第260話 聖都のある場所

 農業区画を見物した二日後。

 コウとエルフィナは、日が登るよりも前――朝六時頃――にファリウスの外に出ていた。


 ちなみに街の外に巡礼者が出ることができる道は、一つだけだ。

 最初に入ってきた場所だけである。

 ランベルトによると他にもいくつかはあるらしいのだが、原則秘匿されているらしい。一応まだコウ達も教えてもらっていない。


 別に隠し通路を探すつもりはないので、コウとエルフィナは普通に街の外に、本来の通路を使って出ていた。

 なお、出入りの際には『証の紋章』を示せば問題はない。

 特に、コウとエルフィナはすでに特別扱いされることが通達されているらしく、すぐに手続きは終わった。


 二人が日が昇るよりも前に外に出たのは、宿のヴィクリアお勧めのファリウスの泉オリュス・ファリウスから見る朝日を見るためだ。

 街を出て湖の上に出ると、少しだけ薄明るくなってきた東の空に視線を向ける。


 だが、すぐ寒くなってきてしまった。


「予想以上に……寒いですね。本当に夏ですか、これ」

「正直パリウスの北の辺境当たりの真冬と、あまり変わらないな……」

「ああ、コウが最初にこの世界に来た?」


 コウは頷いて、ふと思い出していた。

 もう一年半以上も前のことだ。

 あの時に今の力があれば、フウキの人々を助けられた可能性はあるかも知れない。あるいは、センカだけなら何とかなっただろう。

 悔しいと思うことはあるが、どうしようもなかったというのは分かっている。

 時間を巻き戻すことができない――法術でもおそらくは不可能――以上、起きてしまった事実は受け入れるしかないのだ。


「コウ、大丈夫ですか?」

「ん。大丈夫だ。少し、な」

「えい」


 エルフィナはそういうと、いきなりコウの頭を抱き寄せて胸に抱いた。

 無理やり前かがみにさせられてしまい、転びそうになるのをコウは何とか堪える。


「え、エルフィナ!?」

「コウの悪い癖です。なまじ大抵のことができるから、何でもやろうとする。でもあなただって、人間です。コウの世界では神様は万能って話でしたが、この世界では神々ですら万能じゃないんですから、何でも責任を感じないでください」

「……そう、だな……」


 コウは黙ってされるがままにしている。

 実際、抱き留められたその状態はとても暖かく思えて、心地よい。


「分かればいいのです。私が一緒にいるのですから、私をもっと頼ってください。なんといっても、私はあなたよりずっと年上なんですから」


 その言葉に、思わずコウは吹き出した。


「いや、それは……その通りではあるが」

「いいんです。こういう時はお姉さんなんです、私が」


 言っているエルフィナも無理があるのは承知で、顔が赤くなっているのは自覚していた。

 ただ、その気持ちがコウには嬉しいので、少し笑いつつも、エルフィナを優しく抱きしめる。


「こうしてれば、暖かいですね」

「そう、だな」


 実のところはお互いしっかり防寒具を着こんでいるので、体温を感じるほどではない。

 ただなんとなく暖かいと感じるのは事実だ。


 その時。


「あ、日が昇りますね――」


 東の空、山の稜線の向こうから太陽が昇り始めた。

 ファリウスは巨大なカルデラと思われる地形の中心にあるので、周囲はあまり高くはないが山々に囲まれた場所になる。

 そのため、太陽が実際に見え始めるのはかなり遅い。ほぼ最西端に近い場所にあるという条件や山が周囲にあるという条件も相まって、おそらく大陸では日の出が最も遅い地域となる。


「こういう、ことか」


 ヴィクリアが夏のこの時期の朝日が一番いいといった理由について聞いてはいたが、予想以上だった。

 水が凍り付いてしまうほどに寒いファリウスだが、太陽それ自体は一応夏の太陽だ。コウの知識で言うなら、入射角それ自体は非常に大きい。

 それによって、湖の氷の上にあるわずかな雪や氷が、急激な温度差で少しだけ融けるのだ。

 その結果、表面に薄く水が張ったような状態になり――。


「すごい。鏡みたいです」


 ヴィクリアが話していた通り、湖を覆う氷がすべて鏡のように空を映している。

 まるで太陽が二つあるかのようだ。

 地球で言えばウユニ塩湖のような光景か――コウも見たことはないが。


「これは確かに……本当にきれいだな」

「ですね。本当に素敵な光景です」


 そういって、エルフィナが嬉しそうに振り返る。

 柔らかく吹き抜けた風がそのエルフィナの髪を巻き上げ、少しだけ広がった。

 それが、まるで金色のヴェールのように見えて、思わずコウは目を見張る。

 朝日で薄い紫いろの空と、それを鏡のように映す湖。それに重なってなびくエルフィナの髪が、何より彼女自身があまりにも美しいと思えたのだ。

 

「どうしました、コウ?」

「あ、いや、何でもない」


 コウもさすがに今の気持ちを正面から本人に言うのはあまりに照れ臭いので、誤魔化す様に顔をそむける。ただ、それで逆にエルフィナにはコウが考えていたことが分かってしまい、嬉しくなると同時に悪戯心も芽生えてきてしまった。


「ふふ。最近やっとコウが素直になってくれた気がします」


 勝ち誇ったようなエルフィナの笑顔に、コウは大きく息を吐いた。


「悪かったな。どうせひねくれものだ」

「そんなことは言ってません。私はその気持ちがとても嬉しいんですから」


 そういうと、エルフィナはコウの手を取ろうとして――。


「ふえ!?」


 わずかに融けた氷というのは、当然だがとても滑りやすい。

 そしてエルフィナが履いている靴は、魔獣の皮革を加工したブーツだったが、特に滑り止めなどを施されたものではなく――。


「エルフィナ!」


 コウが手を取らなければ、思いっきりすっころんでいるところだった。

 かろうじて転ばずに済んだエルフィナだが、顔を真っ赤にしつつ、なんとか足を踏ん張って、プルプルと震えていた。


「気を付けよう、な?」

「……は、はい」


 傍から見ればどう見てもじゃれ合ってるようにしか見えないその光景だが、本人たちは片方が笑い出さないように必死で、片方は恥ずかしさで顔を真っ赤にしているのだった。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


「これが――ファリウス全体ですか」

「だな。思った以上に……人工的なものな気がする」


 二人の前には、この辺りの地形の縮図が映像として浮かび上がっている。

 使用しているのは、かつてバーランドでも使った高空からの映像を投影する法術だ。


 カルデラ湖めいた場所の地下にあると思われたファリウスだが、おそらくこれ自体はカルデラ湖ではない。

 そもそも、この都市が古代のエルスベル時代に建造されたとするなら、火山がある場所にあのような設備を作るかが疑問だった。

 無論、次元結界アクィスレンブラーテと接触できる都市という意味はあるから場所を選べなかった可能性もあるが、それでも普通はあまり考えられない。

 まして地下に造るとなるとなおさらだ。


 改めて上空からの俯瞰図で見てわかったが、ファリウスの泉オリュス・ファリウスはあまりにもきれいな円形にすぎるのである。

 そしてその位置も、いくら何でも、いわゆるカルデラの真ん中に位置し、かつそのカルデラ自体もあまりにきれいな円形だ。

 これが自然にできたとしたら、いくら何でも奇跡に近い。


「つまり、この地形含めてすべて人工物……ですか?」

「その方がしっくりくる。覚えてるか。ドルヴェグで見たエルスベル時代の都市」

「もちろんです」

「あれほどの都市を作れる文明なら、多分地形をある程度変えるのは難しくない。おそらくここは、山を削って建造されたのか……」

「そんな大規模工事ができるのかと思いますが、エルスベルの人々が全員天与法印セルディックルナールを持っていたとしたら、十分可能でしょうね」


 コウも頷く。

 さらに言えば、今の時代と違い、当時のエルスベルに大型の、地球で言えば重機に相当するような道具があった可能性だってある。

 法術と重機を組み合わせれば、それこそ現代の地球よりはるかに高効率で工事が出来そうだ。


 そもそも奇妙なのがファリウスの構造である。

 上にあるファリウスの泉オリュス・ファリウスの直径がおよそ二キロ四メルテ、ところがその下にある農業区画は直径およそ七キロ十四メルテ、さらに下の都市部が直径およそ四キロ八メルテ

 しかもその空間にはほとんど柱がなく、あるのは中央にある塔のみ。

 その塔だけは地上まで出ていて、今もすぐ近くで太陽の光を反射して美しく輝いている。


 あれだけの空間が『掘って』作られたとは思いにくい。ここの地質がどれほど堅牢かはわからないが、普通に考えれば崩れそうなものだ。

 それに、ああもきれいに円形である必要はない。


「確かに……不自然ですね」


 コウの考えを聞いたエルフィナが、神妙に頷く。


「それで言うと、私も奇妙だと思うことはあるんです。この地域全体的に、大地の精霊の力が極端に弱いんです」

「精霊の力が?」

「はい。大地の精霊は地に根付いた力。特に山や平野では強いのですが、この地域は奇妙なほど弱い。この傾向は、人工的な場所――つまり都市部などではみられる傾向ですが、例えばヴェンテンブルグよりこの地の方がそれは顕著ですね」

「他の精霊は?」

「他は特には。だから、コウが言うようにこの地域全体がすべて人工的な物だとすれば納得できます。実は本来の大地はほとんどないのかもしれません」


 その理屈だと、埋め立て地――こちらでも川沿いなどにはある――は大地の精霊の力が弱くなるのかと思ったら、あっさりその通りだと肯定される。

 人工の大地と大地の精霊の力は相性が悪いらしい。


「ここまで大規模なのは私は初めてですが……。ここに比べたらヴェンテンブルグの方がまだ大地の精霊の力はあった方ですね」


 はた目には天然の大空洞に造ったように見えるファリウス。

 だがエルフィナの話の通りなら、この一帯はすべて人工の大地ということになるだろう。

 それが何を意味するのかは、さすがに全くわからないが。


「実際に来てみて感じますが、本当にこの地は特別な場所だと思います」


 エルフィナの言葉に、コウも頷いた。

 このファリウスは少なくとも一万年前からあったのは確実だ。

 しかしその一万年前、いったい何があったのかはいまだにはっきりしない。

 わかっているのは、悪魔ギリルによりエルスベルが滅んだことと、千年の間人々はこのファリウスやその他の施設で息をひそめて過ごしていたことくらいだ。


「書庫の調査である程度分かれば、だな……」

「あまり期待できない気はしますけどね。これまでにもいろいろ調べられてはいるでしょうし」


 明後日には、神殿の書庫での調査ができる。

 確かにエルフィナの言うように、エルスベル調査団ヴェストーレが解散して以降も、全く調査していなかったわけではない以上、新たな発見がある可能性は低い。

 ただそれでも、何か意味があるという予感があった。

 そしてそれが、そのあとに求められている次元結界アクィスレンブラーテの修復に必要なことだと――なぜかコウは、そう感じられていた。

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