第271話 教主の正体

「どういうことだ……じゃあお前は、百五十年前に教皇グラフィルだった本人だと……?」


 確かにそれであれば、このファリウスに難なく入れたのも納得ができる。

 百五十年以上経っていようが、その権限はまだ残されていたのは確認しているからだ。


「そんなはずはありません。そもそも、背教者ゲッペルリンクはあの事件を起こした時点で六十歳だったと聞いてます。そんな若いはずは」


 するとゲッペルリンクは面白くなさそうにアメスティアを見た。


「お前が今の教皇グラフィルか。なるほど、力は確かに優れておるが、世界の真理には全く至っていないようだ」

「どういう……ことです」

「この世界に、なぜ次元結界アクィスレンブラーテなるものがあると思う?」

「え?」


 いきなりの問いかけに、アメスティアは一瞬戸惑った。

 仮にもかつて教皇グラフィルの地位にあったというのであれば――到底信じられないが――そんなことを知らないはずがない。


「この世界を守るためです。この世界の外にいる、人々を侵蝕する存在でもある悪魔ギリルから」


 するとゲッペルリンクは心底呆れたように、そしてつまらなそうに息を吐いた。


「所詮その程度の理解か。まあ一万年あまりそう信じられていたのだから仕方ないといえば仕方ない」


 そういうと、ゲッペルリンクは片腕を失ったミレアを見てから、そちらに手をかざす。


「何を――?」


 アメスティアがそちらを振り向いた時、ミレアが床に倒れていた。


「しばし休んでおれ。あとで治癒してやるゆえな」


 そういうと、ゲッペルリンクは再びアメスティアの方に向き直る。

 その一方で、コウは少なからず戦慄していた。


 気を失わせたのはまだ分かる。元々気力で立っていたような状態だし、コウでもおそらく可能だろう。

 問題は、ミレアの傷口からの傷が、すでに止まっていることだ。

 つまりゲッペルリンクは、ミレアの意識を奪うと同時に血を止めたことになる。

 いくらコウでも――第一基幹文字プライマリルーンを使っても――至難だ。


「さて……折角だ。後輩が偽りに惑っているのであれば、その蒙を啓いてやるやるのは先達の務めといえよう」


 いちいち芝居がかった大仰な動作だ。

 それがコウには違和感を覚えさせた。


「他ならぬ我が最大の証だ。我は名乗った通り、かつて教皇グラフィルであったゲッペルリンクに他ならぬ。それは、私がこの場にいることからも分かるであろう」

「う……」


 確かにゲッペルリンク本人であれば、教皇グラフィルとしての権限の抹消処理は行われていない。なので、ここまで来ることができるのに何ら不自然なことはない。

 そして、ファリウスに入るための道を他に知っていたのも、当然だろう。教皇グラフィルは、それらに対する知識も受け継いでいるのだ。このファリスには教皇グラフィルしか知らないことというのが、本当に多く存在するのである。


「私はかつてエルスベル調査団ヴェストーレとして、過去の多くの事象の調査を行っていた。そしてその中で掴んだのだ。この世界の真実を」

「真実……?」

次元結界アクィスレンブラーテこそが、この世界の人々を縛り、抑圧し、そしてその可能性を摘み取ってきた元凶に他ならないということだ」

「なっ……」


 アメスティアは驚愕し、そして同時に唖然としてしまった。

 何を言ってるのか分からない。

 元教皇グラフィルであれば、かつてエルスベルが滅んだ理由を知っているはずだ。あれは、次元結界アクィスレンブラーテにより、悪魔ギリルの大襲来を受けたのが直接的な原因。

 そこに疑念の余地はありはしない。


「何を言ってるのです。エルスベルが滅ぼされたことを、忘れたとでも」

「そうだ。本来であればあの時にこの世界はすでに変わっていたはずだった。それを無理に次元結界アクィスレンブラーテを延命させた結果が今だ」


 アメスティアが言葉に詰まる。

 コウは、少なくとも今のゲッペルリンクの言う事それ自体に嘘はないと思えていた。先のユスタリアの最期の言葉も考えると、おそらくこの世界がすでに滅んでいる、あるいは滅びに瀕しているというのは事実なのだろう。


「だが、我は――我ら真界教団エルラトヴァーリーはその中で、として生きていける道を見出した。それこそが、我である」

「どういう……ことですか」

来訪者ラウズを受け入れればよい。そうすれば、人はその枷から解き放たれ、大いなる未来を手にすることができる。あれを悪魔ギリルと呼んで忌避することこそ、誤りだったのだ」


 アメスティアは、意味が分かるのかあるいは分からないのかはともかく、半ば以上唖然とし、一瞬自失すらしてるようであったが――。


「まさか、というのですか」

「そう言っている。受け入れた結果が、私なのだからな。その力は見れば分かろう」


 アメスティアは文字通り顔面蒼白状態になっていた。


「どういうことなんだ、いったい」

「信じられませんが……ゲッペルリンクは、悪魔ギリル融合しています」

「は?」


 言われてから、コウはゲッペルリンクを見る。

 先に戦ったユスタリアやヴァスルドは、確かに悪魔ギリルの力を取り込んでいた。その結果があの肉体変化だろう。

 だが少なくとも見た限り、ゲッペルリンクにはそのような肉体的変化は見られない。


(いや、そうじゃないのか)


 ゲッペルリンクが自ら話した通りだとすれば、この男の年齢はすでに二百歳を超えていることになる。

 それは、人間エリルの寿命の限界を完全に超える長さだ。


「つまり、悪魔ギリルに肉体も精神も譲り渡して、それで人類エンリアを別の種族に……『進化』させるというのか?」


 コウのつぶやきに、ゲッペルリンクは驚いたような顔になった。


「ほう。一介の冒険者にしてはさといな。その通りだ、冒険者。悪魔ギリルなどと呼ばれ、忌み嫌われている存在だが、実のところあれはこの世界とは違う世界の住人に過ぎない。ただ、確たる肉体を持たず、故に不安定な存在で、悪意に影響されやすい。だから悪魔ギリルなどと呼ばれている。だが、その本質はどこまでも純粋で、ある意味では無垢なのだ。そしてそれを受け入れることで、人類エンリアはより高みへと至ることができる」

導師レクリアですら受け入れられないようだがな」

「そうだな。残念なことだ。彼らでも、永きにわたり植え付けられた悪魔ギリルへの忌避感は拭えぬらしい。だが我らは決して諦めない。いずれ世界に訪問者ラウズを受け入れさせ、そして人々を新たな段階に進ませる。そうすることで、この世界は真に安定を取り戻すのだ。そもそも、次元結界アクィスレンブラーテは、人類エンリアがより高みに達し、神々に比肩しうる存在になることを恐れた神々によって創造さつくられた、人類エンリアの枷だったのだ」


 コウは悪魔ギリルと一度ならず対峙しているとはいえ、そもそも自分自身もこの世界の人間ではない。

 立場だけで言うなら、悪魔ギリルと大差ないことは分かっていた。

 だから、ゲッペルリンクが言うことに、一定の正当性があることは理解できる。


 異なる世界の存在だからと一方的に排除するというのであれば、それはただの排斥感情だ。

 地球における人種差別問題などと同列においていいかは分からないが、近いものがあるとも思える。共存を望む相手を理不尽に拒絶することは、正しいとは言えないだろう。


「そんなこと、認められるはずがありません! このクリスティア大陸全てを――」

訪問者ラウズを受け入れれば、私のような力も手に入る。一度受け入れてみればいい。心穏やかになり、そして命が朽ちることもなくなる。もはや誰も争いを起こさなくなる、永遠の平和が約束されるのだ。それこそ、神々が目指した、永久とこしえの平和であろう」

「そ、れは……」


 アメスティアは言葉が続けられなかった。

 確かに、もしそれが実現できるなら、それはまさに理想的な世界だろう。

 ただ。


「それが実現できるなら、確かに理想だろうがな」

「ぬ?」

「コウ様?」

「コウ?」


 アメスティアとエルフィナを手で制してから、コウはゲッペルリンクに対峙する。


「お前の言う通り、もし悪魔ギリルが、お前の言う訪問者ラウズがそんな存在であればの話だが」

「ふむ。確かに訪問者ラウズも個体差がある。そして本来結界で隔てられたこの世界に、結界を無理やり超えてくる者は、往々にして悪意を持つ者が多いのも事実だ。だから、悪魔ギリルなどと呼ばれてしまう。不幸なことだ」


 ゲッペルリンクはそう言って、さらに訪問者ラウズは実体を持たない魔力だけの存在だからこそ、争い合うということがほぼあり得ない、平和的は種族であると滔々と語った。

 その弁舌は確かに見事なもので、アメスティアやエルフィナですらわずかに揺らいでいる。

 それほどに、説得力のある言葉だった。


「つまり、異世界からくる存在は人類エンリアとの共存を求めているのだ。魔力だけの存在であるがゆえに、彼らの欲は小さい。人類エンリアの一部に宿るだけで、その強大な力を分け与えてくれ、そして――」

「じゃあ、なぜんだ?」

「え――」


 その言葉に、アメスティアは瞠目し、そしてゲッペルリンクは――これ以上ないというほどに愉しそうな笑みを浮かべた。


「人間。どこで気付いた」

「最初からだ。俺にはちょっと特殊な力があってな。それで、相手の話す言葉のが理解できてしまうんだ。お前は最初から徹頭徹尾、人類エンリアと言いながら、その実『捕食対象』としか思ってなかったよ」


 《意志接続ウィルリンク》がなければ、あるいはコウでも納得しかけたかは――分からない。

 アメスティアが意図的に伏せているのかもしれないが、次元結界アクィスレンブラーテは本当に限界が近いのだろう。それも、コウが考えている以上に。

 そして限界に達して結界がその機能を失えば、再び悪魔ギリルがこの世界に襲来する。


 結界が今より遥かに不安定になったと思われるエルスベル崩壊時は、おそらく今とは比較にならないほどに悪魔ギリルが出現しやすくなっていただろう。

 そして、悪魔ギリルは基本、人間の『悪意』に付け込みやすい。

 それは、バーランドのグライズ王子やヤーランのガランディ、クバルカなどの事例からも推測できる。人間の負の想念などに反応し、それを助長し、増幅するのだ。

 結果、悪魔ギリルの影響は現状に不満を持っていたり、あるいは強い欲望がある人々に出やすい。


 それはたとえ教皇グラフィルであっても、例外ではないだろう。

 あるいは教皇グラフィルこそ、この世界の真実に最も近い存在であるがゆえに、理不尽な現実に対する怒りを持っていても不思議はない。


「お前の中には、すでにかつてゲッペルリンクだった者の意思は残ってないんだろう? ならばお前は、何者だ?」

「面白いな、お前は。ククク……そうだな。人間に合わせて芝居めいたことをしてみたが――まあ所詮戯れにすぎぬな」


 気配が変わった。

 腐臭すら漂っていそうな感じすらさせる魔力が、溢れる。


「一つ――教えておこう。我らに個別の名は存在しない。我らは全てが同一にして、個なる存在だ。ただ――」


 さらに濃くなる気配が、空間を埋め尽くす。

 その力、重圧は、かつて対峙した悪魔ギリルの比ではない。


教皇グラフィル、下がってくれ。守りながら戦える相手じゃない」


 コウは半ば自失していたアメスティアの肩を押して、後ろに下がらせた。

 そして、刀を抜き放つ。

 そのすぐ横にエルフィナも並ぶ。

 それを横目で見てコウは小さく頷くと、ゲッペルリンクを睨んだ。


「あえてこの世界の言葉で我が名を名乗るなら、こうなろう。我は悪意の王ギルスエルヴァス。この世界を悪意ギルヴェで覆い尽くす存在だ」


 ゲッペルリンクは、まるで舞台の演者のように仰々しく手を広げ、高らかに宣言した。

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