聖都巡り

第256話 聖都での滞在

 大聖堂を辞したコウとエルフィナは、いったん宿まで戻って、とりあえず食堂のテーブルに座って一休みすることにした。


「こういうとなんですが、帝都に比べると安心できる広さですね」

「それは否定できないな」


 コウは苦笑しつつ答える。

 街中を移動するだけでも、高速馬車を使わなければ丸一日以上かかるようなこともある帝都に比べると、この街は逆側に行く場合であっても、歩いてせいぜい一時間もあればたどり着く。

 コウの感覚では、文字通り『町内』というくらいの広さだ。


 時間を確認――宿などではたいてい聖堂の時鐘に合わせて時刻を知らせる置物がある――すると、十六時半を過ぎたころらしい。コウの感覚にすれば、大体二時間ずらす感じなので、まだ夕方になってないくらいか。


「せっかくですから少し街を歩きましょう。明日には別の層を案内してくれるとのことでしたが」

「そうだな」


 人口一万人程度というと、この世界の感覚では小規模な都市という印象になるが、地球に当てはめるとかなりの大都市だ。

 少なくとも、中世ヨーロッパなどは最大とされるパリですら十万人程度。たいていの都市は一万人もいなかったと聞いている。

 無論、このファリウスは街周辺に住む者が全くいないという意味ではかなり特殊な環境なので、一般的な概念を当てはめられるのかという疑問はあるが。


「小さい街ではないとはいえ、それでもここに千年もの間閉じこもっているというのは、尋常な忍耐じゃないな」

「そうですね……森妖精エルフでもさすがにきついと思えるほどです。当時、大陸がどういう状態だったのかはもうわかりませんが……」


 ただ、ずっと起きていたかはわからないが、逆に言えばずっと眠っていたわけでもないだろう。

 アメスティアの話の通りなら、そもそもここは本来は街として建造されたのかどうかも微妙な気はする。

 一方で構造的にも設備的にも、長期間立て籠もることができる、というよりはほとんどシェルターの様な機能を備えていることから、元々そういう施設だったのかもしれない。

 古代のエルスベルにおいて次元結界アクィスレンブラーテがどういうものだったかは不明だが、それに直接触れることができるこの場所が重要な場所だというのは確かだ。


「そもそもの疑問ですが……次元結界あれって、誰が作ったものなんでしょうか?」


 エルフィナの言葉に、コウは思わず首を傾げた。


「そういえばそうだな……。確かに、そもそもそういう存在があるなら『誰が』作ったのかって話にはなるか」

「まあ、無難にいくなら神々ってことになるとは思うんですが」


 確かに、神官は奇跡ミルチェによって神々の力を借りる。

 その神官たちが所属する神殿の頂点である教皇グラフィル次元結界アクィスレンブラーテの維持を主たる役割としているなら、次元結界アクィスレンブラーテは神々の被造物という可能性は高い。

 ただ、それこそエルスベルの時代よりさらに前の話になるわけで、調べる手段は皆無いだろう。


「あれ。お二人は戻ってきたんだね。ランベルト君とティナって子は?」


 給仕の女性――ヴィクリア――が声をかけてきた。


「ああ。ランベルトとティナは今後は神殿で寝泊まりするらしい。俺たちももう少し用事があるから、この街に滞在するが」


 ちなみに、ここの宿代は基本的に無料である。

 この街に滞在している間は、基本的にお金はかからない。

 街の住人がすべて神官であり、それぞれに役目を持たされている。各自がそれを果たすことで、お互い助け合って生活している。


 無論外部との取引などではお金を必要とするが、それは神殿の財、あるいは各地の神殿の収益の一部がこの聖都に送られてきているので、それで賄われているらしい。

 宗教組織というとついコウは勘違いしがちになってしまうが、少なくともこの世界の神殿組織は、どちらかというと冒険者ギルドに近いのだ。あくまで、営利団体の一つである。


 この街は、いわば一つの組織によって運営されている場所なので、言ってしまえば街のあらゆる機能の運営に金銭授受は発生しない、一つの会社のようなものなのだろう。

 収益を上げる手段は別にあるから、街の中ではいちいち金銭での取引が発生しないし、数少ない巡礼者への供応もその範囲内で行えるのだ。


 無論、より高い待遇を求めればお金をかけることもできるし、実際エルフィナは食事に関してはお金を使うつもりである。

 いずれにせよ、街の人間全員が神官であるという特殊な環境が、こういう街の運営を可能にしているのだろう。


「面白い街ですよね、ここ。ある意味では森妖精わたしたちの氏族の里に近いというか」

「そういうものか」

「ですね。どっちの在り様も私はだから理解できます。ただ、氏族の里はせいぜい二百人程度の集団がいくつかある程度で、里同士の取引はわかりやすいので金銭で贖うことも少なくありませんでした。ですが、ここは一万人規模でそれをやってるのはすごいですね」

「全員神官だからな。それが大きいんだろう」


 こういう社会を成立させるのには、お互いを信用できることが大前提だ。


「そうだねぇ。ま、ちょっとくらいだらけるのがいないわけじゃないけどね」


 ヴィクリアがそのまま会話に混ざる。

 他に客もいないので暇なのだろう。


「それも含めて各々が役割を果たして街が維持されているわけだな」

「そういうことだね。まあ、あとは巡礼者の滞在費用は無料だけど、お土産やらでお金をもらってるしね」


 そういえば、帰り道で聖都土産――焼き菓子や細工物――などを売る店があったが、そこはお金を取る様子だった。

 街に住む者が買うことはないだろうから、あれは巡礼者向けなのだろう。


「実際、この街の暮らしってどうなのです?」

「平穏っちゃあ、平穏だね。こんな場所だから、戦争とかの話もない。まあ、色々噂は聞くけどね。去年末だっけ。東で戦争になりかけたとも聞いたし」


 バーランド王国がアルガンド王国と戦争状態になりかけた話だろう。

 あれは実際に両国ともかなりの軍が動いたので、かなり広まっている話だ。


「私にとっちゃ故郷だったからね。クロックスは東の端っこだから大丈夫だとは思ってたけど、それでもアルガンド王国が影響を受けたら無視できないから、心配だったんだけど」


 そういう話が流れてきた直後に、戦争にすらならずに終わったと聞いて、心底安堵したらしい。

 さすがに当事者に近い位置にいたというのは少し面倒な気がしたので、当たり障りのない感じで、当時のアルガンド王国の状況を説明する。


「じゃあホントに何も被害なく終わったのかい。そりゃよかった」


 ヴィクリアは嬉しそうに笑う。


「ありがとね。息子からの手紙でもクロックスは全く影響なかったって聞いてはいても、国全体のことはいまいちわかってなかったから、安心したよ。ありがとうね」

「役に立てたなら何よりだ」

「お二人はいつまでファリウスに?」

「少なくともあと半月はいる予定だ。その先はちょっと未定だが……」


 半月後に次元結界アクィスレンブラーテに接触するための場所に行くので、少なくともその時まではこの街にいるだろう。その先は不明だが。


「結構長いね。まあ滅多に来れない場所だからね。何もないような場所に思えて、結構見るものは多いから楽しんでくれると私としても嬉しいよ」

「何かおすすめはありますか?」

「そうだねぇ……この時期の私の一押しは日の出直後のファリウスの泉オリュス・ファリウスかな。天気がいいとき限定だけど」

「どうなるんです?」

ファリウスの泉オリュス・ファリウスの氷の表面が、朝の陽射しでわずかに融けるんだよ。で、それで氷が鏡みたいになって、空を映すんだ」


 ヴィクリアはそういうと、窓から見える空を見上げる。


「この街に長くいるとね。あの空に『慣れる』んだけど、やっぱ本物の空は違うからね。みんな時々、外には行くんだよ」


 そういうと、やや複雑そうに笑う。

 やはり、街に慣れてくるとあの空それ自体に対して違和感を感じてしまうらしい。

 ちなみにヴィクリアによると、外に出るのには一定の手続きはいるらしく、コウはそのあたりでもこの街の出入りの難しさを改めて感じた。

 シェルターというより、もはや秘密基地だ。

 それはそれで、心踊るフレーズではあるが。


「……コウ?」

「あ、いや、何でもない」


 わずかに顔に出てたのか。

 不思議そうな表情をするエルフィナから顔を逸らして、コウは平常心を取り戻そうと大きく息を吐いたのだった。

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