第262話 聖都の記録

 その部屋は、見た目には何もなかった。

 いくつかの長椅子の様な台があって、あとは白い壁と天井。おそらく初めて見たら、何の部屋かさっぱりわからないだろう。

 ただ、コウとエルフィナは同じような部屋の記憶があった。

 あの、ドルヴェグの地下で見た遺跡に近い。


「エルフィナ」


 コウはエルフィナに小さく何事かを話す。

 それを聞いたエルフィナはしばらく迷っていたが――。


「……わかりました。やってみます」


 エルフィナは大きくため息を吐くと、一呼吸おいてから口を開く。


第一位権限プライマリスタルク認証カルサライズを実施してください」


 数瞬の沈黙。

 ハズレかと思った直後、その声は響いた。


第一位権限プライマリスタルク認証カルサライズを実施――確認しました。神王エフィタスフィオネラ様の認証カルサライズ情報との一致を確認。

ようこそ、ファリウスへ。私は統御機構のラスメルと申します』


 エルフィナが困惑した表情でコウを見る。


「やはりエルフィナをフィオネラと誤認したわけか……」


 ドルヴェグに続いて二度目。もう偶然ではないだろう。

 少なくともエスルベルの機構にとってエルフィナは、フィオネラと、つまり一万年前に存在した、エルスベル最後の神王エフィタスと『完全に同一』の存在に認識されるのだ。


「ど、どうしましょうか、コウ」

「とりあえず、質問してみるか……えっと、このファリウスは本来どういう施設なんだ?」


 しかし、コウの質問に対する回答がない。

 ただ静寂だけがある。


「……あ。あの、彼の質問には答えてあげてください。この先も全部」

『――承知しました。ではお答えします。本機、ファリウス航宙船ネヴィラス・ファリウスは、本来は外宇宙探査船として建造されました。しかし、本機が完成する直前、次元外の存在による襲撃により、エルスベルの九十九パーセントテルミルが崩壊。本機は避難所として用いられました』

「……は?」


 思わずコウは呆気にとられた。

 あまりに予想外の答えが返ってきたからだ。


「コウ……あの、私、意味がほとんど分からないんですけど」

「今の話の通りなら、このファリウスは『船』なんだ」

「はい?」


 エルフィナは、コウの頭がおかしくなったのではないかと心配になってしまった。何をどうやったら、このファリウスが『船』などということになるのか。


「あの、船って水の上を行くあれですよね。こんな無茶苦茶な大きさの船なんて、意味が分からないんですが」

「いや、違う。これは水の上を行くわけじゃなく……」


 コウが改めて説明する。

 エルフィナからすれば、宇宙という存在それ自体がはっきりとしない存在ではあるが、それでもコウに以前説明を受けていたことで、ある程度は理解できた。

 同時に、コウの驚きの意味も理解する。


「つまり……このファリウス全体が、一つの……乗り物?」

「そういうことになる。正直、俺のいた世界ですらこんなものは全く実現していない。空想の世界に属する存在だ」

「こちらだと空想すら誰もしないでしょうけどね……」


 そもそも『宇宙』などという場所のことを知る人も、ほとんどいないだろう。

 当然、そこに人が行ける可能性など考えるはずもない。


「質問を変える。ここは、次元結界アクィスレンブラーテへの接触が出来ると聞いたが、それは事実か?」

『はい。本機は動力として次元結界アクィスレンブラーテを用いるため、その次元中継器アクィスエザクトが設置されています。ただし、現在その魔力供給は完全に遮断されているため、補機として搭載されている魔力炉マナロルトに施設の維持を依存しています。そのため、本機は本来の性能の一パーセントテルミルも発揮できない状態となります』


 コウとエルフィナは再び顔を見合わせる。

 やはり、次元結界アクィスレンブラーテは強力な動力源となりえるものでもあるらしい。

 ただ同時に、あれは世界を安定させる重要な結界でもある。

 それがどういう存在であるかは判然としないが、いずれにせよ古代のエルスベルの人々はそれを利用して、あれほどの都市を作り、そしてこのような巨大な船すら建造していたのだろう。


次元結界アクィスレンブラーテとはどういうものだ?」

次元結界アクィスレンブラーテは世界を守護する結界であると同時に、強力な魔力供給源です。本機を含めたエルスベルのあらゆる機構は、次元結界アクィスレンブラーテから魔力の供給を受けて稼働しております』

「……ではそれが失われるとどうなる?」

『本機がその状態となります。効率の悪い魔力炉マナロルトからの供給でのみ稼働しているため、本来の機能のほとんどを利用できません』


 つまりエルスベル時代、おそらくほとんどの人々が次元結界アクィスレンブラーテの恩恵にあずかっていたのだろう。

 だが、その結界それ自体にほころびが生じた。それが悪魔ギリルの大襲来。結果、エルスベルは滅び、ほとんどの人々が死に絶えた。わずかに生き残った人々は、このファリウスや世界各地の施設で千年の間潜み、そして再び世界に広がっていったのだろう。


「一万年前にあったことの詳細は分かるか?」

『申し訳ありません。それは不明です。本機が稼働を開始したのは、今から一万二百三十年と二百五十日前。その時点で本機の次元結界アクィスレンブラーテからの魔力供給は遮断されており、機能が著しく制限されていました。そのため、外部の情報は存在しません』

「確認だが、その、魔力炉マナロルトだけファリウス内の環境維持は問題ないのか?」

『問題ございません。魔力炉マナロルト次元結界アクィスレンブラーテからの魔力供給が不安定な際にも内部環境を維持するために存在する補機です』

「私からもいいでしょうか。このファリウスの制御の権限は、私以外にはないのですか?」

『現状、第一位権限プライマリスタルクを持つフィオネラ様以外では、第四位権限カラトルスタルクの者が、本機中枢への道を開くのを確認しているのみです。他の権限スタルクの設定はされておりません。ただし、本機の居住区については、ほぼ全権限がすでに解放されています』


 居住区というのは、都市部および農業区画の事だろう。ここについては現状全て解放されているという事か。

 おそらく第四位権限カラトルスタルクというのが、教皇グラフィルの権限だ。どういう理屈かは分からないが、あるいは教皇グラフィルが即位する際に、何か特別な処理があるのかもしれない。この施設の一部が教皇グラフィルにしか使えないというのは、そういう理由だったらしい。


「どうしましょうか……これ。アメスティアさんとかに教えるべきか……」

「黙ってるわけにもいかないしな……正直俺たち二人で収めるには、話が大きすぎる」


 少なくとも、教皇グラフィルは知っているべきことだとは思う。

 歴代でもおそらくこの秘密に触れられた者はいなかっただろうから、さぞ困惑するだろうが。


「もう一つ聞きたい。次元結界アクィスレンブラーテを制限された理由については分かるか?」

『……推論になります。よろしいでしょうか』

「もちろん」

次元結界アクィスレンブラーテはその力が無尽蔵だと思われていましたが、本機建造時、その力に陰りが見えていたという記録があります。そこから導かれる推論は、膨大な魔力を次元結界アクィスレンブラーテから供給することを前提とした本機が稼働することによる次元結界アクィスレンブラーテへの影響を鑑み、制限した可能性があります』

次元結界アクィスレンブラーテの力の陰り……」


 それがさらに綻びとなって、悪魔ギリル襲来を招いた。あり得る話だ。

 これほどに巨大な宇宙船の動力源すら次元結界アクィスレンブラーテを用いていたとなれば、おそらく都市の動力もほとんどは次元結界アクィスレンブラーテだろう。

 もしそうであれば、次元結界アクィスレンブラーテを利用し過ぎたせいで滅んだのか。

 あり得ないとは言えないだろう。


「俺たちだけでは手におえない話だな……本当に。そうだ。第一位権限プライマリスタルクであれば、その次元結界アクィスレンブラーテからの魔力供給を回復させることは出来るのか?」

「コウ!?」

「可能性の話だ。どうだろう?」

『推奨できません。当該制限は、次元結界アクィスレンブラーテの魔力が一定以上に回復した場合にのみ制限を解除できますが、現在の次元結界アクィスレンブラーテの魔力は規定値を満たしていません』


 できないわけではないが推奨されない。おそらく保全のための制限事項というところか。


『また、本機の機能の大半はすでに喪失している状態であると考えられます。そのため、次元結界アクィスレンブラーテからの供給を受けたところで、本機の機能の回復はほぼ望めないことを報告しておきます』


 一万年以上の間、土の中にあったのだから仕方ないだろう。

 あるいはここは、元は宇宙基地だったのかもしれない。そうすれば、あの奇妙なほど人工的な地形にも納得ができる。


「……まさか。質問だ。魔力炉マナロルトは、何から魔力を獲得している?」


 カラナン遺跡にあった魔力中継器マナエザクト魔力炉マナロルトは、おそらくその目的は近い。

 ただ、カラナン遺跡にあった魔力中継器マナエザクトは魔力を獲得するのに大地を侵食していた。

 それは想定外の挙動だったからだが――。


魔力炉マナロルトの魔力供給源は大気の精霊の力です。特に熱を奪い、魔力へと変換しています』

「やっぱりそういうことか」

「コウ?」


 ファリウス周辺が奇妙に気温が低い理由がこれだ。

 要するに、ファリウスそれ自体が、周囲から熱を奪い、気温を下げていたのである。だから、夏でも寒い。というより、おそらく夏はさぞ魔力炉マナロルトは活発に動いているのだろう。


『これは、冷却することで都市機能の維持を図るとともに、害獣などを寄り付かせにくくする効果も期待しているものであります』


 魔獣ディスラングが出にくい理由も織り込み済みだったらしい。

 魔獣ディスラングがエルスベル末期にいたかどうかは不明だが、いずれにせよ地域を強引に寒冷地にすることも狙っていたのか。

 もっとも、一万年もの間本来の動力である次元結界アクィスレンブラーテが使えないことは考えていなかっただろうから、この寒さは一万年もの間の蓄積の結果でもあるのだろう。

 結果、夏にも雪が降るという異常気象が起きる地域となってるわけだが、逆に言えば一万年もの間この状態だったわけで、今更是正してどうにかなるものではない。


 その後、いくつか質問をしてみたが、ラスメルはこのファリウス航宙船ネヴィラス・ファリウス以外のことはほとんど知らなかった。

 それに、この船自体も、一万年の間にその機能のほとんどは使い物にならなくなっているらしい。この手のものが、使わなければどんどん劣化してしまうのは、古代文明の遺産でも同じのようだ。


 他に、かつての全体図などは見ることができた。

 このファリウスは本来、全長十二キロ二十四メルテにも及ぶ、巨大な外宇宙探査船だったらしい。長期間の宇宙での活動を見据え、事実上都市をそのまま宇宙船にしたような規模であり、それが今のファリウスなのだろう。

 ただ、ラスメルが持つ当時の図面と今のファリウスの状態もかなり違うようで、おそらくその後、避難所として使われる間に改修されたのかもしれない。

 そんなことをしていると、いつの間にかかなり時間が過ぎていた。


「とりあえず……戻るか」

「ですね。アメスティアさんにも話さないとですし……あ、そうだ。あの、私と同じ権限を……その、第四位権限カラトルスタルクの方に付与できますか?」

『それは出来ません。例外権限付与は、一段階までしか認められません』

「……では、ここに入ること、そして質問する権限だけは?」

『それなら問題ありません』

「じゃあ、お願いします」

『了解いたしました。以後、第四位権限カラトルスタルクのラスメルへの接触、および質問を許可するとします』

「ありがとうございます」


 エルフィナは小さく安堵する。

 二人が部屋を出て昇降機のあった場所までくると、ほどなくアメスティアとティナが降りてきた。


「あ、お待たせしちゃいましたか?」

「いえ、それは大丈夫……なのですが」

「お姉ちゃん、なんかお疲れ? お兄ちゃんも?」


 やはり疲れた雰囲気は出てたらしい。

 情報過多で疲れるという経験は、これで何度目か。


「上がってから色々お話します。とりあえず……お腹すきました」


 いつもだとエルフィナのこの言葉にはある種戦慄するコウなのだが、この時ばかりはエルフィナに同意するしかなかった。

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