第255話 真界教団の正体

「なっ……」


 ランベルトが唖然としている。

 コウやエルフィナ、ティナも反応はほぼ同じだ。


「……そうか。教団ヴァーリーが妙にエルスベル時代のものと思われる知識に詳しいと思われるのは、そもそも最もそれに近い存在だったからなのですか」


 コウの言葉に、アメスティアはやや沈痛な面持ちで頷いた。


「今から百五十五年前、聖歴ファドゥラ一〇〇九一年の一月末日、当時教皇グラフィルゲッペルリンクは、次元結界アクィスレンブラーテへの過度な干渉を実施しました。目的は明らかではないですが、結界を崩壊させようとした、とも伝えられています」

「……あ、私が……生まれた年ですね」


 エルフィナが少し驚いたように言う。

 確かにちょうどエルフィナが生まれた年と同じだ。

 しかも一月の末日ということは、エルフィナが生まれたのはその翌日である。


「あ、そういえばそうですね。面白い偶然もあったものです。この時ゲッペルリンクが何を考えてこのようなことをしたのかは詳しくは不明です。ただ、この目論見は失敗したと伝わっています」


 今から百五十五年前。

 森妖精エルフからすればそう昔とは言えないかもしれないが、人間では少なくとも五世代以上を重ねるだけの年月であり、記録の正確性は乏しいだろう。

 だが、教皇グラフィルがそんなことをしたとなれば――。


「想像できると思いますが、この時は神殿内も大混乱しました。何しろ最上位の教皇グラフィルがやらかした事件でしたから。幸いだったのは、エルスベル調査団ヴェストーレの存在それ自体は神殿内でも極秘扱いでしたから、当然外部にその存在は知られていなかったことでしょうか。そうでなければ、あるいは神殿はその時に解体されていたかもしれません」


 それはまた穏やかではない。

 ただ、百五十年ほど前となるとコウもその理由には思いつくものがあった。


 百五十年ほど前。大陸各地の国がいくつも連鎖的に崩壊し、大陸全体が不安に包まれた時期がある。

 聖歴ファドゥラ一〇〇九一年から十年ほどその状態が続いたため、聖歴ファドゥラ一〇〇九〇年代は『暗黒の十年』と呼ばれているほどだ。

 アルガンド王国でもその頃には内戦があったらしい。

 世界中で同時期に不安定な政情が続いたので、あるいは社会的に連鎖したのかと思われていたが――。


「異界から来られたコウ様もご存じなのですね。そうです。『暗黒の十年』は、一時的に次元結界アクィスレンブラーテが不安定になったことで引き起こされた、いわば人災だったのです」


 目論見は失敗したとしながらも、それでもそれだけの甚大な影響が出たということらしい。

 ただ、次元結界アクィスレンブラーテの先ほどの役割が悪魔ギリルの襲来を防いでいるとされるなら、それは納得できる。


「以後、次元結界アクィスレンブラーテへの接触は教皇グラフィルのみが許され、それも結界の維持のためだけとされ、結界に対する研究は禁忌とされました。当然、エルスベル調査団ヴェストーレは解体。次元結界アクィスレンブラーテへの過度な干渉が、この事態を招いたのですから、仕方ないですね」


 そしてアメスティアは大きく肩を落として息を吐いた。


「さらに言うと、エルスベル調査団ヴェストーレが解体されたと言いましたが、正直に言えば解体せざるを得なかったというところもあるようです。なぜならあの事件の後、エルスベル調査室ヴェストーレはそのメンバーのほとんどがその後死んだと記録されています。またその時に、それまでの数千年にわたる調査記録も、ほとんど遺失してしまったそうなのです」


 つまり、事実上組織がそっくり消えてしまったというわけだ。

 ただ、メンバーが死んだというのは、おそらく正しくは『殺された』のだろう。神殿からしても、神殿最大の不祥事を知る者を生かしておくはずがない。

 もっとも、当時神殿も大混乱し、かつ世界的にも裏で悪魔ギリルの暗躍による世情の不安定さもあって、組織を再構築するどころではなかったのだろうとアメスティアは考えている。


「そして今、百五十年前に近い兆候が現れつつあるのです」


 魔獣の活性化に、悪魔の暗躍も疑われる政情の不安定化。

 コウたち自身も、ヤーラン王国で悪魔ギリルの介入による事件を経験したばかりである。


「ちなみにその後、結界の維持にかかる負担が大幅に増加したようです。実際、百五十五年前のその事件以後、次元結界アクィスレンブラーテの状態は著しく悪化ししたとされています。原因は間違いなくゲッペルリンクがやってしまった結界への『何か』が原因でしょう。しかしそれに気付いた時には、神殿にも結界に関する研究は失われていたのです。それ以後の教皇グラフィルの在位期間が短くなったのもこのためです」


 つまり、それまでより次元結界アクィスレンブラーテの維持にかかる力が増大したらしい。

 そしてこのままでは、教皇グラフィルによる次元結界アクィスレンブラーテの維持にも限界が来るという。


「実のところ、このタイミングでティナちゃんが見つかったのは僥倖というところです。教皇グラフィルの地位と力を引き継いでもらうとしても、いきなりお願いするのは難しいでしょうし……」


 いわゆる引継ぎ期間のようなものは必要らしい。

 教皇グラフィルの在位期間が短くなり続けていることもあり、このままではいつか、後継者不在のまま教皇グラフィルの力が尽きることがあるのではないかという懸念もあったという。


 だからこそ、アメスティアは神託リルチェに縋りたいというのもあるのだ。

 次元結界アクィスレンブラーテが以前のようになれば、教皇グラフィルの在位期間も延び、世界も安定するはずだ。

 あるいは、かつてのエルスベル時代のように、悪魔ギリルが全く現れない時代が来るかもしれないという期待すらあるらしい。


次元結界アクィスレンブラーテがせめて百五十年前の状態になれば、というのがあります。だから、私としてはコウ様に頼りたいというところがあるのです」


 コウとしても自分にできることがあるならしたいとは思うが、現状全くその自覚がない上に、何をどうすればいいのかすら全くわからないというのが本音だ。

 それだけに、まずはその次元結界アクィスレンブラーテを見てみるしかないだろう。


「わかりました。何はともあれ、その次元結界アクィスレンブラーテを見てみないと何とも言えませんが……半月後、ですか」

「はい。次元結界アクィスレンブラーテへの入口が開く場合、その前日に予兆がありますので、必ずわかります。それまで、ファリウスにご滞在ください。少し変わった環境ではありますが、それゆえに変わったものも多いですから、退屈はしないと思います。ただ、ティナちゃんは……もう神殿に入っていただければ、と」

「え?」

「いろいろ教えておきたいこと、それに……するべきこともあるの。ダメかな?」


 ティナは少し考えていたようだが、すぐに頷いた。


「うん、わかった。今日にでも?」

「そうね。可能なら。ランベルト君はどうするの?」

「私は一応これで役目は終えてるので、帰ってもいいということにはなるのですが」

「薄情だなぁ。じゃあしばらくの間は、ティナちゃんの世話係を任じます」

「ちょ!? それは普通女性神官の役割では?!」

「もちろんティナちゃんは可愛い女の子ですから、必要なところにはちゃんと女性神官も付けます。でも、ここまで一緒に旅をしてきた間柄なんだから、これでお別れとか薄情でしょう」


 そういわれると、ランベルトは反駁出来ない。


「コウ様、エルフィナ様はどうされますか? 神殿に部屋を用意してもいいですが」


 二人は顔を見合わせた。


「宿の方がいいですね、私は。ここまでほとんど神殿でお世話になってましたし。あ、でもできるだけ神殿にも来ますよ。ティナちゃんに会いにね」

「ありがとう、お姉ちゃん!」

「そうだな。私ももちろん。あと。可能なら……神殿の過去の記録などを見ることは可能だろうか」

「はい。それは便宜を図りましょう。いつでも来てください」


 気付けば、時刻は十七時になっていた。

 この地域の生活感覚では、これから夕方というくらいだ。

 窓の外に見える空――映像のはずだが――はまだ明るい。


「また、こういうことを言うと自分の街の自慢になっちゃいますが、ファリウスはこういう特殊環境なので、意外に色々楽しむための施設もあります。できれば、ファリウスを楽しんでいただけると嬉しいです」


 コウとエルフィナは思わず顔を見合わせる。

 確かに、昨日夜に到着して、今日は朝に少し街を歩いただけだが、あの時間はまだ街は眠っていた。その意味では、街を十分周ったとはいいがたいだろう。

 それに、ランベルトの話ではさらに下層もあるという話だった。


「分かりました。滞在も長くなりそうなので、折角ですから楽しませていただきます」

「はい。ぜひ」


 そういうアメスティアの表情は、どこか気負うものがあった先ほどとは違う、柔らかい微笑みで、まさに見る者を安心させる優しさに満ちていた。

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