第272話 悪意の王との戦い

「戦う前に、一つだけ聞きたい」

「む?」


 その場にいるだけで普通の人間なら吐き気すら感じるほどに澱んだ魔力が揺蕩たゆたう中、コウは油断なく刀を構えて悪意の王ギルスエルヴァスを睨んだ。


「ミレアは、お前が操ったのか?」


 その質問は悪意の王ギルスエルヴァスには意外だったらしい。

 軽く驚いたような表情になる。

 悪魔ギリルでもそのような表情は出来るのか、と少しズレたところでコウは感心していた。


「あの娘はに連なる存在であったから、容易にその意思を掌握できる相手だった。それだけだな」

「ということは、あれはミレアの意思ではないのだな」


 すると悪意の王ギルスエルヴァスはむしろ面白そうに――そしてこれ以上ないほどに邪悪と表現するのがふさわしい――笑みを浮かべた。


「そうだな。我を滅ぼすことができれば、あの娘の支配は解かれるだろう」

「そうか。欲しい答えをくれたことに感謝する」


 直後、コウは一瞬で悪意の王ギルスエルヴァスの至近距離に踏み込んだ。

 [縮地]を用いた圧倒的な加速と同時の斬撃。

 人間ではほとんど見切ることが難しいほどの一撃だが、相手が相手。

 まずは力を計るつもりで踏み込んだ一撃だが――。


 予想外の手ごたえに、コウの方が戸惑った。


「ほう……恐ろしいほどの速度。それにその剣、我らを滅ぼすに足る力を秘めているな。どういうものであるかまではわからぬが――」


 そう言って、平然と地面に落ちた右腕を見る。

 コウの刃はあっさりと悪意の王ギルスエルヴァスの右腕を捉え、切断したのである。

 ただ、血が一滴も流れ落ちていない。


「ふむ……再生も容易ではないか。これは無視できぬ脅威ということになるな――」


 直後、その断面からぼこぼこと肉が生み出され、せいぜい十秒程度で腕が再生されていた。

 今しがた、『再生も容易ではない』などと言っていたのが何なのかと思うほどだ。


「ならばこれはどうです――!!」


 いつの間にか、エルフィナの全身を精霊が包んでいた。精霊鎧メルムガルドだ。そしてそこから、凄まじい威力の攻撃が、文字通り雨のように悪意の王ギルスエルヴァスに降り注ぐ。


 だが。


 精霊の攻撃は悪意の王ギルスエルヴァスの肉体――ゲッペルリンクのものだろうが――を容赦なく削り取る。

 しかし削り取った先から、一瞬で再生しているのだ。

 その様は、まるで攻撃がただ肉体を素通りしているだけと勘違いしそうになるほどだが、服はあっという間にボロボロになってるので、攻撃が当たっているのだけは分かる。

 最初は服まで再生させていたようだが、途中から面倒になったのか、その下の肉体が黒褐色に染まり、まるで全身を覆う薄い服を着こんだような状態になった。


 だが、エルフィナの攻撃をまるで意に介していなかった悪意の王ギルスエルヴァスは、そこに踏み込んだコウの斬撃は大きく飛んで避けた。

 そんなやり取りが幾度が繰り返されたが、さしものコウも悪意の王ギルスエルヴァスが大きく飛んで距離が空いてしまったため、一度踏みとどまる。


「どうやら、この刀の攻撃は受けたくはないようだな」

「そうだな……再生しづらいという点で、面倒なだけだが」


 直感だが、それは嘘だとコウは感じた。

 それなら、ここまで避ける理由がない。


「コウ。いいですか」


 エルフィナが近くに寄ってきて、何事か呟く。


「……分かった。確かにその方が早い」


 コウは頷くと、刀を鞘に納めた。

 それを見て、悪意の王ギルスエルヴァスは少し怪訝な顔になる。


「行くぞ――閃斬!」


 神速の抜刀と同時に、刀に込められた魔力が鋭く伸びる。

 それは悪意の王ギルスエルヴァスを捉え――。


「が!?」


 文字通り腰斬した。

 このダメージはさすがに効いたのか、悪意の王ギルスエルヴァスは浮力を失って地面に落ちる。

 だが、この程度で終わるとは思っていない。


「[縮地]」


 コウは一気に踏み込むと、とどめを刺す勢いで刀を振り下ろし――それは床を傷つけるだけに終わった。

 なんと悪意の王ギルスエルヴァスはもう斬られた下半身と上半身がくっつきかけており、それでコウの攻撃を避けたのだ。

 とはいえ、まだ再生はしていない。

 悪意の王ギルスエルヴァスに反撃の暇すら与えない連続攻撃が、容赦なく襲い掛かる。

 だが、その凄まじい連撃を、悪意の王ギルスエルヴァスは素手で弾いていた。


(魔力の密度が――違いすぎる)


 正しくは素手ではない。悪意の王ギルスエルヴァスの全身は凄まじい密度の魔力に覆われており、その全身が鋼のような強度になっている。

 それでもこのヴェルヴスの力を宿した刀なら斬れるが、魔力をより集束している腕は斬れず、刀を捌かれてしまっているのだ。


 もっとも、コウとて勝てるとは実は思っていなかった。

 冷静に分析して、おそらく今の戦力で勝つのは難しい。ただ、彼らの目的はコウたちを殺すことではない。次元結界アクィスレンブラーテの破壊だ。

 コウ達は周りを飛び回る羽虫程度の存在だと思っているだろう。

 そこに付け込む隙がある。

 エルフィナによると、彼らが目的を成し遂げるための条件は――。


「ヌ!?」


 コウの攻撃を捌くのに意識を割いていた悪意の王ギルスエルヴァスは、視界の端を高速で駆け抜ける存在がいるのに気づくのが、一瞬遅れる。

 そしてその隙で、二人には十分だった。


 精霊鎧メルムガルドをまとったまま高速で駆け抜けたエルフィナが、まだ茫然と立ち尽くしているティナを抱きかかえ、そのまま一気に距離を取った。


「貴様!!」

次元結界アクィスレンブラーテに何かをするのには、ティナちゃんの力が必要って、あの子たちが言ってましたからね」


 エルフィナはそのまま大きく旋回すると、アメスティアのところまで戻ってくる。


「アメスティアさん、ティナちゃんを任せます」


 そしてすぐ、コウのそばに戻った。

 同時に、自分たちとアメスティア、ティナの間に、複数の精霊の力からなる巨大な壁を形成する。


「貴様ら……」


 この力は精霊たちの力で出現させたものだ。つまり、エルフィナを仮に殺したところで、この壁が消えることはない。そしてその突破は、たとえ悪魔ギリルといえど容易な事ではないはずだ。

 そして。


「これで遠慮なく全力を出せますね、コウ」

「……そうだな」


 直後、コウは容赦なく[存在消失ヴォイドストーム]を放つ。

 だが、その術の威力がまるで届いていないかのように、悪意の王ギルスエルヴァスは平然としていた。


「やはり効かないか」

「人間の使う力としては破格と言ってやろう。だが、我には通用しない」


 これで終わるとは正直あまり期待していなかったが、それでもこうもあっさりと無効化されると、その力のデタラメさに改めて驚かされる。

 ただこれで、いっそ決心がついた。

 相手がこちらを警戒していない今なら、おそらく出来る。


「やるぞ、エルフィナ」

「わかりました。後ろの二人は、地の精霊ネルティに任せるので大丈夫です」


 コウはその言葉にうなずくと、立て続けに障壁の法術を発動させる。

 そしてそれを極限まで圧縮すると、それを重ね合わせて指先程度の小さな球体を作り上げた。


「ほぅ。器用だな。だが、それでどうするというのだ」

「少しかかるが――な!!」


 指の先ほどの、膨大な障壁を重ね合わせた球体。

 それが突然、赤く輝いた。


「ヌ?」


 直後、悪意の王ギルスエルヴァスの周囲の風が渦巻き――。


「!?」


 悪意の王ギルスエルヴァスが戸惑ったように顔を左右に振る。だが、声は何も聞こえない。

 今この瞬間、悪意の王ギルスエルヴァスの周辺からは、完全に空気が失われた状態、つまり真空になっているのだ。

 無論、コウとエルフィナの周辺は別だが――。


「消えろ――[融合熱線フュージョンレイ]!!」


 同時に、コウの手元の光が、極太の光の柱となって一方向に解き放たれた。

 それは、一瞬で悪意の王ギルスエルヴァスを飲み込み、爆ぜる。

 直後、爆発的なほどの閃光がこの空間全てを真っ白に染め上げた。


 これが、かつて亜人族の王エル・インフェリア相手に使用した[融合爆発フュージョンバースト]を進化させた形だ。

 法術の障壁による極小の密閉空間の中で核融合を起こすところは同じ。ただ、その規模はあの時より大幅に抑えてあり、あの後の研究の成果もあって詠唱それ自体はかなり短い。

そして、エルフィナが風の精霊の力で、対象周囲を完全な真空状態にする。元々、核融合で大爆発が起きる理由は、急激な空気の膨張だ。それがなければ、直接熱が作用した場所以外は、大きな影響が出ることはない。

 そして明確な指向性――電磁誘導を感覚的に実施――を持たせた核融合の熱を相手に直撃させ、その直後、熱を含めたあらゆるエネルギーを光に変換することだけを目的とした障壁で対象を包み込んだ。さらに、その光の放射角を、ほぼすべて床に向けた。

 これにより、直撃した相手の爆発すら、抑え込むことができる。


 欠点はやはり発動に時間がかかること。そして相手が動き回っていると、捕捉するのが難しくなることだ。

 ただ、今回のように油断してくれていれば、命中させるのは難しくなく――。

 光がおさまったとき、そこには何も残っていなかった。

 床は大きく融け落ちて抉れていたが、それでも障壁が熱のほとんどを奪ったらしい。


「わかってはいましたが、本当に一瞬で……消し飛ばしましたね」

「そう、だな……」


 規模をあの時より抑えたとはいえ、おそらく温度は数万度以上。ありとあらゆる物質が耐えられる温度ではない。少なくとも物理的に存在する相手である限り、なすすべなくプラズマ化し、消滅する。

 真空による熱伝導の抑制と障壁がなければ、コウたちとて無事では済まない法術だ。


「終わった……のでしょうか」

「そう思いたい。というか、これを耐える相手がいたら、そもそも物理的に勝てる相手じゃなくなる」


 核融合によって発生した数万度以上の高温に耐えるのであれば、もはやそれは既知の物質ではない、何か超常的な存在ということになる。

 魔力ですら、おそらくこの世界では物質の一種だ。実際にはわずかに『重さ』があるのは、カラナン遺跡でも体験している。

 空気以上に存在は希薄ではあるが。


 故に、魔力の凝集体である悪魔ギリルと言えど、核融合の熱で無傷であるはずはない。試す気にはならないが、ヴェルヴスやキルセアにでも、一定のダメージは与えられると思われるほどだ。


(これで終わった――はずだよな)


 実際には、むしろこれからがここに来た本番ではあるが、それでも、強大な相手との戦いが終わったことをようやく実感し、コウとエルフィナは安堵し始めていた。

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