第261話 神殿の地下
聖都に来て六日目。
ようやくコウとエルフィナが、大聖堂の書庫に入ることができる日になった。
昨日まで続いていた書庫整理が無事終わったと連絡があったのは、昨日の二十二時。
待たされたのは残念だったが、その代わり蔵書の整理も十分に行われたため、書物を探すのはむしろやりやすくなったと思われ、その点では助かったと言える。
朝食を終えた時間に迎えに来たのは、ティナだった。
一人で大丈夫かと思ったが、考えてみたらこの街ほど安全な街はそうそうないだろう。何なら、現代日本より安全といえる。
そのティナは、神殿に向かう道中、少し不思議そうな顔をしていた。
「どうしたの、ティナちゃん」
「んー。なんかね。ずーっと何かが引っかかってるの。こないだ市場とか見学した時から。なんだけど思い出せなくって」
「ああ……そういうのありますね。何かわからないけど気になることがあるの?」
するとティナは腕を組んで、また頭を傾げる。
「なんか、あれ、と思ったんだけど……うーん」
コウもエルフィナも、なんとなくその気持ち悪さは分かる。
一度気になると、はっきりしないとどうにも収まりが悪い気持ちになるのだ。
そして得てして、この手のことはなかなか思い出せない。
「ま、とりあえずいいや。お兄ちゃんとお姉ちゃんを書庫に連れていかないとね」
ティナはここ数日、アメスティアと一緒に過ごしていたらしい。先日の農業区画を見る以外は、基本的に神殿の中にいたという。
「正直あの神殿、見えてる部分ってホントにごく一部なんだよ」
「ごく一部って、あの大聖堂が?」
「うん」
エルフィナの質問に、ティナはあっさり頷く。
「神官さんたちの宿坊とか、アメスお姉ちゃんの執務室とかは全部『上』にあるんだけどね。でも、地下はもっと広いみたい。さらに、ほとんどが立ち入り禁止」
コウとエルフィナは思わず顔を見合せた。
あの見えてる部分の大聖堂にしても、帝都の大神殿を凌ぐ大きさだ。
地面に接してる床面積なら帝都の大神殿の方がさすがに大きい――帝都の大神殿は五万人が一度に集うことができる聖堂がある――が、なんといってもその高さが違う。
聖堂を取り囲むように多くの部屋があり、低層は聖堂勤めの神官たちの宿坊となっていて、高層はより高位の神官の部屋らしい。
「正直、地下に何があるのかよくわかってないみたい。ただ、書庫は上にもあるけど、そっちは後代の記録室で、昔の記録は地下の書庫にあるんだって。今日お兄ちゃんたちを案内するのは、そっちなんだけど」
アメスティアから聞いたところによると、中央の塔はもともとはあの大聖堂しかなかったらしい。周囲の部屋などの建造物は、あとから増築されたという。とはいえ、建造されたのも何千年も前の話だが、こちらは一応記録が残っている。
それに対して、記録が一切残っていなくて謎に包まれているのが、大聖堂の地下だという。
「私もちょっと案内してもらったんだけど……アメスお姉ちゃんでも入れない場所ばっかりみたい」
「そうなのか」
アメスティアでも入れないということは、おそらく誰も入れない場所だろう。
実際、ティナも入れなかったらしい。なお、アメスティアでなければ――正しくは
書庫は、数少ないアメスティアやその他の者も入れる場所らしい。
大聖堂に入ると、その中央でアメスティアが待っていた。
「お待ちしていました、皆さん。では、参りましょう。もう少しこちらに集まってください」
アメスティアはそういうと、コウとエルフィナ、ティナを招き寄せる。
そして集まったのを確認すると、中央の祭壇にある台座の一部に触れた。
するといきなり、祭壇が下に降り始める。
「これは……」
「他の入り口もあることはあるのですが、非常に狭くてこれが一番楽なので。これを動かせるのは
わずかな浮遊感を感じたが、それもすぐ馴染み、祭壇は音もなく降りていく。
ある程度降りると上部は塞がったらしい。一瞬暗くなるが、すぐに明るくなる。ただ、光源がどこにあるかわからない。
「コウ、これって……」
「ああ。あの遺跡に似てる」
「あの遺跡?」
アメスティアが首を傾げる。
「ええ。ドルヴェグで見た遺跡。それに……バーランドで見たのにも、少し」
材質すらわからない建材に、光源がどこにあるかもわからない明り。
いずれもエルスベル時代と思われる施設に共通する特徴だ。
「ふふ。それなら期待したくなりますね……着きました。こちらです」
音もなく、特に衝撃もなく祭壇はゆるやかに停止し、幅が
途中、いくつか扉と思われるものがあったが――。
「ほとんどは開かずの間です。昔、無理やりこじ開けようとしたこともあったみたいですが、傷すらつかなかったそうで」
コウは軽く触れてみるが、あのドルヴェグで見たあれと同じに思えた。だとすれば、生半可な方法でかすり傷すらつかないだろう。あるいは、コウやエルフィナが全力で
アメスティアは
そこは、一辺が
というより、この構造にコウとエルフィナは見覚えがあった。
あのバーランドで、
「ここと、この向かいの部屋は入れるんです。ただ、この部屋の記録は……過去を調べるのにはあまり役立つものではないのですが、あるいはお二人なら違う視点で……という期待もありまして」
昨日まで整理してたとのことで、あの何でできているわからない本めいたものが多数あるが、やはりバーランドで見つけたそれと同じに思える。
ただ、書いてある内容は非常にたわいもないことばかりだ。
料理のレシピ本や家庭の雑学など。本当にちょっとした知識で、同時にこれがいつのものかは分からないが、遥か昔と今でもそう変わらないということは分かるが、だが言い換えれば新しい知見を得らえる物ではない。
あとは、バーランドでも見たような個人の日常の記録。こちらはよく読みこまないと、あるいは基調が情報が書かれている可能性も否定はできないが。
「この記録がいつのものであるかはいまだにはっきりしませんが、エルスベル時代の者である可能性は高いと考えられてます。なので、日記の端々から昔の記録を類推するというのが、現在出来ている調査ですね……」
それは本当に地味で、しかも成果の出にくい調査だろう。
もっとも、かつて大変な事態を引き起こしてしまったエルスベル
「すみません、私とティナちゃんはこの後することがあるので失礼します。昼頃にまた来ます。多少なら水などはそちらにありますし、お手洗いなどは部屋を出て右手に」
言われて覗き込むと、明らかにあとから設置したとわかる設備があった。
確かに調べ物をしていて、いちいち上に戻るのは大変だろう。
「ありがとうございます。ティナちゃんも、また後でね」
「うん、お姉ちゃんお兄ちゃんも頑張って」
そういうと二人は去っていった。
ちなみに、何かあった場合のための戻る通路も教えてもらった――昇降機は
これならむしろ、先の昇降機のある通路を飛行法術で戻った方がマシだろう。
「しかし……私達が今更読んで新しい発見があるかは微妙ですね……」
「そうだな。ドルヴェグの遺跡のような……あ、いや」
コウは通路に出た。
開くといわれたのは、この部屋と正面の部屋の二つのみ。
昇降機のあったホールからここまでは、両サイドに合計八つの扉があり、さらに奥の突き当りにももう一つある。
「あるいは、ほかに開く扉があるか、試すか」
「……気は進みませんが、確かに……」
エルフィナからすれば、謎の『
ただ、フィオネラの正体が一応分かったのもあって、それほどの嫌悪感はなくなっていた。
少なくとも、自分が『フィオネラ』である可能性はまずない。エルフィナは間違いなくクレスエンテライテの氏族で生まれた、少し変わった――
第一、フィオネラが
なので、おそらく魔力などが酷似してしまっているのだろうと考えている。
ただ、コウとしてはそれだけではないとは思っていた。
エルフィナが自身の認識の通り、クレスエンテライテ出身の
そこには何か理由があるとにらんでいる。何かは分からないが。
「コウ?」
「あ、いや、なんでもない。とりあえず手前の部屋から試すか」
「はい」
コウとエルフィナは、次々に手前の部屋から開かないかを試していく。
ただ、手前にあった八つの部屋はいずれもエルフィナでも、もちろんコウでも反応することはなかった。
開いている扉を見る限り、その気になれば破壊して入ることは可能だろうが、今そこまでする必要はない。
やるとしても、アメスティアに許可を取ってからだろう。
「あとはここですね」
エルフィナが、突き当りにある扉に手をかざす――と。
扉はまるでそれが当然とばかりに、音もたてずにすっと開いた。
「え……」
「開いた……な」
思わず二人は呆気に取られて、お互い顔を見合わせてしまっていた。
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