みの脇に、人が倒れていた。
先ほど感じた気配は、間違いなくその人物から感じられる。
だが、見覚えは全くなかった。
見た目だと十代半ばくらいの少女だ。
少なくともこの世界、この地域の人間から見たら、非常に変わった服を着ている。かなりボロボロにはなっているが、服の裏側に薄い板の様なものが見えるので、まるで防具のようだ。
さらに奇妙なのは、持ち物である。
髪飾りや腕輪などの装身具はともかく、腰のベルトにくくられているのは、どう見ても剣。それも、間違いなくこの地域であれば所持しているだけで法に抵触するほどの大きさだ。
模造品には見えない。第一、それからも魔力を感じる。
そもそもそんな年齢の少女がボロボロの状態で真冬のこの時期、こんな人気のない公園で倒れている時点で異様なのは考えるまでもない。
だがその条件を無視しても、この少女はその見た目だけでも異様だった。
夜の闇でもなお、わずかな光を受けて輝くように見える美しい金髪は、少なくともこの国ではまず見ることはないし、他国でも滅多にいないほど美しい。だがそれは一応、まだあり得る範囲内だろう。
それ以上に異様なのは、その耳の形状だ。
「創作物のエルフじゃあるまいし……」
人間の耳より明らかに長く、尖っているように先端が細い。こんな耳は、この世界の人間には存在しない。
「生きてはいる……ようだけど」
でなければ魔力を感じることはないはずだ。
だが、どう考えてもこの少女は、『彼女』ではない。
なのにその感じる魔力は、間違いなく『彼女』のそれとほぼ同一だ。少なくとも、自分が感じる範囲では、全く区別がつかないほどである。
「どういう……こと?」
その時、わずかに少女が身じろぎした。
形の良い唇から、わずかな呼気と共に声が漏れる。
「コ……ウ……――」
それを見て、竜崎美佳は大きくため息を吐いた。
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