第257話 エルフィナの理由

 コウとエルフィナは、いったん部屋に戻って荷物を整理――二部屋は不要になるので一部屋にした――してから、また外に出た。

 時刻はちょうど十七時になった頃である。


「とりあえず……どこへ行くか」


 いくらそう広くない街であるとはいえ、それでも目標もなく歩くには広い。

 地図でもあればと思ったが、考えてみればこの街の住人のほとんどは何年もこの街から出ることがない人々なので、街のどこに何があるかなど困ることはない。

 街のどこにいても大聖堂は見えるので最悪迷うことはまずないのだが、逆に街の雰囲気はどこも似た感じなので、どこに向かえばいいかが分かりにくい。

 ただ、巡礼者向けのサービスくらいは――と思ったら、エルフィナがごそごそと地図を取り出していた。


「それは?」

「アメスさんにもらったんです。お手製のこの街の地図です」

「……お手製?」

「はい」


 そう言ってエルフィナが見せてくれたのは、元は多分普通の巡礼者向けの地図だろうと思われるものだった。

 法術による印刷が施されたもので、街のどのあたりにどういう施設があるかの概要が分かるようになっているものだ。


 が。

 それになにやら、手書きで大量に色々書き込みがされている。

 よく見ると、それ自体法術による転写のようなもののようだが――。


「アメスさんお勧めの食事処ティルナ地図です」


 いつの間にそんなものを、と思わずコウは呆気にとられた。

 それによく考えたら、アメスティアの呼び方がとても親し気なものになっていた。 そういえばあの食事の後も解散する前に、大食い三人娘――そうとしか言えない――で楽しそうに話していたが、その時にもらったのか。


「教皇が気軽に外出して食べ歩きとかできるのか……?」

「出来るみたいですよ。彼女自身も言ってましたが、別に王様みたいに崇め奉られているわけではないですし。ただ、たくさん食べられるのは教皇の特権みたいなことは言ってましたが」


 あの量を食べるのはさすがに追加費用がかかるらしいが、教皇グラフィルの給料(と言っていいのかは疑問だが《意志接続ウィルリンク》がそう翻訳してしまった)はやはり多い――ちなみに原則手形で渡される――らしく、気兼ねなく食べられるという。

 言い換えれば、この街で教皇グラフィルがたくさん食べるのはよく知られていることらしいが――さすがにその理由については明らかになっていないらしい。

 とはいえ、代々の教皇グラフィルが全員神子エフィタスだったはずで、つまり教皇グラフィルは確実に食事量が多いことになる。


「コウ。一つ勘違いしてるかもですが……というか、多分ですが、神子エフィタスだからといって、常にたくさん食べるわけじゃないと思いますよ」

「いや、まあそれは普段はそうだと分かってるが……食べられる時は食べてないか?」

「なんかすごく心外ですが。あのヤーランで魔力使い切った時は本当にたくさん食べないときつかったですが……普段はそこまで魔力使いませんし」


 とはいえ、エルフィナの魔力消費は実は普段からかなり多い。今も精霊珠メルムグリアの中に精霊メルムを現界させたままのため、おそらく並の法術士クリルファ程度だと、一時間程度で魔力が尽きる。

 それを楽々と維持しているのはさすがと言えるが、エルフィナの魔力量、もといその必要補給量は、本来はアメスティアやティナより多いのだろう。精霊の顕現状態を解けばいい話ではあるが。

 だが、緊急事態を考えると精霊珠メルムグリアの保険は非常に強力なので、エルフィナの負担にならなければ――食費という負担はあるが――継続しない理由はない。


「言われてから改めて認識したのですが、確かに私は食事で魔力を補給できますが……正直に言えば、私の場合は普通の食事より少し多いくらいで、問題は多分ないんです……けど」


 確かに、本来栄養摂取が極限まで少なくてもいい森妖精エルフであるエルフィナは、そもそも食事の効率が人間エリルとは違うのかもしれない。


「なら、ちょっと多いくらいでも……」

「だって、美味しいモノってたくさん食べたいじゃないですか」


 やや顔を赤くしたエルフィナが、小さく呟いた。


「へ?」

「コウだって、美味しいモノってたくさん食べたら幸せな気分になりませんか?」

「それは……否定しないが」


 ただ、人間そうたくさん食べられるものではない。

 色々な美味しいものがあったら、一つ一つは食べたくても少し少なめにして、たくさん味わいたいものだ。


「……ああ、なるほどな」


 だが、神子エフィタスは違う。

 思いっきり満足するまで食べても、違う味をやはり思いっきり満喫できる。

 ある意味では、食に対するリミッターが必要がない。

 言い換えれば、エルフィナもティナも、そして教皇グラフィルであるアメスティアも、食事に対する欲求はおそらく他人より強いのだろう。

 それが『食べられるから』なのかどうかは分からないが。


「欲望の赴くままに食べられるってことか」

「……なんか言い回しひどくないですか」


 エルフィナの顔が赤くなり、やや涙目になっていた。


「……すまん」

「否定できないのは事実ですけど」


 エルフィナにも自覚はあるのである。

 ただ、元々美味しい食事に魅入られて森を出たのだ。

 それが堪能できる以上、我慢するのは難しい。


「ま、いいけどな。幸いというか……まあ食事に多少使ったところで、生活できなくなることはないしな。で、折角だからその地図でエルフィナのお勧めはどこだ?」


 こと、食事に関してはエルフィナの感覚は信頼できるだろう、というのもある。


「そうですね……あのお昼に色々食べましたが、この地域ならではということでお勧めされたのが……こちらでしょうか。夜ご飯向きというところですが」


 エルフィナが指さしたのは、今いる場所からはちょうど大聖堂を挟んで街の逆側。距離はあるが、適当に街を巡りながら歩くなら、むしろちょうどよいと言える。

 エルフィナもそれが狙いだったらしく、意図を察したのか、まっすぐ店に向かう道ではなく、回り道をするように歩き始め――ようとして、コウの手を取る。


「それほど焦る予定もないですし、ゆっくりしましょう、コウ」


 そういうと、繋いだ手の指を絡めてきた。コウもその手を握り返す。


「そうだな。それにここまで四カ月近く、ずっと移動し通しだったしな。しばらく休めるのは、ありがたい」

「ですね、本当に」


 帝都を出たのが三月下旬。今は八月になったばかり。結局丸四カ月、ほぼ移動し続けていた。別に日々の疲れがたまったということはないにせよ、やはり少し落ち着きたいのは否めない。


 実際、コウとエルフィナは、これまでどちらかというと一か所に滞在する時間が長い方だった。

 もっとも長く滞在したのは、アルガンド王国の王都で、四カ月近く。

 本音を言えば、どこかに腰を落ち着けたいという欲求がないわけではない。


 コウとしてもエルフィナとこの先どうするのかというところがあるが、一緒に暮らしていくという未来図は、やはり考えるべきだと思っている。

 それはエルフィナにしても同じではあるが、エルフィナの場合は一応『実家』は存在するので、まずはコウを故郷の氏族に会わせたいというのもあった。


 ただ、現状このファリウスで何かすべきことがある可能性が高い以上、しばらくはこの街にいることになる。

 とはいえ、この街にいる限りは厄介ごとがある可能性は極めて低く、また、冒険者としての仕事が発生する確率に至ってはほぼ皆無。

 そんなわけで、コウもエルフィナも、当面は気楽な聖都滞在を楽しむこととし、さしあたっては街をめぐることにしたのであった。

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