第259話 聖都の農業区画

「ここが……農業区画、か」

「ああ。聖都の食を支える地域だ。実のところ生産能力それ自体は過剰なほどで、時折、過剰過ぎる備蓄は他の地域に売りに出すこともあるくらいだ。聖都で作られた農作物ということで、結構喜ばれることも多い」


 その理屈は分からなくもないが、それにしてもこの光景は予想外だった。


 あの後、市場を一通り巡った後、神殿に食事は市場併設の食堂で摂った。

 新鮮な食材の料理はどれも美味しく、つまりはエルフィナがいつも通り食べたのだが、さすがに市場で働く人々はそれなりに食事が多い人もいたのか、あまり目立たなかったらしい。

 大の男二人、少女一人のテーブルに過剰な食事が運ばれたくらいなら、驚くに値しなかったのだろう。

 その食事の大半を食べたのが小柄な森妖精エルフの少女だというのに気付いたのは、周囲にいた人たちだけだ。


 それから一度神殿に戻りティナと合流し、もう一度市場の中、その一番奥、この聖都ファリウスの壁際まで行くと、そこに大きな門が開いていた。

 軽く大型馬車四台は並んで通れるほどのその巨大通路は、今も多くの馬車や車を引いた人々が――車には多くの食料が積まれている――行き交っていて、この先にそれらの生産地があるのだろう。

 ただ、一行はそのわきにある階段で上がる。

 というより――。


「こ、この階段動くんですか!?」

「すごーい。勝手に上がっていく~」


 エルフィナとティナが驚いている。

 一方、コウは驚いてはいたが――。


「こっちにもあるとはなぁ」

「コウの世界にもあったんですか、こういう階段」

「ああ。『エスカレーター』という名前だったが……」


 上るスピードは、コウの知るそれに近い。

 違いと言えば、手すりのベルトがないことか。階段部分の材質もよくわからない。

 また、形状が大きな螺旋状で、直径十メートル二十カイテルくらいの吹き抜けを延々と上がっていく。


「大量の作物を運ぶには向いていないんだけどな」


 ランベルトの説明に、コウも納得した。

 確かに、階段の幅は二メートル四メルテもなく、段差の高さも日本にあったエスカレーターよりだいぶ大きい。

 その割には乗る場所の幅はあまり変わらない感じなので、うっかり踏み外すと大変だろう。

 無論、吹き抜けの内側から飛び降りたら、普通の人間では大怪我では済まない。

 大量の作物がある場合は、別の通路があるのだろう。


 そのエスカレーターめいたもの――こちらではファストルというらしい――を一番上まで行くと、そこは部屋になっていて、そこを出ると、その目の前にあった光景は予想外だった。


 空が見えているのは予想出来ていた。

 だが、先ほどいた市場より遥かに広い空間とは思っていなかったのである。


「本当に地底ですか、ここ」

「ああ。聖都の食を支える農場区画。さらに水利設備も昔から整備されていて、このさらに上層にあるファリウスの泉オリュス・ファリウスの水が引かれている」


 目の前にあるのは水稲イズが実った金色の畑が広がっている。他にも、小麦や大稲ラスなどの穀物のほか、野菜類なども多くあるようだ。


「すごいな……」

「ここが凄いのは実はこれだけじゃなくてな。この農業区画は大きく六つに分かれているんだが、うち四つは季節がそれぞれズレて巡る」

「は?」


 ランベルトによると、今出てきたこの区画は現在秋の季節になっているらしいが、違う区画は春や夏、冬になっているらしい。

 このため、一年中作物の収穫が可能なのである。


 さらに残る二つの区画は、一つは四季が巡る区画で、一つは常に温暖な気候が設定されているらしい。

 そちらでは、主に家畜を飼育しているという。


 ちなみにそれぞれの区画の広さは、一つ辺りでファリウスの都市部の半分程度。

 つまり全体ではファリウス都市部の三倍もの広さがあるらしい。

 全体としてはファリウスより一回り大きな円形。

 その中心を、やはりあの『塔』が貫いているらしく、そこを中心に六つに分割されているという。その境界は幅二十メートル四十カイテルほどの道があって、そこで季節が切り替わるらしい。

 コウからすれば、明らかに地球に存在する技術でも再現不可能だと思える規模の全天候型の農業施設だ。


「階段の出口はここしかないが、ファリウスまで『下りる』道の入口は各区画にある。人々はそこから作物を出荷するという感じだな」


 ランベルトによると、ここの生産効率は他の地域と比べても段違いに高いらしい。

 確かに、いわゆる天候不順の影響がない。

 さすがに雨は降らないが、水を噴水の様に空に噴出してばらまく仕組みもあるらしい。

 ちなみに中心の『塔』の周辺には加工場があるほか、なんと『氷』を生産することができる場所もあるという。


「こんな辺境で一万人もの人々が過ごせている理由がよくわかるな……」

「すごいですね。しかしこの設備……ここにしかないんですか?」


 問われたランベルトは、やや複雑そうに頷いた。


「ああ。ファリウスの設備それ自体は、正直いまだに未解明で、謎しかない。まあ一つには、ある程度解明してた記録とかもすべて、百五十年前に失われたらしいんだが」


 教皇グラフィルゲッペルリンクの暴挙とそれに伴う混乱の中で、このファリウスそれ自体についての研究についても記録も、ほとんど失われたらしい。

 どこまで解明されていたのかもよくわかっていないというのが現状で、あの事件以後、再調査はされてはいるらしいが、より小規模で、さしたる成果もないという。


 一行はとりあえず中心にある『塔』を目指した。

 区画の『境界』である道は本当に大きく、しかも滑らかな石畳で舗装されたもので、その加工技術一つとっても、この世界の水準でも最高水準かそれ以上。

 道の長さは三キロ半七メルテほどあり、まっすぐに塔に繋がっていた。


 塔は相変わらずガラスめいた美しい輝きを放っており、まっすぐに屹立し、空に――つまり天井に――消えている。

 その手前には、いくつもの建物があるが、この建物に関してだけは、ある意味でごく普通の建物に見えた。


「これは……後の時代に建てられたものなのか」

「そうだな。元は何もなかったらしく、街に運んでから加工していたらしいんだが、この層で加工した方がってことで、加工場が作られたといわれてる。だから、ここに関しては何度も建て替えられているらしい」


 至極納得できる理由だった。

 とはいえ、農場に加工場が隣接してるのはとても便利だし、ランベルトによるとこの塔の近くからも、都市部に降りるための道があるらしい。そのため、多くはここからファリウスに戻るという。


 よく見ると、加工場以外に明らかに住居と思われるものも多い。

 おそらくここで作業する人たちのための家なのだろう。

 このファリウスに住まう人々は、それぞれに何かしらの『役目』を持っているらしいから、ここで食料を生産するためにファリウスにいる人もいるはずだ。

 それが全員神官であるというのは驚くしかないが。


「本当は、通常部外者は立ち入り禁止なんだけどな。今回は特別らしい」


 ファリウスを支える重要な区画なので、部外者である巡礼者などが入ることは通常許可されてないという。

 考えてみれば当然のことだが。


 一行はそのまま加工場を見学することができた。

 滅多に来ない部外者に警戒されるかと思ったが、むしろ逆で、珍しい来訪者をみんなで歓迎してくれたほどだ。

 あとで聞いたが、王族などはやはり見学が許されることが多いので、コウ達もそういう『珍しい』巡礼者だと思われたのだろう。

 特にエルフィナ――正しくは森妖精エルフが本当に珍しかったらしく、すっかり囲まれていたが。

 エルフィナも、ここ専用の食事場ティルナでいろんな人に囲まれて、たくさん色んな食べ物をもらえたので、とてもご満悦だったようだ。


 驚くべきはエルフィナの食べっぷり――もちろんティナも――に最初こそ意外な顔をする人がいたが、むしろ当然と受け止められていることだった。

 あとで聞いたが、このファリウスに住む人にとって、教皇グラフィルの食事のことはある種常識で、コウ達についても『特別な』巡礼者だという前提から、教皇グラフィルの何かしらの関係者だと思われたらしい。


「食事の量で関係者だと思われるのはどうなんだ……」


 コウのつぶやきに同意したのがランベルト一人だったのは、言うまでもない。

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