崩壊の序曲

第264話 紅に染まる白

 その衝撃は、コウとエルフィナの眠りが浅くなっていた、まさにその時に起きた。

 ただ同時に、完全に覚醒せずにはいられないほどの衝撃。

 何か巨大な爆発が起きたと分かる音と、それに窓を震わせる衝撃。


 コウとエルフィナが跳ね起きると、窓の外が赤く染まっていた。

 窓を開けると、鮮烈な赤い光が目に飛び込んできた。

 空――あくまで映像だが――を見ると、わずかに明るくなってきている。おそらくもうすぐ夜明けだ。

 ファリウス周辺が寒いから勘違いしやすいが、今は八月。日の出は早く、おそらくもう七時近い。起きる予定だった時間の少し前というくらいで、本来はまだ暗いはず。

 だが、街の中は日の出前とは思えないほどに明るくなっていた。

 理由は大聖堂それ自体。聖堂が燃えているのだ。

 本来は夜でも月あかりを受けて白く輝いているはずの大聖堂の塔が、それ自身が炎に包まれ、さらにその光を映じて街中を赤く照らし出している。


「なっ……」

「コウ!」

「わかってる!」


 二人は手早く装備を身に着けた。

 元々二人とも、あまり鎧を着こむことはしない。

 エルフィナは以前は革鎧を身に着けていたが、ラウズで防寒を兼ねた外套状の防具に新調している。

 これは上から羽織って帯を止めるだけでいいので装備が楽な上、ほとんどの刃は通さず、衝撃吸収力も高い。

 コウの装備も同じで、違いといえば刀を下げる専用の金具の存在くらいである。

 それに、法術具ルナリヴァの手袋をすぐ装備する。

 お互い二分一刻弱と経たず準備が完了し、すぐ階下に降りると、ヴィクリアも起きだしていた。


「あ、お二人さんも起きたかい……そりゃそうか」

「何が起きた?」

「わからない。こんなことは私も初めてだ」


 道に出て様子をうかがうと、街にはすでに多くの人が出ている。

 この街は普通の街ではない。

 住民のほとんどが高位の神官だ。

 そのため、さすがにパニックなどになることはないのだが、さすがにこの事態は想定外にもほどがあった。

 おそらく、ファリウス内でこのような騒ぎが起きたことなど、ほとんどなかっただろう。

 どの神官も、どうしたらいいのか判断に迷っている。


「コウ。とにかく今は、ティナちゃんを」

「そうだな。……見られることを気にしてる余裕もないな」


 直後、コウとエルフィナが浮かび上がった。


「え……」


 驚いているのはヴィクリアだ。ただ、説明している時間も惜しい。


「あとで説明はする。俺たちは神殿に向かう。ヴィクリアさんは――」

「わかった。そっちは任せた。あたしらは――」


 ヴィクリアは一度屋内に戻ると、入口横にあった棚から何かを取り出した。

 それは巨大な刃を持った槍。


「街は任せてくれ。なんかいるみたいだからね」


 そういうと、道の一方に鋭い視線を投げかける。

 そこには――。


魔獣ディスラング!?」


 大小さまざまな魔獣が群れを成して出現していた。いったいどこから現れたというのか。


「行ってくれ。聖堂で何か起きてるのは間違いないけど、それだけのことができるんだ。あんたらの方が確実だ。ここは私達でもなんとかなる」


 いつの間にか、周囲の家の神官たちも集まっていた。

 全員、少なくとも戦えない一般人ではないのは見ればわかる。


「わかった。ここは任せた!」


 直後、二人は一気に加速し、聖堂へ向かう。

 それを合図にしたかのように魔獣の咆哮が上がり、それにヴィクリア達神官の怒号が重なった。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 コウたちが飛び立つより少し前。

 当該の爆発が起きた、まさにその近くにいたのがランベルトだった。

 驚いて跳ね起きたランベルトは、剣だけを持つとすぐに廊下に飛び出す。


「なっ……これは……」


 廊下は火の海だった。

 ランベルトは即座に奇跡ミルチェを行使して膨大な水を生み出すと、何とか一部の火が消える。


「ティナは……」


 女性の部屋にいきなり入るのが良くないとはわかってはいるが、緊急事態だ。

 隣の扉を開くと、ティナも当然起きてはいたが、さすがに何が起きてるのかわからず動揺している。


「ランベルトお兄ちゃん。何があったの!?」

「わからない。とにかく今は君の安全が第一だ」


 少しだけ考えるが、おそらくこのままここにいるのはよくないとランベルトは判断した。

 大聖堂の外周にある施設は、はるか昔に建造されたとされるが、基本は木の枠組みを使った建造物のはずで、つまり火事にはそれほど強くない。

 最悪崩れることも考えると、まずは外に出るべきだろう。


 安全性を考えると昇降機は使えないので、ランベルトは自分が先行して階段を降りた。

 火元でもある爆発が起きたのは下のようで、本当は階上に逃げたいところだが、上まで行っても助けが来る可能性はない。こういう時は下に降りるしかないのだ。

 当然、だんだん火の勢いが強くなる。ランベルトは奇跡ミルチェを併用しつつ何とか降りていく。こういう時、コウが使う飛行能力が羨ましくなるが、さすがに奇跡ミルチェでぶっつけ本番というわけにはいかない。

 そして五層ほど降り、あと一つ降りれば地上、というところで予想外の存在を目にして、立ち止まってしまった。


「……ミレア?」


 立っていたのはミレアだ。

 昨日、ティナが見たといったのを一笑に付したランベルトだが、さすがにこれは見間違えようがない。

 ただしそれでも、一瞬ミレアだとは思えなかった。


 純白の神官服はあちこちが赤く染まっている。それがなんであるかは考えるまでもない。

 そして、彼女のそばには幾人もの人々――神官が倒れ伏しており、その神官服はことごとくがやはり赤く染まっている。

 何より、ミレアが持つ槍から、赤い滴がしたたり落ちているのだ。


「どういう、ことだ。ミレア」


 この状況でこの惨状を生み出したのがミレアではない可能性はない。

 だがランベルトには、到底信じられなかった。


 そしてミレアはその言葉には一切答えず、ゆらりと、わずかに体を揺らすと――。


「くっ!!」


 反射的にランベルトは剣を振り、そこにミレアの突き出した槍の穂先が重なった。

 乾いた金属音が響き、その衝撃でランベルトはわずかに後退する。


「ミレア、何をしているのかわかっているのか!?」


 だが、ミレアは全く答えない。

 その表情はまるで何の感情も浮かべておらず、その瞳にはまるで何も映っていないかのようだ。

 だが、その繰り出される攻撃は苛烈だった。


 「く!!」


 本来剣と槍では、その運用に制限がないのであれば圧倒的に槍が有利だ。

 槍は狭い場所で使いづらいなどの不便さこそあれ、戦う場所が狭いといった制限がなければ、その射程の長さは圧倒的な優位性を誇る。


 ミレアは法術クリフを得意とはせず、奇跡ミルチェは使えない。ただ、卓越した槍の技術をもち、その技量はずば抜けている。達人の領域といっていい。

 懐に飛び込んで剣の間合いにすればいいと考えても、持つ部分を巧みに変えてその間合いですら自身の間合いにしてしまう。

 その圧倒的な技量と、十五年以上にわたって神殿に仕えてきた実績があるからこそ、重要な神子エフィタス護衛の任に選ばれたのだ。


 ランベルト自身、剣はそれなりに得意だという自負はあるが、ミレアの槍に敵わないのは自分自身わかっていた。

 少なくとも、近接戦をやる限り、ミレアには勝てない。

 だが、法術クリフ奇跡ミルチェを使う余裕を与えてくれる相手ではない以上、それらによって状況を打開も出来ない。


(なんとか……誰か来るまで……)


 一対一では勝ち目はないが、誰かが来てくれればまだ望みはある。

 ここにいるのは、すべて大陸でも有数の神官たち。

 一人一人がそれぞれ、卓越した使い手だ。

 それまで、防御に徹して凌げば何とかなる。

 ミレアに近接戦で勝てる相手はまずいないとしても、こちらの数が増えれば奇跡ミルチェを使う隙を期待できる。

 それに、コウやエルフィナも来てくれるはずだ。

 あの二人なら、ミレアを取り押さえることも十分できるだろう。


 だが。

 まるでその意図を見抜いたかのように――神速の刺突がランベルトを襲う。

 それをかろうじて剣でそらそうとしたランベルトは、槍が剣をすり抜けるのを見た。


「え――」


 直後、激痛が腹部で破裂する。

 見えていた軌道と違う軌道で突き出された槍は、わき腹を完全に貫通し、そのまま肉をそぎ落としてランベルトのわき腹を完全に抉り取っていた。


「がはっ」


 力が抜ける。

 致命傷だというのが分かった。

 急所はかろうじて外したが、これは出血多量で死ぬ。


「お兄ちゃん!!」


 ティナの悲痛な声が響く。

 このままではティナもミレアの手にかかってしまう。

 だが、文字通り指一本動かせない。消え去りそうになる意識を何とか持たせようと目を見開く。

 暗くなりつつあるその視界の端に、ミレアとティナの影が重なるのが見えた。

 殺されたのかと思ったが、 くずおれたティナを、ミレアは脇に抱えると、そのまま去っていった。


(く……そ……)


 意識が消えそうになる。

 何とかこれを誰かに伝えなければならない。

 だが、周囲に生きている人はおらず――。


(頼む、誰か――)


 消え去りそうになる意識を奮い立たせ、ランベルトは何とか立ち上がろうとして――しかしその四肢は全く動こうとはしなかった。

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