第269話 導師との対決

 踏み込まれる一瞬前、コウは刀の刃を上に向けて、かつ高い位置に構え、腰を落とした。

 直後、五メートル十カイテルの距離をほぼ一瞬――[縮地]を使ったかのような速度――で踏み込んできたユスタリアがその爪を突き出してくるのに刃を合わせ、上に逸らし、そのまま振り抜く。


「な?!」


 ユスタリアが床にゴロゴロと転がり、しかしそのまま倒れた状態にはならずに立ち上がると、慌てて距離を取る。


「ま、まさかこの速度に対応できるとは……しかも魔鱗の守護デュスティエガルドを容易く貫くなど……」

「悪いが、その速度は慣れている。さすがに、武器化するほど固い場所はそうはいかないようだが、胴部分はこれなら十分斬れるようだな」


 横でアメスティアが呆然としている。

 彼女には、今の一瞬のやり取りはほとんど見えなかったのだ。


「まさか、生身の人間が魔鱗の守護デュスティエガルドを纏った我らに対抗できるとはな。だが、どうやらそちらの教皇グラフィルは本調子からほど遠いようだ。それに、この滅魔の結界の中では、十分な力は発揮できないだろう」


 アメスティアが悔しそうな表情になった。

 今ので分かったが、魔鱗の守護デュスティエガルドは大幅な身体強化も含まれるらしい。対して、アメスティアも剣は持ってはいるが、本来は神官。それも奇跡ミルチェを得意とする。

 だがこの場ではそれは完全に封じられている以上武器で戦うしかないが、どう考えてもこの四人の中では自分が一番弱いことは、考えるまでもない。怪我の影響もある。


「すみません、コウ様。私が足手まといになってしまってるようで……」

「ここは俺に任せて、下がっていてくれ。さすがに突破するのは現実的ではないし――」


 それにまだ、ミレアを見ていない。

 ティナがいるのはこの先で、そこに教主ゲッペルリンクがいることは間違いないだろう。となれば、アメスティア一人で行かせるのはどう考えても危な過ぎる。


「この二人は俺が何とかする」

「ずいぶん大きく出ましたね。しかしこの状況では、たとえ身体強化の法術具クリプトであっても、その効果はほぼ発揮されない。魔力の放出もできない以上、魔技マナレットも使えない。確かに貴方の技量は際立っていますが、我ら二人を相手にできるとは思わないことです」


 直後、左右ほぼ同時に、ユスタリアとヴァスルドが肉薄してきた。

 その速度は、やはり[縮地]すらおそらく上回る。人間の限界を超えているのだろう。

 ただ、見えないというほどではない。

 少なくとも、ヤーランで戦った、あの小細工含めたクバルカと、速度自体はそう変わらない。一度戦った相手とほぼ同じであれば、対処もできる。


 そしてコウ自身も[縮地]を用いて戦うことがあるから分かるが、あの超移動速度には欠点がある。

 踏み出す前に、攻撃するやり方を決めていなければ、自分自身到底間に合わないのだ。いかに移動速度が速かろうが、腕を振る速度まではそう変わるものではないし、仮にそれを向上させていたとしても、それを処理する思考速度の上昇には限界がある。

 それすら大幅に向上させていたとすれば、単純にお互いの時間が異なるので勝ち目は全くないと言えるが、先ほどの一瞬の交錯で、それはないと確信できていた。

 少なくとも思考速度は変わっていない。そして、移動速度以外の速度も、多少上がってるようだが個人差のレベルだ。超速戦闘に関しては、あの速度を使いこなしていたヤーランのガランディの方がよほど厄介だっただろう。


 つまり、踏み込む直前の構えと視線、その立っている位置から、次の攻撃を見切ることができる。そして、彼らがコウの動きに対応した行動をとるのは、難しい。

 二人同時というのはなかなかに厳しかったが――。


 ガツ、という固いモノが衝突する音が響いて、直後三人の位置が変わっていた。


「貴様、本当に人間か?」

「さあな。微妙に違うかもしれんが」

「今のを躱すだけではなく、我らがお互いに攻撃を当ててしまうように誘導するとは……その技量、それだけでも十分に危険ですね」


 今の一瞬、コウはわずかに左に踏み出すと、左から来たヴァスルドの爪剣を刃で勢いを殺さずに逸らした。そしてそこに殺到するのが右から来たユスタリア。

 驚いた二人は慌てて無理矢理体勢を変えて、同士討ちを回避するのがやっとだったのだ。


「なるほど。貴様に速度で迫るのは無謀ということか」


 ヴァスルドもユスタリアの、この速度に対応できる人間がいるとは思っておらず、この状態で戦った場合はほぼ一瞬で相手を殺していた。だが、対応されてしまうと自分自身も完全にその速度に完全に対応できているわけではないので、このような場合に誤爆してしまう可能性もあると理解する。


「ならば、力押しするまでだ」


 ヴァスルドはあえてゆっくりと歩いてコウに近付いてきた。


(これが一番厄介んだよな……)


 ヤーランで悪魔ギリル化したクバルカと戦った時と同じだ。

 純粋な力では、おそらく勝負にならない。

 先ほどまでの攻撃は速さを優先した攻撃であり、それに正面から受け止めたりはしていない。全て受け流して逸らしていたので、その重さはあまり影響がなかった。


「純粋な力で押しつぶしてくれる!!」


 ヴァスルドが一気に踏み込んでくると、上段に構えた右の爪剣を振り下ろしてきた。

 おそらくその重さは、かつてのクバルカと同じかそれ以上であり、まともに受けようものなら、いかにコウとて吹き飛ばされるほどの威力があるが――。


「はあ!!」


 それに対してコウは、真っ向から刀を振り上げて、それを迎撃した。

 凄まじい轟音と衝撃が部屋を満たす。

 そして――。


「隙だらけだ」


 振り下ろした腕をヴァスルドは、コウの目の前に無防備な体を晒していた。

 体勢を立て直そうにも、弾かれた右腕の勢いに引っ張られ、転倒しないように耐えるのが精いっぱい。

 左の爪剣で迎撃しようとするが、体勢不十分な状態で繰り出されたそれは造作なく躱され、直後突き出された刀が、魔鱗の守護デュスティエガルドを易々と貫通する。


「ぐは!?」


 直後、ヴァスルドは無理矢理後退し、コウも追撃はせずにそのまま刀が抜けるのに任せた。

 ヴァスルドはそのまま数歩下がった後にさらに後ろに飛ぶが、バランスを崩して倒れそうになる。


「ヴァスルド!」

「貴様……一体何者だ」


 ヴァスルドの口から赤い血が溢れる。

 ヴァスルドが貫かれたのは右胸。人間と同じであれば、肺を貫通している。ほぼ致命傷だ。

 それでもまだ立ち上がるのは、さすがというべきか。


 一方のコウも追撃はせず、ゆっくりと深く呼吸を整えた。それからヴァスルドとユスタリアに向き直る。


「わざわざ種明かしするつもりはない。ただ、この世界の魔力はじぃさんから受け継いだ力とどうやらほぼ同一だったようでな」


 ヴァスルドとユスタリアは、何のことかわからず戸惑っているようだ。


 かつて魔技マナレットを修得した際に感じた、まるで地球における気功にも似てると思った感覚。コウはその前提で、これまでの道中ずっと色々と試していたのだ。


 魔技マナレットは確かに強力だが、欠点がある。

 排魔の結界で法術が封じられた場合の対策としては便利だが、威力の制御が難しかったし、何より放つまでに『溜め』が必要なのだ。

 そこでコウが考えたのが、自分自身に対する強化である。

 これ自体は、元々呼吸法などで橘老にも色々教わっていた。あの時は、単に呼吸を整えるだけでも、わずかに力が上昇したりという程度の効果だったが――地球における気功と魔力が同質と仮定するなら、身体強化に使えるのではないかと考えたのである。基本は、法術クリフによる身体強化の応用である。


 そしてその結果、コウは自分自身の身体能力の強化をある程度行える方法を見出していた。この辺りは、正直に言えば地球における創作物のイメージも手伝ってくれた部分はある。


 そしてこれは思わぬ効果ではあったが、この力は体外に魔力を一切放出しないため、この滅魔の結界ディナンレンブラーテの領域の影響下でも問題なく使えてしまうのだ。

 もっともこれに関しては、彼らが魔力そのものの存在である悪魔ギリルの力を纏うことが出来ていた時点で、出来るという確信があったが。


 おそらく過去、魔技マナレットを身体強化に使った者はいないだろう。

 そんなものより、遥かに安全かつ簡単に扱える身体強化の法術クリフ法術具クリプトというものがあるからだ。

 魔技マナレットで同様のことを再現するには、法術クリフと同じこと――身体強化の法術クリフは文字数が多く複雑なことで知られている――を感覚的にやらなければならず、制御が非常に難しい。

 一歩間違えば自分の身体を破壊する恐れがある使い方だ。

 試した者がいなかったわけではないだろうが、実戦的ではないとされただろうことは、容易に想像ができる。


「本当に……化け物ですね。いや、あの時からさらに成長していたという事かもしれませんが……」

「教主様に勝てるとは思わぬが、少しでも危険性があるのであれば、排除させてもらう」


 致命傷を受けてると思われるヴァスルドも立ち上がってきた。

 一方のユスタリアはそこから少し離れた位置で、爪剣を構える。


(こっちも見た目ほど余裕はないからな……決めに来てくれるなら助かる)


 実のところ、耐久戦に持ち込まれたら勝ち目はない。

 この力の法術クリフ法術具クリプトとの最大の違いは、制御がないがゆえの、身体向上の上限のなさ。ただそれは諸刃の剣でもある。

 確かに爆発的に身体能力を引き上げられるこの力だが、肉体への負担は本当に無視できない。

 先ほどヴァスルドの一撃を弾いたのは、コウ自身の肉体にも相当な負荷をかけている。この状態を続ければ、筋肉痛どころでは済まない。

 

 ダメージはあとで法術クリフで治癒してしまえばいいが、限界を越えたらそれどころではなくなるだろう。だから、短時間で戦闘が終わる方がありがたいのだ。


「いいだろう。次で終わらせる」


 コウは刀を鞘に納めた。

 そして腰を低くして、柄に手を添える。


「過日の魔技マナレット……いや、それは使えないはず――」


 ユスタリアが慎重に身構える。

 一方のヴァスルドは、ダメージの影響が大きいのか、かなり隙だらけだ。


「ヴァスルド、気を付けてください。迂闊に踏み込むと攻撃される可能性が――」


 先日のあの一撃で、コウの居合の可能性を見抜いていたらしい。それだけでも相当な慧眼と言えるが――。


(行くぞ――)


 コウはそこから、一瞬でユスタリアの懐に踏み込んだ。その速度は、[縮地]すら上回るほどで、一瞬消えたと錯覚するほどの速度。ユスタリアがヴァスルドを気遣った、まさにその一瞬の隙にコウは踏み込んだのだ。

 刹那の瞬間にコウはヴァスルドの横を抜け、ユスタリアに肉薄した。


「――!!」


 ユスタリアも、まさかわずかに後ろにいる自分から狙われるのは予想していなかったのだろう。

 声にならないユスタリアの叫びが発せられ、同時に神速の刃が抜き放たれる。

 それは、ユスタリアが何とか間に合わせた爪剣を造作なく切断し、ユスタリア自身をも、逆袈裟に斬り裂いた。


「ユスタリ――」


 驚いたヴァスルドが振り返った時。

 その眼前にあったのは、上段から振り下ろされる刃。

 なんとか爪剣をかざしたが、それでどうにもならないことは、ヴァスルド自身が分かっていた。

 まるで爪剣の存在などないかのように鋭く刃が振り抜かれた時、ヴァスルドの意識は途絶えていた。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


「かはっ、まさか、私達二人を、法術クリフもなしに圧倒するとは……」


 ユスタリアは生きていた。

 だがすでに魔鱗の守護デュスティエガルドは解除され、右わき腹から左肩口に抜けた傷は、むしろ今話せることが不思議なほどの状態である。

 なお、頭を割られたヴァスルドは即死していた。


 すでに滅魔の結界はその効果を失っているため、コウは自身に治癒法術をかけてダメージを回復している。実のところは、戦闘後は立っているのすら辛いほどの激痛があった。


「まだ話せるなら、お前たちの目的を聞かせてもらいたいが」

「フフ……意味がないですよ。どうせこの世界は終わる。私たちは、のです。あの恐怖、それは体験してみなければ決して分からない」

「どういうこと、ですか?」


 アメスティアが納得がいかないと詰め寄る。


教皇猊下リエル・グラフィル。貴女ならわかるでしょう。この世界はとうに滅んでいるという事実に。今はただ、大海に浮かぶ小船の様な状態でしかないのです。その事実を知って、なおも正気でいられる貴女には、正直に言えば畏敬の念を覚えますよ」

「それは――」

「いずれ確定で滅びが来る。その末路を見てしまった私達は、あの方の――」


 その言葉を最後に、ユスタリアもこと切れた。

 アメスティアが言葉に詰まる。

 それはユスタリアの言葉を否定できないという事でもあるようだ。

 すでに滅んだ世界。

 そう言われて思いつくのは、あの一万年前の悪魔ギリルの襲来だ。

 一体あの時に何があったのか。

 それを知るすべはもうないと思っていたが、あるいは何かあるのか。

 それはコウにも分からない。


 ただ、アメスティアはその意味が少しわかるらしい。


「コウ様。すべてが終わったらお話します。今は、ティナちゃんを助けるのを先に」

「……わかった。先を急ごう」


 コウは頷くと、刀を納めて走り出した。

 

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