第267話 エルフィナの戦い

「レガンダ、レッテン。通過した二人は無視だ。先生達に任せてこちらに集中する。とにかく術者を狙え。まともに戦っても勝ち目はない」

「まあ、そう来ますよね」


 エルフィナ自身、自分が一番の弱点であることは重々承知だ。

 エルフィナ個人の戦闘能力は、コウには遠く及ばない。

 それが分かっていたから、少しでも補えないかと魔技マナレットを修得したのだ。

 そして――。


「なんだ?」


 エルフィナの周囲の精霊が、まるで渦巻くように集まって行った。

 そして、ことごとくがエルフィナを包んでいく。


「名づけるなら、精霊鎧メルムガルドでしょうか」


 文字通り、精霊がその力を最大限に発露した状態でエルフィナを守るように彼女を包んでいた。

 尋常ではない魔力密度が、周囲を押しつぶすかのようだ。

 地の精霊ギルスネルアがエルフィナの全身を覆うように無数の輝く盾を形成し、右腕には火の精霊ディフルス、左腕には水の精霊オルディーネの力が渦巻く。そして風の精霊シュファウトの力が、わずかにエルフィナの身体を浮かせていた。

 背には光の精霊ルーテリア闇の精霊ファルディスリアがそれぞれ二対の大きな翼を形成。理の精霊ティスリュガリアが頭上に凝集し、まるで冠の様になっている。


「ば、化け物め……」


 レッテンが唖然としつつ毒づいた。

 第一基幹文字プライマリルーンを複数扱えるアルバ達だから分かる。

 おそらくあそこから、わずかな思考だけで一瞬で、第一基幹文字プライマリルーンを複雑に編み上げた法術クリフと同等の力が放たれる。

 場合によっては、精霊の自律行動でもだ。


 そしておそらく、どんな法術を打ち込もうが、あの森妖精エルフに届く前に一瞬で分解される。

 かといって、接近戦をやろうにも、おそらく近付くことすらできないだろう。

 どんな飛び道具を使っても同じだ。

 自分たちの魔力を数倍にはね上げる[解放ヴィスト]を使ったところで、勝ち目などまるでない相手だ。

 よりによって魔力マナが潤沢なこの場所というのが、それに拍車をかける。


「あの時それを使わなかったのは、聖女ユフィスを巻き込まないためか?」


 アルバは一瞬で切り替えた。

 こいつを先に進めてはならない。

 教主であれば対抗できると思われるが、この森妖精エルフでこれである。もう一人の男がどれだけの能力を持っているか分からない以上、一緒に行動させるべきではない。

 ならば、時間稼ぎに徹するべきである。

 ほんの僅かな会話でも、意味がある。


「あの時……ああ、帝都の話ですか」


 そしてその狙いはエルフィナにも分かっていたので、ほとんど応じるつもりはなく――弓をもった左腕を、アルバ達に向ける。


はあの後色々やって出来るようにしました。もう、不覚を取らないために」


 コウとここまで旅をしていて、幾度かあった厳しい戦いの中で、自分達が『力の使い方』についていかに未熟であるか痛感した。

 たいていの相手は力押しでどうにでもなるとしても、自分達と同等の力を持つ存在に対して、相手の方が力の使い方が上手くて劣勢となり苦戦するというのは、明らかに自分たちの修練不足だ。

 だが裏を返せば、それは自分達にまだ伸びしろがあるという事でもある。

 魔技マナレットを修得したのもその一環。まさかあそこまでの威力になるとも思わなかったし、あれほど魔力を消耗するとも思わなかったのだが。


 そして精霊メルムの使い方にしても同じ。

 エルフィナ自身は、最終的にはあの亜人族の王エル・インフェリア相手でも戦えるほどの可能性が精霊たちにあると考え――色々試行錯誤した結果たどり着いたのが、この精霊鎧メルムガルドだ。


「時間稼ぎが狙いなのでしょうが、私も早くコウのところに行きたいので、すぐに終わらせます」


 直後、濁流の様な炎と水の槍と、光と闇の鞭がそれぞれ十本以上、エルフィナの纏う鎧から踊りだす。

 それぞれが、かするだけでも死に至るほどの威力を宿しているのは、疑うまでもなかった。


「くそがぁ!!」


 アルバ達は一気に散開する。

 そこに炸裂した精霊の力は、通常であればかすり傷一つつかないはずの床の構造材を、造作なく撃砕した。

 間違いなく、込められている力は第一基幹文字プライマリルーンを用いた攻撃法術と同等か、それ以上である。


 三人はそれぞれ移動しつつ攻撃法術を放つが、それらはすべて、エルフィナを捉えることなく迎撃され、さらにそれ以上の攻撃がそれぞれの元に飛来してくる。

 まさになす術がない。


「くそ、これは使いたくなかったが、レガンダ、レッテン!!」


 二人はそれだけでアルバの意を察した。

 エルフィナを囲むような位置を取ると、懐から一枚の紙片を取り出す。それはおそらく法術符クリフィス

 しかし普通の物であるはずはない。考えられる可能性は――。


「排魔の結界? それは私には――」

「どうかな――!!」


 法術符クリフィスが光り輝き、術が発動する。

 直後、エルフィナの精霊鎧メルムガルドが消滅した。


(排魔の結界でも消せないと思っていたのですが、消えた? ですが――)


 それでも精霊珠メルムグリアにいる精霊の力は使える、と思ったら――。

 それすら、発動しなかった。

 正しくは、一瞬発動しそうになってすぐ消失した。


「え?」


 一瞬の自失。

 そしてその隙を見逃さなかったレッテンが、剣を振るってエルフィナに迫る。


「くっ」


 慌てて身を翻したエルフィナは何とか避けてからたが、わずかに頬をかすったらしく、鋭い痛みが走った。

 なおも踏み込もうとしてくるレッテンに対して、エルフィナは手に持っていた矢をそのまま投擲する。さすがにそれは予想外だったのか、レッテンはかろうじて剣でそれを弾いた。そこにエルフィナがそこに細刃ティスレットを抜いて斬りかかるが、レッテンは一人で戦おうとはせず跳ね飛ぶように後退した。

 その間に残る二人も再びエルフィナを囲むように位置取りし、剣を抜くと油断なく構える。いずれも一足飛びで切りかかれるような距離だ。

 直後、エルフィナの頬から赤い筋が流れ出し、白い床にしたたり落ちる。


「はっ。前に精霊術メルムスが使えた理屈は分からないが、この術ならさすがに封じれたな。まあ当然だが」

「一体どういう……」

「種明かししてやるよ。これは簡単に言えば、『あらゆる魔力を消失させる』力だ。排魔の結界ガルマナレンブラーテ法術クリフなり精霊術メルムスなり、発動した法術や力に対しては効果がない。だがこれは、それすら阻害する。先生は『滅魔の結界ディナンレンブラーテ』と呼んでたな」


 この術は、事実上あらゆる魔力が放出不可能になる。

 魔技マナレットすら使えない。

 しかしそれは当然、アルバ達の最大の武器である天与法印セルディックルナールすら使えない状態になる。

 だからアルバ達も使いたくはなかったのが本音だが、魔力を全て封じられてしまう影響は、エルフィナの方が大きいと踏んだのだ。


「つまりこの場では、自分の肉体以外何も使えない。武器による戦い以外は一切できなくなるってことだ。武器それ自体を強化する以外、法術具クリプトすら効果はない。まあ効果時間がそこまでないし、俺たちも武器の戦いはそんな得意じゃないが、それでもあんたを殺すことくらいはできる。女一人を男三人でなぶり殺しにするのはあまりいい気はしないが、悪く思うな」

「それは……つまりあなた方も法術クリフは使えないんですね」

「はっ。その通りだが、それなら純粋に人数がものを――」


 レッテンが勝ち誇ったように言いつつ、剣の切っ先を上げ――吹き飛んだ。

 そのまま仰向けに倒れて動かなくなる。

 直後、エルフィナの持っていた細刃ティスレットが床に落ちる音が響いた。


「は?」


 アルバとレガンダが驚いて倒れたレッテンの方を見ると、頭の付近から赤いものが拡がっていく。

 そのレッテンの頭と首、胸に矢が突き刺さっていた。

 どれも明らかに致命傷だ。


「え?」

「そうですね。私はあまり接近戦が得意ではありません。なので、三人同時に来られたら、ちょっと厳しいかもですが――」


 アルバらは普段、距離を置いた法術での戦いを基本としている。

 だから、今も四メートル八カイテルほどの距離を置いて話していた。

 この距離ならば、剣なら一呼吸で踏み込んで攻撃できるが、弓の距離ではない。矢をつがえている間に踏みこんで斬ることができる。

 そう考えていたのだが――。


「私が最も得意とするのは、森妖精エルフらしく弓なんですよ」


 その一撃――いや、三射にアルバが対応できたのは、半ば以上奇跡だった。

 一瞬エルフィナの手元が動いたと思った直後、自分に向けてが放たれていたのだ。その速度は、ほとんど抜剣する速度と変わらない。

 慌てて身体を捻って、頭に迫る一本をかろうじて避ける。だがその体が動いた場所に、続く二矢が飛来。一本が右肩に、もう一本が右肘に突き刺さる。その激痛で剣が落ち、アルバはゴロゴロと床に転がってしまう。

 それでもアルバは激痛に耐えつつ体勢を立て直し、立ち上がった。

 そこに見えたのは、同じように転がっているレガンダ。

 こちらも、左肩と左下腕部に矢が突き刺さっている。


(まさか)


 アルバは右利き、レガンダは左利きだ。利き腕自体はもちろん武器を持っている側で判断できるとしても、事実が、アルバを戦慄させた。

 つまりあの森妖精エルフは、二人の回避行動すら見切って、矢を放ったということか。そもそも、三本の矢を同時に、しかも一瞬で射放する時点で普通ではない。


「その腕ではもう武器はまともに振るえないでしょう。まだ抵抗しますか? 一応、私もそれなりに剣術も修めてますよ」


 エルフィナはそういうと、床に落ちていた細刃ティスレットを拾って構える。


「……無理だな。レガンダ。俺たちの負けだ。完全に見誤った」

「らしいな」


 最後の切り札として、自分たちの命が失われた時に発動する[終焉の衝撃ディエルドレット]があるが、この魔力が完全に封じられた状況では発動しないだろう。レッテンが殺されているのに発動していないので、それは間違いない。

 この森妖精エルフを止めたければ、最初から[解放ヴィスト]を使って、自分たちが死ぬことで[終焉の衝撃ディエルドレット]に巻き込まれるのに期待するしかなかったのだ。

 それもあの精霊鎧メルムガルドがあれば無傷でやり過ごされてしまう可能性もあるが、少なくともまだ戦えた。

 完全に能力を見誤った自分たちの完敗だった。


「そうですか。では、さようなら」


 直後、アルバとレガンダの意識は、闇に堕ちた。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


「う……あ? 生きて……る?」


 自分の意識が戻るのは予想外だった。

 どこかに激痛を感じた後の記憶がないので、おそらく――ほとんど見えなかったが――矢を突き立てられて殺されたのだと思ったが。

 あるいは矢で意識を奪ったというのか。つくづく化け物じみている。

 ただ、両足は完全に拘束され、腕も後ろ手に回されていて動かせないので、同じように拘束されているのだろう。足の拘束を見ると、ツタの様なものに見えるが、びくともしない。

 身体を動かして周囲を見ると、先ほどの部屋からは移動していないらしい。すぐ近くにいるレガンダも同じ状態で転がされているのが見えた。


 先ほど発動した滅魔の結界ディナンレンブラーテはすでに効果を失っている。

 これなら法術を使えば――と思ってから、アルバは愕然とした。

 天与法印セルディックルナール


 それから慌てて法印があるはずの手を動かそうとして――感覚がまるでないのに気が付いた。

 右の手首から先の感覚がないのである。

 なんとかはいよってレガンダのところまで行くと、レガンダも左手首がない。二人はそれぞれそこに天与法印セルディックルナールを埋め込まれていたはずだが、それがないのだ。


 天与法印セルディックルナールは体の内側に刻まれた法印ルナールで、その部分を欠損した場合は失われる。

 つまりあの森妖精エルフはきっちりアルバとレガンダの戦闘能力を完全に喪失させていったわけだ。

 しかも、手首はまるで最初からなかったかのようにきれいに治癒されている。

 矢が突き刺さった筈の腕や肩も治癒されていた。

 だから痛みもなかったので気付かなかったのだ。


「なんなんだよ。普通、意識がない相手を治癒するのって、難しいはずなのによ」


 確かにあれだけの力があれば、不可能ではないだろう。とはいえ、戦闘力を奪うだけであれば、手首なり腕を切り落として放置すればいい。というかそれ以前に、殺してしまえば終わりだ。

 それをしないのはなんとも甘いことだが、最初に容赦なくレッテンを射殺してもいるので、出来ないわけではないだろう。


「ああそうか。レッテンの天与法印セルディックルナールって、そういえば額だったっけ」


 おそらく自分も、天与法印セルディックルナールが額や胸などであれば、容赦なく殺されていたのだろう。


 意識を凝らしてみるが、もうかなり遠くに行ってしまっているようで、すぐ隣で気絶しているレガンダ以外の気配はない。

 正直もう、アルバにできることはないだろう。そもそも勝てる相手ではなかった。


「さて、あの嬢ちゃんが間に合ったところで、先生はともかく教主様に勝てるとは思えないが――」


 アルバはなぜか笑いが漏れる。

 これほどの力がありながら、これほどに甘っちょろい人間がいることが、なぜかアルバはおかしくて仕方なかった。

 もし叶うなら、もう一度対峙してみたいとすら思えてくる。

 到底友好的な対面にならないにしても、なぜここで助けたのかくらいは聞いてみたい。


「ま、生き残れればの話だろうけどな――」


 今日、世界は致命的な終わりを迎える。

 その先がどうなるのかは、アルバにも全く分からないことだったのだ。

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