第266話 襲撃者の正体

「こ、こわ、こわいこわいーっ」


 半ば泣きそうな悲鳴を上げているのは、神殿勢力のトップである教皇猊下リエル・グラフィルご本人である。

 とはいえ。


「怖いものは怖いのーっ降ろしてーっ」


 年齢が上のはずだが、ともすると駄々っ子のような状態だ。泣きそうな声、というよりは泣いているのかもしれない。

 とはいえ、まさか飛行法術を解除するわけにもいかず、コウとエルフィナは出来るだけ高速で降りて行った。

 十分四刻ほどで底に到着する。


「この間より、だいぶ深い位置……ですよね」

「そうですね。次元結界アクィスレンブラーテへの道が開いている時は、通常より深く降りれるんです」


 ようやく足が地面に着いたからか、落ち着きを取り戻したアメスティアが答える。

 その雰囲気の落差はちょっとひどいが。


 飛行法術の移動速度はおよそ時速三十キロ六十メルテ。それで十分ほど降りたということは、おそらく現在は地下五キロ十メルテというところか。

 先日見たファリウス航宙船ネヴィラス・ファリウスの全体の大きさからすると、中央付近というところだ。


 降りたところで追いつかなかったということは、だいぶ先行されてしまっているのだろう。


「連中が降りてどのくらい経ったかわかるでしょうか」

「そうですね……いつもだと昇降機で五分二刻くらいなので……少なくとも十五分六刻は先に行かれているかと」


 思った以上に昇降機の速度が速かった。

 五キロ十メルテをわずか五分二刻ということは、時速にすれば約六十キロ百二十メルテだ。とんでもない速度だが、地球にも似たようなモノはあった気がする。まして地球をも越える文明の産物なら、不思議はない。


「ここからは?」

「ほぼ道なりです。何度か階段を降りて、その先にも教皇グラフィルでなければ開かない通路があるはず……ですが」

「状況を考えると、解除されている可能性が高い……ですか」


 そもそもこの昇降機も教皇グラフィル、つまり第四位権限カラトルスタルクでなければ動作させられないはずだった。

 だが、動かされている。ということは、間違いなく襲撃者の誰かは、教皇グラフィルと同じ権限をこのファリウスで使うことができるということになる。


「何人くらいが降りたのか、わかるでしょうか」

「私が聖堂に来た時点ですでに昇降機が降りていたので、正確なところは分かりません。ただ、そもそもそこまで大きなものではないので、いても十人程度だとは」


 昇降機の穴の大きさは直径二メートル四カイテル程度だった。確かに十人くらいが限界だろうが、それでもこちらよりは多いだろう。

 ミレアもあの場にいなかったということは、どうやってか一緒に行った可能性はある。飛行法術、あるいは落下速度制御の法術などがあれば穴を直接下りることも難しくないだろう。


「ここからは待ち伏せも警戒すべきか」


 縦穴を降りてる最中も警戒はしていたが、さすがにその可能性は低いとは思っていた。

 だが、この先はそうはいかないだろう。

 相手の正体は判明していないが、少なくともここの構造を知っている可能性が高い。

 となれば、追撃に備えて迎撃の準備をしているのが自然だろう。


「コウ。精霊メルムにも警戒させますね」

「そうだな、頼む。こちらも探知法術を使う」


 精霊メルムによる探索とコウの探知法術。この二つを合わせれば、ほとんど死角は存在しない。

 エルフィナは精霊の知覚を一部を共有することで、実に半径百メートル二百カイテルの範囲の魔力や生命体の反応を知覚できる。

 そしてコウの探知法術は、半径五十メートル百カイテル内の熱源はもちろん、音響探知によって構造物などすら知覚可能だ。

 これに加えて、コウの法印探知能力がある。

 これで不意打ちを行うのはほとんど不可能だろう。


 それから、アメスティアの案内でコウたちはコウ、アメスティア、エルフィナの順番で進んでいく。 


「襲撃者が誰だかは……やはり、教団ヴァーリーでしょうか」

「そう……だと思います。教皇グラフィルの権限を持ってるとなると……それしか考えられません」


 アメスティアによると、百五十五年前の事件の際、当時の教皇グラフィルゲッペルリンクについて、その死は確認されていないらしい。

 当時のエルスベル調査団ヴェストーレの所属員にしたところで、おそらく死んだと思われる、という記録だけで、その死を確認した記録はほとんどないという。

 もっとも、百五十年以上前の記録だから、森妖精エルフでもない限りはとっくに死んでいるだろう。そして調査団ヴェストーレ森妖精エルフがいたという記録はない。


 ただ、本来教皇グラフィルがその位を退いた際に行うべき儀式を行っていない以上、おそらくゲッペルリンクが持っていた教皇グラフィルの権限を何かしらで引き継いだ可能性は否定できない。

 アメスティア達ではファリウス以外の設備で教皇グラフィルの権限を継承する方法があるという情報はないが、かつての調査団ヴェストーレが持っていた可能性はあるかもしれないというのが、アメスティアの推測だった。


「しかし、どうやって潜入したんでしょう?」


 エルフィナが首を傾げる。 

 確かに、ファリウスの入り口を強引に突破しようとすれば、それより早く警備が動くはずで、ここまでの事態にならなかった気はする。

 

「実のところ、ファリウスの入り口はあの一つというわけではないんです。他にもいくつかはあります」


 考えてみれば元が元だから、当然出入り口が一つということはないだろう。

 数日前にミレアがすでにファリウスに潜入していたとすれば、他にも時間をかけて入り込んでいた可能性もある。


「ただ、それらの入り口は教皇グラフィルの権限がなければ開かないんです。なので、使えないと思っていたのですが……」


 あちらにも教皇グラフィルの権限があるのなら、それで入るのは容易だろう。

 また、真界教団エルラトヴァーリーはどういう技術かはわからないが、転移かそれに近い技術を持っているから、そちらで潜入した可能性もある。

 あるいは、神官の中にも紛れ込んでいた可能性は否定できない。

 特にここ最近で赴任した神官は、入れ替わられていた可能性もあるだろう。

 本来『証の紋章』で身分保証は出来るが、真界教団エルラトヴァーリーが紋章の偽造を出来るのは間違いない。


 そうして進んでいくと、広い部屋に出た。

 直径二十メートル四十カイテルほどのドーム状の空間で、天井もかなり高い。

 そしてその中心に数人の人影があった。


「よぉ、久しぶり。四か月とかそのくらいかね」


 そう、気安く声をかけてきたのは、見た目は十五歳くらいの少年。

 だが、コウもエルフィナもその少年には見覚えがあった。


「確かアルバ……だったか」


 帝都郊外で戦った相手の一人だ。

 あの時に致命傷に近い傷を与えたはずだが、見たところ怪我の痕はまるでない。


「おお。覚えてくれてたのか。なんか嬉しいな。俺のこと知ってるやつって、教団ヴァーリーにしかいなかったんだよな、これまで。なんせ――」


 アルバの周りに闇色の剣が次々と浮かび上がる。


「名乗っても、すぐに殺しちまうからさ」


 直後、剣の切っ先がすべてコウたちを捉えたかと思うと、放たれた矢のように飛来した。

 だが、それらはすべてコウの張った防御壁によって弾かれる


「あいっかわらずデタラメだなぁ、ホント。普通の人間なら今ので串刺しなのにな」


 アルバはそういうと、後ろにいるを振り返る。

 どちらもコウとエルフィナには見覚えがあった。

 一人は帝都でアルバと一緒に戦った相手。

 もう一人は、ヤーラン王国で少しだけ現れた男だ。


「というわけでレガンダ、レッテン。協力してやるしかない。勝とうと考えても無駄なのは分かってるだろ。足止めで十分だ。教主猊下リエル・ファスタが事を成すまでの時間稼ぎだからな」


 その言葉に、コウたち三人は目を見開く。


「教主がここに来ているのか」

「お? ああそうだぜ。教皇グラフィルを継承できる聖女ユフィスであるあの嬢ちゃん、そして次元結界アクィスレンブラーテへの接触が叶うこの時。教主ファスタである様の力。これがそろえば、クソったれな結界を破壊することができる」

「え――」


 アメスティアが愕然としていた。


「ゲッペルリンク……? それは、その名は……」


 百五十年以上前に、次元結界アクィスレンブラーテに何かをして、そしていなくなった教皇グラフィルの名。

 順当に考えれば同じ名前を引き継いでいるのか。どちらにせよその目的を許容することは出来ない。


「コウ。先に行ってください。ここは私が」

「エルフィナ?」

「結界がどういうものかはわかっていませんが、少なくともわずかに損壊するだけで、百五十年前に国がいくつも滅ぶほどの影響があったのです。ならば、先を急ぐべきです」


 そういうと、エルフィナは一歩前に進み出る。

 それを見て、レッテンが呆れたように笑った。


「おいおい。俺達三人相手に、森妖精エルフの嬢ちゃん一人か? さすがに甘く見過ぎじゃないか? 精霊メルムを複数使役できるとは聞いてるが――」

「貴方は……そういえば見せていませんね。なら、訂正しておきましょう。複数ではありません。です」


 直後、エルフィナの周囲に巨大な精霊メルムが顕現した。


「予想通りですね。カラナン遺跡ほどではないですが、魔力炉マナロルトがあるこのファリウスでは、基本的に魔力マナが濃い。当然、精霊の力も強化されます」


 エルフィナはそう言いながら、自身は矢を手に持つ。


「道は私が開きます。本当は一緒に行きたいですけど、道案内はアメスティアさんにしかできませんし、コウが結界を何とか出来るなら、やはり貴方が行くべきです」

「……分かった。絶対に追いついてきてくれ」

「当たり前です。少しお使いに行ってくる程度のことですよ」


 その一方で、アルバ、レガンダ、レッテンの三人は冷や汗を流していた。

 アルバとレガンダは帝都で戦った際に、エルフィナが七属性すべての精霊を使うのを見ている。だから正直、エルフィナ一人相手でも厳しいというのもわかっていた。

 人工天与法印セルディックルナールによって第一基幹文字プライマリルーンを複数使える彼らには、それがどういうことか、誰よりも身に染みてわかっている。

 七属性全てが使える場合の汎用性は、六属性のそれとは、比較にならない。


 まして相手は精霊使いメルムシルファ

 場合によっては、精霊の自律行動で力を揮うことすらある。

 つまりこの場合、一対三という構図は成立しない。正しくは七対三、あるいはそれ以上になるのだ。


 あの時はまだ人質ティナがいたから、全力を出せなかったという側面はおそらくある。だが今回、それはない。


「アルバ、レガンダ。どうやってこんな化け物と戦ったんだ……」


 レッテンが冷や汗を流している。

 ヤーランで遭遇した時は一瞬すれ違った程度で、その後すぐに立ち去った。

 あの時、クバルカに力を与えはしたが、あの場には皇宮騎士リストーラ巡検士アライアもいたので、やられるのは当然だと思っていて結果を見届けもしていない。

 だが、あんなもので勝てる相手ではなかったと、はっきり言える。


「コウ、アメスティアさん。――行ってください!!」


 直後、精霊から同時に力が放たれる。異なる属性ながらその力が融合し、まるで巨大な光の塊と化した。

 アルバたちは慌ててそれを避け――その『砲撃』の後ろからコウとアメスティアが風のような速度で通過していくのを、見ていることしかできなかった。

 二人はあっという間に逆側の壁に到達すると、アメスティアが手をかざして扉が開く。直後、すぐに扉に飛び込んだ。

 そしてコウは一瞬だけ立ち止まりエルフィナの方を見るが――エルフィナが小さく頷くのを見て、踵を返すと通路に消えた。

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