第268話 教団の目的

「大丈夫でしょうか、エルフィナさんは」


 高速で移動する盤上で、アメスティアは心配そうに一瞬後方に視線を向けた

 あの扉を抜けたすぐ先から、二人は移動用の板に乗って移動していた。その速度はおそらくコウが使う飛行法術よりも早いくらいなので、もう先ほどの場所は全く見えない。


「大丈夫だと思う。今のエルフィナに勝てる相手は、そういない」


 コウはエルフィナから精霊鎧メルムガルドを一度見せてもらっている。あれは、生半可な法術クリフはまず通用しない。何しろ、[存在消失ヴォイドストーム]すら無効化されると思われるほどの、攻防の力を兼ね備えた能力だ。

 そしてエルフィナには排魔の結界ガルマナレンブラーテも、精霊珠メルムグリアがあるから基本的に通じない。

 精霊鎧メルムガルドも、発動済の魔力という扱いになるので無効化できないはずだ。


 それでも一抹の不安がないわけではないが、ここまで一年以上一緒に旅をしてきた信頼が、不安を上回る。

 すぐに追いついてきてくれると信じられる。


「先はまだ長いのか?」


 これまで基本敬語で接していたが、二人になってすぐに、「いつも通りに話してください」と言われてしまったので、そうしている。

 この世界の人間は相変わらず、立場が上になるほどそういう部分があると思わされるが。


「ええ。と言ってもこれに乗っていれば着きます。これの速度はさすがにどうにもならないので、待つしかないですが、多分あと十五分六刻というところです。終点に大きな部屋があって、その先少し行ったところが、結界のある間となります」


 おそらく少なくとも、あと一回は戦いがあるとコウは睨んでいた。

 教主とやらの戦闘能力は不明だが、あの場にいた者以外に、少なくとも真界教団エルラトヴァーリーにはあと一人は強力な使い手がいる。

 アルバらに『先生』と呼ばれていたユスタリアと名乗った女性。

 おそらく彼女もここにいるのだろうという気がしているのだ。


「こちらからも一つ聞いていいですか、コウ様」

「なんだろうか」

「貴方は、一体いくつの第一基幹文字プライマリルーンを使えるのでしょうか」


 一瞬、コウは返答に躊躇した。

 だが、先ほどエルフィナも明かしたばかりだ。これを隠しておく意味は、現状ない。アメスティアなら、必要がない限りは吹聴することはまずないだろう。


「全部、だ。エルフィナと同じだな。俺は現在確認されている、すべての文字ルーンを使うことができる」

「……すごいですね。過去、第一基幹文字プライマリルーンを使える人というのは私も知ってますし、あのアクレット様にもお会いしたことはありますが……」

「ああ、アクレットは最初に世話になった。アメスティアさんも知り合いだったのか」

「ええ。しかしあの方以上となると、もう想像できない領域ですね……。法術の銅という位階も納得です」

「自分でもなんでこんなことに、とは思うところはあるのですがね」


 実際不思議なのは否めない。

 最初はヴェルヴスが付与した力かもしれないとも思ったが、それはキルセアによって否定されている。つまりこの『全文字ルーン適性』という力は、コウがこの世界に来た時には備わっていた可能性が高い。

 地球からの転移者がそうなるのか、あるいは自分だけ特別なのかはわからない。そもそも現状地球から他に転移してきた人物は未確認だ。


「そういえば……コウ様は異世界からいらしたのですよね」

「そうだな」

「あまりお話する時間も作れなかったので、ちゃんと聞いてませんでしたが、どういう世界なのでしょうか?」


 この場面で話すことではないかもしれないが、ただ、現状やることもない。

 警戒はしているが、今のところは敵の気配はなく、終点に到着するのを待つだけだ。


「そうだな。一番の違いは、法術クリフ奇跡ミルチェといった力がない。少なくとも俺は見たことがない」

「え。じゃあ法術具クリプトもないのですか?」

「もちろんそうなる」

「それは……とても不便そうですね」


 神殿でも法術具クリプトは多く使われている。それらがすべてない状況など、アメスティアには考えられないほどだ。

 しかしコウはやや苦笑いしながら首を振った。


「その代わり……かはわからないが、法術具クリプトと同等か、あるいはそれ以上の働きをする道具はあるんだ。例えばこの世界では法術具クリプトでは効率が悪いとされる明りなどは、俺の世界では普通で、夜でも昼のように明るくするのが当たり前なほどだ」


 もっとも、コウの住んでいた地域は夜は本当に真っ暗になってしまうところもあったが。その後もいくつか、アメスティアの質問に答える形で地球、日本のことを説明する。


「なんか想像できないですね。法術クリフがないのにそれだけ栄えているというのは……。そういえば、コウ様は帰りたいとは思ってないのですか?」

「わからない。ただ、元々帰るための手段は確保すべきだと思って、旅をしてた。いつか、このファリウスにも来るとは思っていたが……こんなに早く来るとは思わなかった」


 そもそも最初はアルガスでしばらく滞在するつもりだったのが、バーランドへ行くことになった。そこからさらに帝国へ行き、さらに聖都ファリウスまで。驚くほど短時間で一気に大陸を東から西に移動してきたのだ。


 この世界に来て、そろそろ丸二年。この年齢での二年の月日は決して短くはない。何よりその間に、誰よりも大切だと思える人ができたのは大きい。

 だからこそ、この世界を守りたいという気持ちも強い。

 自分がいつか去るとしても、彼女エルフィナが生まれたこの大地が悪魔ギリルに蹂躙されるなど、コウにとっても許し難い行為だ。


「結局、教団ヴァーリーは何がしたいんだろうか」


 考えてみたらそれが分からない。

 次元結界アクィスレンブラーテが失われると、世界が不安定になる。悪魔ギリルが出現しやすくなり、国が滅びやすくなる。

 無論、その混乱した世界を、自分たちが制圧する世界征服などという野望があるならわかりやすいが、そもそもの話で、悪魔ギリルは制御できない。


 帝国やザスターン王国の資料には、悪魔ギリルに関する資料もいくらかあった。

 それでわかったことは、悪魔ギリルは確かに契約によってこの世界に現出する。その召喚者の魔力が大きいと、グライズ王子の様に実体化することもあるらしいが、基本的にこの世界に存在する間は召喚者に縛られる。

 そして召喚者に逆らうことは出来ない。それは、次元結界アクィスレンブラーテがあるからゆえの制約だと思われる。


 だからもし、次元結界アクィスレンブラーテがなくなれば、悪魔ギリルは自在にこの世界に現れるようになる。当然、人間の言うことなど聞かないだろう。つまり、たとえ真界教団エルラトヴァーリーであっても、悪魔ギリルを制御することなど出来ないはずなのだ。

 単に世界を滅ぼしたいという破滅的願望の持ち主の集団という可能性も、もちろんある。

 帝都近郊で戦ったアトリは、自分の命を顧みているようには見えなかった。

 ただ、彼らに関してはそもそもそれ以外知らないという可能性もあると思う。

 生まれた時から真界教団エルラトヴァーリーに属し、それ以外の価値観を知らなければ、そうもなるだろう。


 だが、少なくとも最初に次元結界アクィスレンブラーテを壊そうとしたゲッペルリンクは違うはずだ。

 彼は間違いなく、教皇グラフィルに任じられるほどの神官で、実際経歴を確認したが、地方で優秀な神官として人々の信頼を集めていた。

 少なくとも、そんな破滅思考の持ち主ではないはずなのだ。


「私も……わかりません。ただ、ゲッペルリンクは突然豹変したと伝えられています。当時、彼はこのファリウスから逃げる際、ファリウスにいた神官のうち千人余りを殺害して逃走を果たしていますから」


 つまりファリウスの人口の一割にもなる人間を殺していったということだ。

 それまで、ともに神殿を支えていた仲間たちを。


 その後、地下に潜ったゲッペルリンクは真界教団エルラトヴァーリーを組織した。再び彼の名前が神殿の記録に確認されるのは、その数年後。今からおよそ百五十年前。

 その頃から、真界教団エルラトヴァーリーの暗躍は始まり、神殿冒険者ギルドとの暗闘が繰り返されてきたのだという。


 彼らが何を考えているのかわからなくても、やろうとしていることは明らかだ。この世界を守護する次元結界アクィスレンブラーテの破壊。

 その結果がどうなるかは、考えるまでもないだろう。

 それに近いことが実際に起きたのが、一万年前のエルスベル崩壊だ。


 そこまで考えたところで、目の前に通路の終わりが見えてきた。

 どうやら終点らしい。

 速度がゆっくりと落ちると、二人が乗っていた板の動きが止まる。ここからは自分の足で行く必要があるようだ。


 アメスティアが手をかざすと、扉が音もなく開く。

 現れたのは、先ほどよりさらに一回り大きな空間。

 そしてその中央に、二人の人影が見えた。

 一人はおそらく一度対峙した相手だが、もう一人はおそらく初対面。

 そちらの方は背がだいぶ高い。


「やはり来たのは貴方ですか。確か、コウ、とか言いましたか」


 聞き覚えのある声が響く。

 彼我の距離はまだ二十メートル四十カイテルはあるが、音が反響するのか声が良く届く。


「確かあんたは、ユスタリア、だったか」

「覚えてくれていましたか。ええ。真界教団エルラトヴァーリー導師レクリアが一人、ユスタリア。そしてこちらは――」

「同じく導師レクリアが一人、ヴァスルド。まあ、覚えてもらう必要はない」


 そう言ってフードを取って現れたのは、精悍な、しかしどこか病的なほど白い顔。

 背は高く、コウよりも一回りは大きな体だ。

 ローブの下はかなり鍛えられていると、容易に想像できる。


 その二人から庇うように、コウは前に出た。

 アメスティアは回復したとはいえ、おそらく本調子ではないだろうから、無理はさせられない。


「さて。かたや教皇グラフィル、かたや現状ほぼ最高位の法術師クリルファ。まともに相手をしてたら、到底勝ち目はないでしょうから――」


 直後、肌がざわついたような感覚があった。おそらく何かの法術クリフが発動したらしい。

 おそらくすでに仕掛けられていたのだろう。


「先に言っておきましょう。これは排魔の結界ガルマナレンブラーテではありません。滅魔の結界ディナンレンブラーテと言って、完全に魔力を断つ結界。つまり、あらゆる法術クリフ奇跡ミルチェはもちろん、魔技マナレットですら使えません。無論、法術符クリフィス法術具クリプトなどですら、です」

「何?」


 コウは驚いて力を籠めようとする。だが、放とうとした瞬間、霞のように消えてしまう。本当に魔力が、一切放出されない。

 アメスティアを振り返ると、こちらも首を振った。奇跡ミルチェも同じらしい。

 だがそれは、彼らも同じはずだ。


「ええ。つまりこの場では武器や素手による戦いしかない。ですが――」


 ユスタリアとヴァスルドの姿が変わる。

 顔は黒光りする細かいきらめきに覆われ、腕は大きな刃となった姿。

 その姿はまるで――。


悪魔ギリルを取り込んでいるのか」

「驚いた。初見でそれを見抜くとは」


 そういうと、二人はローブを捨て去る。

 現れたのは、前にも一瞬だけ見た、全身が黒い鱗めいたものに覆われた異形の姿。


魔鱗の守護デュスティエガルドと言います。まあ、覚えていただく必要はありませんが――」


 その言葉の直後、ユスタリアが大きく踏み込んできた。

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